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3年間自腹で続けた共同購入で「ぼったくり」と罵られた私。グループを抜けたら、住民たちが詐欺師の売った食品で集団食中毒になり、病院送りに

作者: 熾星
掲載日:2026/10/22


 三年前、花守市のグリーンヒル花守で、生鮮食品の共同購入を始めた。近所の人たちに頼まれ、産地の業者と交渉し、注文をまとめて配送を手配する。最初は十数世帯だった参加者も、いつの間にか百世帯を超えていた。


 手数料は一度も取っていない。それどころか、足りない送料を自分で負担し続け、三年間の持ち出しは七十三万六千円。先週も配送会社に六万円を振り込んだばかりだった。


 そんな時、新しく引っ越してきた黒川莉奈が、住民のLINEグループにネットスーパーの商品を投稿した。


 私が仕入れた汐見港直送のタチウオより、百グラム当たり十円安い。ただし、向こうは解凍済みの切り身だった。


「夏帆さん、これ見ました? 同じ魚なのに、こっちのほうが安いですよ。ひょっとして、少し上乗せしてました?」


 いつも真っ先に注文していた田村芳江さんも、すぐに反応した。


「夏帆さん、私たち、ずっと信用してたのよ。手数料を取ってたなら、そう言ってくれればよかったのに」


 莉奈は笑顔の絵文字を送ってきた。


「そんなに責めなくても。手間賃くらいもらって当然ですし。これからは私が探しますよ。みなさん、少しでも安いほうがいいでしょう?」


 机の上には、六万円の振込明細があった。


 三年分の取引記録を保存し、共同購入のLINEグループに最後のメッセージを送った。


「共同購入は今日で終了します。これまでありがとうございました」


 そのままグループを退会し、ほかの注文用グループからも抜けた。


 百グラム十円の違いでそこまで言われるなら、もう私が注文を取りまとめる必要はない。



1



 グループを退会した直後、義母の藤沢和子が買い物袋を提げて帰ってきた。


「夏帆! 共同購入をやめるって、どういうこと? 来週の注文はどうするのよ」


 私はテーブルに広げた配送伝票を日付順に揃え、ファイルにしまった。


「もうやりません」


「急にそんなこと言われても困るわよ」


 義母はスマホを差し出した。画面には住民たちのやり取りが並んでいる。


「ほら、こんなに騒ぎになってるの。私だって下で田村さんに会いづらいじゃない」


 ファイルを手に取り、二、三枚めくってから元の場所へ戻した。


「直樹は毎日外で働いてるのに、あなたは家でそんなことばかりして。もう少しうまくやれなかったの?」


「私は一円も儲けてません。送料だって、自分で払ってました」


「でも三年も続けたんでしょう? 多少は手数料をもらってたんじゃないの?」


 義母は莉奈が紹介した商品の画面を見せてきた。


「ほら、こっちはこんなに安いじゃない」


「そっちは解凍した切り身です。私が注文してたのは水揚げした日に出荷する鮮魚だから、同じ値段にはなりません」


「買うほうは、そんな細かいことまで気にしないわよ。高いと思われたら、それまででしょう?」


 義母は買い物袋を持ってキッチンへ行ってしまった。私は残りの伝票をファイルに収め、書斎へ戻った。


 椅子に座ったところで、スマホに通知が立て続けに届いた。どれも、これまで共同購入を利用していた住民からだった。


「夏帆さん、手間賃を取るのは別に構わないけど、黙ってたのはよくないと思う」


「黒川さんならもっと安く買えるそうですね。今まではいくら上乗せしてたんですか?」


「急にやめるなんて、帳簿を見られたくないんでしょうか」


 続いて、新しいLINEグループへの招待が届いた。名前は「グリーンヒルご近所交流会」。作ったのは莉奈だった。


 参加すると、田村さんのボイスメッセージが流れてきた。


「私、夏帆さんは本当にしっかりした人だと思ってたの。三年間もお願いしてたから、余計にショックでね。今までいくら余分に払ったのかしら」


 過去の注文を調べ直すべきだという人もいれば、産地の値段を知らない住民から利益を取っていたに違いないと書き込む人もいた。


 そこへ莉奈が現れた。


「みなさん、夏帆さんをあまり責めないであげてください。旦那さんは出張が多いみたいだし、家計の足しにしたかったのかもしれませんよ」


 すると、家計が苦しくても住民に内緒で上乗せするのはおかしい、という返信がついた。


 義母まで書き込んでいた。


「うちの嫁、昔からちょっと頑固なのよ。ご迷惑をかけてごめんなさいね。これからは私も莉奈さんにお願いするわ」


