道の先 (3)
手がかりもなく闇雲に動くぐらいなら、マサパンに頼ったほうがいいのではないか――当てもない探索にうんざりしたマリアがそう進言し、ノアもそれに同意した。
チャールズはかなりうさんくさそうな顔をしたが、行き詰っていたのは事実……何か打開策となるような……きっかけが得られるなら、と了承した。
クンクン、と何かを熱心に嗅ぎ回るマサパンの指示に従い、一行は進む。マサパンはマオにおぶさったまま、忙しなくきょろきょろとしていた。
やはり付き合いが長くなったからだろうか。マリアやノアは、何となくマサパンの異変に気付きやすくて。
ありふれた茂みの前でノアが立ち止まり、手を突っ込んだ。ノアがわずかに表情を変え、腕にぐっと力を込める。茂みはガサリと引きはがされ、入り口のようなものが姿を現した。
「まるで山賊たちのアジトのよう」
マリアは素直な感想をもらし、まったくだ、とチャールズが同意する。
そこは、山賊たちのアジトよりもずっと人工的な場所だった。もとは自然に作られた洞穴だったのだろうが、かなり人の手が加えられている。
……囚人を、逃がさないために。
不快な臭いに、マサパンはいやそうな顔をしていた。
警戒にあたるマオの背中から降りたため、マサパンは後ろ足を引きずりながらゆっくりと歩いている。マリアはそんなマサパンに付き添い、チャールズたちは広い洞穴の中を捜索していた。
「いかにも、な場所ですが、これは外れでしょうか」
洞穴には、誰もいない。マサパンもまったく警戒する様子がないし。
明らかに、少し前まで誰かがいた様子はあるのだが……それも、一、二時間前とかではないだろう。数日は、誰もここを利用していないような。
「外れというより、一足遅かったというのがより正確だろう。恐らく、俺が姿を現したことで用済みになったんだ。二人ともすでに始末されたか……これからされるのか」
言いながら、チャールズは考え込んでいるようだった。洞穴の捜索は、特に収穫なく終わった。
洞穴を出て、ノアが周囲をうかがう。
「彼女の示す方向を追っていて気付いたのですが、先ほどから、あの花が必ず咲いていますね。距離を開けて――視界から消えてしまわない程度の間隔に、必ず」
「あの白い花か?」
ノアが指す白い花を、みんなが見た。
花が咲いているのは、特に珍しいことでもない。いまは開花の季節だし、山には他にも様々な花が咲いていた。花を研究しているヒューバート王だったら、嬉々として解説してくれただろうか。
「あれはホオズキね」
マリアは花に詳しくないが、あの花については知識があった。
「堕胎薬として有名だから、私は絶対に食べないようにってヒューバート陛下がものすごく熱意を込めて説明してくださったの」
よく妊娠しているマリアには、毒よりも恐ろしいものだから絶対ダメ、研究に利用するのも禁止と言い渡され、ヒューバート王はマリアが持ち帰らないように自分が育てていたホオズキまでどこかに隠してしまって……そこまでされると、かえって興味がわいた。食用のホオズキもあるらしいし。
こっそり研究しようかな、なんて思ったら、妹のオフェリアや侍女のナタリアに猛烈な勢いで怒られてしまった。別に自分で食べるつもりはないのに。
「ホオズキの花が、常に一定の距離に――やはり、偶然ではないだろうな」
ホオズキの花を追って再び移動となったが、翌日には足が止まることになった。
夜明けから雨が降り、次第に激しくなっていって……チャールズたちならまだしも、自分を連れていては動けないのだろうな、とマリアは思った。退屈そうにしているマサパンの背中にもたれかかり、マリアはぼんやりと雨を眺める。
雨をしのぐための洞穴の中で一日を過ごし、その翌日も雨は続いた。昼過ぎには小雨になっていたが、チャールズは一つの決意をしていた。
「おまえたちを、町へ送り返す」
マリアを見据え、チャールズがはっきりと告げる。
