嘘と真実のあいだ
「森野さん!」
慌てて呼び止めると、森野さんは一瞬だけ振り返り——
「……さっさと来い」
とそれだけ言って歩いていってしまった。
私が困ったように鈴原さんを見ると、彼は苦笑しながら口パクで
『早く行ってあげて』
と促してくれた。
私は深く頭を下げ、森野さんの後を急いで追う。
少し歩いたところで、森野さんは立ち止まっていた。
「遅ぇよ」
ぽつりと呟き、ゆっくりと歩き出す。
私が小走りで隣に並ぶと
「ごめん……」
と呟いた。
そして森野さんは、前を向いたまま低く言った。
「……お前に嘘を吐いてた」
「……ああ。少し前から知ってましたよ。
でも、知られたくないんだろうなって思って、黙ってました」
私は桜の向こうに広がる夜空を見上げながら答えた。
その瞬間——
森野さんに腕を掴まれた。
「お前は……俺とカケル、どっちが大事なんだ?」
「そんなの——」
言いかけて、息が止まる。
どんな答えを求められているのだろう。
どんな答えなら、彼は傷つかないのだろう。
言葉を飲み込んだ私に、森野さんは黙って答えを待っていた。
私は小さく笑って、静かに言った。
「選べません。でも……今日、久しぶりに歌を聴けて幸せでした」
そして、勇気を振り絞って続ける。
「森野さん。あなたは……歌うべきです」
「それは、俺が——あの店からいなくなるってことでも?」
真正面から問われ、私はゆっくり呼吸を整えた。
本当は、ずっとそばにいてほしい。
いつでも話せる距離にいてほしい。
背中を追い続けられる場所にいてほしい。
——でも。
今日あの歌声を聴いてしまった。
彼の居場所が、やっぱり“スポットライトの下”なんだと分かってしまった。
私の我儘で、彼の未来を奪ってはいけない。
「私……カケルさんの歌に救われたんです。
両親の離婚も、転居も、母の再婚も。
苦しかった時、いつも救ってくれたのは、あの声でした」
居なくなるのが怖くても、泣きたくても——
「そんな私が、森野さんに“歌うな”なんて……言えるわけないです」
真っ直ぐに見つめて告げると、森野さんはふっと表情を緩め、小さく笑った。
「……そっか。……わかった。ありがとう」
それだけ言って、再び歩き出した。
私は少し後ろから、その背中を追いかける。
入社してから、ずっと目で追ってきた背中。
好きで、好きで……大好きで……。
でも、私は——彼の翼を折るようなことはできない。
たとえ、もう隣を歩けなくなるとしても。
春風に散る桜の下、夜桜の光に浮かび上がるその背中を、
私は焼き付けるように見つめ続けた。