 これまで義母は、私が仕入れた魚を親しい住民にお裾分けしては、嫁は目利きができるのだと自慢していた。


 それなのに、今日見せた伝票の数字には一度も目を通そうとしなかった。


 私はLINEを閉じ、スマホを机に置いた。翌週の注文はすでにキャンセルし、仕入れ先にも共同購入を終了することを伝えてある。



2



 翌日の午前中、インターホンが何度も鳴った。


 モニターには、田村芳江さんと四人の住民が映っていた。玄関を開けると、田村さんが大きな封筒を抱えて立っている。


「夏帆さん、少し話があるんだけど」


 返事をする前に、田村さんは玄関へ一歩踏み込んできた。後ろの住民たちも入口に集まり、私は靴箱の横へ押しやられた。


「これまでのお金のこと、ちゃんと確認させてもらいたいの」


 田村さんは靴箱の上に分厚い資料を置いた。


 表紙には「共同購入三年間の価格差試算」とある。何百種類もの商品について、購入当時の価格とネット上の最安値が並べられ、最後には平均二割の上乗せ、総額三百五十万円以上という数字が記されていた。


 数ページめくっただけで、比較の仕方がおかしいとわかった。賞味期限間近の特売品と通常商品、輸入冷凍魚と産地直送の鮮魚が同じものとして扱われている。内容量さえ揃っていない項目もあった。


「これ、誰が作ったんですか?」


「莉奈さんよ。仕入れのことに詳しいんですって。すぐにおかしいところを見つけてくれたの」


 田村さんは最終ページを指で叩いた。


「三百五十万円よ。私たち、ずっとあなたにお願いしてたんだから、説明くらいしてちょうだい」


 ほかの住民も口々に返金を求め、応じないなら警察に相談すると言い出した。


「帳簿ならあります。少し待ってください」


 私は書斎から取引記録のファイルを持ってきた。玄関の棚に広げ、直近の注文ページを開く。


「これがみなさんから預かった代金で、こちらが汐見水産への振込です。配送費の不足分、六万円は私の口座から払っています」


 一人の住民が身を乗り出し、明細を見比べた。


「本当に、ご自分で払ったんですか?」


「三年で七十三万六千円です。振込履歴も伝票番号もあるので、配送会社にも確認できますよ」


 ところが田村さんは、ファイルを押し返してきた。


「でも、これだけじゃわからないわよ」


「何がですか?」


「だって、ほかにお金を受け取ってないって証拠はないでしょう?」


 後ろの住民も、仕入れ先と親しいなら別の形でお金を受け取っていた可能性があると言い出した。


「銀行の記録を調べればわかります」


「私たち、会計士じゃないんだから、そんなの全部調べられないわよ。返金してくれるのかどうか、それを聞きに来たの」


 私はファイルを閉じた。


「余分なお金は受け取っていません。返金には応じられません。詐欺だと思うなら警察に相談してください。記録は全部提出します」


 田村さんの表情が険しくなった。


「そう。そこまで言うなら、こちらもしかるべきところに相談するわ」


 田村さんは書類をかき集め、ほかの住民を連れて帰っていった。玄関の外では、急に共同購入をやめたのも怪しい、と誰かが小声で話していた。


 靴箱の上には、比較表が一枚残されていた。裏返して拾うと、ページの下部に小さな注記がある。


 掲載価格は異なる時期のセール情報に基づく参考値――。


 その部分を写真に撮り、ファイルに挟んだ。


 ちょうど新しいLINEグループに、莉奈から投稿があった。


「田村さんたちが夏帆さんとお話ししたそうですが、うまくいかなかったみたいですね。昔のことはもういいんじゃないでしょうか。これから気をつければいいと思います」


 さらに、自分が企画している共同購入の案内を投稿し、良質な商品をできるだけ安く届けたいと書き添えた。


 感謝のスタンプが次々に並んだ。


 私は莉奈のプロフィールを開いた。引っ越してきてまだ一か月も経っていない彼女の公開投稿には、買い物や旅行の写真が数枚あるだけだった。


 画面を閉じ、取引記録を棚に戻した。



3



 三日目になると、莉奈は新しいグループで本格的に注文を取り始めた。


 友人の紹介で高級レストラン向けの食品会社とつながりができ、フランス産の牛肉と北浦漁港直送の魚介類を仕入れられるという。ステーキ用の肉、タチウオ、数種類の貝が入ったセットで、一万円だった。


 続けて投稿された動画には、きれいに真空包装された牛肉や、氷の上に並んだ銀色の魚が映っていた。画面の手前には色鮮やかな箱が積まれている。


「今回は五十セットだけです。知り合いに頼んで、特別な値段にしてもらいました。予約金が五千円で、お渡しする時に残りの五千円をお願いします。欲しい方は早めに連絡してくださいね」


