王の執着 後編
フリードリヒ王の執着をかわすには……やはり、ヒューバート王に頼るしかないだろうか。マリアはそんなことを考えていた。
フリードリヒ王は、マリアをベナトリアに縛り付けたい様子。やたらめったら魅力を振りまいて、男を虜にするマリアにも問題があるのだとよく説教されるが、マリアだって、そんなつもりはなかったのだ。
血筋とか……体質とか。王を惹きつけてしまうのは、マリアの生まれ持った性みたいなものだと言われたことがあったが、本当にそうなのかも、と。そんなことをちらりと考えてみたり。
ヒューバート王なら、ベナトリア王よりは王としてのキャリアも長いし、彼を説得することができるだろうか。
……ベナトリア王は、ヒューバート王のことも口説いていたそうだが。果たして説得しきれるのか――逆に、ヒューバート王まで口説かれてそう。
「マリア。フリードリヒ王が呼んでるってさ」
思考の海に沈んでいたマリアは、ララにそう声をかけられ顔を上げた。
王が呼び出すなんて珍しい。いつもは王のほうからやって来るのに。
呼び出しに応じたマリアが向かった先は、謁見の間。けれど、ベナトリア王は玉座にはいなかった。
「おまえに客だ」
「お客様」
手短に用件を伝える王は、いささか不機嫌なような……いや、緊張しているようだった。
ベナトリア王が玉座から降りてまで出迎える相手。それほどの人物で、マリアを訪ねてくる人……。
「きゃっ……!?」
首を傾げてていたマリアは、突然抱きしめられて小さな悲鳴を上げてしまった。突然の行動にぎょっとなって……その正体に気付くと、さらに驚いた。
「まさか、そんな……ロランド様!?なぜ、ベナトリアに……」
「うむ、良い顔だ。その顔が見たかった!」
キシリアの王ロランドは、驚くマリアに、満足げな笑顔を向ける。マリアを仰天させられたことに、キシリア王はご満悦の様子だ。
「久しいな、マリア。会いたかったぞ。人の妻となり、美しさにますます磨きがかかった」
ぎゅうぎゅうと無遠慮に自分を抱きしめるロランド王に、マリアは戸惑う。
敬愛するキシリア王に会えて、マリアもとても嬉しい。彼と会うのは、本当に久しぶりだから……もう会えないかもしれないと思っていた相手だから。その姿を自分の目で見ることができて……でも、自分を抱きしめるキシリア王の手がちょっといやらしいのは見過ごせない。
「キシリア王。いささか、なれなれしさが過ぎるぞ」
「許せ。会えた嬉しさのあまり、つい」
嫉妬をにじませベナトリア王が止めれば、キシリア王は謝罪する。
でも、悪びれたところはないし、マリアを離そうともしない。
「ロランド様。お会いできたのは私も嬉しいのですが、なぜベナトリアに?」
マリアの質問を無視して自分を熱心に抱き寄せようとするキシリア王に向かって、再度問いかけた。
「今回は私のほうがおまけだ。そなたに、会わせたい者がいた」
「私に……」
キシリア王の肩越しに、シルビオが謁見の間に入ってくるのが見えた――男の子を二人連れて。
目を輝かせて自分を見つめる少年たちに、マリアは歓喜した。
「セシリオ!ローレンス!」
我が子に会えた喜びで、ついキシリア王を突き飛ばしてしまったような気がするが……気付かなかったふりで、マリアは息子たちに駆け寄った。
母親に会えたことを、二人も喜んでくれて。はしゃぐ二人をぎゅっと抱きしめると、マリアと一緒に謁見の間に来ていたクリスティアンも駆け寄ってくる。兄弟同士の再会も喜ぶ息子たちを、三人まとめてマリアはしっかり抱きしめた。
「……やはり、女にとって我が子というのは格別だな。王を前にしても、母親としての本能が優先されるらしい」
キシリア王が、からかうように言った。その言葉は、マリアよりもベナトリア王に向けられていたような気がする。
その時のマリアは久しぶりに会えた息子たちの顔を見るのに夢中で気付かなかったが、供をしていたララ曰く、ベナトリア王が複雑な顔で――がっかりしたような、微笑ましいような、表現しがたい顔で、マリアたちの再会を見ていたそうだ。
「二人とも、会えて嬉しいわ。こんなに大きくなって……でも、どうしてローレンスまで?」
セシリオは、まあ分かる。
シルビオと一緒にキシリアへ行っていたはずなのだから、ロランド王の従者としてベナトリアに赴くシルビオが、自分の息子も同行させた。そんなところだろう。
けれど、ローレンスは……?
