おもちゃ箱の彼女
短編『人形』と若干リンクしたお話。
ですが、それについては作中で触れているので、特に読んでいなくても楽しめると思われます。
欧州に位置するとある国のふもとにひっそりとたたずむ、古びたアンティーク店。店内には年代物のオルゴールや、埃を被った大きな掛け時計など、おおよそ今の時代には合わないであろう商品が並んでいる。
一見商売業として機能していないようにも見えるが……時折通りすがりの一般客や、馴染みであろう客がぽつぽつと出入りしている様子が見て取れる。また、ごく稀にブランド物のスーツを身にまとった金持ちそうな紳士が何やら札束を片手にまくし立てている――何やら希有な品を欲しているとかで、大方それを売ってくれとでも訴えているのだろう――様子がみられることもある。無粋な話ではあるが、どうやら一応儲かってはいるらしい。
さて、そんなアンティーク店の奥には、店の人間と常連客しか知らない秘密がある。
広々とした店内をずっと奥に進み、色とりどりのガラスの石をいくつも繋げて作られたカーテンをくぐると、そこには古いながらも雰囲気の良いバーのような場所があるのだ。木で出来たカウンターでは、しばしば常連客と店主が談笑している。どうせ暇なのだから、という理由で作った、店の人間にとっての一種の娯楽の場だろう。
今日もそこには、人がいた。
カウンターに肘をつきながら、軽薄そうなイタリア人風の中年男が、反対側に向かって何やら喋っている。
「いやはや、君は相変わらず美しいね」
カウンターの反対側にいた色白の女――緩く巻かれた金髪の、澄んだ海のような碧色の目をした美しい女は、パイプの先を赤く色づいた唇へと運びながら気だるげに「ありがと」と何とも適当な返しをしていた。
それにも構わず、男はさらに続ける。
「本当に見れば見るほど……そう、例えるなら真っ白ですべすべな陶人形のように」
ビスクドール、と聞いた瞬間、女はぴくりと反応したようだった。パイプから口を離し、煙を吐き出し声を上げる。
「……そんなことない。あたしが、お人形だなんて」
「どうして?」
男が頬杖をつき、目を細めて女を見つめながら尋ねる。
女は男を一瞥すると、おもむろにパイプをカウンターに置いた。ことり、と乾いた音が、誰もいない店内にまで響く。
女は水色の薄いブラウスに包まれた、白く長い手をしなやかに伸ばし、揺れるカーテン越しにちらちらと見える、店内のガラスケースを指差した。
「だって陶人形になったらあたしは本当に、あそこへずっと閉じ込められるのよ」
同じ体勢のまま、晒し者として飾られる。
「そんなのあたし、耐えられないわ」
「いつか出られる日が来るさ。誰かに買われたら……」
そう言った男の言葉を遮るように、女は碧色の瞳をすっと男へ向けた。まるで睨むように、男を軽蔑しているかのように。
そしてまるでひんやりとした陶器の如く、温度の感じられない声で言った。
「買われたら最後よ。誰かの所有物として、あたしは生きていかなければならない。そんなの……」
静かに手を下げ、女はカウンターの縁をつかんだ。白魚のようなそれは、かすかに震えているようにも見えた。
女はしばし口をつぐんでいたが、やがて絞り出すように小さな声で呟いた。
「自由を奪われるぐらいなら、死んだ方がマシだわ。……店のガラスケース、屋敷内のどこか、もしくは狭いおもちゃ箱。陶人形の居場所は、限られる」
自らの意のままに動くことも、叶わない。
「生きているようで死んでいる、そんな生き方はごめんだわ」
「……信じるか信じないかは君次第だが、」
今まで口をつぐんでいた男が、突然語り始めた。女はハッとして顔を上げ、男を見る。碧色の瞳は、波打つように揺れていた。
男はその瞳を見据え、ゆっくりと微笑んだ。先ほどの軽薄そうな雰囲気から一転し、年相応の落ち着きを醸し出す。
やがてゆっくりと、男は口を開いた。
「昔、あるところに小さなアンティーク店があった」
「なぁに、昔話でもするつもり?」
女の茶化すような問いかけに、男はただ曖昧な笑みを浮かべることで応じた。口では余計なことを一切言わず、ただ淡々と物語の続きを紡ぐ。
「その店頭には、世にも美しいビスクドールが置かれていた。精巧にできていたよ……本当に、怖いほどに」
「まるで見てきたような口ぶりね」
「見たからね、実際に」
女の茶々に対し、今度は男は乾いた笑い声を上げながらそう答えた。
「だがね、その人形には唯一、問題があった。瞳がね……深く暗い森のように、陰気で恐ろしかったんだ。そのせいで、誰一人としてその人形に近づく者はいなかった」
「呪いの人形のようだわね……」
想像したのだろう、女がとたんに青ざめ、寒そうにぶるりと震えた。
男が苦笑する。
「みんなそう言ってたよ。私は結構気に入ってたんだがね」
「趣味が悪いのね」
「おや、ひどい言い種だな」
そう言いながらも、男に怒っている様子や傷ついた様子は全くない。
さらりと流すように、彼は続ける。
「そんなある日、お店の前を一人の旅装束姿の青年が通りかかった。人形は……」
「青年に一目惚れ、しちゃったのね?」
碧色の瞳を無邪気に輝かせながら、女が弾んだ声で言う。いくつになっても、レディはそういった話がお気に入りらしい。
おやおや、先に言われてしまったねぇ、と男は笑った。
「その通り、人形は青年に一目惚れした。……それからだ。人形の瞳は嘘のように輝きを放ち始めた。それはもう、例えるならエメラルドでできたシャンデリアのように……」
