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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その悪名伝~  作者: 星見だいふく
第一部01 傾国が課せられたもの
8/234

それぞれ (2)


エンジェリク海軍の大きな船が寄港し、港町はちょっとした騒ぎになっていた。マリアはそれを、一番下の息子ローレンスを連れて見に来ていた。


ローレンスは大きな船と、その船から降りて来た男を大興奮で見つめ、謎の奇声を発している。


「マリア!ローレンス!」


梯子を降ろすのを待つのももどかしいのか、船から垂らされたロープを使ってオーウェン・ブレイクリー海軍提督が地上へとやってくる。大柄な彼は人混みも楽々掻き分け、一目散でマリアたちに駆け寄ってきた。


「無事に帰ってきてくださって、とても嬉しいですわ。ローレンスも、お父様に会えてこんなに嬉しそうで……」


マリアの言葉は、途中で遮られてしまった。提督に熱烈に抱き締められ、何度もキスされ……さすがのローレンスも、父親のべったり具合に辟易して、抗議の声を上げている。


「すまん、すまん。会えんで寂しかったからつい。堪忍な」


いやいやと顔をしかめる息子に、提督は笑いながら平謝りだ。それでもやっぱり、久しぶりに会えた父親に嬉しそう――前に会った時からそれなりに期間が空いたはずなのだが、ローレンスはちゃんと父親の顔を覚えていたらしい。子どもの記憶力も侮れない、とマリアも感心してしまった。


「おーい、坊ちゃん!」

「提督!ご家族に会いたいのは分かりますけど、まだ職務時間中ですよー!」


提督の副官である双子のジョンとベンが、こちらへやって来る。勝手に職場放棄をした提督に注意しに来たようだが、ローレンスを見てどうでもよくなったらしい。ブレイクリー提督の腕から見事にローレンスを強奪してあやしている。


「坊ちゃん、前に会った時より大きくなりましたね!」

「てか、大き過ぎじゃないッスか?まだ一歳だったはずッスよね」


ローレンスは、父親に似たのか年齢よりも体が大きい。同い年だった頃の兄たちはもちろん――すでに、一つ上のセシリオよりも大きいぐらいだ。

そんなローレンスも、提督に抱っこされるとちっちゃくて可愛らしい赤ん坊に見えるが。


「オーウェン様。今回はこのままオルディスへ来られますか?」

「いや。二、三日泊まって補給が済んだら王都へ帰還や。ヒューバート王に挨拶せんわけにいかんからな」


ということは、ローレンスが父親にたっぷり構ってもらえるのも半月ぐらいは先になることに……ちょっと寂しいが、それでも海の上にいるよりはずっと、父親に会いやすい。

マリアは微笑み、オルディスでお待ちしております、と答えた。


「早めに会いに行く。ああ、それとな。キシリアからあんたに客を運んできたで」

「お客様。いったいどなたが……」


言いかけて、マリアは目を丸くした。視界に、相変わらず黒い衣装を着たがる男の姿を捉えて……なんで彼がここに。




「よう、セシリオ。ちゃんと父親の顔を覚えていたか。感心だな」


マリアと一緒に屋敷に帰って来たシルビオを見て、セシリオは大喜びだった。父親に飛びつき、そのままひょいと肩に乗せられる。

クリスティアンやスカーレットと違い、父親が外国で暮らしているセシリオは、なかなか父と会うことができない。今回はブレイクリー提督が帰港してきたことで、兄弟で父親に会えないのはセシリオ一人だけになるはずだった……。