「俺も父さんと一緒に来たんだ!父さんが、母さんを迎えに来てる」
「ブレイクリー提督が」
ローレンスの父親は、エンジェリク海軍提督。
なるほど。エンジェリクへ帰るマリアを迎えに、彼がやって来るのは納得だ。ついでに息子も一緒に連れてきてくれた。マリアに早く会わせようと。それはとても……嬉しいサプライズだ。
「そういうわけだ。一日ぐらいはベナトリア王都をじっくり観光して……それから、エンジェリクへ帰るぞ。私も、そなたを見送ったらキシリアへ戻る」
キシリア王が言った。マリアを見つめる目は優しく。懐かしさと親愛の情が込められていて。
けれど、すぐによからぬ笑みを浮かべた。悪戯を思いついた子どものような笑顔……。
「だからな……ベナトリア王よ。マリアは我が子と再会できたばかり……親子の語らいに水を差してはいかん。あぶれ者同士、今夜は大いに楽しくやっていこう!」
なれなれしくベナトリア王の肩を抱き、キシリア王は意味ありげに笑う。
マリアはすぐ、ピンと来た。
この二人の王には、大きな共通点がある。
美しいものが大好きで……気の多い男。
「ロランド様……フリードリヒ陛下まで巻き込んで、何を企んでおいでです?」
目を吊り上げ、マリアが聞く。
マリアとシルビオの監視の目をすり抜け、二人でいかがわしい店に出向く気に違いない。ベナトリア王おすすめの美人を探しに――ベナトリア王は男女問わずだが、そちらの方面にも精通している。
「企むとは心外な。私なりの、そなたへの精一杯の気遣いだ。私のことは放っておいて良いぞ。思う存分、セシリオ、ローレンスとの時間を楽しんでくるといい。シルビオ、おまえもせっかくのマリアとの再会だ。貴重な時間を、私に費やす必要はない」
シルビオも、呆れたようにため息を吐く。ベナトリア王も苦笑していた。
ぐぬぬ、という言葉が漏れそうなほどマリアは悔しがり……自分の腕におさまる息子たちを見下ろす。
三人は、きょとんとした様子でマリアを見上げていて。
可愛い我が子と、王の浮気を載せ、秤がぐらつく。しばし悩んだ後……針は、息子たちのほうに傾いた。
――申し訳ありません、アルフォンソ様。
敬愛するキシリア王妃に心の中で陳謝し、マリアは我が子を取った。王の浮気を見張る使命感も、久しぶりの我が子の前ではかすんでしまう。
まんまと思惑にはまって自分を見送るマリアたちに王は上機嫌で手を振り、目立たぬ格好に変装したベナトリア王を連れ、町へ行ってしまった。
クリスティアンは、年を考えるとずいぶん大人びた子だった。それでも、久しぶりに兄弟でそろうとはしゃぐ気持ちが抑えられないようで。
寝室を、枕やらクッションが飛び交う。羽毛が飛び散り、子どもの笑い声がこだまする。
女が集まってお喋りもにぎやかだが、男が集まっておおはしゃぎするのも負けないと思う。
部屋中を走り回り、逃げ回って、枕投げをするやんちゃな少年たちを、マリアもシルビオもララも、いさめることを諦めて眺めていた。
何度か注意してはいるのだが……無邪気に笑う子どもたちを見ていたら、本気で怒る気にはなれなくて。マリアもつい、微笑んでしまう。
「マリア。おまえにひとつ、話しておかなければならないことがある。あまり愉快な話ではない」
子どもたちを苦笑いで見ていたシルビオが、やおらそう言った。マリアがシルビオに視線をやれば、彼はどこか気まずそうな表情をしている。
「……フェルナンドのこと。妻に気付かれた」
そんな、と。マリアは小さな悲鳴を上げ、重苦しくため息を吐く。
「俺が留守にしている間に、妻の侍女が屋敷に押しかけ、あいつを強引に連れて行ってしまった。取り返したかったが……それからほどなく、舅が亡くなってな。仲立ちできる相手がいなくなってしまった」
シルビオの説明に、マリアは頭を抱えたくなった。
シルビオの嫡子フェルナンド――正妻との子だ。正妻のもとに実子を帰すことは、何もおかしなことではない。本来なら。
だが正妻は夫シルビオへの敵意をこじらせており、一度は我が子の養育を放棄した。
放棄して……色々あって、愛人でもあるマリアがしばらくあの子の世話をすることになった。
マリアが生んだ子どもたちに囲まれて成長したフェルナンドは、マリアのことを母と呼ぶようになっていた。そんなつもりはなかったのだが、幼いフェルナンドは、マリアこそが自分の母親だと認識してしまって……。
