誑かされた男 (1)
エンジェリク王妃がセイランへやって来たということは、彼女をセイランまで護衛してきた人間もいるわけで。
――それが誰かなんて、考える必要もなかった。
「久しぶりだな、マリア。元気そうな顔が見れて嬉しいぞ――と、言いたいところだが」
陽気な笑顔でマリアとの再会を喜びつつも、ライオネル・ウォルトン王国騎士団団長はため息を吐く。
「やっぱり僕の心配したとおりになったじゃないか。ベナトリアでもセイランでも君のファンを増やしてきて。ベナトリア王はヒューバート陛下に君との結婚を申し出てきたし、セイランの太師も君にメロメロとの話じゃないか。ランベール・デュナンまで誑かしたんだって?」
ウォルトン団長の恨み言も、ほほ、と涼しい笑顔で受け流す。
マリアだって、まさかそんなファンを増やすことになるとは思わなかったのだ。たしかにセイランではあれこれする予定ではあったけれど、ベナトリアはちょっと通り過ぎるだけのつもりで。デュナン将軍なんか、出会う可能性すら想定していなかった。
「レオン様ったら。私と久しぶりに会えたというのに、他の人の話ばかりするなんて」
「そんな可愛いことを言っても誤魔化されないぞ」
そう言いながらも、ウォルトン団長は優しくマリアを抱きしめた。
彼に会えたのは、マリアもとても嬉しかった。妹のオフェリアに会えたのももちろん嬉しいが、親しい人たちと直接顔を合わせて話ができるのはとてもありがたい。
こまめに手紙のやり取りはしていたが、手紙ではどうしても時間がかかり過ぎて、分からないこともたくさんある。実際、オフェリアがセイランに来ていたことなんて、マリアはまったく知らなかったし。
「お会いできて嬉しいですわ。エンジェリクは、変わりなく平和ですか?皆様、お元気にしていらっしゃいますか?パーシーは……もう、歩けるようになった頃でしょうか」
ウォルトン団長との間に生まれたマリアの息子。最後に別れた時、あの子はまだ自分で立ち上がるのも不安定な状態だった。
あれからどれぐらい成長したのか――それを自分の目で見られないことが、どれほど辛いことか。
「パーシーなら元気にしているぞ。僕の息子にしてはちょっと小柄だが、騎士としての素質はありそうだ。剣のおもちゃをプレゼントしたら、ずいぶん気に入ったようでな。僕の真似をして、ご機嫌で素振りのようなことをしている」
マリアは自然と顔がほころんだ。
マリアの記憶にあるパーシーはまだ赤ん坊なのだが、小さなあの子が、大きな父親の隣でぶんぶんとおもちゃの剣を振り回している姿を想像すると、可愛らしくて。
「パーシーだけじゃなく、君の子どもたちはみんな元気だ。すくすくと成長して……ニコラスとアイリーンは完全に父親似だな。感情がないわけじゃないのに、二人そろってポーカーフェイスなのは爆笑ものだ。スカーレットは、君に似て美人に育ってきている。リリアンも、両親の良いところだけを受け継いで、可愛らしいレディになりつつあるぞ」
ウォルトン団長が満面の笑みで話す相手が娘のことばかりで、マリアは苦笑いだ。
「セシリオとローレンスには、僕もなかなか会えなくなったんだよ。セシリオは迎えに来た父親と共にキシリアに行ってしまったし、ローレンスのほうは――ブレイクリー提督は王都に待機命令が出てるはずなんだがな。自分の船を出して、しょっちゅう海に出ているらしい。ローレンスも連れて」
「子どもたちが、それぞれの父親に可愛がってもらえているのなら安心しました。それで……私の戸籍上の夫は、どうなっておりますか」
気が進まないが、聞かないわけにもいかない。
厄介な親族を持つ、マリアの夫のこと。エンジェリクを離れて唯一良かったことと言えば、夫と関わる必要が一切なくなったことだ。エンジェリクに戻ったら、嫌でもあれの対応をすることになる……。
「拍子抜けするぐらい、何の話も聞こえてこない。オルディス領に引っ込み、そこで遊び惚けているらしい。だから王都のほうは平和だ。オルディスのご領主殿は胃が痛いことだろうが」
「おじ様には大変申し訳のないことですわ。私のごくつぶしな夫を養うために、いらぬ苦労をかけてしまって」
オルディス領の領主は、マリアの愛人の一人だ。愛人に夫の世話をさせるとは……なんとも滑稽な状況である。しかもその夫は、オルディスの金に寄生して……。
不意に、マリアは笑った。
マリアの愛人でもあるオルディス領主は、その昔、妻からオルディス家の金に寄生するごくつぶしと罵られ、軽んじられていた。妻は愛人を作り、その男との間に子供まで……徹底して夫を馬鹿にし――そんな伯母から、おじを寝取ったのがマリアだ。
そのマリアが、今度は愛人との間に子供を作り、夫を毛嫌いして……何とも因果な話だ。
「ひとまず平和ということは、クロフト候がしっかりとオーシャン側の人間を抑え込んでくれているということでしょうか」
「そのへんの話はジェラルドの担当だな。僕はざっくりとしか知らないが、君の言うようにクロフト候が目を光らせてはいるようだ。あまり大っぴらにはできん趣味だからな。余所者に勝手な真似をされると、自分たちまで危うくなる――それぐらいのことは心得ているだろう。金と力は有り余っている連中だけに、出し抜くのはそう簡単なことではない」
「でもその抑えも、いつまで効くか……。暇を持て余した人間の遊びですから、退屈が極まれば、刺激を求める気持ちのほうが強くなるかもしれません」
