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蛟の卵  作者: 吉沢大生
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某誌 2024年 年末特大号 『緊急特集!■■トンネル事故の背後に潜む“七人目”の影』

◆水質調査の帰路に起きた惨劇


 それは、偶然が呼び起こした不幸なのか――


 今年八月にN県の胚之山ふもとの■■トンネルで起きた大学生グループの自損事故は、ただの交通事故として片付けられるにはあまりにも異様な痕跡を残している。被害に遭ったのは地元のN大学・吉沢ゼミに所属する4年生たち。水質調査のため現地に入り、豪雨により山中で一泊したのち、翌日大学へ戻る途中で事故に遭った。事故は単独のワゴン車による自損。ハンドル操作を誤り、山裾のトンネルで壁に激突したという。

 この事故で後部座席に乗っていた四名が死亡し、運転席にいたゼミ長のHさん、助手席に座っていたAさんの二名が軽傷を負った。現場は雨上がりの夕刻で、路面は濡れていたが、警察はスリップ事故として処理している。

 しかし、この事故は単なる交通事故としては片づけられない数々の「異常」を孕んでいる。

 繰り返しになるが、彼らは調査のため前日から胚之山に入り、豪雨に見舞われて山中で一泊。翌日、大学へ戻る途中で事故を起こした。予想外の悪天候に見舞われた結果、下山時の危険性を考慮して山中で野営をすること自体は、フィールドワークとして珍しいことではない。

 だが、現場から押収された荷物の中に、不可解なものが含まれていた。





◆七人目の寝袋の謎


 現場で最も注目されたのが、寝袋の数だ。事故で押収された寝袋は「七つ」。水質調査に赴いた学生の人数は六名なので、どう考えても数が合わない。

 しかし、奇妙な話はこれだけではない。押収した寝袋のうちの一つが、明らかに子供用サイズだったのだ。これはニュースでも報じられてはいない、弊誌取材班が独自に入手した情報である。

 調査によれば、寝袋の長さは約130センチ。一般的な大学生の体格では入り込むことさえ難しい大きさであり、ゼミ参加者の誰の持ち物でもなかった。しかも、その寝袋だけが、泥や雨の痕跡を一切帯びていなかったのである。

「新品のようにきれいだった。ほかの寝袋は泥で汚れていたり、雨に濡れた跡が残っていたが、その子供用寝袋だけはまるで現場に“あとから置かれた”ような状態だった」――事故処理に当たった警察関係者の一人は、編集部の取材にそう語った。

 つまり、現場には「大学生六名+子供一名」の痕跡があったことになる。だが、もちろん子供が同行していた記録はどこにもない。





◆子供の溺死と謎の音


 地元に伝わる話によれば、学生たちが水質調査をした沢の周辺は、かつてキャンプ場として利用されていたという。我々取材班が現地調査に赴いた時には、キャンプ場はおろか、駐車場の影かたちすらなかったが、これには訳がある。

 いまから十五年ほど前に、サマーキャンプで参加していた親子のうち、当時小学生だった子供が溺死する事故があり、それがきっかけで、駐車場もろとも、キャンプ場は閉鎖されたというのだ。

 そして、一部の好事家のあいだでまことしやかに囁かされているのが、今回発見された「子供用寝袋」が、その溺死した子供のものではないか、というものだ。

 事故死した子供が当時在籍していた小学校はすでに廃校となっており、名簿の入手も不可能だったため正確な情報は残っていないが、当時の新聞の報道では、溺死したのは「小学校低学年くらいの子供」と伝えられている。

「子供が亡くなったあと、夜になると沢の方から“こん、こん”という音が聞こえる。まるで石を叩くような音で、それを森の中で聞いた者は、不可解な夢を見る」

 ――ある地元住民はそう証言する。

 今回の学生たちも、山中で野宿した夜、同じように“音”を耳にしていた可能性がある。





◆祠に残された不気味な石


 ゼミ生たちは事故前、胚之山の山中にある古い祠を訪れていたことがわかっている。この祠は、地元の古文書によれば「ミズチを鎮めるための祠」とされているが、近年は荒れ果て、人々からも忘れ去られていた。

 蛟とは、日本各地の水神信仰に通じる蛇神である。古来より「大雨を呼び、流れを荒らし、人を水底へ引きずり込む」と恐れられる存在だ。と同時に、適切に祀れば「豊かな水と恵みをもたらす守護神」ともされ、川や沢に暮らす人々にとって畏怖と信仰の対象であった。

