それぞれ (3)
「なるほど。たしかにマリアによく似ているな。スカーレット、嫁の貰い手に困ったら俺に言え」
「やめてくれよ。みんなして僕の娘を狙って……!だから気の休まる時がなくて、しょっちゅう会いに来ないと不安になるんだよ!」
スカーレットを抱っこして良からぬことを話すシルビオに、メレディスが青ざめながら抗議する。
四人目ともなればさほど新鮮さもないはずなのだが、やはりマリアそっくりの娘というのは特別らしい。おかげで自分の娘にアピールする男が絶えず、メレディスの苦労も絶えず――だからまめに会いに来ていたのか、とマリアは笑ってしまった。
「ただいま帰りました。母上、シルビオの馬が来ているようですけど……あっ、本当にシルビオがいる!」
伯爵と一緒に屋敷へ帰って来たクリスティアンは、シルビオを見つけて目を丸くする。
シルビオはクリスティアンにも上機嫌の笑顔を向け、髪をぐしゃぐしゃと撫でた。
「久しぶりだな、クリスティアン。最近馬に乗る練習を始めたと聞いたが」
「まだ一人で乗るのは駄目なんです。危ないですから」
「ならなかなか乗れないだろう。エンジェリク人は乗馬をあまりしないそうだし、マリアがしょっちゅう妊娠中では……付き添えるのはララかノアぐらいか」
シルビオに指摘されると、クリスティアンは何かを期待するように彼を見つめる。
乗馬を得意とする母親に似て、クリスティアンはかなり筋が良い。本人も馬に乗るのが楽しいみたいで、もっとたくさん練習したいと思っているのだが……いかんせん、指導できる人間が少ない。
母親のマリアか、マリアの従者ララ、伯爵の従者ノアぐらい。
でもマリアは妊娠している時期が長く、ララとノアはそれぞれの主人の護衛に行ってしまうことが多い。空いた時間にクリスティアンの乗馬に付き合っているが、本音を言えばそれでは足りない……。
「俺が付き添ってやろう。ほら、来い」
シルビオは、意外と長男クリスティアンのこともお気に入りらしい。兄と出かけようとする父に、セシリオが拗ねたような表情をする。
おまえももう少し大きくなったらな、とセシリオの頭を撫でて機嫌を取っていた。
「おまえには、俺が直々に指導してやる。俺の息子なら、兄弟一の乗り手にならんと許さんぞ」
クリスティアンを連れて行ってしまうシルビオに、伯爵は苦笑し、ノアに視線で合図を送る――ノアは黙って頭を下げ、クリスティアンの見守り役としてついて行った。
「……マリア。メレディスが興味を持ったようなので、シルビオの結婚相手について調べてみた」
シルビオが屋敷を出ていったのを確認すると、伯爵が切り出した。マリアがメレディスを見れば、ちょっと罰が悪そうな、悪戯を咎められた子どものように笑っている。
シルビオの従者で、外出には置いていかれたマクシミリアン少年も、関心を持ったように伯爵を見ていた。
「シルビオが花嫁から拒否されたのは、シルビオ本人に責任はないかもしれん。彼女には、父親に隠れて想い合っている男がいた。無論、父親に隠していたぐらいだ。身分の釣り合いが取れぬ――結婚できるはずもない男だった。そのような男と通じ合い、挙句の果てに身籠ったということで父親は激怒……それで、シルビオとの縁談を半ば無理やり決定させた――」
「ちょ、ちょっと待ってください、妊娠してた!?」
マクシミリアンが驚愕に目を見開き、ひっくり返りそうになりながら言った。
「結婚前に、堕胎させられたそうだ。知らされていなかったのだな」
「知りませんでした……たぶん、シルビオ様も。そんな重大なことを隠して……」
シルビオとて清廉潔白な身ではないが、さすがにそれは秘密にしていていいことではない。隠すのなら、墓場に持って行く覚悟で平静を装うべきだ。
シルビオへの敵意をむき出しにして、行き場のない憎しみをぶつけるなど……。
「それじゃあ、もしかして……相手の女性は、シルビオのせいで恋人と引き裂かれ、子を喪うことになったと思い込んで……?」
メレディスが、気の毒そうに言った。その可能性は高いだろう、と伯爵も頷く。
「自分は恋人と引き裂かれ、子を喪った――それなのに花婿には愛人がいて、愛人との間に子どももいる。憎悪の対象になるのも当然だな」
「……たしかに、彼女には憐れまれるだけの理由があるかもしれません。でも、シルビオ様の立場からすればとても彼女に同情する気にはなれません」
マクシミリアンは首を振った。
「シルビオ様が横恋慕して、結婚を押し進めたわけではありません。むしろ――こういう言い方はしたくありませんが、そんな女性を押し付けられて、シルビオ様だって被害者です。挙句、それで憎まれることになってしまって……」
「そうね。子を殺されるというのは、たしかに母親にとって最大の不幸ではあるけれど……彼女が恨むべきなのは自分の父親だわ。もしくは……彼女の秘密の恋人というのは、まだ生きているのですか?」
マリアが尋ねれば、生きてはいるらしい、と伯爵が答える。
なら彼女が恨むべきは、彼女の意思を無視した父親か、彼女を助けなかった恋人――そして、命をかけてでも子を守るために逃げ出さなかった自分。
