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銃殺刑の当日 帝国海軍・海軍省1

 早朝、帝国海軍内でもっとも南郷(なんごう)元帥に信頼されている男のひとりが極秘で受け取ったのは、老爺自らの手跡による現状報告書だった。


 ――陸軍歩兵隊が予想どおりに銃器を手に、自宅をぐるりと取りかこんだ。

 ――いかなる事態、怒声、銃声が聞こえようと、近隣住民には本日一切家から出るな、窓から外のようすを伺うなと厳命している。

 ――これから歩兵隊を掌握するので、成功させるために一切海軍関係者を自宅付近に近づけさせるな。

 ――万が一、近隣住民が被害を被ったら、これを手厚く保護保障せよ。

 ――けっして武力で対抗、制すると考えるな。


「……これ以上海軍の関りで市民に犠牲を出すことは断じて許さぬ、か」


 帝国二大戦力である軍隊組織の諍いで市中に銃撃戦をもたらすのは、御法度。

 ましてや守護するべき国土に艦艇から砲弾を撃ちこむなど、もってのほかだ。


「まあ、当然と言えば当然だよねぇ」


 この文面を目にしたとき、恐れながら大日本帝国皇家(こうけ)筆頭・今上帝(きんじょうてい)のつぎにあたると言っても過言ではない権威を真正面から受けたような気がして、男は全身が緊張でこわばった。

 その一方で。

 丸腰の老爺が武装も反撃手段も持たずにどうやって銃器を手に屋敷を取りかこむ陸軍歩兵隊を掌握するつもりなのだと、なかば呆れたような感想も思い浮かんだが、同時に、なぜかあの方ならそれさえも簡単に成してしまうのだろうなという不思議な説得力があって、むしろ安堵の息のほうが漏れてしまう。


「いったい、どのような作戦で歩兵隊を相手にするんですかね?」


 艦上勤務では戦隊司令部の参謀を務めることが多かったので、その手腕に興味もわくが、それだけに老爺の身を護るため、周辺住民の身を護るため、ひいては明治海軍の重鎮たちが築きあげてきた信頼と高潔なる帝国海軍の魂を護るためにも、自分たち海軍関係者は誰ひとりとして彼の屋敷に近づいてはならないということがよくわかった。