ドレイク卿にも、しっかり見張っておいてもらわないと。いまは彼も、宰相となって忙しいだろうに……。
「ジェラルド様と言えば。お父様のこと……お手紙を受け取りました。ヒューバート陛下やオフェリアからも聞きましたし……」
「……そうか」
ドレイク卿の父親ニコラス・フォレスター宰相。彼の訃報を、マリアはセイランで聞いた。
訃報が届く前に、彼の夢を見て……目が覚めた時、すごく不思議な夢だったことだけは覚えていた。それから、無性にドレイク卿に会いたくなった。訃報を聞いて、彼のそばにいてあげられないことをとても悔しく感じた。
「あんな男だからな。父親が亡くなっても、変わらず仕事をしていた。ま、気持ちは分かるがな。僕も自分の父親の訃報を聞いた時には、仕事に打ち込んだものだ。しめっぽくなってるのは性に合わん……」
「陛下がこぼしていました。ジェラルド様が葬儀に集中できるよう、いっそう厳しく仕事をするよう追い詰められたと」
ドレイク卿の仕事の鬼っぷりを知っているマリアとしては、それぐらいで音を上げているヒューバート王は軟弱すぎだ。ドレイク卿はあれで、王をかなり甘やかしているのだから。
ウォルトン団長と話し込んでいたマリアのもとに、ドカドカとシオン太師が走り込んでくる。
「マリア!どこに行ったのかと思えば、このようなところで男と逢引など!」
「おー、太師殿!あなたをお待ちしておりましたよ!」
マリアに駆け寄ってくる太師の前に、ウォルトン団長が親しげに割り込んできた。
あら、とマリアは目を瞬かせた。
「マリアを呼べば、あなたが必ずやって来ると思いましてね。それで、わざわざ彼女にご足労をお願いしたんです。いやぁ、会えてよかった」
なるほど、それで。
ウォルトン団長が女性を呼び出すなんて、珍しいこともあるものだ――彼からの呼び出しのメッセージを受け取ったとき、マリアはそう思った。彼は、自分から女性に迎えに行くタイプだ。しかもマリアは妊娠中。
それなのに……と首を傾げたのだが、マリアを呼び出せば必ずついてくる彼のほうが目当てだったわけだ。
「勇名で名高いあなたと、ぜひ手合わせして頂きたい。都に来るまでの、あなたの武勇伝を耳にしました」
「レオン様……ウォルトン団長は、武勇に優れた騎士なのです。エンジェリクでも、彼と並ぶ実力者は少ないほうで」
ウォルトン団長は、シオン太師と戦ってみたかったのだろう。エンジェリクでは、もう彼と同等以上に戦える相手が少なくなってしまったから。
どっちが勝つのかしら、なんてことをこっそり考えていたら、シオン太師に睨まれてしまった。
「……良いだろう。ただし、手加減はせんぞ!」
なんかやる気まんまんで、シオン太師はウォルトン団長との手合わせに行ってしまった。
マリアが、団長と太師、どちらが強いかしらなんて考えたりするから、とウォルトン団長に苦笑いされてしまった。解せぬ。
オフェリアたちは、一週間と滞在せずエンジェリクへ帰ることになってしまった。先にセイランへ来ていたヒューバート王はそこそこの滞在期間となったが――王と王妃が、長く国を空けているわけにもいかない。
エステルを一人で留守番させちゃってるから、と話すオフェリアは、母親の顔をしていた。
姉と離れるのは寂しいけれど、幼い娘が優先なのだ……オフェリアにとっては。その選択を……妹の成長と変化を、マリアはとても誇らしく感じた。
ヒューバート王も、国を空ける不安と、幼い娘の心配と……帰ったときにドレイク卿に睨まれる恐怖に急かされ、帰国を決めた。
「オフェリア様。お名残りは尽きませんが……お会いできて、とても嬉しかったです。道中の無事を、心よりお祈りしております」
見送りには、皇帝だけでなく皇后も来ていた。
特に皇后シャンタンは、王を妻に持つ者同士、オフェリアと話ができたことを喜んでいた。メイレンの死で落ち込んでいた心も、少し浮上したようで……。
オフェリアとの対面の中で、后として彼女の心を定めるものもあったそうだ。そればかりは、マリアではできないこと――異国の王妃オフェリアだからできたこと。
「シャンタン様も、お元気で。もう会うことはできないかもしれないけど……私、一生忘れない。グーラン様と、お幸せにね」
オフェリアはぎゅっと皇后を抱きしめる――皇后を含め、周りはざわついた。もとは市井の娘とはいえ、皇后に軽々しく触れていいわけがない。触れる姿を見せていいわけもない……なのに、オフェリアはそういうことを軽々やってのけてしまうから、みんな戸惑っている。
マリアはクスリと笑った。
時には、妹の考えなしな大胆さは強みになる。
抱きしめられて、皇后シャンタンは一瞬戸惑い……ぎゅっと、自分もオフェリアを抱きしめ返した。市井にいた頃は、こうやって人と触れ合うのもすごく簡単なことだったのに……皇后になって、そんなぬくもりからはすっかり遠ざかってしまって……。
「お姉様も。早くエンジェリクに帰ってきてね。でも無茶はしちゃだめだからね。しっかりお休みして、ちゃんと元気になってから帰って来るのよ」
子どもに言い聞かせる母親のような口調で言うものだから、マリアは苦笑いだ。周りまでオフェリアに同意するように頷くのだから……まったく、マリアをなんだと思っているのやら。
……前科は、挙げるとキリがないぐらいあるけど。




