幸せな再会
エンジェリクへ戻ってきたマリアは、寄り道することなくまっすぐ王都を目指し、城へ向かった。
もちろん、ヒューバート王やオフェリアに無事の帰還を報告したかったのはある。特にオフェリアには、無事な姿を直接見せて安心させたかった――マリアも、安心したかった。
だがそれ以上に……城には、すぐにでも会いたい人たちがいた。
「マリア、無事に帰ってきてくれて安心した。道中は苦労も多かったと聞く。ベナトリアやセイランからは、マリアへの感謝の手紙も届いている。国同士の友情を取り持ち、王を支える使命を果たしてくれたこと……本当に、感謝している」
謁見の間でヒューバート王と対面し、頭を下げながら……マリアは内心、苦笑いを浮かべていた。
王を支える使命――自分は、本当にそれを果たせたのか。果たせたと言っていいのか、マリアも悩むところはある。結局、確実に始末すべき人間は生き延びてしまって。
エンジェリクに戻るまでに送った手紙に、それとなく、その旨を書いて王には伝えてあるのだが。きっと、王は何も気づかなかったふりで見過ごそうと……。
「お姉様、お帰りなさい!無事にエンジェリクに帰ってきてくれて、本当によかったわ!とっても心配してたのよ!」
謁見の間を退出すると、我慢しきれなくなったオフェリアがマリアを追いかけてきて、飛びついてくる。マリアがオフェリアの部屋を訪ねるまでは、王妃らしい威厳を保っていなくてはいけないのに――でも、とてもオフェリアらしい。
マリアは妹を咎めることなく、抱きしめ返して優しく微笑んだ。
「私も、こうして無事に戻ってくることができてホッとしてるわ。お城やあなたたちは、特に変わりなかった?」
「うん。みんな元気にしてるよ!お姉様の子どもたちも、元気に大きくなって……あっ、ジェラルド様だ!」
謁見の間から大臣や貴族たちも退出しており、彼らの中に、ジェラルド・ドレイク侯爵の姿もあった。
彼はいまや宰相だ。公式の場では王の隣に控えている。先ほどの挨拶の場にも、当然同席していた。
ドレイク宰相は、オフェリアに声をかけられて静かに会釈する。
「ちょうど良かったわ。お姉様を、子どもたちのところに案内しようと思ってたの。ジェラルド様も一緒に行きましょう」
ドレイク宰相との間には、双子の娘と息子がいる。
ニコラスとアイリーン――生まれてすぐ……あの子たちは、まだハイハイもできないような時に別れてしまって。
オフェリアに連れられ、マリアは子どもたちのいる部屋に向かった。
息子たちとは、一足先にベナトリアで会うことができた。王国騎士団団長ライオネル・ウォルトンとの間に生まれた息子は、いまは地方にいる――仕事で地方に赴くことになった父親に連れられ、あの子も王都を離れているそうだ。
娘たちはオルディス公爵領で過ごしていたが、母親の帰還にあわせて城へ戻っていた。
ニコラスとアイリーンは、ドレイク宰相の屋敷で暮らしていた。
大きくなって、最近は父親に連れられて城へ来ることも増えたとか。父親の仕事にくっついてきたり、エステル王女の遊び相手として訪ねて来たり。
部屋に着くと、マリアを見つけて一目散にスカーレットとリリアンが駆け寄ってきた。
「お帰りなさい、お母様!お母様がいらっしゃらなくて、とっても寂しかったわ!」
「お母様!」
自分に抱きついて来る娘たちを、マリアも抱きしめる。
息子たちも、子どもから少年へと成長して、男らしさ、というものが現れ始めていた。娘たちも……特に長女スカーレットは、レディとしての片鱗を見せ始めていて。
「お母様も、みんなに会えなくてとても寂しかったわ。本当にごめんなさい。いっぱい我慢させちゃったわね」
お喋りな女の子たちのはずなのに、喋ることより母親に抱きつくことに夢中になっている姿を見ると、やはり心が痛む。
マリアのエゴに、一番振り回されているのがこの子たちだ。
スカーレットとリリアンを抱きしめていたマリアは、ドレイク宰相のそばに小さな男の子と女の子を見つけ、顔を輝かせた。
「ニコラス!アイリーン!」