チャールズと離れるわけにはいかない――そう言って反対できる立場にないことは、マリアも痛感していた。
「もう生きているかどうかも怪しい……むしろ、すでに始末されている可能性の高い人間を探すために、おまえたちを連れ回すことはできない。おまえが、どうしても俺を逃がしたくないと思うのは分かるが」
マリアは沈黙し、彼の台詞に反応しなかった。
やはり、気付いているか……。マリアが、チャールズと離れたくない理由も、その目的も。
ひとつの決意をしてセイランへやって来たのだ――チャールズに、今度こそとどめを刺すと。彼を生かしてはおけない……逃がしてはいけなかったのに、まんまと逃げられてしまった。だから、今度こそ――。
「俺は俺で、おまえを死なせたくないと思ってる。そっちはどうなんだ」
チャールズが、今度はノアを見る。ノアはポーカーフェイスのまま、その内心をまったく表に出すことなくチャールズの視線を受けた。
「俺を殺すことは、主人の身を危険にさらしてまでやるべきことなのか?俺とマオ――二対一で、隙が存在するはずないと分かっていても、それでも俺たちについて来たいか?」
ノアがずっと、チャールズを仕留める機会をうかがっていたことはマリアも知っていた。そうしないと、いつまでもマリアが諦めず、彼について行こうとするから。けれど、マオがいてはそれも叶わない。
マサパンが身軽に動ければ多少の無茶も押し通せたが、マサパンも負傷してしまって……下手に襲えば、返り討ちに遭う。ノアはもちろん、マリアにまで危害が及ぶかもしれない。そんなリスクを冒してまで、ノアが動くことはできなかった。
「……決まりだな」
マリアとノアの沈黙を、チャールズは賛成と受け取ったようだ。
事実、賛成したくはないけれど、反対できないのも間違いなかった。
「明日、改めて出発だ。町へ戻る――それで、おまえとはお別れだな。今度こそ」
そう言ったチャールズは、少し寂しそうな笑顔を浮かべていた。
来た道を引き返し、町へ降りる。
そう決まったものの、それも容易なことではなかった。山を歩いて結構な距離を進んできたし、大雨のせいで足元もずいぶん不安定になっていて、地面から飛び出た岩や倒れた木を飛び越える時、ひやりとする瞬間がたびたび――雨で濡れて、滑りやすくなっている。
それに、警戒はいっそう強まった。来た道を引き返すということは、もしかしたら、チャールズを追っている刑部尚書の手下たちと出くわす可能性も……。
「少し、待っていただけますか」
黙々と歩いていたノアが、突然言った。チャールズとマオが振り返り、ノアは、マオに背負われているマサパンに近づく。
「何やら彼女が落ち着かない様子で。どうかしましたか」
マオの背中で、マサパンがどこかそわそわとしている。マサパンの反応の重要さは、チャールズたちもすでによく理解していた。
一度、彼女を下ろしてみましょう――そんなノアの提案を、彼らはあっさり受け入れた。
後ろ足をひょこひょこさせながら、マサパンが歩き出す。一、二メートル先に進んだところで立ち止まり、地面を嗅ぎ回ってうろうろする。
マリアはそれに近づき、かがんで、熱心に何かを探ろうとするマサパンの背中を撫でた。
「どうしたの。何が気になるの?」
マリアがハッと気づいた時。
ノアはすでに剣を抜き、マオに斬りかかっていた。マオもそれに抵抗して、自分の剣を抜いていて――二人から少し遅れてチャールズも剣を構えた。マオを助けようとノアに飛び掛かろうとして……。
白金の光が反射し、マリアが瞬きをしている間にチャールズも襲われていた――彼を攻撃しているのは、エンジェリクの王……。
「ヒューバート陛下……!?」
マリアは目を丸くし、マサパンと共に彼らの戦いを傍観するしかできなかった。
チャールズを助けたいのか、マオはノアの攻撃をしのぎながら彼らを見ている……しかし、マオのほうにも乱入者が。
