陰りに潜む (2)
メイレンの身に起きた悲劇から数日経って、マリアはホールデン伯爵に呼び出された。
クリスティアンを連れてクラベル商会が滞在している宿舎へ来てみれば、女物の服を差し出される。
「これに見覚えはないか」
マリアと一緒になって、クリスティアンもまじまじと見つめる。
見覚えがあるかないかといえば、ある。ただ、誰のものなのかは分からない。どんな人間が着るものなのかは分かるけれど、個人を特定できそうなものではない。
「後宮に仕える女官が、この服を着ております」
女官には、規定の服のようなものがあった。
独自のアレンジを利かせて個性を出すのだが、基本はみな同じもの。この服には、そういったアレンジの要素はうかがえなかった。
「やはりそうか。これは下町の小さな質屋に出回っていた品だ。女官の衣装を目にしたことがあったから、もしかしてと思って確保したのだが……」
なぜそんなものが、とマリアが問うよりも先に、伯爵が説明した。
「昨日、若い女性の水死体が見つかった。被害者は全裸で……身元を特定できるようなものを持っていなかった。町でそんな騒ぎが起きてほどなく、私がこれを見つけてな。後宮でも水にまつわるトラブルがあったと知らせてくれただろう。無関係ではあるまい」
「若い女性……」
確認しなくても、それが誰なのかマリアには分かるような気がした。
彼女がその後どうしているかなんて、誰も気に留めなかっただろうから……簡単に始末できたに違いない。
マリアが部屋を訪ねると、フーディエ夫人は以前と同じく、肘掛けにもたれかかって煙草をふかしていた。
重厚な黒い衣を身に纏い……煙の向こうの夫人の表情は、マリアにはよく分からなかった。
「このたびはご愁傷様でした」
「うむ……対人能力にいささか問題のある娘だったが、ダリスとは仲睦まじくやっておった。わらわも可愛らしい嫁御じゃと思うておったゆえ、まこと、残念じゃ……」
静かに煙を吐き出し、そのまま。
夫人の横顔をじっと見つめ、マリアも静かにメイレンを偲んだ。
悪い子ではなかった。クリスティアンやマリアを害する意思はなかったはず。恐らく、彼女を取り巻く環境が悪かった……。
「……して。何用じゃ?まさか、わらわにお悔やみを言うためだけに訪ねてきたわけではなかろう」
挑発的にも感じられる笑みを浮かべ、夫人が言った。
マリアも笑い返し、持ってきた物を前に置く。差し出されたものをじっと見つめ、何も言わず、夫人はただ煙草を吸った。
「私、国では役人の仕事を手伝っておりまして。それでちょっと、お役人ごっこを」
「……ほう」
にこにこと笑顔でマリアが言えば、夫人は煙草をくわえたまま相槌を打つ。
「これは最近、下町に出回っておりました品物ですの。ここの女官たちが着ている服と同じ……ちなみに、この服が売りに出されたのとほぼ同時期に、若い女性の遺体が見つかったそうですわ。遺体は何も持っておらず……服を着ていなかったそうです」
「ふむ。それで?」
「女官長様からお話を聞かせていただきたく。後宮に務める女のことは、彼女に尋ねるべきですから」
「女官長か」
フーディエ夫人が自分の女官に視線をやり、夫人の指示を受けた女官が部屋を出て行く。
ほどなくして、女官長がやって来た。
マリアの姿を見てぎくりとする――これまでのことを考えれば当然か。マリアを見て、つい拒否反応を示してしまっても仕方がない。
「おまえに尋ねたいことがあるそうじゃ――よい。答えてやれ」
少し逃げ腰になりながらも、女官長はマリアと向き合った。
マリアは女官長を真っ直ぐ見つめる。浅はかな女だ……マリアの目を誤魔化せるほど、知恵が働くタイプではない。
「メイレン様が亡くなる直前。メイレン様に、見覚えのない女官が仕えていたようですが。彼女の配属は、あなたが?」
