姫君の消閑
†姫君の消閑†
廊下を通り、裏門を抜け、チェリーは城外へと出た。靴を脱ぎ捨てて来たため、裸足のままである。
走っている途中、何度かメイド達に話しかけられたが、それに返す余裕はチェリーになかった。
――むかつく。むかつく。むかつく。
町へ着いても、チェリーのわだかまりは消えない。擦れた足は酷く痛々しかった。
「……せめて着替えれば良かったな」
自分の姿を見て呟く。
足元まであるふんわりとしたのドレスは、町中では目立ちすぎた。こんな格好、貴族などの地位がある者くらいしかしない。先程から人々の視線がチェリーに突き刺さる。
さすがに居辛くなり、彼女は人気のない路地へと移った。
狭く薄暗い路地は少し不気味だった。高くあがった太陽の光が届いてくれない。
チェリーは一息ついて、塀に寄りかかる。
ドレスで走るのは困難で、城を出るまで何度も転びそうになったものだ。
「ああ…。やってしまった」
呟いたチェリーの膝が、がくりと崩れる。先程のことを思いだし、自分からしたというのに、顔は真っ赤だった。
――…駄目だ。誤魔化せない。やっぱ私、ブリーズのことす、好きなんだ。さっきは勢い余ってキ、キスしちゃったけど……って、思いだしたらヤバイって!
必死にかぶりを振る。口唇の熱は今も残り、それがチェリーの羞恥心を更にあげた。
後悔先にたたず、とは正にこのことだろう。
チェリーはぎゅっと膝を抱いて、顔を埋めた。
――どうしよう。ブリーズと会いにくいや。
そう心の中で漏らすチェリー。だが、彼はチェリーの護衛なのだから、嫌でも顔を合わせるだろう。
「チェリー?」
真剣に悩んでいたチェリーに、聞き覚えのある声が届いた。
そっと顔をあげる。
「……あ、リーフ」
不思議そうな面持ちで立っていたのは、以前町で知り合った少年、リーフ。
彼は座りこんでいるのがチェリーだと分かると、パッと表情を輝かせ、チェリーのもとに駆け寄った。
こてん、と首を傾け
「どうしたんだ? その服」
と尋ねる。チェリーはギクリと肩を揺らしつつも、なんとかクールに誤魔化した。
誤魔化した、というより、あやふやにしたというほうが正しい。リーフがあまり深く聞いてこなかったから、ばれなかったという事だ。
「なんかいつもと別人じゃん。お姫様みたいだ」
リーフはドレスの裾のレースを軽きつまみ、そう言う。チェリーはその核心ついた言葉に、またもや焦った。
だが、リーフはそんなことより、つまんだ際に見えた裸足に釘付けに。
「な、なんで裸足なんだよ!? しかも赤くなってるし……」
チェリーの足に触れ、心配気に眉を下げるリーフ。大袈裟な彼な苦笑いしながら、大丈夫、と言おうとした時、チェリーはある事を思いついた。
「そうだ、そうだよ。ナイスリーフ! よくぞ私を見付けてくれた」
そう言って勢いよく両肩を掴むと、リーフは理解不能、といった表情をする。
チェリーはリーフの服を指差し叫んだ。
「それ貸して!」
「………はぁぁぁ!?」
いきなり何を言い出すんだ、というリーフの主張はあっさり拒否され、チェリーに着てる物をひっぺ剥がされる。そして
「よっと」
「!? 何お前脱いでんだよっ」
突然ドレスを脱ぎだすチェリーに、慌てふためくリーフ。手の平で目を塞いでいるが、指と指の間はしっかりちゃっかり開いている。
そうこうしてる内に、チェリーはリーフの服に着替え終わった。
換わりに今まで着ていたドレスを、半裸のリーフに被せる。
「じゃあね、リーフ。その服記念にあげるよ」
去り際に笑顔で言い放ち、チェリーは町広場のほうへと走っていった。
「お、俺の服返せー!」
生憎、返事はない。
男装中のチェリーは、当てもなく町中をだらだらと徘徊していた。いつもは楽しい景色が、今日はどれも寂れて見える。それもきっと、ブリーズが原因だろう。
――捜しにも来ない。
それは彼女にとって、悲しいと共に安心もあった。だが、複雑な心境は変わらない。
期待したかと問われれば、それはイエスかもしれないと、チェリーは思う。
認めるには、天邪鬼な感情が邪魔をして、悔しくてならない。
「なんだかなあ……」
肩を落とし、うなだれるチェリー。
