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~ 兎ノ刻  探索 ~

 部屋の扉を開けると、そこは一面の闇だった。


 暗く、先も殆ど見えない中、宗助と皐月は扉の向こうから首だけを出して様子を窺った。


「とりあえず、あの怪物たちはいないみたいだな……」


 首を左右に振って安全を確かめると、宗助は足音を忍ばせて部屋から出る。皐月もそれに続いた。


 懐中電灯の電源は、今は切っている。この暗闇で、下手に明かりを点けて歩きまわれば、それだけでこちらの位置を敵に教えているようなものだ。


 片手に金属製の棒を、もう片方の手に皐月の手を握り、宗助は深く息を吸い込んだ。不思議なことに、先ほど怪物に襲われたときに比べ、幾分か落ちついているのが自分でもわかる。こんな状況では、例え皐月のような少女であっても、自分の側にいるだけで心強く感じてしまうものなのだろうか。


 この子だけは、絶対に守らなければならない。そう決意して歩きだそうとした宗助の手を、皐月が軽く引いて止めた。


「待って、お兄ちゃん」


 その左手にペンダントを持ったまま、皐月は見上げるようにして宗助に言う。


「なんだい? あまりぐずぐずしていると、あの怪物に見つかるよ」


「うん。でも、間違った方に行ったら、もっと危険な目に遭うわ。だから、私が今から調べる」


 そう言うが早いか、皐月は手にしたペンダントを振り子のように持ち、それを目の前で振り始めた。


 くるくると、綺麗な円を描きながら、皐月の顔の前で振り子が回転する。皐月はそれを、まずは向かって左側の通路へ向け、そっと目を瞑り意識を集中した。


 皐月の持つ振り子が、急に向きを変えて回りだした。今までは時計回りに回っていたのが、今度は反時計回りに変わったのだ。


「こっちは駄目……」


 振り子を元の位置に戻し、皐月が言う。


「駄目って……そんな物で、何かわかるのかい?」


「うん……。振り子が教えてくれるの。右に回ったら安全だけど、左に回ったら危険。あいつらがいっぱいいるほど、回る速さも速くなる」


「右回りが安全で、左回りが危険か……。いったい、何のおまじないだい、それ?」


 いきなりわけのわからない説明をされ、宗助は皐月に訊いてみた。しかし、皐月はそんな宗助に構うことなく、今度は向かって左側の通路に振り子を向ける。


「こっちは大丈夫。たぶん、あいつらも今はいないわ」


 振り子が再び時計回りの回転に戻っていた。右か左か、ただそれだけの回転の違いなのに、皐月は妙に自信に満ち溢れた顔をして宗助に言った。


 この少女は、いったい何者なのだろう。果たして、彼女の言うことを信じ、そのまま進んでもいいのだろうか。


 軽い疑念を覚えた宗助だったが、とりあえず動き出さないことには始まらなかった。それに、もしもあの怪物が襲ってきたとしても、一応の武器は持っている。倒すまでには至らなくても、隙を突いて逃げるくらいはできるはずだ。


 皐月に手を引かれるような形のまま、宗助は棒を片手に歩き出す。本来は、彼女を守るはずの自分が先頭を行かねばならないはず。そう思ってはみるものの、案内役が皐月なのだから仕方がない。


「おい、あんまり自分だけ前に行くなよ。いきなり襲われたら、守りきれなくなる」


「平気よ。こっちには、あいつらのいる感じがしないから」


 宗助は止めたが、皐月は自信に満ちた声で言っていた。暗がりで、表情まではよくわからないが、恐らくかなり澄ました顔をしているのだろう。


 廊下の角を曲がり、宗助は先ほど自分が逃げて来た道を進んで行く。この先にある談話室の手前。そこで怪物に襲われた。果たしてあの怪物は、本当にいなくなったのだろうか。


 皐月の言葉を信じるならば、この振り子が示す通りに進めば、怪物を避けて進むことができるはずである。もっとも、宗助とて、そう簡単に皐月の話を信じるほど酔狂ではない。


(談話室へ向かう方の道が、危険でないと示されたのが唯一の救いか……)


 棒を握る片手に力が入る。談話室前の角を曲がったところで、宗助はふいに皐月の前に出ると、威嚇するようにしてそれを構えた。


「っと……。とりあえず、誰もいない、か……」


 そこには誰もいなかった。先に見えるのは、ただ暗い闇ばかり。人の気配も、あの何かを引きずるような音もしない。皐月の言っていたことが本当かどうかはわからないが、まずは安心して良さそうだ。


 油断なく辺りに注意を払いながらも、宗助は皐月の手を離して懐中電灯のスイッチを押した。途端に辺りに淡い光が広がって、宗助と皐月の顔を照らし出す。


 二人の目の前には、赤茶色の扉が姿を見せていた。扉の前に掲げられた札には、談話室の三文字が読み取れる。


「あそこが談話室だよ。まずは、あそこに避難しよう」


 目的の場所までは目と鼻の先。宗助は皐月の手を取ってそう言ったが、皐月は首を縦に振らなかった。


「どうしたんだい? まさか……また、何かいたのか?」


「違うの……。でも、あの部屋からは、なんだか変な感じがする……」


「変な感じ? もしかして……部屋の中に、怪物がいるってことかい?」


「わからない。振り子の動きもおかしくて……」


 宗助の前で、不安そうに俯く皐月。彼女の手にして振り子の先は、不規則にゆらゆらと揺れている。


 時計回りなら安全。反時計回りなら危険。そう、皐月自信が言っていた。では、今のこの振り子の動きが示しているのは、いったいなんだ。時計回りでも、反時計回りでもない。まるで、何かを決めあぐねるように、混乱してあちこちを彷徨っているような動きは。


