月歌(げっか)──君へ返す光
森野さんはそこまで話すと、マイクの前で深々と頭を下げた。
「……すみません。今日、その人がこの会場に来ています。だから──その人のために、一曲だけ歌わせてください」
その言葉に、胸が強く揺れた。
「歌ってー!」
「カケル、その人に歌ってー!」
会場中から割れんばかりの声が響き渡る。
森野さんはゆっくり顔を上げると、泣き出しそうな笑みを浮かべて、
「……ありがとうございます」
そう呟いたあと、
「その人のために書きました。聞いてください。
『月歌──Gekka』」
その瞬間、静寂を切り裂くように、澄んだピアノの音がホールに広がった。
透明で、胸を締め付けるような切ないメロディー。
私は息を呑んだまま、ただ涙があふれて止まらなかった。
森野さんの歌声が、私たちの再会の記憶をやさしく辿っていく。
出会った頃は喧嘩ばかりして、大嫌いだと思っていた人。
けれど、仕事には誰よりも真摯で、ぶっきらぼうだけど本当は優しくて……
知れば知るほど、好きになってしまった人。
苦しくて、聞いていられなくなり席を立とうとした瞬間、
隣の平原チーフが私の腕を掴んだ。視線はステージのまま。
「まだ森野君のことが好きなら──ちゃんと受け止めなさい」
私は吸い込まれるように頷き、もう一度ステージへ視線を戻す。
森野さんは、まっすぐこちらを見て歌っている気がした。
会場のあちこちから、すすり泣く声が響いてくる。
──月歌。
それは、あの日私が森野さんに話した言葉だった。
『カケルさんの唄はね、月の光みたいなんです』
『はあ?』
『優しくて、穏やかで、包み込んでくれるんです。太陽みたいに痛くないでしょう?』
『光に痛いもくそもあるか』
『もう! 茶化さないでください!
私にとってカケルさんの歌声は、暗闇を照らす月の光なんです。
あれがあれば私は強く生きられるんだから』
『……月、ね』
あの時の、少し呆れたような、照れたような顔。
忘れていたわけじゃない。
ちゃんと覚えてくれていた。
胸の奥がじんと熱くなる。
私の想いはもう届かない。
森野さんは、遠い世界の人になってしまった。
それでも──
私のために歌ってくれたこの一曲があれば、もう十分だ。
「月歌 〜Gekka〜」が終わった瞬間、
会場は割れんばかりの拍手に包まれた。
そのあとデビュー曲を歌い切り、
2時間30分のライブは幕を閉じた。
ステージのライトが落ちても、胸の奥には
森野さんの“月の歌声”が静かに残り続けていた。