 田村さんが最初に申し込み、義母も二セット注文した。


 動画をもう一度再生すると、奥に錆びた金属棚が見えた。床には水がたまり、隅にはラベルのないポリタンクが並んでいる。すぐに画面が切り替わったため、どんな場所で撮影したのかはわからない。


 商品案内を開き直してみたが、仕入れ先の会社名も食品表示も、配送方法も載っていなかった。


 莉奈に個別メッセージを送った。


「莉奈さん、これ、どこの会社から仕入れるんですか? 配送の温度管理や食品表示は確認しました?」


「夏帆さん、もう共同購入はやめたんですよね? 大丈夫ですよ。ちゃんとしたルートがありますから」


「会社名だけでも教えてもらえませんか?」


 それきり返事はなかった。


 すでに予約金を払った人もいる。迷った末、私はグループにも書き込んだ。


「食品を予約するなら、仕入れ先や表示、配送方法を確認したほうがいいと思います。前払いの記録も残しておいてください。莉奈さん、会社名を共有してもらえますか?」


 すぐに田村さんから返信が来た。


「夏帆さん、もうやらないんでしょう? だったら莉奈さんに任せればいいじゃない。せっかく安くしてくれたんだから」


 ほかの住民まで、私が莉奈の邪魔をしようとしていると言い始めた。


 莉奈も困り顔の絵文字を送ってきた。


「食品のことを心配してくれるのはありがたいんですけど、私もいろいろ頼み込んでやっと仕入れられたんです。業者さんまで疑われると、ちょっと困っちゃいます」


 さらに義母からボイスメッセージが届いた。


「夏帆、もうそのくらいにしなさい。みんな楽しみにしてるんだから。買った人が自分で判断すればいいでしょう」


 私は短く返信した。


「わかりました。届いたら、表示と保存状態だけは確認してください」


 グループの通知をオフにした。


 その日の午後には五十セットが完売した。莉奈はグループに、予約金が二十五万円集まったと報告していた。買いそびれた住民たちは、追加で注文できないかと何度も尋ねていた。


 夕方、ベランダの花に水をやっていると、下から週末の食事の話が聞こえてきた。義母も輪の中にいた。


「莉奈さん、すごいわよね。一万円であんなに入ってるなんて、なかなかないわよ」


 ジョウロを棚に戻し、もう一度注文案内を開いた。配達予定日は土曜日になっていた。



4



 土曜日の夕方、最初の特別セットが届いた。


 冷蔵配送すると聞いていたのに、駐車場に入ってきたのは普通の箱型トラックだった。作業員たちが発泡スチロールの箱を共用集会室の前へ運び込み、莉奈は名簿を片手に残金の支払いと受け取りを案内していた。


「お名前を確認してからお渡ししますね。持って帰ったら、すぐ冷蔵庫か冷凍庫に入れてください」


 真っ先に支払いを済ませた田村さんが、その場で箱を開けた。


「見て、この魚! こんなに大きいのが入ってる。一万円でこれだけ買えるなんて、お得ねえ」


 私はちょうどスーパーから戻ったところだった。トラックの横を通ると、魚の生臭さに混じって、鼻につく妙な匂いがした。荷台に固定式の冷蔵設備は見当たらず、積まれた箱にも温度の記録は見えない。


 車両と荷下ろし中の箱をスマホで撮り、そのまま自宅へ上がった。


 ほどなくして、義母が二セット抱えて帰ってきた。


「夏帆、冷蔵庫を空けてちょうだい。今夜は魚介にするから」


 義母が食卓に箱を置き、タチウオの袋を取り出した。中には水がかなりたまっていて、魚の端が柔らかくなっている。外袋を見ても、加工業者の情報がきちんと記載されていなかった。


「お義母さん、それ、今日は食べないほうがいいと思います」


 義母のハサミが止まった。


「今度は何?」


「一度解凍したみたいですし、匂いもちょっと気になります。表示も不十分なので、確認してからにしませんか」


「莉奈さんが急速冷凍だって言ってたでしょう。運んでる間に少しくらい水が出るわよ」


「仕入れ先も教えてもらえていません。配送の車も、冷蔵車には見えませんでした」


 義母は袋を引き寄せた。


「あなた、どうしても気に入らないのね。安く買えたんだから、そんなに粗探ししなくてもいいでしょうに」


 私は匂いのする袋をほかの食品から離そうとした。すると義母が手を伸ばし、袋が床に滑り落ちた。封が開き、魚の汁が床に広がる。


「ほら! 何してるのよ。せっかく一万円も出したのに!」


「この袋はもう食べないでください。ほかのものも、確認するまでは……」


 義母は破れた袋をゴミ袋に入れると、残りの魚介類を持って玄関へ向かった。


「あなたが嫌なら、田村さんのところで食べるわ。今夜、みんなで集まるのよ」


「それも同じ便で届いたものですよ。持っていかないでください」


「自分の体のことくらい、自分で決められます」


 それだけ言って、義母は出ていった。


 私は破れた魚の袋とラベル、先ほどのトラックの写真を莉奈に送り、仕入れ先と保存状態について尋ねた。


 返事はなかった。


 破れた袋はほかのものと分けて密封し、そのまま保管した。


 夜になると、LINEには海鮮料理の写真が次々に投稿された。田村さんも立派な食卓の写真を載せ、これなら以前よりずっとお得だと喜んでいる。私の仕入れ価格を持ち出して笑う人もいた。


