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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その悪名伝~  作者: 星見だいふく
第三部03 チャールズ
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現れたもの (2)


葬儀に参加するために着ていた喪服を脱ぎ、着慣れた男物の服に手早く着替える。

もうちょっと恥じらいを持ってください、とクリスティアンからは注意されてしまったが、いまはそんな場合じゃないでしょ、とマリアは苦笑いで返しておいた。

男の目の前とはいっても、ノアやララが相手で、恥じらっている必要もないし。


「まずはリリオスと合流しないと」

「裏庭に預けられているのを確認しました。屋敷内は弔問客も多いので、さほど移動は難しくありません。問題はやはり、屋敷を出てからでしょう」


マリアの喪服を部屋の片隅に隠しながら、ノアが言った――喪服は持っていけないが、放置しておくこともできない。マリアが逃げ出したことに気付かれないよう、人目のつかない場所に隠さなくては。


「この山を下りないと、伯爵とも合流できねーんだよな。来た時にやばいな、とは思ってたけど、予想以上に厄介そうだぜ」


これからの苦難を思い、ララがため息をつく。その気持ちは、マリアにもよく分かった。


メイレンの葬儀が行われているこの屋敷は、山奥にあった。

森に囲まれ、ふもとの町からこの屋敷まで続く道は整備されているものの、一歩外れると人が歩くこともままならないような場所で。しかも、そのすべてが刑部尚書の私有地。


葬儀会場に送るための馬車は認められていたが、マリアたちを送り届けた途端、立ち去ることを要求されていた。だから葬儀に参加しなかったホールデン伯爵は、ふもとの町まで追い払われている。

馬の持ち込みは許された。急な用事で連れてきた家人が馬を使うことがあるかもしれないし――本当は、帰りのために馬車を待機させていても構わないはずだ。馬しか許されなかった、というほうがおかしい。おまけでくっついてきたマサパンは、なぜか見逃してもらえたけど。


ノアに先導されながら裏庭に出て、マリアはリリオスと合流した。

母親同様、純白の美しい馬……母馬よりは扱いやすい気性なのだが、一方でちょっとおっとりしすぎなところもあって。ノアが手綱を引っ張っても、どこかほわほわした様子でついてくる。リーリエは気難しい性格な反面、人間側の心情もよく察する馬だったから……リリオスは状況が分かっているのかな、とちょっと心配になってみたり。


「やっぱり見張りはついてるか」


馬を引くノアに代わって先導し、道の先を確認しながらララが言った。マリアとクリスティアンも、物陰に隠れて様子を探る。

屋敷を出てほどなく、関所のような見張り場に出くわした。出てくる人間を見張っているのだろう。


「脇道に逸れて脱出するしかない、か」


諦めたように呟き、ララはため息をつく。その気持ちは、マリアにもよく分かる。

……これは、道とは言わない。


「クリスティアン、気を付けて」


転びそうになったクリスティアンの手を握って引っ張り、息子の身体を支える。

町から屋敷へ続く道を一歩外れて森に入れば、足場は不安定で、まともに人が歩くこともできない。

傾斜に、飛び出た木の根、ただの石なのか地面に埋まった岩なのか判別しにくい障害物。マリアもクリスティアンも足を取られて、何度か転びそうに……いや、何度か転んでいた。


「焦らなくていい――とは言ってやれないな。日が暮れ始めてる」


足手まといになっていることを責めはしなかったが、ララも焦っていた。マリアも、急がなくては、というのは同意だ。ふもとまで下りるのは無理だろうけれど、どこか落ち着ける場所を見つけないと。もうすぐ夜になってしまう……。


「マリア様、クリスティアン様。リリオスに乗ってください。お二人の足より、リリオスに任せたほうが早いかもしれません」


白馬の手綱を引き、ノアが言った。

リリオスは高低差のあるキシリア育ちだけあって、山道も軽々と歩いている。危険を減らすためにも、ノアの忠告に従うべきだ。クリスティアンを、リリオスに乗せようとした――。


