表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

全力でポジティブになる方法

作者: aqri

 睦月はついていない事が多い。いつも間が悪く、なんでこうなる、と思うことが多い。

電車に乗ろうとすると目の前で扉が閉まるのはざら。欲しいものを買えばその数日後には出血大サービスセールで売られている。雨の日車がはねた水にかからないよう避けるとすぐ脇を走ってきた自転車がはねた泥水がかかる。

 他にもたくさん、数えきれないくらいある。どれもちょっとした事だ、大したことでもない。でも数えてみると一日一回は起きる。結構な確率ではないだろうか、一日一回。


「何でかな」


缶コーヒーを飲みながら拗ねてつぶやけば、友人の音羽がけらけらっと笑う。


「そんなの、電車は早めに家出てればいいし安売りは高く買った分早く手に入れることができて満足も早く得られたんでしょ、投資だよ投資。泥水はレインコート着てればいくらはねられても問題ない。次から気をつければいいじゃん、あんたそこまで不運じゃないよ」


 音羽のこういうところが羨ましかった。反省しつつ常に前向きな考えなのだ。睦月はなんでだよ、と考えてしまうことを音羽はポジティブに考えられる。

 音羽が能天気な奴というわけではない、むしろとても苦労した。パート勤めの母を持つ母子家庭で家は貧しく、食事は給食だけだった日も多かったとか。そんな母親は掛け持ちの仕事をして無理をしていて、過労で倒れそのままこの世を去った。音羽が17歳の時、2年前だ。

 さすがに親をなくしたら前向きにはなれないだろうな、と思った。お金がなく通夜も告別式もできず、家族のみの密葬という形で棺を前に黙って立ち尽くす音羽に睦月がなんて声をかけようか悩んでいると音羽は少し泣きながら言った。


「よかった、お母さんがやっと眠れて。不眠症だったの、いつも疲れててさ。今、ちゃんと休めてる」


その言葉に睦月は膝から崩れ落ちて叫ぶ勢いで大号泣した、音羽が引くくらいに。

音羽は高校を中退し、働かざるを得なくなった。お金がなかった母は保険には入っていなかったのだ。これもなんて声をかけよう、と悩んだ。すると音羽はニカっと笑って言った。


「アタシがいない高校生活、寂しくても泣かないでよ」


言葉が返せずぐっといろいろなものを我慢していると、あ、と音羽は気が付いたように。


「アタシはちょっと寂しいから、会いに来るからね」


 その言葉に睦月は崩れ落ちて泣いた、音羽の強さと健気さと友人を想う優しさと……とにかくいろいろなものに。

自分よりも苦労しているのに苦労を苦労ととらえず、この程度、とかまあなんとかなる、なんとかする、とか。そんな言葉をよく聞く。


「どうしても、どうにもならない事が起きたら?」

「まあ、神様が与えた苦難を乗り越えるためのチャンスだと思うわ」


 すっげえ、なんだそれ。そんな風に考えるの? ガンジーかマザーテレサか、と目を丸くした。ま、そんなもんでしょ人生なんて、と明るく笑い飛ばしていた。

 そして、その思考を真似したいと思った。できなくていい。でも、後ろ向きに考えるよりも前向きに考えた方が人生楽しいに決まっている。

 まずは声に出してみる事で自分の脳みそにポジティブだと勘違いさせることから始めよう。調べたら本当に実践して効果がある方法らしいとわかり、嘘やんなんで、と思っても無理やりポジティブに考え声に出してみた。


カー、と烏の鳴き声がしてペトっと頭に糞がつく。


「……じ、地面が汚れなくてよかった」

「いや、アンタが汚れてんでしょ。早く拭きなって、ほらティッシュ」

「ありがとう……」

「あのさ、我慢はよくない」

「あ、はい」


紙コップタイプの自販機で飲み物を買おうとしたらカップが落ちず、飲み物だけジャーと流れて終わった。


「募金した……」

「いや貢いだだけだねこれは。企業がラッキーなだけなやつ」

「うう……音羽はこういう時どうするの」

「どうするもなにも。たかが100円、って思うなら無視。気になるならここに何かあったら連絡してくださいって連絡先書いてあるんだから連絡すればよくない?」

「あ、はい」


 バスに乗り遅れた。次のバスは18分後と微妙に長い。割と生き急いでいる睦月は待つ、というのが大嫌いだ。


「……思いつかない、ポジティブシンキング」

「次のバス停まで歩こうよ、そんなに遠くないし着く頃バスくるでしょたぶん」

「あ、そういう考え方か。ちょっとコツわかってきた」

「あはは」


 音羽の、こういうところが好きだ。ちっくしょう、と声に出さない。次の行動を考えている。マイナスの言葉を言わないので、こっちもマイナス思考にならなくなってきた。

 そっか、自分がポジティブにならなくても誰かが言ってくれてるならそれでもいいのかもしれない。そう、声に出して伝えた。次のバス停まで歩きながら。何でそんなことができるのか、と何気なく聞いてみると。


