あれからのエンジェリク (3)
「パーシーの婚約にも驚きましたが、リリアンのこと――もっと驚かされましたわ」
「君もそう思うか!いやぁ、驚きだろう?まさか、領主殿がこんなに容赦ない教育パパになるとは!」
団長の言葉に、同意するようにマリアも頷く。
次女リリアンは五歳。すでに次期領主としての勉強が始まっており、おじは結構容赦ない授業スケジュールを組んでいた。
大貴族の後継ぎとして期待されている子どもには、これぐらいの教育は普通ではあるのだが――実際、マリアの幼少期もこんなものだ。特にマリアは、一族の主となることも決定していたから、もっと厳しかった……と、思う。
けろっとついていく可愛げのない子だったから、あまり厳しかったとは感じなかった。
ただ、娘にデレデレなおじが、そんな厳しい教育を実践できるのかちょっと心配していたところもあった。
まさか、こんなに教育熱心な父親になるなんて。相変わらず娘にデレデレではあるけれど。
「僕もパーシーを騎士として鍛えることについて、容赦ないほうだと思っていたが……ご領主殿はそれ以上だ」
「容赦なくやっているつもりはないんですよ。私の両親も、教育熱心な人たちだったので」
おじが言った。
「ご存知のように、私の生家は貧乏で、父の代にはすでにギリギリの状況でした。私が成人しても、継がせるような財産は何も残っていないだろうと……それで、私に何も渡してやれない代わりに、永遠に失うことのない財産を与えておこうと――教養だけは、生涯消えることのない強みになりますから。例え家がなくなっても、身に着けたそれで生き残ることができるように、と」
おじの両親の方針は、実に素晴らしいものだったと思う。
ご両親の予想した通り、継ぐ財産のなかったおじの家は潰れてしまったが、おじの優秀さに目を付けたオルディス公爵――マリアの祖父に気に入られ、娘婿として迎え入れられることになった。
貧乏な男爵家の嫡子として生まれた男が、大貴族の領主に。
……そう考えれば、人も羨む大出世だが。
「エリオット様は……私のおじい様のせいで、ご自分の可能性を潰されたとは思わないのですか?」
マリアが問いかけると、おじは笑った。
「思わないよ」
おじはあっけらかんと答えているが、マリアは苦い思いを拭い去れなかった。
たしかに、大貴族の当主に目をかけてもらえるなんて、とても幸運なことだろう。
でも、マリアの祖父がオルディスのために彼を囲い込んだことで、おじは他の道を絶たれてしまった……とも考えられる。
オルディス公爵家は間違いなくエンジェリク有数の大貴族だった……が、おじがそれを受け継ぐときには、とんでもない負債を抱えてしまった。
破産寸前の家を継ぎ、苦しい結婚生活を強いられ……いまも、強欲なオルディス当主によって縛り付けられ。
それが、おじにとって本当に幸せな人生だと言えるかどうか。おじほどの能力があれば、もっと良い道が……。
「ギルバート様に拾われていなければ、私はどこかで野垂れ死にしていたよ、きっと」
マリアの内心を察したように、穏やかに微笑みながらおじは話す。
「要領の良い性格じゃないし、優秀でも、それをアピールできないまま……誰にも気づいてもらえず、両親の教育も無駄にして終わっていたような気がする。だからいいんだ。私は、とても幸せな男だよ」
それでもマリアの祖父を敬愛していると言ってくれるおじに、マリアも控え目に微笑んだ。
翌日。授業の合間に、リリアンは弟と遊んでいた。
姉の息抜きに、パーシーはよく付き合っていて。
……女の子の遊び相手を完璧に務めるその姿に、母親としてはちょっと不安な気持ちになってみたり。
「スカーレットがオルディスに行っている時は、パーシーがエステル王女の遊び相手となることが多くてな。最近はアイリーンも成長して、パーシーにその役割が回ってくることもなくなったが……そういう事情で、女性の遊び相手となるのは得意なんだよ」
茶化すようにウォルトン団長が説明したが、マリアは乾いた笑いを浮かべることしかできなかった。
リリアンが授業に戻ると、パーシーはすぐにマリアに駆け寄ってきた。
「母上。一緒に馬に乗りましょう!母上も、乗馬は得意なんですよね?」
キラキラと期待に目を輝かせて自分を見つめるパーシーに、マリアの胸が痛んだ。この笑顔を、裏切ることしかできなくて。
ごめんなさい、と断れば、しゅんとパーシーが落ち込む。
「今日はお客様がいらっしゃる予定なのよ。乗馬はまた今度……必ず一緒に行きましょう。約束よ」
しょんぼりしながらも、はい、とパーシーは聞き分けよく頷く。
ようやく会えた母に甘えてくれているのに、それを拒絶することしかできない自分に嫌悪しながら。
お客の予定は嘘ではないが……妊娠中では、いくらマリアでも馬に乗れない。
「パーシヴァル坊ちゃま。良ければ、私にオルディス領の案内をさせてくださいな」
ダニエル――公爵領オルディス邸で働く召使いの一人が申し出る。
ダニエルは外国を旅していた経験もあって、エンジェリク人にしては珍しく乗馬が得意だった。
先代の当主の時代からオルディス家に仕えていて、マリアの子どもたちのことも、とても可愛がってくれている。
「そうだな。せっかくなら、誰かオルディスに詳しい案内人がいてくれたほうがいい」
ウォルトン団長はダニエルの申し出を快諾し、団長、パーシーはダニエルを供につけて遊びに出かけた。
三人を笑顔で見送ったマリアは長い溜息をつき、長椅子にゆったりと腰かける。