 私は書き込みを眺めただけで、自分の夕食を済ませた。


 八時を過ぎた頃、廊下が急に騒がしくなった。田村さんが激しく吐いていて、家族が救急車を呼んだらしい。


 間もなく、窓の外からサイレンが聞こえてきた。


 立ち上がったところで、義母から電話がかかってきた。


「夏帆……お腹が、すごく痛くて……。田村さんの息子さんが救急車を……」


 言い終わる前に、苦しそうにえずく声がした。


 私は上着と財布をつかみ、階下へ急いだ。



5



 花守総合病院の救急外来には、同じマンションの住民が何人も来ていた。


 田村さんは顔色を失い、痛みでうまく話せないまま診察室へ運ばれていった。義母も車椅子に座り、看護師から夕食の内容や症状が出始めた時間を聞かれている。


 田村さんの息子さんが、私に気づいて駆け寄ってきた。


「藤沢さん、お義母さんも今日の魚介を食べたんですか? うちの母は食べて少ししたら吐き始めて……。ほかにも何軒か病院に来てるそうなんです」


「魚と貝を食べたみたいです。昼間、品物を見たんですけど、保存状態が気になって」


「食中毒でしょうか」


「まだわかりません。先生の説明を聞いてからですね」


 その晩、腹痛や嘔吐、下痢を訴える住民が十人以上搬送された。待合で診察を待つ人もいれば、点滴を受けている人もいる。何人かは経過観察のため、そのまま入院することになった。


 石田という医師が事情を確認し、家族の前に来た。


「同じものを食べた方が、何人も似た症状で運ばれてきています。食中毒の可能性があります」


 医師は手元の記録を確かめた。


「保健所には連絡しました。原因は、まだ調べないとわかりません」


 田村さんの息子さんが、顔をこわばらせた。


「先生、魚に何か毒でも入ってたんでしょうか。母は大丈夫ですか?」


「今は脱水などの症状に対応しながら、状態を見ています。ご自宅に食べ残しや包装があれば、捨てずに取っておいてください」


 彼はその場で家族に電話し、冷蔵庫に残った魚介類を処分しないよう頼んだ。


 続いて住民のLINEグループにも注意を呼びかけた。


「今日の莉奈さんのセット、残っていても食べないでください。うちの母も含めて何人も病院に来ています。食中毒の疑いがあるそうです」


 すぐに返信が殺到した。


「うちの夫も吐いてます。今から病院へ行きます!」


「少し食べちゃったんですけど、大丈夫でしょうか?」


「莉奈さん、どういうことですか?」


 田村さんの息子さんは、仕入れ先と取引記録を公開するよう求めるメッセージを送った。


 十分ほど経って、ようやく莉奈が返信した。


「みなさん、落ち着いてください。ちゃんとしたルートで仕入れたものですし、まだ魚が原因とは決まってませんよね? ほかに何か食べた可能性はありませんか?」


「それなら、仕入れ先を教えてください」


 田村さんの息子さんが返すと、ほかの住民も配送車や温度管理について質問を始めた。


 しかし莉奈からは、会社名も記録も出てこない。


「私だって善意で手配したんです。こんなことになって心配していますけど、全部私のせいにされても困ります。もう共同購入は続けられません」


 それを最後に、莉奈はLINEグループから退会した。


 田村さんの息子さんが電話をかけても出ない。ほかの住民が連絡しても返事はなく、ブロックされたという人までいた。


 五十セットで合計五十万円。代金はすべて莉奈の指定口座に支払われているのに、購入者は実際の仕入れ先さえ知らない。


 田村さんの息子さんは警察に通報した。


 私も撮影していた包装やトラックの写真、莉奈とのやり取りを整理し、調査の担当者に提出した。家で保管していた魚についても保健所に連絡し、指示に従って検査用に引き渡した。