「いやあ、睦月がいるからね」

「へ?」

「あんたいつも全力じゃん、感情も考えも燃え尽きそうな勢いで。ついてない時全力で悲しむけど、嬉しい時は全力で嬉しがるじゃん。それを私とシェアまでしてくれてさ。なんかそれ見てると頑張ってみようかなって思える」

「……」


 うるっと目にくる。またこいつは、そういうことを本人の前で言うかね。私が涙もろいの知ってるくせにどうしてくれよう、とぐぐっと歯を食いしばって考える。


「なんか悔しいのでジュースを奢ってやろうぞ。愚民は何が飲みたいのじゃ」


 丁度自販機がある。ちらっとそれを見た音羽はケラケラと笑った。


「殿がワタクシめにぴったりだと思うものを頂戴いたします。先行くから、買ったら追いついて最高の決め台詞と共に私に渡しなさい、青汁だったらぶっ飛ばす」

「ふふん、見くびるでないぞ。いいでしょう首洗って待ってろ」


 あはは、と笑って音羽は先に歩き出す。睦月はお金を入れて、新発売の紅茶を選んだ。これ美味しかったよ、と言っていたのを忘れる私ではないのだ、とポチっとボタンを押す。

押すと同時に、ドオンという凄い音がした。

 見れば、車が事故を起こして歩道に乗り上げていて、数メートル先に音羽が血まみれで倒れている。地面は彼女の血だまりができ始めていた。辺りから悲鳴が上がり、睦月は叫びながら走り寄った。


ポジティブを声に出すと、脳がそう理解して本当に前向きになる。


じゃあ、どうしようもない事はどうするのか?


神様が与えた、苦難を乗り越えるチャンスだと思おう。


どんな言葉で?


友人を亡くした事を、どんなポジティブな言葉があるというのか。

例えば、何? 神様が強い心を持つために与えた試練だとでもいうのか。車に気をつけましょうとでもいうのか。ジュース買っててよかったね?

そんな事言う奴がいたら本気で殴ってる。


わからない。思いつかない。

だって、こんな突然で、目の前で、駆けつけた時はもう息がなくて。

葬儀と火葬なんてあっという間で、骨になって小さな壺に押し込められて終わりだ。

音羽はこんな壺じゃない。


なんだこれ、どんなポジティブがあるんだ。

教えて、誰か。


「寂しいよ」


声に出す。


「苦しいし、辛いし、耐えられないよ、音羽。もっと一緒にいてよ」


《私がいなくても寂しくて泣かないでよ》


「泣くよ、寂しいもん」


《あんたいつも全力じゃん、感情も考えも。燃え尽きそうな勢いで。ついてない時全力で悲しむけど、嬉しい時は全力で嬉しがるじゃん。それを私とシェアまでしてくれてさ。なんかそれ見てると頑張ってみようかなって思える》


音羽の言葉に助けられていたように、音羽は睦月の言動に助けられていた。だったら睦月は全力になるだけだ、無理やりポジティブになろうとせず。


《あのさ、我慢はよくない》


蘇る音羽の言葉の数々。目からは体中の水分が集まったかのように、止まることなく涙があふれ続ける。

じゃあ我慢しない。電車に乗り遅れたらなんでじゃあ、と全力で悔しがる。感動のドラマを見たら滝のように涙を流し。新発売の食べ物飲み物はとりあえず試してみて美味しいものを思いっきり楽しむ。

それをシェアしたい人はもういない。


「ちくしょう」


声に出す、悔しいから、悲しいから、辛いから。


「ちくしょう、音羽。天国行くの早すぎんだけど。お母さんより、もうちょっと友達を優先しなさいよ」


ぼたぼたと涙を流しながら、それでもなんだかおかしくて泣きながら笑う。前向きになれないのなら、なる必要ない。でも、これだけは言っておきたい。


《先行くから、買ったら追いついて最高の決め台詞と共に私に渡しなさい、青汁だったらぶっ飛ばす》


「ぜえええええったい、アンタの分を足して二人分、全力で幸せになってやるからな!行くのはだいぶ先だけど天国で首洗って待ってろ!」


 小さくなってしまった音羽の前にダン、とあの時自販機で買った紅茶を置いて、ビシ、っと親指を立ててサムズアップをし、口元だけは笑って見せる。

 声に出した、言ってやった。宣言してみせた。だったら、あとはそれに向かって全力で行くだけだ。音羽が助けられていた、睦月の持ち味を最大限に生かすだけだ。背伸びしたって自分を変えようとしたって無理だ、人間そんなに器用にどうにかできるものではない。だから。

ポジティブでもネガティブでも声に出して、あとはそれに向かって、全力で。


そして今は、全力で泣こう。悲しいのだから。

火葬場の人が心配して駆け寄ってくるくらい、睦月は膝から崩れ落ちて泣いた。いつでも睦月は全力なのだ。



END

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