父親に会えて喜ぶ息子の笑顔を見ていると、シルビオが来てくれてマリアもとても嬉しく思う。

……思うけど、彼は新婚のはずで。

新妻を放ったらかしにして愛人とその息子に会いに来たのだとしたら、のんきに喜んでいる場合ではない。


「シルビオ。どうしてエンジェリクに?キシリアやロランド様に何かあった?」

「いや。相変わらずオレゴンとの小競り合いは続いているが、キシリアも王も平和なものだ。おまえそっくりの娘が生まれたと聞いて、それを見に来ただけだ」


マリアの問いかけに、シルビオはあっけらかんとした様子で答える。

気まぐれにマリアたちに会いに来ること――いままでも、たびたびあった。けれど今回ばかりは、事情が違ってくる……。


「なんだ、前触れの手紙を寄越さなかったことを怒ってるのか?悪かった。いつも書こうと思ってはいるんだが、船に乗ってから思い出すんだ」

「別にそれは期待してないわ。いえ、できればちゃんとやって欲しいと思ってはいるんだけど、それよりあなた、私に何か話すことない?」


途端、シルビオの機嫌が急降下するのをマリアは感じ取った。

……どうやら、話したくないらしい。わかったわ、とマリアは苦笑し、それ以上追及するのは止めることにした。


「セシリオ。おまえの妹はどこにいる?」


父親の質問に、肩車されたままセシリオが指さしする。二人がスカーレットを探しに行くのを見送ると、マリアはシルビオの従者をやっている少年に振り返った。


「マクシミリアン、あなたなら、私に何を話すべきか分かってもらえていると思うのだけど」


マクシミリアンはちょっと困ったような顔をし、結婚のことですよね、と気まずそうに答える。


「明らかに、上手くいってませんって様子だったけれど」

「はい……上手くいってないどころか、結婚したと言ってもいいのかどうかも怪しいぐらいで……。その、初夜すら迎えていないんです」

「……は」


結婚したのに、初夜すら迎えていない――それはたしかに、結婚したと言ってもいいのかどうか。なぜそんなことに。




結婚したというのに、シルビオはにこりともしない。新妻との初夜が、憂鬱でならないらしい。


「シルビオ様は、女性の扱いには慣れていらっしゃるのでは……?」

「いままでの女とタイプが違い過ぎる。深窓の令嬢というやつだ――面倒くさいことこの上ない」

「あー……」


そう言えば、シルビオがこれまで相手にしてきた女性というのは、マリアも含めすでに男に慣れているような人ばかりで。気を使って紳士的に振る舞わなくてはならない相手、ということにすでに辟易しているようだ。


「お気持ちはお察ししますが、間違っても面倒くさいという感情を顔に出してはいけませんよ」

「……分かっている」


この結婚は、相手から――花嫁の父親から是非にと乞われたものであった。

キシリア貴族の結託を強めるため、シルビオは了承した。キシリア王は、シルビオの結婚をそんなことのために利用しなくていいと言ってくれたが、やはり王が最も信頼している家臣の結婚は国にとって重要なもの。シルビオも、ついに心を決めた。


正直なところ、結婚を聞かされた時、マクシミリアンは相手の女性に同情した。

揺らぐことのない絆で結ばれた愛人がいる男と結婚――最初から、永遠の二番手となることが決定して妻となる。とても残酷なことだ。


マリアには勝てない。だって彼女とシルビオは単なる男と女の関係ではないから。

シルビオは父親から冷遇され、その実力も聡明さも評価されず、存在を認めてもらえなかった。だから自分を真っ直ぐに評価し、道を示してくれたクリスティアン・デ・セレーナは特別な相手だ。

マリアはそんな男の娘で、しかも、共にキシリア王に忠誠を捧げる同志。

それまで無為に過ごしていたシルビオにとって、キシリア王に仕えたことは人生の大きな転換――そして、輝かしい日々の始まりであった。人生で最も重要な時代を共にした女性……この先どんな女が現れようとも、マリアに勝てるわけがない。


それでも、結婚する以上はシルビオも覚悟を決めたようで。相手の女性も覚悟を決めて、互いに信頼し合える夫婦となって欲しい――マクシミリアンはそう願ったが、この結婚が大きな過ちであったことを悟るしかなかった。