「えっ?え、ええ……はい。メイレン様は……その……大変慎ましやかな御方なので、慣れぬ人間が大勢侍ることを好まず……身の回りの世話は、生家から連れてきた侍女のイーリュウに一任しておりました」
女官長にとって、メイレンは敬意を払うべき対象らしい。
名家の姫で、フーディエ夫人の長男の嫁だ。皇后シャンタンとはわけが違う、か。
「そのイーリュウが行方知れずとなり、彼女のお世話をする人間がいなくなってしまったので、私が新しい女官をあてがいました。入ったばかりの娘で、いささか頼りない感じはしましたが……物覚えは悪くなく……何より、しっかりとした推薦状を持って働きに来ていたので」
「推薦状。以前もどこかで仕えていたと話していたわ。前の雇用先と言うのは」
「メイレン様のご生家です。メイレン様に仕える女官の前歴としては、これ以上なく安心できる場所かと」
マリアに対して怯えているようだが、女官長の受け答えに偽りや企みがあるようには感じられない。ほぼ間違いなく、女官長は真実を話している。
マリアはそう感じていた。
「その女官。メイレン様が亡くなった後、後宮から出しました?」
「はい――本人の希望ですからね!別に、私が追い出したわけではありません!あんなことがあったから怖くてもう嫌だと、彼女のほうから泣きついてきたんです!私は、次の働き先の紹介と、推薦状まで渡して――」
「あなたを責めているわけじゃないわ。きっとそんなことだろうと、私も思っていたから」
自分がいじめて追い出したと思われては困る、とばかりに女官長は必死で言い募る。
これも嘘ではあるまい。
メイレンを一緒に発見し……あの後の彼女の取り乱しようは、マリアも覚えている。
死体を見たショックで怯え、混乱していて……何があったのか周囲に尋ねられても、まともに会話もできない有様だった……。
「尋問ごっこはそれで終わりかえ?」
マリアと女官長のやり取りを黙って見ていたフーディエ夫人が、口を挟む。
ええ、とマリアは頷いた。
「そうか。それではせっかくじゃ。そなたの推理を聞かせて――」
夫人の言葉を遮るように、部屋が騒がしくなる。
誰かが夫人の許しもなしに勝手に部屋に入ってきて……女官たちが慌てて止めているようだが、乱入者は構わず――それが誰なのか分かると、マリアも少し驚いてしまった。
……たしかに、夫人の女官に彼を止めることは不可能だ。
「……そなた。シオンと共に討伐に赴いておるはずじゃろう。ここで何をしておる」
地方に出ているはずの息子が現れたのを見て、夫人もいささか不愉快そうな表情をした。
ダリスは、急いで都へ引き返してきたのだろう。明らかに大急ぎで旅支度をして戻ってきたという出で立ちで……自分の身なりを整うことも忘れ、憎しみに満ちた目で母親を見つめている。
「……メイレンに何をした」
「何のことじゃ。下らぬ世間話をしに来たのなら、とっと任に戻れ」
「とぼけるな!」
持っていた物を、夫人に投げつける。床に散らばるそれは、文――セイラン式の手紙だ。
「メイレンが死んだと、そんな報告が届いてすぐに、この手紙が……あんたに殺される前に書いて送ったのだろう……俺に届く前に、あいつは……!」
夫人は床に落ちた文を一枚手に取り、ざっと目を通して……すぐに、興味を失ったように床に投げ捨てる。
何事もなかったかのように煙草を吸い――そんな母親の姿に、ダリスはさらに怒りの炎を燃やした。
「イーリュウに何を――いや、イーリュウに何をさせた!?手紙には、イーリュウを使ってマリアやマリアの息子に危害を加えようとしたのではないか……それに失敗して、イーリュウが口封じをされたのではないかと」
ダリスはたぶん、この部屋にフーディエ夫人以外の人間がいることに気付いていないだろう。マリアのことも、視界に入っていないはず。
自分が口を挟んでも、面倒な展開になる予感しかしない。