言いながら、男はうっとりと目を閉じた。当時の情景を――美しいフランス人形のことを、思い出しているのだろう。
女もまた、豊かな想像力を駆使して当時の情景を思い浮かべていた。
「それはきっと、表しようもなく美しかったんでしょうね……」
恋をするときっと、人も人形も変わるのだわ。
少女らしくロマンチックなその物言いに、男は柔らかく笑った。
「うまいことを言うじゃないか」
「まぁね。……ね、続きを早く」
女にせがまれ、男は再び口を開いた。
「その美しさに魅せられた人々は、今まで敬遠していたのが嘘のように、次々とその人形を欲しがった。しかし当の人形は頑として売られることを拒否した」
「待っていたのね、彼を」
「あぁ。……だが、人形がいくら待ってもその少年が再び現れることはなかったんだ」
女はやりきれないように目を伏せた。「恋はいつだって思い通りにはならないものだわ」と、意味深に呟く。
その呟きはどうやら、男には聞こえていなかったようだ。流れるような語り口はやまない。
「人形は寝ても覚めてもその少年のことが頭から離れなかった。気になって気になって仕方がない。一種の恋患いというやつだね」
「わかるわ」
「そんな人形はある日、物知りなアンティーク店の店主に尋ねてみた。店主は人形からその特徴を聞いて、わかったらしい。悲しそうな目で、人形に言ったんだ」
語っていくうちに、男の目にはだんだん真剣な光が宿っていく。女はごくり、と息を呑んだ。
「彼は旅人だ、今頃は遠いところにいるだろう、と。旅人は一度訪れた場所には二度と戻らない、もう彼には会えない、と……」
女の唇が震えた。やっとのことで「なんてこと……」と言葉が紡がれる。
男の方もつらいのか、ゆっくりかぶりを振った。
「人形は泣き明かした。エメラルド色の瞳からは止めどなく涙をこぼし、滴が白い陶器でできた頬を何度も滑り落ちていく。人形は動けないから、それを拭うこともできない。涙はやがて、たっぷりのフリルがあしらわれた彼女の上等なドレスを濡らしていった」
「……っ」
同じように、目の前の女もまた、海のような碧色の瞳に涙を浮かべていた。
かつて見た人形の涙を思い出して、男は静かにふっ、と笑った。
「泣かないで、レディ。この話にはまだ続きがあるんだから」
懐からシルクのハンカチを取り出し、恭しく女に差し出す。女は何も言わず、それを受け取った。
目に浮かんだ滴を拭き取っていく女に、男は続きを紡ぐ。
「翌日、人形はアンティーク店から姿を消した」
シルクのハンカチを握りしめながら、女は目を見開いた。
「どういう……こと?」
「言葉通りの意味さ。彼女は消えた。行方不明になってしまったんだ」
「どうして……」
と、そこで女は言葉を止めた。まるで何かに気がついたように、ハッと息を呑む。
「まさか、」
「真実はわからないよ。わからないが……」
男は訳知り顔で、深くうなずいた。
「私は彼女が、どこかで幸せに暮らしていると信じているよ」
「……」
深刻そうな表情で、女は黙ってしまう。男は柔らかに微笑んだ。
「ねぇ。君は、もしかして……自分自身を人形だと思っていたんじゃないのかい」
女は弾かれたように顔を上げた。
「だから、私が陶人形のようだと言った時、あんなにも拒否した。違うかい」
「違……」
怯えたように叫びそうになるが、何も言えずに強張ってしまう。
「……違わ、ないわ」
諦めたように、女は呟いた。
「あたしは小さい頃からこの店で育てられた。ろくに外にも出してもらえなくて……あたしの居場所はいつだって、このカウンターの――ガラスケースの、中だった」
ふんふん、と男はうなずく。
「それは今も変わらない。お父様もお母様もいなくなり、兄弟もいないあたしは、必然的にこの店を任されるようになった。……お客様がいるのは、少しでも売上があるのは、嬉しいことだわ。だけど……」
女はキッ、と強気に男を睨む。
「代わりにあたしは、この店から二度と出れなくなった。こんなの……人形と何が変わらないっていうの?」
「たとえ動けない人形でも、幸せはつかめるんじゃないかと私は思うんだ」
唐突に、男は言った。
「何を、言っているの……?」
女はぱちくりと目を瞬かせる。
「あんなの、作り話に過ぎないじゃない。そうじゃなかったら、神様が気まぐれに起こした奇跡だわ」
「いいや。それは奇跡なんて、ちゃちなものでは決してない。何故なら、この世の誰もが幸せになる権利を持っているから」
「幸せになる……権利?」
女がかすれた声で尋ねる。
「あぁ」
頷くと、男はおもむろにガタリ、と椅子から立ち上がった。カウンターの向こうに手を伸ばすと、女の柔らかなブロンドの髪に触れる。
「それは誰しもが持っていて然るべき権利だ。彼女も、私も。もちろん……君も、それを持っている」
女は再び涙をこぼした。泣きながら、男に頭を撫でられながら、たどたどしく言葉を紡ぐ。
「あたし、あたし……あたしも幸せに、なれる?」
「なれるさ。この私が保証する」
その言葉でホッとしたのか、女はしばらく言葉もなく泣き続けた。
そんな女の頭を、男はいつまでも撫で続けた。
書き始めてから完成させるまでに丸々一か月ほどかかりました。
で…結局この出来か、と(笑)
何か訳の分からないことになっていますが、不自然な部分は全てなんちゃってヨーロピアンな空気に紛れさせて、うやむやにしてやってください←
裏話は沢山ありますが、今回はとりあえずこの辺で。
何か…疲れたんで。




