道の先 (2)
マリアの着替えを手伝っていたノアは、最後にもう一度着衣の乱れがないかを確認した後、部屋の外にいるマオに向かって声をかけた。
「終わりました。もう入っていただいて問題ありません」
マオが、そろそろと部屋に入って来る。そんなマオを見て、チャールズが笑った。
「おまえ、意外と純情なやつだったんだな。まさかマリアが服を着てないこと気にして、入って来れなくなるとは思わなかった」
からかうようにチャールズが言えば、マオが恨みがましそうに彼を睨む。
マオとノアが戻ってきたとき、部屋の中の……そういう雰囲気を察して、マオは入れなくなり、部屋の前で立ち尽くしていたそうだ。ノアが構わず入ろうとするのを止めて、おろおろしていたとか。
気にしなくていいのに、とマリアは思ったのだが、気にするのは彼のほうなのだから、服をちゃんと着てください、とノアにお説教されてしまった。
「チャールズ様は何をされていらっしゃるのです?荷物をまとめているように見えますが」
「荷物をまとめているんだ。大した物は持っていないが、もうここへは戻ってこないからな」
こともなげに話すチャールズに、マリアは目を瞬かせる。
「拠点にするには便利だから少し惜しいが、おまえに危害を加えた以上、ここにはいられない。一応確認するが、おまえたち、町へ戻るつもりはないんだろう?」
マリアは頷いた。
ようやく見つけ出したチャールズを、ここで見失うわけにはいかない。彼をどうするつもりなのか、自分でもまだ結論は出ていないけれど……。
「なら、一緒に来い。ここにいるより安全だ、とは言えないが、おまえが危ない目に遭っていることにも気づかないままでいるのは御免だからな」
チャールズは、このアジトを去ることに何の迷いもないらしい。
彼の目的が何かは分からないけれど、マリアもここにこだわる理由はない。チャールズと一緒に出て行く……のは構わないが、マサパンが。
マリアの不安を察したように、マオがマサパンを背負っていた。大型犬のマサパンを背負うのは楽ではない――かなりの重量があるはずだが、マオはそんな重さを感じさせることなく、平然としていた。
「朝を待ったほうが良いのでは」
マサパンを背負っているマオをフォローしながら、ノアが言った。マリアも、それには同意だった。暗いと危険だ。ただでさえ自分みたいな足手まといがいて、マサパンも負傷して動けなくなっているのに。
「外に出て日が昇るのを待つ。落ち着けそうな場所は他にも心当たりがある――さすがにここほど快適ではないが。日が昇って連中が動き出してからだと、離れにくくなる。詮索されるだろうし……すんなり行かせてくれるかどうか」
山賊たちが寝ている間に、さっさとアジトを出てしまった方がいい。その言い分には一理ある。
マリアは、大人しくチャールズについて行った。自分にできることは、彼らの足手まといにならないよう、大人しく従うことだけだ。
楽しく酒を飲みかわす声と、派手ないびき以外、洞窟内は平和だった。誰も周囲に気を配る様子もなく、静かに外へ出ようとするマリアたちに気付くことも――。
「……待て」
小さな声でチャールズが言い、マリアの腕を引っ張って洞穴に身体を潜り込ませた。マサパンを背負ったマオも別の洞穴に隠れ、ノアも同様にして身を隠す。
そこは、広く開けた分岐点だった。いくつも入り口があり……そのほとんどは、すぐに行き止まりとなっているただの洞穴。奥へ通じているのはひとつだけ。どれが正解なのかは山賊たちしか知らない。
そんな場所に、明らかに山賊ではない男たちがやって来る。
狭い洞穴内、マリアはチャールズにぴったりくっついて……チャールズも、マリアをかばうように抱きしめた。
彼らが何者なのかは、すぐに分かった。特徴的なその服は、誰でも気軽に着用できるものではない。あれは、刑部に所属する役人しか着ることを許されていないはず。
役人たちは、山賊を連れていた。かなり痛めつけられたらしく、しっかり縄で縛られて。恐らく、見張りに出ていた山賊だ。役人に捕まって、降伏して……仲間の居所を白状している……。
チャールズたちは臨戦態勢を解かないまま、息をひそめていた。役人たちが通り過ぎたのを確認すると、洞窟内を急ぎ足で移動する。チャールズに手を引っ張られながら、マリアはアジト奥深くへ向かった役人たちのことを考えた。
「あれは、刑部尚書の追手だったのでしょうか」
「たぶんそうだろうな。完全に撒いたつもりだったが、やはり気付かれたか。利用していた俺がこんなことを言えた義理ではないが、彼らも清廉潔白な人間じゃない。悪いが、見捨てさせてもらう」
マリアたちが来なければ、彼らも無事でいられただろう。でもチャールズの言う通り、同情する義理もない。
外にも、まだ刑部の役人はいた。全員で四人。彼らは任務に熱心なほうではないようで、全員警戒を怠っていた。三人は、何やらゲームのようなものに耽っていて、一人は隅で居眠りを……。
「右の三人は俺とマオが。左のやつは任せる」
チャールズの指示に、ノアが無言で頷く。マオの背中から静かに降ろされたマサパンと共に、マリアは三人を応援する係だ。
