表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/8

姫君と騎士



  †姫君と騎士†




「姫君! 何処に行くおつもりですか!?」


 豪華な城には似付かわない小さな裏門のひとつ。そこで彼女は呼び止められた。

 ビクリと肩が揺れるその姿は、なにか心にやましいものがある証拠。呼び止めた男、ブリーズ=レイクは眉間に皺を寄せ、未だに背を向ける彼女につかつかと靴の音を響かせて歩み寄る。


「チェリー様、お願いですからおとなしくしてて下さい。わざわざその様な格好までして……。毎回探す此方の身にもなって下さい」


 その言葉のほとんどには、呆れが占めていた。普段より1オクターブ低い声からして、怒りも加わっていると判る。

 身体をこわばらせている彼女は、外に繋がる扉に片手をかけながら


「な、なんの事ですか、ブリーズ様。私はメイドの、その、リリィですよ」


 と言った。

 黒髪のおかっぱに、白と黒がバランスよく取り入れられたメイド服。肌触りの良いシルクの手袋は純白で。

 どこから見たって、立派なメイドだろう。そう、それを見たのが他人ならば。


「もう演技は良いですから、早く着替えて自室にお戻り下さい。まだ稽古は終わっていませんでしょう」


 だが、生憎彼は騙されない。他人と言うには、近すぎる関係であったのだ。

 ブリーズは微動だにしないメイド姿の彼女の肩に手を置き、軽くやんわりと引く。

 ゆっくりと振り向く彼女の表情は、頬を膨らませ、不機嫌、といったところだ。


「なによ、ブリーズのケチ。少しくらい見逃してくれたっていいじゃん」


 彼女はブリーズの腕を振り払い言う。先程とは比べ物にならないほど口調が酷い。

 それに彼は眉をひそめて答えた。


「お言葉ですが姫。貴女が城から抜け出して怒られるのは俺です」

「私のために怒られてよ」


 彼女は扉に背を預け、即答する。そして頂の髪を掴んで、勢いよくその手を振り下ろした。

 途端に、黒髪は外され、代わりに美しいブロンドが現れる。彼女は頭を軽く振った。それに伴い、長い金髪も揺れる。


「そんなカツラまで用意して……」


 ため息をつきながら呆れるブリーズ。それが気に食わなかったのか、彼女は鼻を鳴らし、彼の横を通り過ぎた。


「姫君」

「うるさいわねっ。戻ればいいんでしょ、戻れば!」


 ベッ、と舌を出して彼女は広い廊下を走っていく。きっと行き先はチェリーの部屋だろう。ブリーズはもう一度ため息をついた。






 ここは小さな王国。自然が豊かで王も優しく、人々は平和に暮らしている。

 そしてこの国には王子と姫がいた。王と妃の二人の子供である。王子、ビオラは既に後取りと決まっていた。いつかはどこかの姫と結婚すると、自分でも理解している。

 それが王子として生まれてきた宿命であり、役目でもある。

 ビオラはそう言った。

 そしてそれは現実となり、隣国の次女の姫が婚約者となる。


 しかし、ビオラの妹君、チェリーは違った。政略結婚なんて真っ平、結婚する相手くらい自分で決めると家族に宣言したのである。

 お陰で来る話来る話全て蹴り、18の今でも色気のある話はない。

 その上、チェリーはよく城から抜け出した。人一倍好奇心旺盛で城内では誰よりも町が好きなのだが、一国の姫という身分上、そうそう町になんか行けないからである。

 色々な変装をしては、ピアノや踊りの稽古を投げ出し出て町へ行く。これには城の者たちは何度も困った。


 しかし、ここのところ彼女は脱走を失敗している。お目付き役に阻まれてしまっているのだ。そのお目付き役というのが、ブリーズである。

 貴族の中でも高位なレイク家の一人息子である。

 レイク家は、古くから王家に使えてきた。常に護衛として側に控えていた存在。

 そしてそれは今も変わらず続いている。

 そのため、レイク家であるブリーズも王女のチェリーの護衛としてついていた。

 だが、彼にはもうひとつの仕事がある。それが───


「だいたいブリーズは執事でもないのに、私にかまいすぎなのよ。なに? 私のこと好きなの?」

「……姫君、それは」

「あー、うるさいうるさい。騎士は騎士らしく戦ってなさい!」


 そう、彼のもうひとつの仕事とは騎士。と言っても、ほとんどは本業である護衛をやっているが。


「あーあ、つまんないの」


 そう言い、チェリーはドサッとソファに埋もれる。着替えた薔薇色のドレスがひらりと揺れた。

 ブリーズはそんなチェリーにはしたないですよ、と咎めて


「姫君、私が貴女の側にいるのはそれが私の役目だからです。そもそも、この国は王のおかげでとても平和なのはチェリー様も知っておいででしょう? 戦ってろなんて言ってはなりません」


 そう言った。彼のもっともな説教に、彼女は嫌そうな表情を隠しもせずため息をはく。

 ――相変わらず硬いわ。

 チェリーがそう思うのも仕方ない程、彼は真面目だった。家柄の事情、きっと厳しく育てられたのだろう。


 柔らかく、その上大きすぎるソファに腰を深く座り直し、チェリーはブリーズを見据えた。視線に気付いた彼は、チェリーの隣へと歩みよる。


「ねぇ、ブリーズ」

「……なんですか?」


 手を握るチェリーに、先程抜け出しそうとしたばかりなためか、ブリーズは不信な目を向けた。

 チェリーはそんな彼の様子に内心舌打ちをするが、見目麗しい微笑を張り付ける。


「私ね、もう疲れたの。だって、いつもレッスンばかりの生活なんか嫌。その上花嫁修行なんて言い出したら耐えられないわ。このまま城にいたら私、好きでもない奴に婚約されちゃう」