「と、とにかく、まずは談話室の扉を開けてみよう。こんな廊下にいつまでもいたら、またあの怪物が襲ってくるかもしれないしさ」


 泣きそうな顔の皐月を宥め、宗助は金属棒を手にそっと扉に近づいた。油断なく、背中を壁に貼り付けるようにして側に寄ると、そのまま軽くドアノブを握る。


 ガチッという鈍い音がして、ノブは完全に回る前に動きを止めた。向こうから鍵がかかっている。これでは部屋に入ることができない。


「おい、誰かいるか?」


 軽く扉を叩き、宗助は尋ねた。返事はない。怪物の影に怯え、扉を開けることができないでいるのだろうか。


「いるなら開けてくれ。俺たちは怪物じゃない」


 また、扉を叩いて尋ねた。今度も返事がない。


 やはり、皐月の言う通り、談話室も安全ではなかったのか。ここにいたはずの美南海に千鶴。二人とも、既にあの怪物に襲われてしまったのだろうか。


 しんと静まり返った廊下で、宗助は向こうの出方を待った。これで返事がなければ、談話室に逃げ込むのは諦めた方が良さそうだ。皐月の言っている振り子の力がどこまで役立つかは知らないが、場合によっては、その力に頼ってでも脱出経路を探さねばならなくなる。そう、宗助が覚悟を決めたときだった。


「誰だ、そこにいるのは?」


 扉の向こうから、聞き覚えのある声がした。扉に遮られて聞きとり難くなっていたが、間違いない。


「大輝! お前、そこにいるのか!?」


「その声は、宗助だな。待ってろ。今、開けてやるから」


 カチッという、向こう側から鍵を外した音がした。それを聞いた宗助は慌てて扉に手を伸ばすが、彼が扉を開けるより先に、その向こう側から見慣れた友の顔が姿を見せた。


「大輝……。いるならいるって、ちゃんと返事しろよ……」


「悪いな、宗助。まあ、とりあえずは中に入ってから話そうぜ。下手すると、化け物が部屋に入って来るかもしれないからな」


 友の顔を見て安堵の色を浮かべている宗助とは違い、大輝の方は未だ緊張の解けない様子で言っていた。宗助は皐月に手招きすると、そのまま二人して滑り込むようにして部屋に入る。部屋の中に飛び込むと、その中央には淡い光を放つランプが置いてあった。


「ふぅ……。なんとか助かったか……」


 額の汗を拭い、宗助が言った。別に、怪物と戦ったわけではなかったが、それでも随分と神経をすり減らしていた。


 部屋の中は、廊下と違ってそれなりに明るい。オイル式か、それともガスなのかはわからないが、古びたランプがいくつか灯っている。オレンジ色の光に照らされて伸びた影が、天井に届かんばかりに伸びていた。


 ずっと暗闇の中にいたためか、未だ目が慣れない。宗助が目を細めながら辺りの様子を窺うと、部屋の真ん中から自分の名前を呼ぶ声がした。


「あっ、椎名先輩! 先輩も、無事だったんですね!」


「その声……もしかし、美南海か!?」


「はい! 先輩も、無事でなによりですぅ!!」


 声の主は美南海だった。千鶴と一緒に談話室に籠っていて無事だったのだろうか。そう思って千鶴の姿を探す宗助だったが、残念ながら、部屋の中に千鶴の姿は見当たらなかった。


「なあ、大輝。この部屋にいるのは、お前と美南海だけか?」


「ああ、そうだぜ。俺がこの部屋に来たときには、ここには佐藤のやつしかいなかった」


「ごめんなさい……。坂本先輩は、洗濯物を取りに行ったまま、戻ってこなくて……」


 美南海が申し訳なさそうに俯く。別に千鶴がこの場にいないのは、美南海のせいというわけではない。ただ、一番下の後輩という立場上、男の先輩二人に囲まれると、さすがに委縮してしまうのかもしれない。