夜闇に紛れて無警戒な人間を襲うのは、さほど困難な作業でもなかった。何が起きたのかはマリアにもよく見えなかったが、三人は素早く行動し、見張りを倒した。
チャールズが隠れているマリアに合図を出しているのを確認して、マリアは駆け寄った。マサパンもよろよろと近付き、再びマオにおぶさる。
洞窟の中も騒がしくなったような気がするが、誰も振り返ることなく、その場をあとにした。
暗い中を歩くのは自殺行為――そんなチャールズの忠告を、マリアは心の底から実感していた。足元がよく見えない状態で、あの急勾配な坂道を下りるのは本当に肝が冷えた。
「馬を連れていけなくなったのは痛いな。探す場所も残り少なくなってきたとはいえ、まだかなりの範囲が残っているのに」
馬の隠し場所も、もうとっくに見つかっているだろう。だから、馬は取りに行けない。チャールズはそのことを非常に残念がっていた。マリアも、馬なしはだいぶ不安があった。
その夜は、チャールズたちがあらかじめ見つけてあった小さな洞穴で過ごし、日が登ってから改めて移動を始めた。
「チャールズ様は、いったい何を探していらっしゃるのですか?」
移動する彼について歩きながら、マリアが尋ねる。
彼らは、何かを探しているようだった。地図を広げ、残りの場所を確認している。地図には、調べ終わった場所にしっかりと印がつけられていた。
「華煉時代の知り合いだ。華煉が解散した後、仲間たちはそれぞれの場所へ散って行った。外国に逃げた者もいるし、人里離れたへき地でひっそりと暮らし始めた者もいる。どこへ行くべきか分からない者もいて……俺は、彼らが全員、自分たちの新たな居場所を見つけられるよう手伝いをしてきた。マオもその一人だ。物心つく前から華煉にいたから、華煉がなくなった後、自分の居場所を見失って……それでなんでか、俺と一緒に居たがって」
マオとは、エンジェリクにいた頃から面識がある。と言っても、ちらりと顔を合わせた程度だが。
チャールズがエンジェリクから逃げ出す時に、彼を手助けしていたセイラン人。華煉の人間だと説明していた。組織が解散したというのにどうしていまもチャールズと一緒にいるのかは謎だったが、そういう事情があったのか。
「……中には、復讐を選んだ者もいる。刑部尚書は、もはや華煉の一員と言ってもいいぐらいに組織とズブズブの状態でな。黒幕の一人だった。だから、彼を恨んでいる者同士集まって」
「残りの人生を復讐に捧げたと。そして返り討ちにあった」
チャールズの話しぶりから、彼らの結末をマリアは察した。だからチャールズは探しに来た。かつての仲間を見捨てられなかった――刑部尚書が仕掛けた罠だと分かっていても。
「恐らく。三ヶ月ほど前に、処刑されているのを見つけて――復讐を選んで、彼らは五人でチームを組んでいた。最初の一人がそれで……ごくありきたりな犯罪者として処刑されていたが、俺を誘き出すための撒き餌だということはすぐに分かった。先月までに、他にも二人ほど同様に。俺の推測が正しければ、まだあと二人生き残っているはずだ」
「それで刑部尚書の懐を探っていて、こんな場所まで」
「俺を誘き出しつつ、人質を隠すにはうってつけの場所だろ。広くて死角だらけの刑部尚書の私有地。あの山賊たちも、そういうところに目を付けて、ここをねぐらにしてたんだ。こんな場所に、まさかならず者が隠れ住んでるなんて誰も思わないから……灯台下暗しだな」
たしかに、何かを隠すのには最高の場所だろう。
……とても、探し物が見つかる気がしない。
チャールズが山賊たちのアジトを拠点にした理由がよく分かった。たった二人で、こんな場所を隈なく探そうと思ったら、長期戦を覚悟しないと。
「……華煉と繋がっていた貴族は、他にもいるのでしょうか」
「宮廷にいて華煉と無関係だったやつのほうが少ないだろ。それこそ、人生の大半を外敵と戦うために地方に出ていたシオン太師とか、幼い内に宮廷を出されたいまの皇帝とか、それぐらいじゃないか」
マリアの質問に、チャールズはそう答えた。
「フーディエ夫人は、華煉のことを……?」
「知っていただろう。当然。父親と兄が華煉を潰すことに生涯を賭けていたような男たちだったのに、夫人が知らないはずがない。しかも彼女の夫は……前夫のほうか。前の丞相は、華煉の上得意客だったらしいぞ。丞相の地位を手に入れるため――丞相の地位を守るため、華煉に出した依頼は百を超えてたとかなんとか」
「前夫」
「ああ。二番目の夫はかなり若いから、華煉との繋がりも希薄なほうだろう。五年前のいざこざで、総入れ替えの勢いで宮廷内の人事は変わったからな。夫人がすでにかなりの力を持っていたから、二番目の夫は妻の後ろ盾があれば十分だし」
シオン太師やグーラン皇帝は、華煉のことをほとんど知らなかった。たぶん、それは正しい。あの二人には、そういった後ろめたいものを抱え込んでいる闇を感じられない。
けれど、フーディエ夫人は……。
「皇帝は、華煉を潰したがっていたのですよね。なのに、娘を……妹を、華煉を強く支持している男と結婚させただなんて」
「そのへんは、俺もよく分からないな。俺がセイランへ来るよりずっと前のことだから……先代の皇帝すら、俺が来た時には寝たきりの状態で。どんな人間だったのか、俺は彼らのことをほとんど知らない」