 義母は検査を終え、引き続き点滴を受けながら様子を見ることになった。椅子に身を預けたまま、義母が小さな声で尋ねてきた。


「夏帆……昼間、あの魚がおかしいって言ってたわね」


「仕入れ先も保存状態もわからなかったので、食べないでほしいと言ったんです」


 義母はうつむき、しばらくしてから呟いた。


「聞いておけばよかったわ……」


 私は義母の膝に上着を掛け直し、検査結果が出るのを一緒に待った。



6



 翌朝、田村さんの息子さんが住民の連絡用グループに、前の晩の出来事を書き込んだ。


 莉奈が退会したあと、彼と数人の家族は仕入れ先を確かめようとマンションへ戻った。その途中、地下駐車場で大きなスーツケースを二つ持ち、予約したタクシーに乗ろうとしている莉奈を見つけたという。


 現場で撮影した動画も添えられていた。


「黒川さん、待ってください。みんな病院にいるんです。まず仕入れ先を教えてもらえませんか」


 画面の中で、莉奈は荷物を持ち上げる手を止めた。


「今から出かけるところなんです。話なら明日にしてください」


「昨日から何度も聞いてるじゃないですか。支払い先だってあなたの口座なんです。説明してくださいよ」


「私は注文をまとめただけです。食品を作ったのは私じゃないし、私だって被害者なんです!」


 言い争う声が大きくなり、駐車場の管理員が間に入った。住民たちに距離を取るよう促している。


 すでに通報を受けていた警察官が到着し、それぞれから話を聞き始めた。


 莉奈は、仕入れ先に騙されたのだと繰り返した。


「食品に問題があるなんて、本当に知らなかったんです。私はみなさんに安く買ってほしくて……」


 警察官が取引先の名前と振込記録を確認しようとしたところで、動画は終わっていた。


 田村さんの息子さんによれば、莉奈は結局そのタクシーには乗らず、警察から後日の調査に協力するよう求められたらしい。


 数日後、保健所から食中毒に関する調査結果が公表された。警察の捜査についても、後になって地元の報道で知った。


 莉奈が宣伝していた高級レストラン向けの食品会社は、あのセットを販売していなかったという。実際の仕入れ先は、北浦港近くの冷凍食品を扱う転売業者だった。


 魚介類は何度も転売され、一部には仕入れ履歴が不完全な商品も含まれていた。配送時の温度管理や保管方法にも問題が見つかっていた。


 保健所は患者の症状や共通の食事内容、残された食品の検査結果などを調べ、今回の食中毒があの魚介類に由来すると判断した。保管施設にも調査が入り、関係する事業者について食品衛生法違反の疑いが調べられていた。


 莉奈が宣伝していた「利益は一切取らない」という話も、取引記録とは食い違っていたらしい。仕入れ代金に自分の取り分を上乗せしていたという。


 ただ、仕入れ先の情報が不十分だったことや、温度管理の問題を彼女がどこまで把握していたかは、まだ調査中だった。詐欺に当たるかどうかについても、結論は出ていなかった。