「大丈夫だ、美南海。千鶴がこの部屋にいないのは、お前のせいじゃない。それよりも、まずはなんとかして脱出するための道を見つけないとな」


 宗助が美南海に言った。大輝も同意するような表情だったが、それでも彼は、未だ緊張の色が解けぬ口調で、宗助の後に言葉を続けた。


「でもよ、宗助。脱出するって言ったって、外は化け物だらけだぞ? それに、窓やらドアやら、外に続く道はあらから封じられちまってるみたいだしな」


「封じられている? どういうことだよ、それ?」


「どういうこともなにも……お前も見てみりゃわかるだろ」


 大輝がランプを手に取り、その明かりを窓辺に向けた。淡いオレンジ色の光が、窓の向こう側の暗闇を照らし出す。その闇の先にある物を見たとき、宗助は思わず言葉を失った。


「なっ……! おい、大輝! なんだよ、これは!?」


「俺が知るかよ。俺だって、気が付いたらこんな状況になってたんだ」


 大輝がうんざりしたような口調でこぼした。


 窓の外、そのガラス面に張り付くようにして、海藻がびっしりと覆っている。試しに窓を開けようとしてみたが、しっかりと押さえつけられて動かない。たかだか海藻にこれほどの力があったのかと思えるくらい、叩こうと揺らそうと、窓は開く様子を見せなかった。


「お前が部屋を出た後、俺も部屋を出て幹也や蓮のやつを呼びに言ったんだ。あいつらがBARで遊んでるなら、テラスを抜けて行った方が早いと思ってね。そのとき、テラスに続くドアを開けようとしたら、これが開かねえんだよ」


「開かないって……まさか!?」


「そう、そのまさかだ。気になって、窓の外を見てみたら……後は、お前の想像していた通りさ」


 なんということだろう。大輝の話を聞いて、宗助は自分の中にあった脱出への希望が脆くも崩れ去ってゆくのを感じていた。


 大輝がドアを開けられなかった理由。それは単に、鍵がかかっていたなどという程度のものではない。恐らく、彼がテラスに向かったときには、既に窓もドアも完全に海藻によって封じられてしまっていたのだろう。怪物を避けて外に出ることを考えていたが、これでは例え一階に降りたところで、窓からもドアからも逃げられない。


「窓が封じられちまった時点で、俺もなんかヤバいなってのは気づいたんだ。でも、そう気づいたときは、もう遅かった……」


「遅かったって……まさか、幹也や蓮が!?」


「残念だけど、そいつはわかんねえ。なにしろ、いきなり電気が消えて、玄関ホールの方から悲鳴が聞こえてきたんだからな。その後は……気がついたら化け物が廊下をうろついてて、俺は慌てて談話室に逃げ込んだのさ」


「そうか……。やっぱり、お前もあの怪物に襲われたんだな」


 暗闇の中、廊下で初めて怪物と出会ったときのことが宗助の頭をよぎる。あの後、自分はなんとか人形の間に逃げ込んで敵をやり過ごしたが、大輝は大輝で同じ廊下を逃げ回っていたようだ。


 せめて明かりがあれば、もう少し早く合流できたかもしれない。そう思うと、宗助はいよいよ残りの仲間たちの安否が気にかかってきた。


「なあ、大輝。お前は談話室に来るまでに、他の連中に合わなかったのか?」


「いや。俺も逃げるのに必死でね。なんとかこの部屋に逃げ込んで、美南海と一緒に隠れていただけだ。こいつはこいつで、まだ化け物の姿を見てないもんだから、最初は説得するのに手間取ったけどな」


 大輝が横で話を聞いていた美南海を見る。美南海は怯えながらも、どこか現実味のない表情をして、二人の話に耳を傾けている。


 談話室に籠っていた美南海にとって、怪物の襲撃などは未だ夢物語のような話なのだろう。もっとも、この原因不明の停電と、窓を覆うようにして張り付いた海藻の群れ。その二つを目の当たりにしただけでも、このホテルで何か異常な事態が起きているであろうことは、さすがに想像できたであろうが。


「なあ、宗助。ところで、お前……さっきから気になってたんだが、その一緒にいる小さなガキんちょは誰だ?」


「ああ、この子か。そう言えば、まだ大輝たちには紹介してなかったな」


 談話室の椅子に座っている皐月の方を向いて、宗助は言った。


「この子は俺が、人形の置いてある部屋で助けた子だよ。俺たちと同じように、怪物から逃げて隠れていたらしい」


「なるほどな。で、その手に持ってんの、いったい何だ? 何かのお守りか?」


 皐月が持っている振り子を見て、大輝が怪訝そうな顔をしながら宗助に尋ねた。そういえば、皐月は先ほどから何も喋ってはいない。談話室の椅子に座ったまま、自分の振り子を訝しげな表情をして睨みつけたままだ。


「ねえ、皐月ちゃん。さっきから、いったい何をやっているんだい? もしかして……また、振り子が何か言ってるのかい?」


 この緊迫した状況の中、いきなり知らない人達の中に放り込まれて、皐月は不安になっているのかもしれない。そう思った宗助は、できるだけ言葉を選んで皐月に話しかけた。が、そんな宗助の気持ちとは反対に、返ってきた声に緊張の色は感じられなかった。


「おかしいなぁ……。振り子、壊れちゃったのかなぁ……?」


 不規則な軌道を描きながら宙を舞う振り子を見て、皐月は少々困惑したような口調で言った。


「壊れちゃったって……。なにか、具合の悪いところでもあるのかい?」


「それが……よく、わからないの。この部屋に入ってから、振り子が変にふらふら揺れて、全然言うこと聞いてくれないの」


 そう言えば、談話室の前に来たときも、皐月はそんなことを言っていた。右回りが安全で、左回りが危険。しかし、今の振り子は右も左も関係なく、それこそ振り子自身が混乱しているかのように、ふらふらと定まらない動きを続けている。まるで、困惑した皐月の気持ちを代弁するように、振り子は先が読めない軌道を描き続けていた。