すっかり疲れてしまった彼女は、広場の噴水の淵に腰を下ろし、町を行き交う人々を見つめた。
泣いている子も、喧嘩してる男女も、笑っている人も、みんなみんな幸せそうだ。それはこの国の平穏さを表している。
――私が何処かの身分の高い男と結婚すれば、この平和は続くのかな。
そう思うと、チェリーはやりきれない気持ちになった。自分が本当にわがままな子供に感じる。
「なに柄にもなく悩んでるんだか」
苦笑まじりに呟く。
好きなんだから仕方ない。今までそう割り切ってきた。
好きな人と一緒になりたいと思うことがいけないだなんて、チェリーは考えたくなかった。
「迎えに来なさいよ、ブリーズ……」
弱々しい声でこぼす。手の平に顎を乗せ、無機質な瞳に人混みを映した。
その中に、一際目立つ者がひとり。
やけにキョロキョロと辺りを見回し、明らかに挙動不審だ。
――あ、こっち向いた。
パチリと目が合う。
「……!!」
チェリーは驚愕し勢いよく立ちあがった。人混みをかきわけて、自分のもとへと来る彼。あまりの驚きに声が出ない。
「チェリー様!」
チェリーのもとへ駆け寄り、彼は曲げた膝に手をあて、息を調える。そんな彼の姿に何と声をかけていいのか分からず、口をパクパクと動かすだけ。
しばらく考えをまとめ、出てきた疑問はこれ。
「な、何で此処にいるの?」
「……分からないのか?」
「えっ」
幾分か低い声で逆に聞き返すブリーズに、チェリーは首を傾げた。
――なんか怒ってる?
そっと顔をあげた彼の眉間には皺が刻まれていて、額には汗が滲んでいる。頬は僅かに赤らんでいた。普段とは違う彼の様子に、またもや首を傾げる。
どうしたの、そう言おうとした瞬間肩を強く掴まれた。
「ひゃっ」
「困るんだよ。不意にキスしてきたと思ったら勝手に去るし、城内を探してみても何処にもいないし! いったい何れだけ探したと思ってる!? しかもなんだその格好は。男装なんてして……!」
一気に捲し立てられ、チェリーは唖然とした。
今まで小言を言われたり、叱られたりした事はあったが、こんなに怒ってる彼を見るのはチェリーにとって初めてだからである。敬語すら今はなく、立場など逆転している。
だけどチェリーは驚くと共に、顔を緩めた。嬉しい、とすら感じる。
――だって、私のためにこんな風に乱れて焦って混乱してるんでしょ? 嬉しいに決まってる。
例えそれが、護衛という立場のせいでも。
「……なに笑ってるんですか」
不服そうに言うブリーズ。いつのまにか敬語に戻っていた。それにチェリーは少しだけ肩を落とす。姫という地位なんて、彼女にとっては邪魔なだけだ。
――そのおかげで側にいれるんだけどね。
それならば、利用できるだけ利用してしまおうか、なんてチェリーは考える。
「ね、ブリーズ」
「…何ですか」
チェリーは彼の手を握り、青い瞳を奥まで見つめて一息に言った。
「私をさらって」
一瞬、見開かれる目。だけど、すぐにそれを細め、彼は緩く首を振った。
「なりません」
「じゃあ結婚してよ」
即座に返す。我が儘な言葉。チェリーはそう理解してた。だけど、止まらない。
自分だけのためにこうして、広い町中、人混みから探し出してくれて、彼女は有頂天になっていたのだ。
「私は、私はやっぱり好きな人と結婚したい」
「俺では身分が足りません」
「関係ないよ」
ブリーズは困ったように表情を歪める。それが肯定なのか否定なのか、チェリーは理解に苦しんだ。
「………なりません」
もう一度、彼は言う。
「今、間があったけど?」
「姫君っ!」
カアッと赤く染まる彼の精悍な顔に、チェリーは笑った。瞬間湯沸かし器。そんな物が頭に浮かぶ。
彼女は愛しさで胸いっぱいになった。
「じゃあいいわ」
そう言い放てば、ブリーズは、えっ、と声をこぼす。先程の言葉とは裏腹な寂しげな表情に、内心吹き出すチェリー。
――どっちなのよ。
チェリーは微笑み、少し背伸びし彼の首に腕を絡ませる。
「絶対うんって言わせてみせるから」
「姫君……」
困ったようにため息をつくブリーズに、チェリーは爪先立ちして
「先手必勝」
チュッ、とくちづけた。