「あんたが俺を嫌いなのは分かってた。大嫌いな男の息子だ――愛されないのは仕方ないと、俺も思ってたさ。でもメイレンは……あんたを本当の母親のように慕って、気に入られようと努力してただろう……!」
「ダリス殿!」
原則男が立ち入ることのできない後宮に、今日は様々な男が来るものだ。
夫人の女官が知らせたのか、今度は夫の登場だ。
「落ち着かれよ。メイレン殿を喪って混乱する気持ちは分かるが、いくら何でもあんまりな言い様だ」
こうして並ぶと、ダリスと夫人の二番目の夫は親子には見えない。せいぜい、年の離れた兄弟。親子ほどの力関係はないだろうが、それでも、ダリスは歯を食いしばって母親への罵倒の言葉を飲み込んだ。
「言いたいことはそれだけか。ダリス。終わったのならばさっさと己が居るべき場所へ戻れ。わらわへの恨み言のために責務を放棄するなど……恥を知るがよい」
母親の冷たい声に、ダリスがカッとなる――それを、丞相がなんとかなだめ、二人は部屋を出て行った。
嵐が去ると、フーディエ夫人は沈黙したまま煙草を吸い、マリアもまた、沈黙して夫人を見つめる。そんな二人に挟まれ、女官長はおろおろしていた。
「とんだ邪魔が入ったものじゃ」
カン、と煙草で盆を叩き、夫人が呟く。その声には、かすかに苛立ちが混ざっているような気がした。
「興を削がれた。そなたも、もう下がれ」
「はい。その前に、私の推理をお聞きくださいな。手短に済ませます」
マリアが言えば、夫人が視線だけ向けてくる。
「メイレン様のお部屋に配属された新しい女官――下町で騒ぎとなった件の遺体は、きっと彼女でしょう。彼女は見てはいけないものを見てしまい……だから、口封じに殺されてしまった。恐らくは、メイレン様のお部屋を訪ねた客――部屋付きの女官ですから、当然そのお客様をもてなしておりますわ。自分のことを覚えている女官は、犯人にとって、非常に都合が悪かったのです」
「その下手人が、わらわだと言いたいのか?」
夫人が嘲笑するように言えば、女官長がぎょっとなり、マリアは、いいえ、と静かに答えた。
「姑がメイレン様の部屋を訪ねて、何の不都合がありましょう。例えその女官が、夫人が来た、と証言したところで、どのようにでも申し開きができます。いっそ、記憶違いだ、と笑い飛ばしてしまえますわ。そして、メイレン様はフーディエ夫人に不信感を持っておりましたから……お部屋にすんなり招き入れるとは思えません」
メイレンの部屋を訪ねて行ったら、記憶に残るような人物。
それでいて、メイレンが招き入れる相手。
人見知りで、人と交流することのないメイレンだ――おのずと、候補は絞れていく。
「私、メイレン様のお父様が、彼女の部屋を訪ねていったのではないかと考えております。後宮は男子禁制ですが、実父ならば多少の融通は利きます。ただ、やはり印象には残ってしまうでしょうね。その女官が以前は自分の屋敷で働いていたのなら、どう動くかもご存知でしょうし」
「面白い推理じゃ」
フーディエ夫人が言った。
それはマリアの推理を遮るようでもあった。
マリアにも、かなり危うい真似をしている自覚はある。
クリスティアンが狙われているのでなければ……あんな薬が持ち出されなければ、もう少し慎重に行きたかった。
でもぐずぐずしていると、今度こそ我が子に被害が及んでしまう。
自分がいま対決すべきは、フーディエ夫人ではない。
その直感を信じて、本当の敵をさっさと定めるべきだ。
「だが……口に出す際には気を付けることじゃ。一度口から出た言葉は、消えることはない。どこでどう、誰の耳に入ることか」
それは、嫌味にも、忠告にも聞こえた。
マリアは頭を下げ、大人しく退出しようとした。
「……やつの正体を知りたければ、メイレンの葬儀に出るとよい。あの息子を連れて」
部屋を出て行こうとするマリアに向かって、夫人が言った。
相変わらず横を向いたまま煙草を吸い、マリアを見ることもなく。
 