「実はね、お兄ちゃんが初めて部屋に入ってきたときも、そうだったの。最初、お化けが入ってきたと思ったから、振り子に訊いてみたんだけど……どっちかわからなくて、結局ずっと隠れてたの」


「そうだったのか……。でも、なんでだろうな? 今までは、そんなこと一度もなかったんだろ?」


 皐月が無言のまま頷く。


 彼女のような幼い少女が逃げ伸びられたのは、やはり、彼女の言う振り子の力が大きいのだろう。嘘か本当かは知らないが、少なくとも彼女は怪物のいない安全な場所に逃げ込んでいた。宗助と一緒に歩いていたときも、結果としてきちんとナビの役割を果たしてくれた。


 その振り子が、今になって急に言うことを聞かなくなったのだ。しかも、それは談話室に対しての反応だけでなく、宗助に対してもそうだったという。恐らく、今の皐月が持っている振り子を自分に向けられたら、やはり奇妙な軌跡を描いてしまうことになるのだろう。


 いったい、この現象はなんなのだろう。あまりにも急なこと、不明なことが多過ぎて、頭の中が整理できない。


「おい、宗助! お前ら、さっきから何の話してるんだよ」


 会話から取り残されたのが不服だったのだろうか。大輝が少々苛立った口調で、後ろから宗助に言葉をかけた。


「あっ、悪い。なんか、この子の持っている振り子、怪物に反応するらしくってさ。それが調子よくないもんだから、ちょっと困ってたみたいなんだ」


「はぁ!? お前、何言ってやがるんだ? 振り子が怪物に反応するって……そんなお伽話、本気で信じてるのかよ!?」


「おい、大輝。そんな言い方はないだろ。現に、この子のナビがなければ、俺だって無事に談話室まで辿りつけるか微妙だったんだぞ」


「へいへい。まあ、生憎と俺は、そういったオカルトの類は信じない方なんでね。それよりも今は他の連中を探して、さっさとこのホテルから逃げることを考えた方が得策だぜ」


 子どもの戯言につき合ってはいられない。そう言わんばかりの口調で、大輝は肩をすくめながら言った。


 こんな状況になっている時点で、お伽話もへったくれもあったものか。客や従業員が得体の知れない怪物になって、こちらに襲いかかってくる。それだけでも十分に常軌を逸した状況なのだ。今更オカルトの信憑性について論議したところで、既に常識で物事を語ることが無意味ではないのか。


 そう、心の中で思ったが、宗助はあえて何も言わずに口を噤んでいた。


 別に、今この場で大輝とオカルト論議をして、決着をつける必要などない。それに、これから脱出の糸口を探さねばならないというのに、仲間内で喧嘩していても始まらない。


 とりあえずは大輝の言う通り、まずは他の仲間を探して、同時に脱出経路の確保もせねばならないだろう。果たしてそんな、映画のようなことが、自分たちだけでできるのか。多少の不安もあったが、それでもやるしかないということは、宗助自身もよくわかっていた。


 大輝、宗助、美南海、それに皐月の四人が、談話室に置かれたテーブルを囲むようにして座る。怪物の魔の手から逃れつつホテルから脱出するためには、闇雲に動いても無駄だ。


「それじゃあ、とりあえずの行動を決めるぞ。俺と宗助は、まずは武器になる物を探して、それから残る仲間を探す。全員が揃ったところで、脱出経路の確保に出るってのはどうだ?」


「ああ、悪くないな。でも、見つけた仲間や、他の生存者はどうするんだ? 皐月ちゃんみたいに、怪物から逃げ伸びた人がいるかもしれないじゃないか」


「そうだな……。そのときは、とりあえず談話室に戻るってことでいいんじゃないか? 美南海と皐月ちゃんには、この場所で待っていてもらって……最後に全員が揃ったところで、一気に突破口を開こうぜ」


 大輝が親指を立ててにやりと笑う。単純かつ安直な作戦だが、本人にしてみれば、これでも頭を捻って考えた結果なのだ。


 こんな狭い談話室に、果たしてホテル内の生存者を全て集めることができるのか。疑問に思う部分もないわけではなかったが、今はそれが、最良の作戦だと思えた。


「よし。だったらまず、俺たちは武器の確保だな。でも……武器になりそうな物なんて、そう簡単に見つかるか?」


「そんなもん、お前が持ってた棒みたいなのでいいだろ? こんなホテルに、そもそも武器なんてのが都合よく転がってるはずないんだろうしさ」


「まあ、そうだよな。これがハリウッド映画なんかだったら、拳銃の一丁でも手に入りそうなもんだけど……」


 自分で言って、宗助は思わず苦笑した。


 映画などでは、こういったホテルであったとしても、必ず武器が手に入るようにできている。地下に謎の武器庫があったり、なぜか仲間の一人に警察や軍人がいたりして、そいつが物騒な武器を多数保有しているのだ。