初夜。花嫁の部屋へ向かったシルビオは、花嫁が実家から連れて来た侍女によって堅く拒否された。


「……どういうつもりだ。初夜に、夫の俺を部屋に入れないというのは」

「お嬢様はこの結婚に不本意でした。お父君から無理やり強いられ……ああ、なんとお可哀そうなお嬢様。このような無神経な男に嫁がされるなど」


侍女は花嫁の乳母も務めていた女性らしく、女主人の不幸を嘆く――目の前にシルビオがいても構わず。シルビオを侮蔑するような態度も隠さず。

扉の前に立ちふさがる乳母を強引に押し切り、シルビオは部屋に入った。乳母が金切り声を上げてシルビオを罵っているが、それを無視……できる自分の主人はすごい、とマクシミリアンは感心した。彼女のヒステリックな声に、マクシミリアンは耳と頭が痛くなったというのに。


花嫁が実家から連れてきた他の侍女たちが、女主人を守るように何人も立ち塞がる。シルビオは寝台に座る花嫁に近づいたが、深くヴェールをかぶった花嫁は顔をそむけ、全身でシルビオを拒絶していた。


「おまえの乳母と名乗る女が、俺に部屋に入るなと言って来た。それがどういう意味か、分かっていての行動か。おまえもあの女と同じ意見か」


花嫁は何も言わない。


そう言えば、彼女の顔を知らなかったことをマクシミリアンは思い出した。

たぶん、シルビオも知らないのではないだろうか。彼女の父親から持ちかけられた縁談で、式当日まで妻となる女性と顔を合わせることもなかったし、式の間も彼女はヴェールをかぶっていたし。


花嫁はヴェールで顔を隠したまま、シルビオに背を向けて沈黙を守る。彼女の乳母が、花嫁をかばうようにすっ飛んで来た。


「この無礼者!野蛮人め!嫌がるお嬢様の部屋に無理やり押し入って――!」


乳母は怒り狂い、唾を飛ばす勢いでシルビオを罵倒する。他の侍女たちも非難がましい目でシルビオを睨んでいた。


……すでに愛人がいて、愛人との間に息子までもうけている花婿では、花嫁側の女性たちから嫌われてしまうのも仕方のないことだろうか。マクシミリアンは諦め、部屋を出るようシルビオにすすめようとした。


「本当にお嬢様がお可哀そう!お嬢様は、どこぞの王に嫁ぐこともできる御方だというのに……傭兵くずれの男に嫁がされるなど!」


彼女とシルビオが分かり合う日が来ることはない。

――マクシミリアンは思った。


花嫁は花婿を拒否し、そしてシルビオは……矜持を傷つけられたことに激しい怒りを感じている。

シルビオの矜持は、決して低くない。シルビオの父親は、先のキシリア王の兄。シルビオは間違いなくキシリア王家直系の血筋である。そんなシルビオに対して、生まれや育ちを侮るような発言――怒らせるには十分だ。


「……好きにしろ。おまえが妻としての義務を果たさなかったこと、自分で父親に報告するがいい!」


怒鳴り捨て、シルビオは激怒して部屋を出て行った。

それをマクシミリアンは慌てて追いかけ――てっきり、自室に戻って酒でも煽るのかと思いきや、シルビオはそのまま真っ直ぐ庭に出て、馬に乗る。マクシミリアンも自分の馬を急いで連れて来て、どこへ、と問いかけた。


「……エンジェリクへ行く。ちょうどブレイクリー提督が、キシリアからエンジェリクへ帰るところだったはずだ」

「えっ。待ってください、ということは……」


言いかけて、マクシミリアンは言葉を切った。もうシルビオは馬を走らせてしまって――余計なお喋りをしていないで、自分もすぐに追いかけないと。


「シルビオ様!それはまずいですよ!結婚したばかりなのに、妻を放ってマリア様のところへ行くだなんて――!」


マクシミリアンの説得も虚しくシルビオは馬に乗って駆けて行き、有無を言わさず国へ帰るエンジェリク海軍の船に乗り込んだのだった。



作中で登場する国モデル

キシリア:カスティリア王国 (スペイン)

※地理関係のモデルであり、文化や時代設定などは作者独自のものです

 真面目考察非推奨



オーウェン・ブレイクリー

エンジェリクの海軍提督

キシリアで生まれ育ち、キシリア語が話せる相手との会話は

訛りの強いキシリア語になっている


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