ヒューバート王の従者でもあり、騎士のマルセルだ。彼の実力も、ノアと同等以上。二人を相手にして、チャールズを助太刀できるほどの余裕はマオにもなかった。
ヒューバート王とチャールズは……。
チャールズも、何度も修羅場を生き抜き、力を身に着けてきたのだろう。剣を振るう姿をまともに見たのはこれが初めてだったが、戦い慣れている、という様子で。
でもヒューバート王の実戦経験値も、チャールズに劣ってはいない。
昔から白馬の王子様のような風貌で、いまもそれは変わらぬ優男――だが、彼は軍人王なのだ。十代の頃からずっと戦場に立ち続けてきた……馬と弓の腕前はチャールズのほうが上だが、一対一の戦いはヒューバート王のほうが慣れている。
マリアには、そう見えた。
「思っていたより強くて驚いている」
昔馴染みに話しかけるように、ヒューバート王が気楽に話す。
けれどその表情は冷酷そのもので、視線は鋭くチャールズを捕え……一分の隙も情も感じさせることなく、敵を見据えていた。
「僕が知っている君は、自分で剣を握ることもできずに部屋の片隅で泣いているような青年だった。スティーブ・ガードナーに迫られた時、マリアのドレスに隠れたとか――いまの姿からは想像もできないな」
「人の黒歴史をペラペラと」
チャールズは苦笑いで応える。
……息を乱し、ヒューバート王に圧されながら。
「生き残るため、俺も必死になったんだ。ある意味では、おまえのおかげかもな」
「そうか――僕にも憶えのある感覚だ。それだけに……やはり君は生かしておけない」
生きるため、必死になって強くなった。それはヒューバート王も同じ。
そして強くなって、譲れないもののため――オフェリアのために、容赦なく始末してきた。だからチャールズの脅威は見逃せない。自分がやって来たことを、チャールズも、いつか……もしかしたら……。
つばぜり合いになっていた剣を、チャールズが柄を握りなおして弾く。しかしヒューバート王の反応は素早かった。
剣を持つチャールズの手を狙って足蹴にし、体勢を崩したところを拳で殴り飛ばす。
顔をもろに殴られたチャールズはよろめいて膝をつき、頭上から振り下ろされる剣をとっさに防いだ――再びつばぜり合いとなったが、上から体重を乗せているヒューバート王のほうが有利だ。
ヒューバート王と、チャールズ――身長や体格は、わずかにチャールズのほうが上だった。その不利さを、ヒューバート王は技術でねじ伏せた――やっぱり、近距離で戦うならヒューバート王のほうが強い。
「ちっ……!」
息をひそめて事の成り行きを見守っていたマリアには、チャールズの舌打ちが聞こえたような気がした。
チャールズはつばぜり合いとなった剣を受け流し、体勢が完全に崩れて倒れ込んだ。瞬時にもう一度振り下ろしてくるヒューバート王の剣を横に転がって避け、倒れ込んだまま、何かをヒューバート王に向かって投げつけた。
――途端、周囲を煙が包み、マリアは息ができなくなった。
襲いくる刺激に、目も開けられない状態で……息を吸うたび、煙を吸うたびに痛みが激増し、激しく咳き込む。
痛みに悶えるマリアの腕を、誰かが強く引っ張る。無理やり立たせて、走らせて。ほとんど引きずられながら、マリアは走った。
わずかな視界の端――自分のすぐそばで、マオが転倒するのが見えた。彼の足には、剣が刺さっている……。
「……くそっ。なんで俺は、おまえを連れてきたんだ。マオを見捨ててまで」
川の水で顔を洗い、目や喉の痛みを洗い流すマリアの横で、彼が呟いた。
ようやく痛みが治まって目が開けられるようになった時、目の前にチャールズの顔があった。苦しそうにマリアをじっと見つめ……マリアの顔に、手を伸ばす。
「あいつに取られると思ったら……つい……」
マリアは何も言わず、チャールズを見つめ返した。
こうしてマリアは、チャールズと再び行動を共にすることになった。ノアからもマサパンからも引き離され、たった二人きりで。