 だが、残念なことに、それはあくまで映画の話だ。これは現実。そして、ここは日本の、何の変哲もない古い洋館。銃など転がっているはずもなく、そもそも武器になる物が簡単に手に入るかどうかさえ怪しい。見つかったとしても、せいぜい宗助が持って来た、マネキン台の支柱を取り外したような棒がいいところだろう。


 どちらにしろ、現状ではそこまで楽観的に考えることはできない。仲間の捜索と、敵に出会ったら逃げることを優先し、なんとか脱出経路を確保しなければ始まらない。


(ったく……。いったいなんで、こんなことになっちまったんだよ……)


 自分の置かれた状況に嘆きつつも、宗助は金属棒を片手に立ち上がった。


 自分たちのいる談話室は、ホテルの東西を繋ぐような形で存在している。当然、どちらに向かうことも可能だったが、まずは西側の探索を始めることにした。


 東側には従業員室も多く、下手に動けば怪物と化した彼らに遭遇する可能性も高い。そういったリスクを避けるためにも、まずは西側から探した方が賢明だった。


 これから先、自分たちは本当に、あの怪物たちから逃げられるのだろうか。悪夢なら、さっさと覚めて欲しいものだ。が、残念なことに、これは現実。自分たちは今、絶体絶命の状況の中で生き残ることを要求されている。


 この先、闇の中で自分や大輝を待つ者は何か。不安は隠しきれなかったが、それでも宗助は決意を固めて立ち上がる。


 外の天気は、いつしか激しい雨に変わっていた。時折、雲の中で稲妻が光り、暗い部屋の中を一瞬だけ光が照らす。


 窓や壁を叩きつける雨の音を聞きながら、宗助は大輝と共にそっと談話室の外に出た。再び空が光り、雷鳴が轟く。その音と光が、椎名宗助が今までの人生で体験した中で、最も長い夜の始まりを告げる証だった。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 そこは、暗く縦に細長い部屋だった。


 部屋の中央に置かれたテーブルの上、燭台に備え付けられた数本の蝋燭に、檜山蓮は懐から取り出したライターで火を点けた。


 先端に火が灯ると同時に、部屋全体がぼうっとした明かりに包まれる。蛍光灯や懐中電灯に比べれば劣るものの、それでも暗闇よりはましだ。


 一つ、また一つと蝋燭に明かりを灯すにつれて、だんだんと部屋の全体像が明らかになってきた。最後の一本に火を点けたところで、蓮は部屋の隅にいた仲間たちの方を振り返って口を開いた。


「おい、大丈夫か?」


 そこにいたのは、幹也だった。隣には千鶴が彼の腕を取って、不安そうに辺りを見つめている。


「ま、なんとかね」


 普段の軽い口調を崩さずに幹也が答えた。もっとも、決してふざけているわけではない。今、このホテルに異常な事態が起きていることくらいは、さすがに幹也でも想像がつく。


「それにしても……あいつら、いったい何だったんだ?」


 長机の周りに置かれている椅子に、幹也が無遠慮に腰かけた。そんな彼に対し、蓮は油断なく辺りの様子を窺いながら、燭台を掲げて部屋を見回している。


「さあ……。俺にも、あれが何なのかはわからない。ただ、なんだかヤバいことが起きているってのだけは、確かみたいだけどな」


「ヤバいことって……。蓮、お前、相変わらず冷静だな。こんな状況でも慌てない、お前の神経が羨ましいぜ」


「別に、慌てていないわけじゃない。ただ、声に出して騒いだところで、誰かが助けに来てくれるわけでもないからな。今はまだ、情報を集めながら様子を窺うしかないだろう?」


 ずれた眼鏡を直しながら、蓮がさらりと流すようにして言う。本人は気にしていないのだろうが、やはりあれを真似することはできないと幹也は思った。


 オレンジ色の光が照らしている天井を眺めながら、幹也は呼吸を落ちつけながら、今しがた自分の前で起きていたことを思い出す。あまりに現実味のないことで、未だに夢と現実の区別がついていないように思えてならない。


 幹也たちが事件に巻き込まれたのは、ちょうど、ホテルのBARで遊んでいたときだった。あまり気乗りしていない蓮を半ば強引に誘って、BARに置かれたゲームを楽しんでいたときのことだ。


 BARに置かれたビリヤード台でゲームに興じていた矢先、突然、階下から悲鳴が聞こえた。BARの下にある食堂と厨房、その両方ともから凄まじい悲鳴や皿の割れる音が響いて来たのだ。


 いったい、これは何事か。そう思ったときには既に遅く、今度は部屋の電気が一度に落ちた。そして、ホテルの職員の誘導を待つまでもなく、部屋は瞬く間に地獄絵図と化した。


 食堂と、それから一階の厨房に繋がる二つの階段。その両方を使い、下から得体の知れない者達が上がってきた。


 白く淀んだ目と、だらしなく垂れ下がった二つの手。一見して千鳥足にしか思えない足取りだが、その歩く速度は決して遅くはない。口からは涎と共に「あ……」とも「う……」ともつかない呻き声を洩らし、その口の奥には奇妙な姿をした生き物が蠢いている。