 だんだんと涙声に変わりゆくチェリー。その翡翠色の瞳には雫が溜って。そこにあるのは紛れもなく、か弱い少女の姿であった。


「……だから、私をさらって」


 上目使いではっきりと言い切る。


「チェリー様……」

「ブリーズ……」


 とろんとした甘い雰囲気を醸すチェリー。ブリーズは彼女の手をきゅっと握った。

 いや、きゅっとどころか、ぎゅううっと───


「って、痛たたたたたっ!」

「泣き落としには効きません」

「ちょ、分かった! 分かったから離して!」


 あまりの力の強さに、チェリーは本当の涙を滲ませる。無茶苦茶に腕を振る彼女、ブリーズはそっと手を放した。

 チェリーは手を撫でながら、目の前の護衛兼騎士を睨む。だけど彼はどこ吹く風。清ました顔が彼女を苛立たせた。


「護衛のくせに手荒な真似しないでよ! それでも騎士!?」

「誤解しないで下さい。俺は確かに貴方の護衛ですが、下僕ではないんです。甘やかす気はありません。騎士道にしたって、間違っていることは間違っていると正すことが」

「ああー、もう! なんでブリーズは私の一言にそんないっぱい返してくるの!」


 癇癪を起こすチェリーにブリーズは眉間に皺を寄せる。この二人はお互い顔に出やすい。

 付き合いの長さのせいだろうか。


 チェリーが物心ついた時には、既にブリーズは側にいた。もう十年以上の付き合いだろう。

 チェリーはその間にどんどん美しくなり、他国の王子からたびたび婚約を申し込まれるようになった。

 だけどどこで間違えたのか、性格はお転婆そのもの。高飛車なところは高貴さが漂うが、姫にしては口調も言動も酷かった。

 またブリーズは、幼い頃は必死にチェリーを守ろうと健気だった。いつも姫様姫様言ってはくっついて回って。チェリーもそんなブリーズに甘えていた───のは昔の話。

 今では騎士となり自信もつき、敬語を使いつつも、チェリーを咎めたり叱ったりする。それに対しプライドの高いチェリーは、だんだんとブリーズを振り回すようになった。

 仲が悪いわけではないが、昔のようにじゃれあったりはしない。


 ――別にいいけどさ……。

 チェリーはブリーズを見て、ため息をついた。それにブリーズは反応する。そりゃそうだろう、人の顔を見てため息をつくなんて、失礼な話だ。


「なんですか姫君」

「別に……」


 そう答えて、チェリーはソファに寝そべる。赤い靴は床にほっぽった。

 高い音をたて、ばらばらに崩れる靴。ブリーズはそれを二足合わせて整えてから、チェリーの腕を引いた。

 それにチェリーは怪訝な視線を向ける。何、と小声で聞くと、彼は口を開いた。


「……貴女は、慕っている人でもいるのですか?」

「は?」


 思わず間抜けな声が出たチェリー。突拍子もない言葉に、思考が追い付いてくれない。