シルビオに好意的になれとは言わないが、シルビオが結婚を乞うたわけではないのだ。厄介者の娘を押し付ける格好の相手に選ばれ……シルビオが彼女に好意的に接する必要もない……。
シルビオが帰って来たのは、日がどっぷりと暮れた頃だった。馬に乗ってずいぶんとはしゃいだらしく、その夜のクリスティアンは小説をたった三ページ読んだだけで夢の世界へ落ちて行ってしまって。
すやすやと眠るクリスティアンの寝顔をマリアが微笑ましく感じながら眺めていると、セシリオを寝かしつけに行ったはずのシルビオが部屋にやって来た。
あっさり寝た、と話し、マリアの腕を引っ張る。もう、とマリアは苦笑しながら、シルビオの部屋へ連れ込まれた。
「マクシミリアンから聞いた。俺の妻のこと――あいつはかなり腹を立てていて、初夜を拒否されたのならいっそ、それを利用して婚姻無効を申し出るべきだと言って来た」
二人で並んで長椅子に座ると、シルビオが言った。
マクシミリアンの提案――マリアは内心、良い案だと同意した。シルビオが結婚して、妻や妻との間に生まれた子に関心を奪われ、マリアやセシリオは見捨てられてしまうのではないか。そんな不安があったのは確かだが……こんな夫婦関係は望まなかった。
結婚が避けられないのなら、せめてシルビオが安らぐことのできる家族を迎えて欲しかった……。
「生憎と、俺は婚姻を無効にするつもりはない。たしかに妻の父親は野心家で強引な男だが、王の家臣としては信頼できる人間だ。奴の野心を満たしつつ、借りを作ることもできる……この結婚は、どうあっても続けるしかない。俺やおまえのような立場では、結婚に甘い夢など見ていられないものだ」
皮肉げに笑うシルビオに、マリアも思わず押し黙った。しばらく沈黙が続き、マリアもふっと笑って、そうね、と頷く。
若い王を支える家臣にとっての結婚とは……愛だとか恋だとか、そんな個人的な感情で相手を選べない。ヒューバート王とオフェリア王妃を支えているマリアも、それは同じ……。
マリアはシルビオに寄り添い、その肩に頭を置く。
「……なら、もう私からあなたの奥方のことについて話すのはやめるわ。愛人でしかない私が、夫婦のことについて口を出すべきではないもの。そんな煩わしい真似をする女にはなりたくないから……」
例えシルビオを思っての忠言であっても――いや、やはり心のどこかに、愛人としての嫉妬があるかもしれない……。
「俺を気遣う必要はない。実の親にも疎まれるような我が身だ。所詮、俺は家族というものとは無縁の男なのだろう」
どこか投げやりにそう言い、シルビオはマリアの髪に顔を埋める。気まぐれにマリアの髪を弄ぶ手に自らの手を重ね、マリアもいっそうシルビオにすり寄った。
「そんな悲しいこと言っちゃだめよ。セシリオはあなたのことが大好きなんだから。自慢のパパが、弱音なんか吐いてちゃ幻滅されるわよ」
シルビオがわずかに笑った。
再び部屋を沈黙が包み、マリアもしばらく黙りこんでいた。言いたいことは色々あるのだが、なぜかそれが言葉にならなくて……考えがまとまらず、何が言いたいのかマリアにも自分の気持ちがよくわからないままで……。
「……もう少し大きくなったら、あいつをキシリアへ連れて行っていいか」
シルビオが、静かに切り出す。
一瞬言葉に詰まり、連れていくのはいいけれど、と我ながら歯切れの悪い返事をしてしまう。
「あの子にキシリアを見せてあげたいのは私も一緒よ。それに、いずれキシリアで暮らしたいと言うのなら、それもいいと思ってるわ。でも、あなたが結婚して……奥様のことを考えると……」
「妻には会わせないようにする。さすがの俺も、それぐらいの配慮はするさ」
「それなら……」
愛人の自分がシルビオの正妻から憎まれるのは当然だ。けれど、それが我が子に向かうのは辛い。
よりにもよって男の子では、いずれ避けて通れない時が来てしまうだろうが。
「後悔しているか?俺の子を生んだこと――」
「シルビオ。次にその台詞を口にしてごらんなさい。使い物にならないようにしてやるわよ」
マリアが笑いながら言えば、シルビオも苦笑いする。
全部、マリアが自分で決めたこと。自らのエゴを押し通して、子どもたちを生んだ――母親の業を背負って生まれてくることになった子どもたち。きっと、あの子たちの生きる道は平坦なものではないだろう。
だから、後悔しているなんてマリアは口にしない。それは絶対に許されない――。
「……セシリオもきっと、キシリアを好きになるわ」
「当たり前だろう。エンジェリクよりもキシリアがいいと、すぐ帰りたくなくなる」
キシリア――マリアの生まれ故郷。
黄金の太陽に照らされ、広大な大地を熱い風が吹き抜ける大国。
もう帰らないと心に決めた愛しい故郷。時々あの国で暮らしていた頃の夢を見て……目を覚まして、切なさに胸を締め付けられることがある。
「セシリオたちは、いつか私よりキシリアを選んだりするのかしら。それは妬けちゃうわね」
「せいぜいヤキモキしてろ。おまえが堪らなくなってキシリアへ帰りたがるよう、息子と一緒に煽ってやる」