 正直、あれを始めて見たとき、思わず何かの余興かと疑ってしまった。だが、連中がBARにいた人間を次々と襲い始めたところで、そんな考えは吹き飛んだ。


 人間の姿をした、それでいて人間でない者。やつらは手始めに近くにいた人間を押し倒し、そのまま口移しで何かを注ぎ込んだ。襲われた人間の喉元が奇妙に膨らんで動いていたことから、あの口の奥から覗いていた生き物を植え付けられているのだとわかるのに、そう時間はかからなかった。


 やがて、獲物から連中が離れると、哀れな犠牲者たちはゆっくりと起き上がってこちらを見て来た。その目に生気はなく、口からは涎を垂らし、先ほどまで自分に襲いかかっていた者と同じ姿になっている。そうしている間にも、隣では別の怪物が、次々にホテルの客や従業員を仲間へと変えて行く。


 それから先は、どこをどう逃げて来たのか、幹也にもわからなかった。BARを飛び出し、医務室の辺りに差し掛かったところで、コインランドリーから出て来た千鶴と鉢合せた。その後、状況が飲み込めないままの千鶴の手を引いて、気がつけば一階へと通じる階段を下りていた。そして、蓮に促されるままに部屋のドアを開け、今の場所に逃げ込んだという次第だ。


 改めて部屋を見てみると、そこは幹也が思っていた以上に広い場所だった。部屋の中央には長い机が置かれ、それに沿うようにしてたくさんの椅子も置かれている。その先には大きな扉が見え、反対側にある部屋の奥には、古ぼけた十字架がかかっている。


 そう言えば、ここに来たときに、幹也は他の仲間と一緒に志乃から説明を受けた。なんでも、前の持ち主の趣味で、このホテルの前身だった洋館には聖堂が作られていたとか。本来はホテルに直す際に壊してしまうつもりだったようだが、やはり神がかった物を取り除くという行為には、多少なりとも抵抗があったのだろうか。結局、聖堂は取り壊さずにホテルを作り、その後は従業員たちが使う仕事部屋として使用されているとのことだった。


 このホテルの前の持ち主が、敬虔なクリスチャンだったのかどうか。そんなことは、幹也にはあまり興味がなかった。ただ、少しばかり古風な聖堂があるのであれば、そこは腐っても文化人類学を研究する大学生。興味本位で覗いてみたいという気持ちも、なかったわけではない。もっとも、こんな形で望みが叶うとは、当の幹也本人でさえも、まったく予想していなかったが。


「おい、真嶋。こいつを使え」


 突然、蓮が目の前に何かを放り投げたことで、幹也は思わず我に返ってそれを受け取った。何やら固い、円筒のような物体が手の中にある。改めて見ると、部屋のどこからか蓮が見つけて来たのだろうか。それは非常用の懐中電灯だった。


「そいつがあれば、少しは明かりにも困らないだろうからな。それよりも、お前も坂本も、ぼんやりしていないで何かしろ。この部屋の中で少しでも役立つ物がないか、そのくらいは考えて探せ」


「んなこと、急に言われてもよぉ……。こんな部屋に、なんか役に立つモンなんてあんのかよ……」


 聖堂の中を、幹也は改めて見回して言った。


 確かに、蓮の言っていることは正論だ。が、単にそれだけで、幹也にはどうしても蓮のように頭が回らない。非常用の懐中電灯を見つけたのはお手柄なのだろうが、それ以外に、こんな部屋に何か役立つ物が転がっているだろうか。


 怪物と戦うための武器。そんな物は、この聖堂にはない。これがゲームなら銃でも剣でも転がっていそうなものだが、残念なことに、これは現実だ。


 怪物から逃げるためのお守り。聖堂だけに、これは探せばあるかもしれない。もっとも、あの怪物たちが、果たしてキリスト教の十字架や聖書を恐れるかどうか。それは幹也にもわからない。


「はぁ……。まあ、俺は俺なりに、なんか探してみるとしますか。もしかしたら、思わぬところに使える物が転がってるかもしれないしね」


 そう呟きながら、幹也はゆっくりと腰かけていた椅子から立ち上がった。そして、聖堂の隅に置かれた本棚の前に立ち、埃にまみれた本へと指を伸ばしたときだった。


「ねえ、幹也! あんた……さっきから怪物がどうしただの、脱出がどうのって……。少しは私にわかるように、ちゃんと説明しなさいよ!!」


 今までのことに溜まり兼ねたのか、とうとう千鶴が幹也に向かって食い付いた。歳が一つ上であろうと、自分の恋人であろうと、こういうときの千鶴は容赦がない。普段はそうでもないのだが、下手に無視したりはぐらかしたりすると、後で色々と面倒なことになる。


 本当は、説明するのも面倒臭い。それに、自分だって事態の全てを把握しているわけではない。そう思った幹也だったが、ここはやはり男である。こんな場所で痴話喧嘩をするのも気が引けて、幹也は仕方なく千鶴に自分の見て来たことを話し出した。


「なあ、千鶴。俺も、全部が全部、わかってるってわけじゃないんだけどさ……。BARで蓮とビリヤードやってたら、いきなり電気が消えたんだよ。何の前触れもなく、突然、バチっとね」


