桜の夜に落ちた鼓動
森野さんは半身を乗り出し、私の胸元のシートベルトを手際よく引き寄せると、そのまま装着してくれた。
「……ったく、どんだけ鈍くさいんだよ」
そう言って、軽く頭をこつんと小突かれる。
呆れた顔を向けられ、私は思わず俯いた。
「ありがとうございます……」
必死に絞り出した声は震えていて、自分でも分かるほど顔が熱い。
(絶対……ゆでだこみたいに真っ赤だよ、今の私)
誤魔化すように、窓のスイッチに手を伸ばす。
「窓、開けてもいいですか?」
返事を待つ余裕も無く、勢いよく窓を全開にした。
胸の高鳴りを必死に押し込めながら外へ顔を向けると、隣から小さく笑う気配がした。
その直後、後部座席から刺すような視線も同時に感じた。
車はゆっくりと走り出し、夕焼けの中を花見会場へ向かっていく。
窓の外、真っ赤な夕日が空を染めていた。
(多分……今の私の顔は、この夕日より赤い)
そう思いながら、ずっとドキドキと暴れる胸を必死に鎮めていた。
◇
車で20分ほど走ると、小高い山の上が一面、眩いほどの白に染まっているのが見えて息を呑む。
圧巻とは、こういうことを言うのだろう。
「……綺麗……」
駐車場に着いて呟くと、
「何言ってるのよ! ここなんてまだ序の口。この先は、もっと凄いんだから」
木月さんの声まで弾んでいる。
公園に入ると、四方を囲む桜、桜、桜。
薄暗い空の下、ライトアップされた花が白く浮かび上がり、まるで幻想の世界だった。
思わず口を開けて見上げていると——
「柊さん、危ないよ! そんなに上ばかり向いてたら——」
杉野チーフの声が聞こえた時には、もう遅かった。
視界がぐらりと揺れ、身体が後ろへ傾く。
(——倒れる!)
そう思った瞬間、ガシッと強い腕に支えられた。
受け止めてくれた人物へ恐る恐る視線を向ける。
「お前……さっきから何してんだよ」
呆れた顔の森野さんが、私を見下ろしていた。
肩をしっかり掴まれ、頭は森野さんの胸に寄り掛かっている状態だと気付き、慌てて姿勢を戻す。
「す、すみません……」
森野さんは一度、短く息を吐き出してから、
「ほら、行くぞ」
と言い、私より少し前を歩き出した。
公園は夜桜見物の人で溢れており、杉野チーフと木月さんは既に人混みの中へと進んでいた。
私は迷子にならないよう、森野さんの背中を必死に追う。
その途中、すれ違う女性たちが森野さんを見て驚いたように振り返るのが、何度も目に入った。
——そう。
森野さんは、ただ歩いているだけでも人を惹きつけてしまう。
本人の意思とは関係なく。