それを、正妻が知ってしまった。良い予感はしない。
「奥方様が、母親としての情を優先してくれる女性だと信じるしかないわね。フェルナンドのことを心配するのは……愛人の傲慢な嫉妬だと……そうなるよう、祈りたいわ……」
やはり、自分が手を出してはいけなかった。
後悔が募るけれど……誰にも自分の存在を認めてもらえず、孤独に閉じこもっているフェルナンドの姿を思い出すと……見て見ぬふりなんかできなかったことも思い知る。
どうしたら良かったのか、マリアには分からない。これまでも、これから先もずっと。
「うわっ!?こら、ローレンス!ちゃんと狙え!」
ララの顔面目掛け、枕が飛んでくる。マリアのほうにもクッションが――シルビオが叩き落とし、セシリオに向かって投げ返していた。
兄弟同士の戦いに飽きた三人は、新たな敵を発見したようだ。
……ララはちゃんと手加減していたけれど、シルビオは結構本気だったと思う。大人げない。
翌朝、マリアやシルビオの予想していた通り、城を抜け出したロランド王は帰ってこなかった。
王を探すついでに子どもたちを連れて王都を散策しに行き、人気の酒場で、人気の歌姫を口説いているキシリア王を見つけ、マリアは盛大に彼を睨んだ。
その様子に、ベナトリア王は大笑いしていた。
「マリアに浮気を咎められるとは。羨ましい御方だ」
「……羨ましいのなら、代わってやってもよいぞ」
マリアへのご機嫌取りに、キシリア王はわざとらしくクリスティアンたちにすり寄り、子どもたちを大道芸人のいる路地へ案内した。陽気なピエロを、キシリア王はクリスティアンたちに紹介し――少し離れたところで見ていたマリアに、ベナトリア王が静かに近づく。
「おまえを手放すのは惜しい。いまも納得したわけではないが……エンジェリクへ帰してやる。子が待っているのだろう。恨まれることには慣れっこだが、母親から引き離された幼子の恨みを買うのは御免だ」
ベナトリア王は、不敵に笑った。
「たかだか海一つ隔てただけの距離。おまえが根負けするまで、口説き続ければいいだけのこと。俺は執念深い男なんだ。覚悟しておけ」
マリアも、ベナトリア王に向かって微笑んだ。その手の挑戦は、マリアも慣れっこだ。
「フリードリヒ王って、あれだよな。母親へのコンレプックスこじらせ気味っていうか」
エンジェリクへ帰る船の上。ララが言った。
そんな情緒のない言い方しないの、とマリアがたしなめる。
「私に母親像を見てるのはその通りなんでしょうけど。親を恋い慕う子の気持ちを、あんまり馬鹿にするものじゃないわよ。私も、ちょっと心当たりはあるし」
マリアも、自分は父親へのコンプレックスをこじらせてるんじゃないかな、という自覚はある。母親からの情を求める男を笑う気にはなれない。
「母上!ロランド様たちを乗せた船が行ってしまいますよ!」
セシリオに呼ばれ、マリアは甲板へ向かった。
ブレイクリー海軍提督が迎えに来てくれた船に乗り、マリアたちはエンジェリクへ帰る。ベナトリアを出た船は三隻。
ひとつは提督が乗ってきたエンジェリク海軍船。もうひとつは、ホールデン伯爵が所有する商船。
最後のひとつは、ロランド王を乗せキシリアへ向かう船。王の従者であるシルビオも、当然そちらに乗っている。
セシリオはクリスティアン、ローレンスと共に、エンジェリクへ帰る――父とは別れて。
キシリアへの航路を取り始めた船を、セシリオは食い入るように見つめていた。
シルビオが、息子に気付いてわずかに手を振る。セシリオも大きく手を振り、別方向へと進んでいく船を見送る。
マリアも、キシリア船を見ていた。
ロランド王が、にこやかな笑顔で手を上げる――マリアは微笑み、静かに頭を下げ……遠ざかっていくキシリア王を見送る。
もしかしたら。
フリードリヒ王がマリアをあっさり諦めてくれたのは、ロランド王が説得してくれたからかもしれない。
マリアの主君は、エンジェリク王ではなくキシリア王。マリアを口説き落としたければ、まずはキシリアの王を越えてみせよと。
ロランド王の貫禄は、エンジェリクのヒューバート王ですらいまだ敵わない。フリードリヒ王にとっては、まだまだ高過ぎる目標だ。
キシリア――マリアの愛する故郷。もしかしたら、もう二度と目にすることはできないかもしれないけれど。
マリアの忠誠は、いまもキシリアの王にある。