 こうした情報がマンションに伝わると、住民同士の言い争いが始まった。


 返金を求める人、治療費や仕事を休んだ分の補償を要求する人。中には、真っ先に莉奈を推薦した田村さんに文句を言う人までいた。


「あの人なら大丈夫だって、田村さんが言ってたじゃない!」


「あなたも自分で申し込んだでしょう? 今さら私だけのせいにしないでよ!」


 いつも共用廊下で立ち話をしていた住民同士が、顔を合わせても挨拶しなくなった。返金や補償の見通しが立たず、法的な対応を考え始める人もいた。


 義母は退院後も胃腸の調子が戻らず、医師から食事に気をつけるよう言われていた。


 帰宅した日、義母はソファに座り、私が書類を片づけているのをしばらく眺めていた。


「夏帆、共同購入はもうやらないの?」


「はい。やりません」


「みんな、莉奈さんがどういう人かわかったでしょう。また頼まれたら……」


 私はファイルを閉じた。


「仕入れ先にも、もう終了したと伝えてありますから」


 義母は何か言いかけたが、そのまま黙った。



7



 数日後、田村芳江さんが果物の詰め合わせを持って訪ねてきた。


 隣には義母もいた。私が以前好きだと話した和菓子屋の紙袋を提げている。二人ともまだ顔色が優れなかったが、玄関を開けると田村さんが先に口を開いた。


「夏帆さん、この間は本当にごめんなさいね」


 田村さんは果物の箱を持ち直した。


「莉奈さんの言うことばかり信じちゃって……。あなたには、あんなにお世話になったのに」


 義母も横から口を開いた。


「夏帆、私も悪かったわ。魚を食べないでって言われたのに、聞かなかったでしょう。これからは人の話に振り回されないようにするから」


 そして和菓子の袋を差し出した。


「もう前のことは水に流して、また普通に暮らしましょうよ」


 私はどちらも受け取らなかった。


「田村さん、今日はほかにも用事があるんですよね?」


 田村さんは義母と顔を見合わせた。


「実はね、みんな最近、買い物に困ってるのよ。近所のスーパーなら安心だけど、値段も高いし、品揃えも前ほどよくなくて」


 少し間を置いてから、こちらの顔をうかがった。


「それで、もう一度グループを作ってもらえないかって話になったの。今度は手数料を取ってもらっても構わないから」


 義母も頷いた。


「そうよ、夏帆。今度こそ、みんなあなたのありがたさがわかったんだから。変なことを言う人がいたら、私からもちゃんと話すわ」


 私は書斎から取引記録のファイルを持ってきて、玄関の棚に置いた。


「田村さん、この前、帳簿を見せた時のことを覚えてますか?」


 田村さんが目を伏せた。


「ええ。あの時は私も頭に血が上っていて……」


「三年間で三百五十万円も余分に取ったと言われました。振込記録を見せても、私が作った帳簿だから信用できないって」


 ページをめくり、送料の記録を開いた。


「ここにある七十三万六千円は、全部私が払ったお金です。あの時は、伝票もまともに見てもらえませんでした」


 田村さんは数字の並んだページを見つめた。


「ごめんなさい。本当に、ちゃんと確かめればよかった」


「莉奈さんの商品に問題があったから、今度は私に戻ってきてほしいんですよね。でも、次にもっと安い商品が見つかったら、どうなりますか?」


 田村さんは口を開きかけ、そのまま黙った。


 義母が代わりに答えた。


「もうあんなことにはならないわよ。みんなひどい目に遭ったんだから」


「お義母さんも、私の仕入れた魚を毎日のように食べてましたよね。それでもグループでは、私がお金を取っていたって言ってました」


 義母はファイルに目を落とした。


 田村さんは、どうにか話を続けようとした。


「今度は送料も手数料も、きちんと払うつもりなのよ。ただ、私たちじゃ仕入れも配送もよくわからなくて……」


「前に使っていた注文案内に、業者さんの連絡先や注意事項は書いてあります。直接相談してみてください」


「でも、魚の見分け方もわからないし、配送で何かあっても対応できないわ」


「それなら、配送まで対応しているお店に頼むのがいいと思います。普通のスーパーでも買えますし」


 田村さんはしばらく考え込み、やがて果物の箱を持ち直した。


「そうね。あなたが決めたことなら、仕方ないわね」


 私は義母にも和菓子を返した。


「わざわざ謝りに来てくれて、ありがとうございました。でも、共同購入には戻りません。これからは別のところで買ってください」


 二人が帰ったあと、私はファイルを棚に戻し、玄関の鍵をかけた。



8



 翌日の午後、夫の藤沢直樹が出張から帰ってきた。


 直樹は会社の地方取引先を担当していて、十日以上留守にすることも珍しくない。スーツケースを引いて帰宅した時、義母は買い物に出ており、私はリビングで本を読んでいた。


 直樹はキッチンを覗いた。


「夏帆、母さんは? ずっと移動してたから腹減ったんだけど、何か食べるものある?」


「買い物に行ってるよ。冷蔵庫にご飯とおかずがあるから、温めて食べて」


 直樹は仕事鞄を置き、ソファの前まで来た。


「田村さんから連絡があったよ。共同購入をやめた上に、謝りに来た人まで追い返したんだって?」


「また注文を受けてほしいって頼まれたから、断ったの」


「謝りに来てくれたんだろ? もう少し穏やかに話せなかったのか。これからもここに住むんだから、近所付き合いは大事だろ」


 私は本を閉じた。


「詐欺だって騒がれて、三百五十万円返せって押しかけられたことも聞いた?」


「母さんから聞いたよ。でも、もう誤解は解けたんだろ?」


 直樹はネクタイを緩め、隣のソファに腰を下ろした。


「そこまで自腹を切ってたなんて、俺は知らなかったよ」


「何度も話したよ」