 そんな彼女の事などおかまいなしに、ブリーズは続けた。


「町中で逢い引きでも? だからそんなにしてまで行こうとするのですか?」


 ぐいっ、と腕を引き、詰め寄る。前髪が触れそうなくらいの至近距離だ。

 ――ちょ、ちょっと待って。なんでこんな不機嫌オーラ出てるの?

 怒らせすぎたか、と心の中で後悔するチェリー。

 だけど『謝る』という選択肢は、プライドの高い彼女の中にない。残っているのは『反論』。チェリーは目前の青い瞳を睨みつけ言葉を放つ。



「そんなんじゃない。私はただ、なにか暇潰しになるような事を……」

「つまり娯楽ですか。貴女も18歳なんだから、少しは考えて下さい」


 指摘され、チェリーは言葉に詰まる。

 考えて下さい、という言葉の意味を彼女は結婚ととった。自分の身分くらい知ってるからである。


「分かってるわよ! だからこうして素敵な恋を期待して町に行くのっ」

「素敵な恋……ですか」

「あ、今馬鹿にしたわね!?」


 チェリーはブリーズの胸板を押し、なんとか距離をとろうとする。彼はあっさりと身をひいた。

 一応チェリーの護衛なんだから、その通りにすると分かっていたが、物足りないなんて思ってしまった。

 だが、そんなこと言えるはずもなく、チェリーは目の前に立つブリーズを見上げるかたちで睨む。


「どうせブリーズみたいなオッサンには私の気持ち分からないだろうけど」

「オッ──。俺はまだ26です!」

「私から見たらオッサンよ」


 意地悪く笑い、肩をすくめるチェリー。ブリーズの顔には、余計なお世話だと書いてあった。

 ……もっと落ち込めばいいのに。

 そう思った瞬間、ハッとする。

 ――うわ、私なんて酷いことを。だってブリーズ、なんか急に大人びてきて、余裕綽々みたいで気に入らないし。


「もっともっと、私に振り回されればいいのよ」


 ため息と共に呟いた。


「なにか言いましたか?」


 少し屈んで、チェリーの顔を覗きこむブリーズ。チェリーは彼の青い瞳に映る自分を見つめた。頬が僅かに紅潮している。


「……気に入らない」

「は? ───んっ!?」


 チェリーはブリーズの襟を掴み引き寄せて、口唇を重ねた。

 それは本当に一瞬で。

 瞬きをする暇もないくらい。

 ブリーズが目を見開いた時には、既にチェリーは離れていた。


「いい気味」


 チェリーはそうこぼし、部屋から走り去った。扉の閉まる音が、彼女を追い掛けるように響く。


「…まったく、あの方は……」


 ブリーズは片手を額に当て息を吐いた。僅かにだが、顔が朱色に染まっている。

 赤い靴が、絨毯の上に乱雑に転がっていた。








読んで下さりありがとうございました。感想など書いて頂けたら嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