……いまの時期は、何気ないふりをするのも大変だ。可愛い我が子のためだから、苦にはならないけれど。
長椅子の肘掛け部分にもたれかかり、マリアはうとうととまどろんでいた。
「……お母様」
自分に呼びかけてくる声に、マリアは重い瞼を開ける。
じっとマリアを覗き込むリリアンが、目の前に。うとうととしている内に、マリアは眠ってしまっていたようだ。
「もう今日の授業は終わり?」
「うん。今日はもうおしまいなの。パーシーと遊ぼうと思ったんだけど、パーシーは自分のお父様とお出かけしちゃったのね」
少し寂しそうにしているリリアンの頭を撫で、マリアは微笑む。
リリアンは、どちらかと言えば父親似……でも、目元はオルディス家特有のもの。マリアも父親似の娘であったが、目元だけは母方の祖父と同じだった。リリアンも、それを受け継いでいて。
祖父がその優秀さを気に入っていたおじの血を引き、祖父と同じものをもつ娘が、やがてこのオルディスの領主となる。
伯母といとこを死に追いやって乗っ取った家……少しぐらいは、祖父もマリアのことを許してくれるだろうか。
「先生が、あなたのことを褒めていらっしゃったわ。お勉強、頑張っているのね」
マリアが言えば、照れくさそうにリリアンが頷く。
「しっかりお勉強するのは良いことよ。いま学んだことは、いつかきっと……大きくなった時、あなたのことを助けてくれるはず」
おじや、自分がそうだったように。
一族の当主として、マリアも小さい頃から当たり前のように勉学に励み……考えていたものとは、なんだか違う方向にその能力は生かされたが。それでも、マリアを助けてくれたのは間違いない。
「一生懸命頑張るわ。私はメルヴィンと結婚して、お父様の跡を継いで、オルディス領主になるのよね」
「そうよ。メルヴィンとは、いまも仲良くしてる?」
うん、と笑顔でリリアンが頷く。
メルヴィンは、アルフレッド・マクファーレン主席判事の息子だ。メレディスの甥でもあって、リリアンの婚約者。
親同士で決められた婚約ではあるが、小さい頃から交流を持たせて、当人同士も結婚に前向きに考えられるようはからっていた。やっぱり、娘にとって不本意なことはさせたくないから。
リリアンと何気ないお喋りをしていたマリアを、おじが呼ぶ。
――予定していた客が、屋敷に着いた。
「お久しぶりですわ、コンラッド様」
屋敷を訪ねてきたのは、オルディスに隣接するプラント領――その当主の父親コンラッドだった。
応接室で、マリアはおじと共にコンラッドと向き合う。
「お久しぶりです。元気なお姿を拝見できて、安心しました。娘も、公爵のことを気にしておりました。本当は自分でも公爵に会いたいと思っていたのですが、生憎、娘は身重で」
「お気になさらず。キャロライン様が第一に考えるべきは、ご自分とお腹の子ども――御子が無事に生まれましたら、祝いも兼ねて私のほうから訪ねさせていただきますわ」
プラント領の領主はキャロラインと言って、もとはエヴェリー侯爵家の令嬢だった。
色々あってプラント侯爵家に嫁ぐこととなり、前夫の死後、その息子を婿に迎えて自分がプラント家の当主となった。
そんなキャロラインにはすでに娘が一人いるのだが、その後、死産や夭折が続いており……だから今回の妊娠に、とても慎重だ。マリアも彼女とは親交があったから、お祝いのタイミングを考えないと、と思いつつ静観していたところだった。
「本日訪ねたのは……その、あまり良くない話がありまして。ええっと、あなたの夫君に関わることではあるのですが、ちょっと違うと言いますか」
良くない話、という部分に反応したマリアに、コンラッドが首を振る。
「ラッセルという男のことを、覚えていらっしゃいますか?」
コンラッドの問いかけに、もちろんです、とマリアは頷いた。
ラッセルとは、コンラッドの財務大臣時代の部下。コンラッドより年上で、すでに城での役職は引退していた。そしていまは、オルディス家で管財人として雇われている。
マリアの夫が暮らす屋敷の財産を管理している。
「彼と連絡を取り合っているのですが……公爵の夫イザイア氏のもとに、マージョリーが通っていると聞かされまして」
「……失礼。どちら様です?その、マージョリーとやらは」
「先のプラント侯爵の姪の娘です。姪も素行の悪い女でしたが、娘も母親の悪いところだけを受け継いだような子でして」
コンラッドはため息を吐く。
「素行不良で、嫁ぎ先から返品されてきました。それで、我が家に転がり込んできて。体裁もあって、一旦は受け入れたのですが……まるで自分が女主人のように振舞い、召使いたちを理不尽にこき使って、私やセドリックに色目を使ってくる始末。キャロラインの胎教に良くないので、屋敷を追い出しました」
「そんな女が、私の夫のいる屋敷に」
それがどういうことか……考える必要もない。
というか、考えるのもバカバカしい。どちらも、マリアにとってはつまらない存在でしかなくて。
「すみません。我が一族の恥を……。オルディス公爵には、もしかしたらご迷惑をかけてしまうかも」
「コンラッド様や、キャロライン様のせいではありませんわ。相変わらず、ろくでもない一族ですこと」
プラント一族は、先の当主の庶子セドリック以外、ろくな人間がいない。そんな家に嫁ぎ、自ら当主となってプラント一族を抑えるキャロラインの苦労を思えば……一人ぐらい、マリアが引き受けても構わないだろう。