「でも、頼んだわけじゃないだろ。無理して続けなくてもよかったじゃないか」


 以前、直樹は出張から帰るたび、私の仕入れた魚介を取引先への手土産にすることがあった。義母が近所で私を褒めていれば、買い物を任せられて助かると笑っていた。


「じゃあ、私にどうしてほしいの?」


 直樹は少し考えた。


「週末、田村さんたちを家に呼んで食事でもしよう。お前も、急にやめて悪かったって一言言えばいい。そうすれば丸く収まるよ」


「私が何を謝るの?」


「大げさに考えるなよ。ちょっと歩み寄ればいいんだって。母さんだって、毎日あの人たちと顔を合わせるんだぞ」


「私が騙したって言われたの、知ってるんだよね」


 直樹は面倒そうに手を振った。


「だから、向こうも謝りに来たんだろ。もういいじゃないか。俺だって仕事で疲れてるんだ。家に帰ってまで、こんなことでもめたくないよ」


 しばらく直樹を見ていたが、何も言わずに立ち上がった。


 寝室に入り、先にまとめておいた書類や服をスーツケースに詰める。ノートパソコンと必要な日用品もバッグに入れた。


 直樹が後を追ってきた。


「夏帆、何してるんだよ。近所のことで、まさか家を出るつもり?」


「しばらく別々に暮らしたい」


「今から? 母さんはまだ体調が悪いんだぞ。俺も出張があるし、誰が面倒を見るんだよ」


「直樹のお母さんでしょう」


「俺には仕事があるんだよ!」


「私だって、これからのことを考えたいの」


 直樹は寝室の入口に立ったまま、呆れたように言った。


「ずっと家にいただろ? この何年かだって、共同購入をやってただけじゃないか」


 私はパソコンをバッグにしまい、スーツケースのファスナーを閉じた。


「うん。だから、もうやめたの」


 直樹が慌てて前へ出た。


「夏帆、ちょっと待てよ。何も今夜出ていかなくたっていいだろ。飯を食べてから話そう」


「ご近所との付き合いは、自分でやって。もう私の代わりに何か約束しないでね」


 靴を履いて玄関を開けた。


 直樹はどこに行くのかと何度も尋ねたが、行くところは決まっているとだけ答えた。


 グリーンヒル花守を出ると、初秋の風が通りを吹き抜けた。私はスーツケースを引き、いつもの道を駅へ向かった。



9



 結婚前に購入した、小さなマンションへ戻った。


 広さは四十平方メートルほど。リビングと寝室は引き戸で仕切られ、家具も最低限しかない。それでも、キッチンも浴室もきれいなままだったし、ベランダからは近くの公園が見えた。


 グリーンヒル花守を離れると、毎日やらなければならないことがぐっと減った。


 夜中に「明日の注文に豚肉を追加できる?」とLINEが来ることも、義母のために特売品を探すこともない。一週間ほどは目覚ましをかけずに眠り、好きなものを作って食べ、散歩の帰りに本屋へ寄った。読みかけのままだった本も、ようやく最後まで読めた。


 ある午後、知らない番号から電話がかかってきた。


「お電話失礼いたします。藤沢夏帆様でいらっしゃいますか。プレミアマルシェ人事部の宮下と申します。汐見水産の三浦様からご紹介いただき、お電話いたしました」


「三浦さんが、ですか?」


「はい。もしよろしければ、仕入れのお仕事について一度お話を伺えないでしょうか」


 プレミアマルシェは花守市で高級食品スーパーを展開する会社だった。品質のよい野菜や輸入食品、産地直送の鮮魚を扱っていて、私も何度か買い物に行ったことがある。


「実は、冷蔵配送の改善に携わられたと伺っています。三浦様から、その際の改善結果もご紹介いただきました」


 宮下さんは、都合のよい日時があれば本社で面談したいと続けた。


 三浦健二さんは、長年取引していた汐見水産の担当者だった。


 仕入れた商品の状態が悪い時には、到着までの時間や包装の状態、傷んだ数を細かく記録していた。何度か続けて同じ種類の保冷箱で氷が早く溶けていることに気づき、三浦さんに連絡したこともある。


 その後、汐見水産では包装を変更し、配送中のロスが少なくなったと聞いていた。


 私は面談の約束をしてから、三浦さんにお礼の電話をかけた。


「藤沢さん、いつもきちんと記録を取っていたでしょう。ちょうど仕入れに詳しい人を探していると聞いたので、お名前を伝えたんです。あとはご自身で頑張ってください」


 翌週の月曜日、紺色のスーツを着て、プレミアマルシェの本社を訪ねた。


 面談には仕入れ部門のマネージャーと物流担当者が同席した。産地によって異なる仕入れ価格をどう比較するか、低温配送に問題がないか何を見て判断するか、品質不良が起きた時にどう対応するか。質問は実務に関するものが中心だった。


 私は用意した資料を広げた。取引先の見積額や住民の個人情報は取り除き、発生した問題と対応、その後の結果だけをまとめたものだ。


 マネージャーが配送ロスの表で手を止めた。


「このデータは、ご自身で取られたんですか?」


「はい。届くたびに包装の状態と配送時間、傷みが出た数量を記録していました。仕入れ値は安くても、配送中に傷むものが多ければ、結局は高くつきますから」


 仕入れ先との交渉や、欠品が出た場合の代替商品、苦情があった時の調査方法についても聞かれた。


 一方、大手チェーンで使う在庫管理システムについては、経験がなかった。質問された時には、実務で使ったことはないので研修で覚えたいと答えた。


 数日後、採用の連絡が届いた。


 生鮮食品の仕入れ企画担当として、水産業者との連絡や品質改善に携わる仕事だった。給与や評価制度、昇格の条件も明確に提示されたので、内容を確認してから入社を決めた。


 仕事が始まると、二つの水産配送ルートの見直しに参加し、物流チームと一緒に仕入れ先ごとのロスを調べた。数か月かけて改善した結果、対象ルートの廃棄が減り、担当する案件も少しずつ増えた。