 動かぬことも作戦のひとつであると、覚悟もきまった。

 血気に憑かれた救出への思い、元帥に対する陸軍の不敬千万の憎悪も、いまは老爺の立てた作戦には不要。


 ――どのようなときであろうと、作戦遂行に対する必要不必要の仕分けはほんとうに老爺らしい。


 冷静に考えれば、これは老爺だからこそ浮かぶ思案ではなく、現役の帝国海軍軍人として当然のように判断しなくてはならない事柄だろう。


 ――なのに、どうして現役は誰もこの域に達することができないのだろうか。


 そう思うとなおのこと冷静さが戻り、その現役のひとりである男はひどく濁った時間から自分を取り戻すことができた。


 ――だからこそ……。


「本日の銃殺刑がどれほど惨く、腸の煮えくり返る思いをしようと、けっして海軍側から陸軍に向けて手を出すな。各鎮守府、関連施設に厳命。これは元帥としての大号令なり」


 いま心底ほしかった言葉を与えられたことに感謝して一礼し、男はかたわらに立っていた補佐役に、


「各鎮守府及び関連施設に至急伝令を。――南郷元帥より発砲不許可」


 と伝え、通達を急がせた。

 とくに呉と佐世保への伝達は、間に合ってほしいと祈るしかない。


「いやいや。たった一言、この文言をいただくだけで十年分の働きをした気分になったよ」


 誰に聞かせる声でもなくひとりつぶやき、男はようやくのことで腰を浮かせたままの自分の身体を背後のソファーに戻すことができた。

 口にするのも虫唾が走るが、陸軍主体となった本日の帝国海軍内の重大な案件に関する軍法会議の末の銃殺刑。

 すでに各地の鎮守府や関連施設の前では陸軍との一触即発を伝える緊張と覚悟の電報や無線があとを絶たず、報告、返答を伝える士官たちの往来もあとを絶たなかった。

 海軍内でも過酷な事態だろうが耐えよという忍耐派と、こればかりは断固として許せぬ強硬派と二分しており、海軍省内でも応戦の是非をめぐって衝突寸前であった。

 男はそれを諫めなければならない立場にあったが、彼の声はすでに現場には届かず、こまり果てていた。

 けれども南郷元帥自らの厳命書面が届けば、すくなくとも「いま」海軍内部が二分する事態だけは避けられる。


「……いまは、ね」


 すでに疲弊しきった顔で窓の外を見やると、総長から海軍省の建物を門前からぐるりと取りかこむ陸軍歩兵部隊の姿は、解散するどころか銃構えの姿のまま数を増やしている。

 一般人であれば恐怖に震えあがって錯乱状態に陥るだろう光景だが、生憎こちらも軍隊組織。

 もとより海軍は軍艦の巨大な砲身を向け合い、砲撃し合い、命中被弾すれば艦艇ごと沈没は必至、そうでなくても水面下には接触すれば被害甚大ではすまない魚雷が跋扈する海上を戦場にしている猛者の集団なので、人間が手にするていどの銃器銃口を向けられたところで恐怖をおぼえることはない。

 もちろん本性は生身の人間なので、一発でも銃弾を喰らってしまえば怪我をし、死することもあるが、そもそも局面に対する腹の据わりがちがう。


「だからといって、堪忍袋には限界という文字があるんだよねぇ」


 ――今日は建物から出るなという、あからさまな威嚇行為。


 陸軍の誰がこれを許可し、各地の部隊兵員たちを動かしているのかは、すくなからず予想はつく。

 それらの面子は怖くもないが、問題はさらなる黒幕としてそれらの行動を容認し、ある程度の号令許可を与えている陸軍上級幹部たちのほうだ。


 ――あれは宥めるにも、牙を剥くにも、厄介この上ない。


 面々を思い浮かべるだけで腹立たしいが、大日本帝国の二大戦力である軍隊組織をそれらがほとんど牛耳っている。

 なおかつ政府や国策にも深く喰いこんでいるため、この先事態がどう転ぼうと容易く彼らの都合で葬ってしまうだろう。


 ――いったいどこで、帝国海軍は渡り合える権威を欠いてしまったのだろうか。


 海軍省内の門内では海軍職員や軍令部将校、護衛の銃を持つ兵員たちが立ち、殺気の眼光で陸軍歩兵部隊と対峙している。

 情けないことに帝国海軍の本丸にできると言えば、これしか残されていない。

 そもそも海軍の上層部に陸軍の参謀本部に出向き、「すぐにやめさせろっ」と怒鳴り声をあげることができる、()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 それだけにこのように侮られて、軽んじられて。

 軍艦さえなければ帝国海軍など籠のなかの虫……いや、それ以下とも思われているようすがいっそう腹立たしかった。

 このさい、器ではないが自分が参謀本部に乗りこんで迷惑行為に対する嫌味を連ねでみようと思ったが、そんなことをしたら身内であるはずの海軍省から辞表提出勧告を受けるのは必至。

 階級や権限、地位的立場に固執はないが、いずれ来るだろうそのときまでこれらが手元に残っていないとこまる。


 ――そう、いずれ来るだろうその日まで。


「本音を言えば、もうすこし陸軍の小童とにらめっこで遊んでいたかったけれど……嫌な時間からは逃れられないか」


 時計を見やると、そろそろ車で帝都郊外にある軍事施設――陸海軍軍事関連収容施設および刑場に向かわなければならないと長針が伝えてきた。

 男をはじめ、海軍省内、帝国海軍軍令部においても上層部にあたる役職や幹部、将校たちは見届け役として出席しなければならない。

 それを「陸軍が処刑に参ずるので海軍幹部の出席は無用とする」と、銃器を手にこのように建物の周りを歩兵部隊で取りかこみ、外出を阻止しようと銃構えの姿勢でいるものだから、海軍の憤怒はほんとうにもう限界だった。


「この傲慢さをさもあたりまえの権利のように大陸でも行うから、わが大日本帝国は世界中から非難され、帝都は最終警告と制裁の意味をこめられた突如の大空襲で十万人もの犠牲を出した」


 原因を詫びるどころか、陸軍の阿呆の尻拭いを必死にやって、このあつかいとは……。


本山(もとやま)くん、すまないねぇ……」


 男は、何も救えず、何も正せることのできない現状を心底詫びる。


「そう遠くないうちに、清算はつけるから」


 ――かならず……っ。


 言って、同行予定の部下や将校たちそれぞれに声をかけるため、海軍省()()()()室の扉を開ける。

 重厚なつくりの扉が今日ほどひどく重いと感じたことはなかった。

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