姫君と騎士
†姫君と騎士†
「姫君! 何処に行くおつもりですか!?」
豪華な城には似付かわない小さな裏門のひとつ。そこで彼女は呼び止められた。
ビクリと肩が揺れるその姿は、なにか心にやましいものがある証拠。呼び止めた男、ブリーズ=レイクは眉間に皺を寄せ、未だに背を向ける彼女につかつかと靴の音を響かせて歩み寄る。
「チェリー様、お願いですからおとなしくしてて下さい。わざわざその様な格好までして……。毎回探す此方の身にもなって下さい」
その言葉のほとんどには、呆れが占めていた。普段より1オクターブ低い声からして、怒りも加わっていると判る。
身体をこわばらせている彼女は、外に繋がる扉に片手をかけながら
「な、なんの事ですか、ブリーズ様。私はメイドの、その、リリィですよ」
と言った。
黒髪のおかっぱに、白と黒がバランスよく取り入れられたメイド服。肌触りの良いシルクの手袋は純白で。
どこから見たって、立派なメイドだろう。そう、それを見たのが他人ならば。
「もう演技は良いですから、早く着替えて自室にお戻り下さい。まだ稽古は終わっていませんでしょう」
だが、生憎彼は騙されない。他人と言うには、近すぎる関係であったのだ。
ブリーズは微動だにしないメイド姿の彼女の肩に手を置き、軽くやんわりと引く。
ゆっくりと振り向く彼女の表情は、頬を膨らませ、不機嫌、といったところだ。
「なによ、ブリーズのケチ。少しくらい見逃してくれたっていいじゃん」
彼女はブリーズの腕を振り払い言う。先程とは比べ物にならないほど口調が酷い。
それに彼は眉をひそめて答えた。
「お言葉ですが姫。貴女が城から抜け出して怒られるのは俺です」
「私のために怒られてよ」
彼女は扉に背を預け、即答する。そして頂の髪を掴んで、勢いよくその手を振り下ろした。
途端に、黒髪は外され、代わりに美しいブロンドが現れる。彼女は頭を軽く振った。それに伴い、長い金髪も揺れる。
「そんなカツラまで用意して……」
ため息をつきながら呆れるブリーズ。それが気に食わなかったのか、彼女は鼻を鳴らし、彼の横を通り過ぎた。
「姫君」
「うるさいわねっ。戻ればいいんでしょ、戻れば!」
ベッ、と舌を出して彼女は広い廊下を走っていく。きっと行き先はチェリーの部屋だろう。ブリーズはもう一度ため息をついた。
ここは小さな王国。自然が豊かで王も優しく、人々は平和に暮らしている。
そしてこの国には王子と姫がいた。王と妃の二人の子供である。王子、ビオラは既に後取りと決まっていた。いつかはどこかの姫と結婚すると、自分でも理解している。
それが王子として生まれてきた宿命であり、役目でもある。
ビオラはそう言った。
そしてそれは現実となり、隣国の次女の姫が婚約者となる。
しかし、ビオラの妹君、チェリーは違った。政略結婚なんて真っ平、結婚する相手くらい自分で決めると家族に宣言したのである。
お陰で来る話来る話全て蹴り、18の今でも色気のある話はない。
その上、チェリーはよく城から抜け出した。人一倍好奇心旺盛で城内では誰よりも町が好きなのだが、一国の姫という身分上、そうそう町になんか行けないからである。
色々な変装をしては、ピアノや踊りの稽古を投げ出し出て町へ行く。これには城の者たちは何度も困った。
しかし、ここのところ彼女は脱走を失敗している。お目付き役に阻まれてしまっているのだ。そのお目付き役というのが、ブリーズである。
貴族の中でも高位なレイク家の一人息子である。
レイク家は、古くから王家に使えてきた。常に護衛として側に控えていた存在。
そしてそれは今も変わらず続いている。
そのため、レイク家であるブリーズも王女のチェリーの護衛としてついていた。
だが、彼にはもうひとつの仕事がある。それが───
「だいたいブリーズは執事でもないのに、私にかまいすぎなのよ。なに? 私のこと好きなの?」
「……姫君、それは」
「あー、うるさいうるさい。騎士は騎士らしく戦ってなさい!」
そう、彼のもうひとつの仕事とは騎士。と言っても、ほとんどは本業である護衛をやっているが。
「あーあ、つまんないの」
そう言い、チェリーはドサッとソファに埋もれる。着替えた薔薇色のドレスがひらりと揺れた。
ブリーズはそんなチェリーにはしたないですよ、と咎めて
「姫君、私が貴女の側にいるのはそれが私の役目だからです。そもそも、この国は王のおかげでとても平和なのはチェリー様も知っておいででしょう? 戦ってろなんて言ってはなりません」
そう言った。彼のもっともな説教に、彼女は嫌そうな表情を隠しもせずため息をはく。
――相変わらず硬いわ。
チェリーがそう思うのも仕方ない程、彼は真面目だった。家柄の事情、きっと厳しく育てられたのだろう。
柔らかく、その上大きすぎるソファに腰を深く座り直し、チェリーはブリーズを見据えた。視線に気付いた彼は、チェリーの隣へと歩みよる。
「ねぇ、ブリーズ」
「……なんですか?」
手を握るチェリーに、先程抜け出しそうとしたばかりなためか、ブリーズは不信な目を向けた。
チェリーはそんな彼の様子に内心舌打ちをするが、見目麗しい微笑を張り付ける。
「私ね、もう疲れたの。だって、いつもレッスンばかりの生活なんか嫌。その上花嫁修行なんて言い出したら耐えられないわ。このまま城にいたら私、好きでもない奴に婚約されちゃう」