 定期面談の時、マネージャーから、次の案件でも成果が出れば小さな仕入れチームを任せることを検討したいと言われた。


 給料が振り込まれた日、前から欲しかったコートを買った。


 共同購入をしていた頃は、どうすれば住民の送料を数百円でも安くできるか、いつも考えていた。今は仕事帰りに店へ寄っても、百世帯分の注文を頭に入れておく必要がない。


 試着室の鏡の前で袖を通すと、肩回りもぴったりだった。



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 それから数か月が経ち、プレミアマルシェでの仕事にも慣れてきた。


 新しく整えた二つの水産配送ルートは安定して動き、翌年度の商品企画にも参加するようになった。産地ごとの取引条件や配送ロスを見比べる仕事には、以前まとめていた資料が役立っている。


 グリーンヒル花守の近況は、元の住民で友人の小川美咲が時々知らせてくれた。


 義母は食中毒のあとも胃腸の具合が悪く、定期的に病院へ通っているらしい。直樹は働きながら母親の面倒を見て、帰宅後には食事や片づけもしなければならず、長い出張を入れることも減ったという。


 住民同士の関係も、以前のようには戻っていなかった。


 代金の返金や治療費の補償を求める人がいる一方、莉奈を真っ先に支持した田村さんを責める人もいた。補償をめぐって言い争いになった住民たちは、エレベーターで会っても挨拶をしなくなったそうだ。


「ねえ夏帆、今になってみんな、あなたのことをよく話してるんだって。夏帆の時は安心して買えたのに、って」


 美咲は電話の向こうで笑った。


「田村さんなんて、また共同購入をやってもらえないかって私に聞いてきたよ」


「それで?」


「もう仕事してるから無理だと思います、って言っといた」


「ありがとう」


 莉奈については、その後も警察が取引や入金の経緯を調べていた。仕入れ先の食品衛生上の問題も、引き続き調査が行われているという。莉奈が宣伝していた「利益なし」という説明が事実ではなかったことも、住民たちに伝わっていた。


 そんな頃、プレミアマルシェで扱い始めた高品質のサクランボがよく売れ、地元のビジネスメディアから仕入れチームに取材の申し込みがあった。


 私は白いジャケットを着て撮影に参加し、産地の選び方や配送温度、店頭に並ぶまでのロスについて話した。撮影が終わると、マネージャーから次の四半期の仕入れ案件について相談された。


 インタビュー動画が公開された翌日、直樹からLINEが届いた。


 最初のメッセージには、動画から切り取った私の写真が添えられていた。


「夏帆、インタビュー見たよ。仕事、順調そうだね。元気そうでよかった」


 続けてボイスメッセージが届いた。


「夏帆、あの時は悪かった。お前の話、ちゃんと聞いてなかったと思う。あんなに金を出してたなんて、知らなかったし……いや、前に聞いてたのかもしれないな」


 一度言葉が途切れたあと、直樹は義母のことを話し始めた。


「母さん、まだ体調がよくなくてさ。昼は仕事だし、帰ってから飯を作って片づけて……正直、かなりきつい」


 そして、少し声を落とした。


「もう一度、帰ってきてくれないかな。母さんには俺からちゃんと言う。週末、迎えに行くから。一緒に飯でも食おうよ」


 最後まで聞いて、スマホを机に置いた。


 謝罪の言葉は聞こえた。それでも話は、義母の世話と家事の大変さに戻っていた。


 別居してから、私は弁護士に相談し、結婚前に買ったマンションの資料や婚姻中の収入、共有財産の記録を整理していた。離婚協議の書類も、数日前に発送してある。


 短く返信した。


「離婚協議の書類はもう送ってあります。財産分与や今後の手続きについては、弁護士を通してください。私は戻りません」


 送信してから、直樹からの連絡をブロックした。


 ほどなくして、仕入れ部の同僚が私のデスクまで来た。


「藤沢さん、北浦の業者さん、会議室にいらしてますよ」


「ありがとう。すぐ行くね」


 パソコンを閉じ、机の上の資料を持って会議室へ向かった。


 中では数人の業者が、次の四半期の納品予定表に目を通していた。私が席に着くと、商品の等級や輸送条件、仕入れ価格について話し合いが始まった。


 三年前、タチウオ百グラムにつき十円の差を指摘され、私は共同購入をやめた。


 今も価格を確かめ、費用を計算し、業者と交渉する毎日だ。ただ、その仕事にはきちんと報酬が支払われる。




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