 編集部が現地を取材したところ、たしかに祠の周囲には不気味な石細工が散乱していた。節が異様に強調された人間の指の石像。皺まで再現された掌や足裏の石片。その一部には、土踏まずの凹みまで彫り込まれたものまであった。いずれも人間の手足を実際に型取ったかのようなリアルさで、地元の古老は「子供の頃からあれを見るのが怖かった」と語る。

 ある民俗学者に、この石細工について尋ねたところ「人柱伝承の痕跡ではないか」との見解をいただいた。川の氾濫を鎮めるために生贄を沈め、その形代として石に刻んで祀ったのではないかという説だ。もしそうなら、十五年前の子供の溺死も「たまたま起きた不幸」ではなく、土地に根付いた水神信仰と因果を同じくする可能性がある。

 また、警察が現場から押収したスマートフォンを解析した結果、学生たちが祠を覗き込み、気味悪そうに笑いながら撮影していた映像が複数確認された。いずれの映像にも、崩れかけた祠と散乱する指の石細工が映り込み、彼らの声には緊張と興奮が入り混じっていたという。

 なお、我々の調査によれば、この山の祠が建てられた正確な時期は不明である。石造の基壇や木材の痕跡を調べても、近代以前のものと断定する資料は残っていない。市立図書館に保存されている民俗資料には「明治期に疫病が流行した折、村人たちが祠を修復して供物を捧げた」との記録があり、遡ればさらに古い由緒を持つ可能性がある。





◆ホテル支配人の証言


 もう一つ奇妙な証言がある。事故の前日、吉沢ゼミの一行は調査を終えたのち、下山して予約していたホテルに宿泊する予定だった。だが豪雨に見舞われたため、野営を余儀なくされ、ホテルの予約をはキャンセルしている。

 そのキャンセルの電話について、彼らが宿泊を予定していたホテル「K水荘」の支配人に話を聞くことができた。


――キャンセルの電話は本当に学生たちからあったのですか?


「ええ、着信履歴を確認しました。発信元はたしかにHさんの携帯番号でした」


――では、やはりHさんご本人が?


「……それが正直なところ、よく聞き取れなかったんです。確かに名乗ったような声がしたのですが、すぐに雑音が混じり、代わって女性のすすり泣く声が聞こえてきました」


――女性の声?


「はい。電話口で『わらしや……わらしや……』と繰り返していました。嗚咽混じりで、とても気味が悪くてね。途中でブツリと切れてしまったんです」


 支配人は当時のことを思い出すと、今も背筋が寒くなると語った。

「わらしや……」という不可解な言葉が意味するものは何か。

 地元の方言ではないかと調査したが、該当する表現は見つからなかった。強いて言えば「(わらし)」を呼ぶ声のようにも聞こえるが、なぜ彼らの電話口からその言葉が漏れたのか、今となっては確認のしようもない。





◆駐車場所の謎とトンネルの噂


 さらに、取材班の調査で浮かび上がったのが「車をどこに停めたのか」という点である。

 かつて胚之山にはキャンプ場が存在し、利用者のための駐車場が併設されていた。しかし前述の子供の溺死事故以降、キャンプ場は閉鎖され、駐車場も立ち入り禁止のロープが張られ、使えない状態になって久しい。

 他大学のゼミや研究サークルがこの山で水質調査を行う際には、必ず駅近くのコインパーキングに車を停め、そこから歩いて山に入るのが通例だ。だが、今回の吉沢ゼミのグループについて、その駅前駐車場に停めた痕跡は一切見つからなかった。料金精算の記録もなければ、防犯カメラにも車両の姿は映っていない。つまり、彼らのワゴン車がどこに駐車されていたのかは、依然として謎のままだ。

 そして、事故を起こした■■トンネルについても不気味な因縁が囁かれている。地元では「事故多発地帯」として知られるが、それに加えて「異界に通じている」との噂が昔から根強く存在するのだ。トンネルを通った人間が時間の感覚を失い、出口で何時間も経過していた、あるいは見知らぬ“同乗者”の影をルームミラーに見た――そんな証言がいくつも残っている。