父親そっくりの銀髪と、父親そっくりのポーカーフェイス。一対のお人形のように、可愛らしくも繊細な美貌に恵まれた双子は……マリアに呼びかけられ、びくっと身をすくませた。
思わず抱きしめようと手を伸ばしかけたマリアは、あ、と小さく声を上げた。
「ニコラス、アイリーン……おまえたちの母上だ」
ドレイク宰相は父親らしい、優しい声色でそう声をかけたが、二人は父親の服のすそをつかみ、マリアから身を隠すように父親にぴったりくっついていた。
……分かっていた。
この子たちにとっては、マリアなど、見知らぬ女でしかない。赤ん坊の内に生き別れとなってしまった母親と感動の再会だなんて……そんなこと、マリアの都合の良い妄想に過ぎない。
そうと分かっていても……怯えるようにマリアから隠れてしまう二人に、自分の罪深さを思い知らされた。
「二人とも、私たちのお母様よ。私たちがお話した通り、お母様はとっても美人でしょう?」
母親と兄弟の仲を取り持つように、スカーレットが声をかける。
ニコラスはますます怯え、ドレイク宰相のうしろにすっかり隠れてしまったが――アイリーンは、マリアから視線を離さなかった。
「アイリーン。今日は一緒にお屋敷に帰りましょう」
リリアンに手を引かれれば、アイリーンは姉についてそろそろとマリアに近づく。
まだ距離……というか、壁を感じるが、アイリーンはマリアに関心を持ってくれているようだ。
ニコラスは父親から離れなかったが、アイリーンはマリアたちと一緒にオルディス邸へ帰ることとなった。
馬車に乗り込むとき、アイリーンはすっとマリアの隣に座ってきた。思いもかけぬことに、マリアが目を瞬かせたぐらい。ずるい、とリリアンが眉を八の字にして言い、スカーレットが苦笑して、妹に母の隣を譲っていた。
馬車の中でも黙り込んだままだったが、アイリーンはマリアにくっついて。
屋敷に戻ると、侍女のナタリアがマリアを歓迎してくれた。子どもたちを世話するために、ナタリアはエンジェリクに残っていたから……ずっと、マリアのことを心配していたのだろう。出迎えるナタリアは、ちょっと涙ぐんでいた。
アイリーンは、ナタリアには懐いていた。マリアが不在の間、ナタリアはアイリーンの世話もしてたから当たり前なのだが……やっぱり嫉妬してしまう。
屋敷に戻った後、アイリーンは姉二人とナタリアと一緒に風呂に入っていた。マリアは、長椅子に座って息子三人とおしゃべりをして娘たちが出てくるのを待ち――髪を拭くのもそこそこに、娘たちは飛びついてきた。
まだ濡れた髪を拭いて、丁寧にブラシで梳いて。アイリーンも、そんなマリアのことをじっと見つめていた。
スカーレットとリリアンが終わると、空いた場所にアイリーンをすすめてみる。アイリーンは、素直にマリアのそばに腰かけて……。
「あなたの髪は、お父様似ね。サラサラの髪で……まっすぐで……」
生まれた時は赤ん坊特有のふわふわ感があった髪も、成長し、父親と同じさらさらのストレートなものになっている。
少し……毛先には癖があるけれど。そこは、自分に似てしまったのかも。
「ニコラスは、朝起きると、いつもすごい髪になってるの」
たどたどしい口調で、アイリーンが言った。アイリーンがマリアに話しかけるのは、これが初めてだ。
「まあ、そうなの。じゃあ、ニコラスの髪は私に似たのね」
「お母様も、寝ぐせがすごいの?」
一度話し始めると、アイリーンのおしゃべりは止まらない。そばで聞いていただけの他の子どもたちも次第に参戦するようになり、屋敷に、騒がしい声が響き渡っていく。
――なんだか、とても覚えのある感覚だ。
セイランへ向かう前。エンジェリクにいた頃。いつも、こんな賑やかさにマリアは囲まれていた……。
翌日、マリアは再び城を訪ねていた。
子どもたちに会うことに夢中になっていて、エンジェリクの公爵として挨拶に回ることをすっかり疎かにしていたから。今日は様々な貴族に会い、挨拶し、帰還を労ってもらって……最後に、ドレイク宰相に会いに来た。
「昨日はご挨拶もせず、大変失礼いたしました」
「気にすることはない。子が優先されるのは当然のこと――ニコラスとアイリーンも含まれているのだ。父親の私にとっても、そちらのほうが重要というもの」