「それは、こっちでも知ってるわ。私も洗濯物を取りに行こうとしたら、急に電気が落ちちゃったのよ」


「だろ? で、俺たちは何が起きたのかもわからずに、部屋でじっとしてたんだよ。なんか、BARのマスターみたいな人が、懐中電灯を持って来てくれてさ。それで、なんとか明かりを保ってたんだけど……」


 幹也の声が、少々濁る。あの、BARで起きた怪物たちによる襲撃の様。ホラー映画顔負けの気色悪い光景を口にするのは、どうしても自分の中にある人間の感情が邪魔をする。


「実は、電気が消えたとき、下から悲鳴みたいな声が聞こえて来たんだよな。で、後はもう、俺にも何がなんだかわかんねえ。気が付いたら化け物が下の食堂から上がって来て、その辺にいた連中を襲い始めたんだ。しかも、その化け物に襲われると、そいつも化け物になっちまうんだよ」


「はぁ? 化け物って……幹也、あんた正気なの?」


「残念だけど、これはマジだぜ。なんだったら、蓮にも聞いてみたらいい。あいつだって、俺と一緒に同じ物を見たからな。だから、こうやって聖堂まで逃げて来たんだろ?」


 千鶴に言い聞かせながら、幹也は蓮の方を少しだけ横目に見た。どうやら未だ部屋の中を探っているらしく、幹也と千鶴の会話には興味がないようだった。


「まったく……。何かと思えば、とんだ下らない怪談話ね。どういうつもりか知らないけど、どっきりを仕掛けるつもりなら、もっと上手に仕掛けなさいよね」


「どっきりって……。お前、俺の言っていることが信じられないのかよ!?」


「当たり前でしょ? どうやって檜山先輩を丸めこんだか知らないけど、私を怖がらせて、そのままおいしい展開に持っていけるとでも思ってたの?」


 幹也の話を聞き終えた千鶴が、肩をすくめながら溜息交じりに言い放つ。これは誤解だ。自分は、そんなつもりで言ったんじゃない。そう思って千鶴の肩に手を伸ばした幹也だったが、千鶴はその手からするりと抜けると、聖堂の正面にある大きな扉に向かって歩いて行った。


「おい、千鶴! お前、話は最後までちゃんと聞けよ!!」


「大丈夫よ。最近、私も忙しくて、あんたと一緒に夜を楽しめなかったもんね。だから、今日の夜は、ちゃんとあんたに付き合ってあげるわ」


「だから、そういうことじゃないんだよ! 頼むから、話を最後まで聞いてくれって!!」


「心配しないで。こう見えても私、甘えるのだって得意なんだから。幹也もたまには、そういう私の姿だって見たかったんでしょ?」


 扉に手をかけて、千鶴がにやりと笑った。こんなときでなければ、千鶴の申し出は幹也にとっても大歓迎だ。普段は気丈な千鶴が、ここぞとばかりに自分に甘えてきてくれる。そんな展開に、心躍るものがあっただろう。


 だが、残念なことに、今はそんなことを考えている場合ではない。頭の中に浮かんで来た煩悩を振り払って、幹也は扉を開けようとする千鶴に向かって叫んだ。


「よせ、千鶴!!」


 そう、幹也が言うのと、千鶴が扉を開けるのが同時だった。次の瞬間、扉の向こう側から、色白でぬめっとした手が突き出され、千鶴の手をつかんで引っ張った。


「ひぃっ!!」


 粘液に覆われた海藻を、そのまま肌に貼り付けられたかのような感触。さすがの千鶴も、思わず悲鳴を上げて後ろに下がる。が、伸ばされた手はしっかりと千鶴の腕をつかみ、なおも部屋の外に引きずり出そうとする。


「このっ! 離れろよ!!」


 もう、迷っている暇などない。幹也は我も忘れて飛び出すと、その辺に置いてあった椅子を持ち上げ、その脚を千鶴の腕を取る手に叩きつけた。


 ぐにゃりとした、なにやら不定形な物体を叩いたときのような感覚がして、千鶴をつかんでいた手は扉の後ろに下がって行った。その隙に、幹也は千鶴の肩を抱き、そのまま部屋の奥に下がる。


 この程度で、あれが諦めるはずがない。そう、わかっているからこそ、幹也は油断なく半開きになった扉を睨みつける。騒ぎに気づいた蓮もまた、いつしか幹也の隣に来て扉を見つめていた。


 ぎぃっ、という嫌な音が部屋に響き、扉がゆっくりと開かれる。決して建てつけが悪いわけではないだろうに、この不快な音はなんだろうか。


 開かれた扉に、幹也たちの視線が一斉に集中する。扉の向こう側には、ただ闇が広がっているだけだ。が、その中に蠢く異形の者たちの存在を、幹也も蓮もしっかりと感じ取っていた。


「う……あぁぁ……」


 闇の向こうで、なにかが唸るような声がした。あの、BARで怪物が現れたときにも聞いた声だ。思わず部屋の中にいる全員に緊張が走る。そしてそれは、これから彼らの身に降りかかる、最悪の展開が始まることの合図だった。