 こうした点を考え合わせると、Hさんたちの一行がどこに車を停めたのか、ある程度の推測は可能かもしれない。

 彼らは「閉鎖されたはずの場所」に入り込んでいたのではないか。あるいは、最初から「トンネルの向こう側」に誘い込まれていたのではないか。




◆学内で囁かれる「いないはずの誰か」


 実は、今回の惨事の前から、吉沢ゼミをめぐって不可解な目撃談が相次いでいた。

「ゼミ室をのぞいたら、六人しかいないはずなのに、七人分の椅子がきれいに並んでいた」

「廊下ですれ違ったとき、彼らが誰かに楽しそうに話しかけていた。でも振り返っても、その“相手”の姿はなかった」

「カフェテリアでテーブルを囲んでいた学生たちが、空いた椅子に視線を向けて笑っていた」

 目撃者たちはいずれも「気味が悪くて声をかけられなかった」と口を揃える。だが吉沢ゼミの学生たちにとっては、それが日常の光景であったように自然だった。ゼミの4年生名簿に七人目の名前が記載されていた事実はない。公式には存在しないはずの「もう一人」がいたのだとすれば、それはいったい誰であったのか。

 取材班は真相を探るべく、ゼミを率いていた吉沢教授本人への取材を試みた。だが、教授の反応は異様なほどに硬かった。研究室前で待ち構えた我々に対して、教授は扉を半開きにしたまま短く告げた。

「学生の不幸を興味本位で取り上げるのはやめてください」

 その表情には、怒りとも恐怖ともつかぬ陰が差していた。問いを重ねる暇もなく、扉は冷たく閉ざされた。

 さらに不気味なのは、取材後に聞かされた別の証言である。事故前、深夜の研究棟で、教授が窓越しに学生たちと並んで立っているのを見たというものだ。だが、その場にいたはずの人数は、教授を除いて七人に見えたという。

「あの時間帯だと、吉沢ゼミは四年生グループのカンファレンスをしていたはずです。ですから、まちがいなく六人しかいないはずなんです。でも、窓の向こうに並んだ影は七つありました」

 そう証言したのは、研究棟に出入りする別の学部の大学院生だ。

 教授は一貫して、ゼミの活動についての取材を拒み続けている。しかし、その態度は「なにもない」と切り捨てる冷静さというよりも、むしろ「語ってはならない何か」を抱えているように見える、と取材班は感じた。

 いまも大学構内を歩けば、夜更けの図書館や人気のない講義棟の廊下で、不意に誰かの視線を感じる者は少なくない。




◆残された沈黙


 今回の事故で軽傷を負いながらも奇跡的に生還したのは、運転席にいたゼミ長のHさんと、助手席にいたAさんの二名のみである。編集部では両名に直接のインタビューを試みたが、返ってきたのは短い拒絶の言葉だった。

「思い出したくない。話すことはなにもない」

 そう口にしたのはHさんだった。隣でAさんも無言のまま首を横に振り、その場を立ち去った。二人の表情には、事故のショックを抱えた生存者に共通する影以上のもの――どこか「語れば取り返しがつかなくなる」という恐怖の色が刻まれていたように、取材班の目には映った。

 そこで我々は、生存者の家族にも接触を試みた。だが結果は同じだった。Hさんの実家を訪ねた際、応対に出た父親はこう言った。

「息子の件は、もうそっとしておいていただきたい。これ以上は……」

 声を震わせながら、父親はそこで言葉を濁した。

 一方、Aさんの母親は玄関先で編集部員を一瞥し、ただ首を横に振って扉を閉ざした。

 近隣住民の一人は我々の取材に対し、こんな言葉を漏らした。

「Aさん、最近よく病院に通っているみたいでね……お母さんが『娘はもう守らなきゃいけない命があるから』って、話してるのを聞いたことがあるよ」

 もしこれが事実なら、事故から生還したAさんが新たな命を宿している可能性を示唆している。しかし、それが吉沢ゼミでの出来事とどう関わるのか、いまのところ確かなことはなにもわかっていない。

 子供用の寝袋、朽ち果てた祠、いないはずの「もう一人」、そして生き残った二人とその家族の沈黙。

 これらの断片はすべてが偶然の産物なのか。それとも、胚之山の沢にいまも潜む「蛟」の祟りなのか。

 真相は闇の中に沈んだままである。




◆編集部より◆


 本誌取材班は、今後も胚之山と■■トンネル周辺の追加調査を続ける予定だ。特に、閉鎖された駐車場の管理記録。地元古老の口伝。そして大学関係者からの新証言の入手を目指している。

 次号では「胚之山に残された古地図」「トンネルで撮影された不可解な影像」など、新たな証言と資料をもとにさらなる検証を行う予定だ。

 本特集はまだ終わらない。





文責:編集部取材班

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