だんだんと涙声に変わりゆくチェリー。その翡翠色の瞳には雫が溜って。そこにあるのは紛れもなく、か弱い少女の姿であった。
「……だから、私をさらって」
上目使いではっきりと言い切る。
「チェリー様……」
「ブリーズ……」
とろんとした甘い雰囲気を醸すチェリー。ブリーズは彼女の手をきゅっと握った。
いや、きゅっとどころか、ぎゅううっと───
「って、痛たたたたたっ!」
「泣き落としには効きません」
「ちょ、分かった! 分かったから離して!」
あまりの力の強さに、チェリーは本当の涙を滲ませる。無茶苦茶に腕を振る彼女、ブリーズはそっと手を放した。
チェリーは手を撫でながら、目の前の護衛兼騎士を睨む。だけど彼はどこ吹く風。清ました顔が彼女を苛立たせた。
「護衛のくせに手荒な真似しないでよ! それでも騎士!?」
「誤解しないで下さい。俺は確かに貴方の護衛ですが、下僕ではないんです。甘やかす気はありません。騎士道にしたって、間違っていることは間違っていると正すことが」
「ああー、もう! なんでブリーズは私の一言にそんないっぱい返してくるの!」
癇癪を起こすチェリーにブリーズは眉間に皺を寄せる。この二人はお互い顔に出やすい。
付き合いの長さのせいだろうか。
チェリーが物心ついた時には、既にブリーズは側にいた。もう十年以上の付き合いだろう。
チェリーはその間にどんどん美しくなり、他国の王子からたびたび婚約を申し込まれるようになった。
だけどどこで間違えたのか、性格はお転婆そのもの。高飛車なところは高貴さが漂うが、姫にしては口調も言動も酷かった。
またブリーズは、幼い頃は必死にチェリーを守ろうと健気だった。いつも姫様姫様言ってはくっついて回って。チェリーもそんなブリーズに甘えていた───のは昔の話。
今では騎士となり自信もつき、敬語を使いつつも、チェリーを咎めたり叱ったりする。それに対しプライドの高いチェリーは、だんだんとブリーズを振り回すようになった。
仲が悪いわけではないが、昔のようにじゃれあったりはしない。
――別にいいけどさ……。
チェリーはブリーズを見て、ため息をついた。それにブリーズは反応する。そりゃそうだろう、人の顔を見てため息をつくなんて、失礼な話だ。
「なんですか姫君」
「別に……」
そう答えて、チェリーはソファに寝そべる。赤い靴は床にほっぽった。
高い音をたて、ばらばらに崩れる靴。ブリーズはそれを二足合わせて整えてから、チェリーの腕を引いた。
それにチェリーは怪訝な視線を向ける。何、と小声で聞くと、彼は口を開いた。
「……貴女は、慕っている人でもいるのですか?」
「は?」
思わず間抜けな声が出たチェリー。突拍子もない言葉に、思考が追い付いてくれない。
そんな彼女の事などおかまいなしに、ブリーズは続けた。
「町中で逢い引きでも? だからそんなにしてまで行こうとするのですか?」
ぐいっ、と腕を引き、詰め寄る。前髪が触れそうなくらいの至近距離だ。
――ちょ、ちょっと待って。なんでこんな不機嫌オーラ出てるの?
怒らせすぎたか、と心の中で後悔するチェリー。
だけど『謝る』という選択肢は、プライドの高い彼女の中にない。残っているのは『反論』。チェリーは目前の青い瞳を睨みつけ言葉を放つ。
「そんなんじゃない。私はただ、なにか暇潰しになるような事を……」
「つまり娯楽ですか。貴女も18歳なんだから、少しは考えて下さい」
指摘され、チェリーは言葉に詰まる。
考えて下さい、という言葉の意味を彼女は結婚ととった。自分の身分くらい知ってるからである。
「分かってるわよ! だからこうして素敵な恋を期待して町に行くのっ」
「素敵な恋……ですか」
「あ、今馬鹿にしたわね!?」
チェリーはブリーズの胸板を押し、なんとか距離をとろうとする。彼はあっさりと身をひいた。
一応チェリーの護衛なんだから、その通りにすると分かっていたが、物足りないなんて思ってしまった。
だが、そんなこと言えるはずもなく、チェリーは目の前に立つブリーズを見上げるかたちで睨む。
「どうせブリーズみたいなオッサンには私の気持ち分からないだろうけど」
「オッ──。俺はまだ26です!」
「私から見たらオッサンよ」
意地悪く笑い、肩をすくめるチェリー。ブリーズの顔には、余計なお世話だと書いてあった。
……もっと落ち込めばいいのに。
そう思った瞬間、ハッとする。
――うわ、私なんて酷いことを。だってブリーズ、なんか急に大人びてきて、余裕綽々みたいで気に入らないし。
「もっともっと、私に振り回されればいいのよ」
ため息と共に呟いた。
「なにか言いましたか?」
少し屈んで、チェリーの顔を覗きこむブリーズ。チェリーは彼の青い瞳に映る自分を見つめた。頬が僅かに紅潮している。
「……気に入らない」
「は? ───んっ!?」
チェリーはブリーズの襟を掴み引き寄せて、口唇を重ねた。
それは本当に一瞬で。
瞬きをする暇もないくらい。
ブリーズが目を見開いた時には、既にチェリーは離れていた。
「いい気味」
チェリーはそうこぼし、部屋から走り去った。扉の閉まる音が、彼女を追い掛けるように響く。
「…まったく、あの方は……」
ブリーズは片手を額に当て息を吐いた。僅かにだが、顔が朱色に染まっている。
赤い靴が、絨毯の上に乱雑に転がっていた。
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