「くそっ! やっぱり、あいつらだ!!」


 幹也が叫んだ瞬間、扉の向こうから一斉に怪物がなだれ込んで来た。その数は、ざっと見ても十体ほど。中にはホテルの従業員の姿をしている者もいる。彼らもまた、怪物たちに襲われて、その仲間とされてしまったのだろうか。


 どちらにせよ、考えている暇などなかった。恐怖に震える千鶴を他所に、幹也と蓮は目の前にあった椅子をつかんで怪物に投げつける。怪物は一瞬だけ怯んだものの、それでも諦めずに幹也たちの方に向かってくる。


 やはり、真っ向から立ち向かって敵う相手ではない。高校時代、幹也も喧嘩をしたことはあったが、それでも今は相手が相手だ。素手で戦える保証などないし、なにより、負ければBARで襲われていた人間のように、怪物の仲間にされてしまうかもしれない。


「逃げるぞ、真嶋! こいつら、やっぱりただの人間じゃない!!」


「んなこた、見りゃわかるっての! でも、逃げるたって、どこに逃げるんだよ!?」


「とにかく、部屋の外に出るぞ! このままだと、三人とも追い詰められる!!」


 椅子を投げ、本を投げ、最後はテーブルの上にあった皿まで投げつけて、蓮は怪物を牽制しながら叫んでいた。確かに蓮の言う通り、このままでは怪物に追い詰められる。ここで三人ともつかまってしまえば、後はどうなるか、幹也にもわかる。


 本当は、部屋から出ることも危険なはずだ。しかし、背に腹は代えられないとも言う。


 幹也は仕方なしに千鶴の手を取ると、そのまま部屋の脇にある扉から逃げ出した。蓮もそれに続く。部屋の中は既に化け物によって蹂躙されていたが、そんなことは知ったことか。


 再び廊下に飛び出して、幹也たちはそのまま右の方へと走って逃げた。扉を閉めている余裕などない。今はただ、あの化け物から逃げることが先決だ。


 程なくして、三人は廊下の突き当たりに差し掛かり、辺りに扉がないかどうか慌てて探した。もし、ここが行き止まりなら、自分たちはそれでお終いだ。逃げることも、戦うこともできないまま、あの怪物たちの仲間にされてしまう。


「おい! あそこに扉があるぞ!!」


 廊下の突き当たりのすぐ左横に、先ほど聖堂で見たのと同じくらいの扉が見える。あの先がどんな部屋なのかは知らないが、ここで足を止めているよりはましなはずだ。


 扉に手をかけて奥へと押すと、それは実に簡単に幹也たちを受け入れた。部屋の中は静まり返っており、どこかひんやりとした空気が漂っている。


 とりあえず、ここならば安全か。あの怪物たちの気配もなく、部屋には他に誰かがいる様子もない。


 廊下の奥から呻き声が聞こえるのを耳にして、蓮が素早く部屋の鍵を閉めた。改めて部屋の中を見て見ると、随分と横に長く広い。先ほどの聖堂も広かったが、この部屋はそれ以上だ。


「なるほど……。どうやらここは、美術品なんかを展示する部屋みたいだな」


 部屋の壁を懐中電灯で照らしながら、蓮は独り呟いた。部屋の壁に掛けられていた絵に、蓮は見覚えがない。少なくとも、中学や高校の美術で習うような、一般によく知られた絵ではない。


 きっと、この洋館の前の持ち主が、趣味で集めたものなのだろう。そう、蓮が考えたとき、部屋の奥から何やら奇妙な音が聞こえてきた。



―――― ピチャ……。



 瞬間、部屋にいた三人の背に、冷たい物が走る。一見して雨漏りのような音だが、これはいったいなんだろう。



―――― ピチャ……。



 また、音がした。今度はもっと近くでだ。それに伴い、何やら部屋の空気も変わっている。今までは何の気配もしなかったのに、どこかからじっと見つめられているような気がしてならない。


 手にした懐中電灯の明かりを、蓮はそっと天井に向けた。黄色い光線が天井を照らし、淡い光の中にその姿を晒す。


「なっ……。なんだ、あれ……」


 それ以上は、何も言葉に出せなかった。


 白い、一点の穢れもない天井に、奇妙な物体が張り付いている。黄色く大きな目と、全身のあちこちから生えた鋭い鰭。身体は鱗に覆われ、粘性の高そうな液体をまとい、鋭い爪を天井に食い込ませている。開かれた口からは鋸のような歯が覗き、その先を伝って唾液が滴り落ちていた。


「やだっ! なんなのよ、あれ!?」


 殆ど泣きそうになりながら、千鶴が幹也の腕を取って叫んだ。その言葉に、天井に張り付いていた怪物が、歯をガタガタと震わせながらこちらを見た。表情などわからないにも関わらず、幹也には怪物が、自分たちの方を見てにやりと笑ったような気がしてならなかった。


 ドサッという音がして、怪物が天井から落ちて来た。それは空中で身体を捻ると、何の苦労もなしに両足を床につけて着地する。


 半魚人。そう形容するに相応しい怪物が、幹也たちの方を見て不気味に吠えた。

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