「危ない!」


マサパンが吠えると同時にララが叫び、マリアはクリスティアンごと突き飛ばされた。地面に倒れこんだマリアが状況を確認するよりも先に、腕が引っ張られる。

ノアに無理やり立ち上がらされ、引きずるように引っ張られ、マリアは走った。クリスティアンを抱えるようにララも前を走り……ララの右腕には、弓矢が……。


「ぐわっ……!」


遠くから悲鳴が聞こえてきて、ガサガサと葉がこすれ合う音――ドサリという鈍い音がして、誰かが上のほうから落ちてきた。落ちてきた男の喉元にも、矢が刺さっていた。


「こんなところまで見張ってんのかよ」


一番前を走っていたマサパンが立ち止まって木の陰に潜み、マリアたちもそれにならった。ララは、自分の右腕に刺さった矢を折った。

まだ刺さったままの右腕をクリスティアンが心配そうに見ていたが、いまは抜けない、とララが言う。


「矢が刺さったぐらいじゃ死なねーが、手当てもできないこの状況で、下手に抜くわけにはいかないからな」


ノアは地面に伏せ、耳を澄ませていた。


「蹄の音がします」

「向こうも馬を駆り出してきたか」


折った部分は放り捨て、ララが舌打ちする。マリアは、リリオスの手綱を引っ張った。


「私が囮になるわ。ララ、クリスティアンを連れて先に山を下りて。クリスティアンだけじゃなくあなたも、無事に逃げ延びるのよ」


反対意見が出るよりも先に、マリアはリリオスに飛び乗る。リリオスは、相変わらずほんわかした様子で自分の背に乗るマリアを見た。


「マサパン……クリスティアンとララをお願い」


マサパンはマリアを見上げ、一度だけ尻尾を振った。


「マリア様――」

「止めても無駄よ。言い出したら聞かないって、ノア様ならもう嫌というほど知ってるでしょう――ちゃんと助けてね。信じてるから」


自分を諫めようとするノアに向かって笑いかけ、マリアはリリオスを走らせる。

来た道を引き返し、追手が見える位置まで戻って、ララたちとは別方向に逃げなくては――ひとたび走り出せば、リリオスに対するほんわかした不安など消え去った。


うっそうとした森の中。

傾斜で、障害物だらけの地面――生い茂る木々――無造作に伸びた太い枝――馬にとって、走るには最悪の場所。しかしリリオスは怯むことなく駆け、マリアの指示に従って進んだ。

やはりリーリエの娘だけあって、リリオスも優れた馬だ。


落葉を派手に踏みしめながら走るリリオスの音は、山の中によく響いているようだった。ほどなくして、マリアの耳でも聞き取れるほど蹄の音が近づき……刑部尚書の放った追手が見えてきた。

何人か、弓持ちがいる。こんな森の中では、弓を使うのも至難の業のはずだが……。


「真っ直ぐ走るな!蛇行しろ!そのままだと、いい的だぞ!」


聞こえてきた声に、マリアは振り返った。

後ろには、刑部尚書の追手しかいない……一人、弓で撃たれて馬から落ちた。


騎手のいなくなった馬に、ノアが飛び移る。

木に登って、タイミングを見計らっていたのだろう。マリアと合流できるポイントを予想して、そこで待機していた――だから彼も、ここで追手を撃ったのだろうか。


マリアを追いかける男たちとは別に、少し離れたところからマリアと並走している人間がいる。障害物だらけの森の中、リリオスに乗る自分に、ぴったり並んで馬を走らせることのできる人間など……他にいるはずがない。


「このまま走れ!ついて来い!」


ついに、彼がマリアの目の前に姿を現した。

セイランの衣装を着て、マリアが記憶しているよりずっと背も伸びて、髪も少しだけ長くなっているが……金色の、セイランでは珍しい髪は、沈んでいく日の光を反射していた……。


「ついて来いって……ちょっと……!」


彼が進む先を把握して、マリアは血の気が引いた。

このまま百メートル、まっすぐ進んだその先には……ない。地面が。このまま、崖に突っ込めと……?


「おまえならこれぐらい、楽勝だろ!」


そう言って、彼は崖の先へと姿を消した。

さすがのマリアも、悲鳴を上げたかった。崖の手前で思わずリリオスを止めてみれば――彼は、崖を下っていた。

いや、崖という表現は微妙に正しくないかもしれない。坂道ではある。ものすごく傾斜がきつくて、崖と評したくなるような急勾配っぷりだが。


彼は馬を走らせ、並ぶ木々や尖った大岩を避けていく。その走りに迷いはない。

……なるほど。馬で駆け降りるのは、不可能ではないと。でもやっぱり、正気の沙汰じゃない。

マリアがためらったら……リリオスが怯んだら……恐ろしい障害物に身体を叩きつけられて、命はない……。


「……あなたがリーリエだったら、私はためらいなく下りてたでしょうね」


マリアは苦笑し、リリオスを撫でる。

走っている間の迫力が嘘のように、またほんわかした雰囲気でリリオスがマリアに視線をやった。

彼女の目が言っている――マリアがやれと言うのなら、私はやってみせるわよ、と。


「もちろんよ。ここで逃げたら、女が廃るわ」


不敵に笑い、改めてリリオスの手綱を握る。

この崖を駆け下りるなら、自分は余計な指示を出せない。リリオスを信頼し、彼女に一任する。リリオスの本能に任せて、マリアはただ振り落とされないように……。


「行くわ――乗馬で負けるなんて、許せないもの」


少し下がり、助走をつけて崖を下る。

それは、思っていた以上にきつくて――振り落とされないよう、マリアは必死で手綱をつかみ、体勢を維持した。しっかりリリオスにしがみついておかないと、たちまち地面に放り出されてしまう。

すごい勢いで近づいては通り過ぎていく木や岩に恐怖を感じる余裕もない。風圧がすごくて、崖を下りるまでほとんど息ができなかった……。


「マリア様!」


ノアに呼びかけられ、マリアはようやく自分がまともな地面に到着していることに気付いた。

振り返れば、マリアから少し遅れてノアも崖から駆け下りてきたところだった。崖の上で、追手が戸惑っている姿が見える……。


「助けてくださって、ありがとうございました。チャールズ様」


改めて彼と向き合い、マリアが言った。


「……行くぞ。もたもたしてると、あいつらが迂回して追いついてくる」


そう言ってチャールズは再び馬を走らせ、マリアとノアも彼について行った。


遠くのほうから、悲鳴が聞こえる。馬のいななきと……なんだか嫌な物音。

たぶん、マリアたちを追いかけようと果敢に崖に挑んだ誰かが、無残な結果に終わったのだろう……乗馬の腕に自信はあるが、マリアでも、あれにまた挑戦したいという気にはなれなかった。


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― 新着の感想 ―
[一言] まさかマリアが阿片中毒になるなんて、先がどうなるのかさっぱり予想できずドキドキしながら読んでおりました。 ここまで心配になるのは前作で妊娠中に毒を吸い、もしかして流産してしまうのでは……!?…
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