帰還の挨拶と、父親へのお悔やみ。そして宰相就任のお祝いの言葉を述べたマリアは、ふと、ドレイク宰相のそばに誰かがいることに気付いた。
宰相の大きなデスクに隠れて気付かなかったが……父親にぴったりとくっついて、少しだけ顔をのぞかせるニコラスが……。
「私……また、ジェラルド様の秘書をさせて頂けないかとお願いに参ったのですが……日を改めます」
「その必要はない」
ドレイク宰相の視線の先には、別のデスク――マリアのために用意したのだろうか。装飾や準備された文具が、女性好みのような。
「この子が、自分から言い出したことだ。貴女が訪ねてくるだろうという話を聞いて。本当は、ニコラスも母に会いたくて堪らなかったのだ」
「そう、なのですか……?」
ちらりとニコラスを見る。目が合うと、ニコラスはさっと父親の影に隠れてしまった。
……でも、しばらくしたらまた顔を出してきて。
マリアは苦笑し、用意された自分のデスクに座る。
「……ジェラルド様ったら。期待していただけるのは嬉しいですが、用意周到過ぎますわ」
マリア用の仕事も、きっちり用意されている。どうやら、最初からマリアのことをあてにしていたらしい。
働くのは嫌いではないし、貴賓扱いで仕事から遠ざかっていたから、久しぶりの感覚が楽しい……。
しばらくの間、マリアは黙々と与えられる書類を片付けて行った。ドレイク宰相も仕事に集中し――ニコラスは、部屋の片隅にある椅子に腰かけた。
この椅子も、ニコラス専用にあつらえたものではないだろうか。サイズがニコラスぴったりで、肘掛け部分に小さなテーブルがついている。
そばには背の低い本棚があって、ニコラスはそこから本を取って読んだり、ノートみたいなものにせっせと何かを書き込んだり――ノートには、問題のようなものが書き連ねられている。あれはドレイク宰相の字だ。まさか、宰相の手作り……?
時々、本棚の上に置かれた手巻きのオルゴール箱を手に取り、ニコラスは気分転換も兼ねてオルゴールの音色に聞き入っていた。オルゴール箱の蓋を開け、箱の中をじっと見つめている。
ニコラスの様子をちらちらと伺いながら仕事をしていたマリアは、書き終えた書類の一枚を床に落としてしまった。拾おうと立ち上がりかけると、ニコラスがぱっと椅子から降りて紙を拾い、マリアのデスクに置く。
「ありがとう、ニコラス」
マリアが微笑めば、ニコラスはじっとマリアを見つめた後……また父親の陰に隠れてしまった。
今度はそれを、微笑ましい思いでマリアは見ていた。
「ジェラルド様。そろそろ休憩にいたしましょう」
放っておくと際限なく仕事をする宰相に向かって、マリアは声をかける。
宰相の執務室にも、休憩などに利用できる控室が隣にあった。部屋の棚に、やはりドレイク宰相が菓子を買い込んで置いている。
もっとも、これはニコラスのためかもしれない。ニコラス専用の椅子があるぐらいだし――この執務室は、ニコラスが過ごしやすいよう配慮してある。
マリアが休憩のための茶菓子を用意し始めると、ニコラスも慣れた様子で棚からお菓子と食器を取り出し、長椅子の前のテーブルに配膳していく。マリアが長椅子に腰かければ、すぐに隣に座った。
「その子も貴女にずっと会いたかったのだ。世辞ではなく、本当に」
ドレイク宰相は、手巻きのオルゴール箱を持ってきた。先ほど、何度もニコラスが眺めていたもの。
宰相から受け取り、マリアはオルゴール箱を見る。蓋を開けると……蓋の裏には、小さな肖像画が。生まれたばかりのニコラスを抱いた、マリアの姿。
ニコラスがぱっとマリアの手からオルゴール箱をひったくり、またネジを巻き始める。
奏でられるオルゴールの音を聞きながら、ニコラスはじっと肖像画を見つめていた。
「子守歌代わりに、毎晩聞かせていた。大きくなっても、ニコラスは毎日それを眺めていた」
宰相の言葉に、マリアは胸が締め付けられる思いで微笑み、隣に座るニコラスを抱きしめた。
ニコラスはマリアを見上げ、しばらくじっと見つめた後……マリアにもたれかかり、オルゴールを黙って聞き続けていた。
 




