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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その悪名伝~  作者: 星見だいふく
閑話(こぼれ話)
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ある女官長の回顧録


カーテンを引くと、眩しい朝日に王女エステルがベッドの上でもぞもぞと動く。

おはようございます、と声をかけて起床を促せば、王女は寝ぼけ眼で起き上がり、のろのろとベッドから降りた。

まだ覚醒していない状態で立っている王女に、手際よくドレスを着せる。着る服はゆったりとしたキシリア風のドレス――王女の母は窮屈なコルセットやペチコートを嫌っていて、娘にもその手の衣装は着せたがらなかった。

……気が付けば、王妃との付き合いも長くなったものだ。


「さあ、エステル様。食堂へ」


女官長のアビーにさりげなく誘導され、まだ少しぼんやりとした様子で王女は部屋を出る。

長い廊下を女官たちを引き連れて歩き、数メートル先に母親の姿を見つけて一気に目を覚ました。


「お母ちゃま!」


およそ王女らしくない振る舞いで王妃に飛びつくが、母親もまた、およそ王妃らしくない女性で。振り返って、飛びついてきた娘をぎゅうっと抱きしめる。


「おはよう、エステル」

「おはようございます!」


エステル王女は、全体的な顔の作りは父親似だった。ふとした仕草や表情なんかは母親そっくり――いまも、二人並んでそっくりの笑顔だ。


そのまま手を繋いで、王妃と王女は食堂へ向かった。王妃や王女としては威厳のない姿だが、それを咎める者はいない。とっくに見慣れた光景だし……咎めるような人間は、オフェリア王妃が王子妃だった頃に……。


「おはよう。オフェリア、エステル」


食堂では、先に来ていたヒューバート王が書類片手に二人を待っていた。王はいま何かと忙しいはずなのだが、妻と娘には忙しない様子など一切見せることなく、愛情のこもった笑顔を向ける。

王女が父親に抱きついて朝の挨拶をしてもらったら、ようやく朝食の始まりだ。


「スカーレットは、今日お城に来る?」


食事の最中、エステル王女が両親に向かって聞いた。

スカーレットは王女のいとこ。王妃の姉の娘で、年齢が近いことから姉妹のように仲が良い。

でも母親が長期間不在のためスカーレットは王都を離れており、王女はたいそう寂しがっていた。


「あと七回寝たらお城に来てくれるよ」


王妃の回答を受けて、王女はいち、に、さん……と指を折って数える。一週間後、という概念は、王女にはまだよく分からないものだった。




朝食の後、ヒューバート王は政務へ行ってしまった。王妃も今日は朝から慰問の予定があって、夜まで城に帰ってこない。

母の出発を笑顔で手を振って見送ったエステル王女だったが、時間が経つにつれ寂しい感情が募ってきたらしく、女官相手に大人しくお人形遊びをしていたと思ったら急に泣き出してしまった。


「おやおや。これは間の悪いところに居合わせたものだ。失礼、王女様」


女官たちが慰めてもあまり効果のなかったエステル王女も、その声にぴたりと泣くのを止めた。

息子を連れたウォルトン王国騎士団団長を見て、顔を輝かせて駆け寄っていく。


「ごきげんよう、レオン様!」

「ご機嫌麗しゅう。ほら、パーシー。王女殿下にご挨拶だ」

「ごきげんよう」


たどたどしいながらも、パーシヴァル・ウォルトンは礼儀正しく王女に挨拶する。ちょこんと頭を下げる可愛らしい姿に、女官たちもめろめろだ。

ウォルトン団長の息子パーシーは、エステル王女のいとこである。母親に似たパーシーは、いまのところは女の子も顔負けの可愛らしい美少年――いつか父親のような厳つい男になってしまうのだろうかと、ひそかに恐れている女官も多い。


「毎回申し訳ありませんね。すっかり愚息がお世話になって」

「いいのよ。レオン様がお仕事の間、パーシーはまた私が見ててあげるから!」


王女は胸を張って、得意げに言った。

ありがとうございます、とウォルトン団長は笑い、女官たちもそのやり取りを微笑ましく見ていた。


オルディス家のいとこたちに会えなくて寂しそうにしているエステル王女のため、ウォルトン団長は自分の息子を城へ連れてくるようになっていた。


エステル王女は、いとこで同い年のスカーレット・オルディスと比較すると、少し幼いところがあって――弟妹のいるスカーレットが年齢以上に大人びているのもあるが、当人たちの気質もあるだろう。

そんな王女だが、年下のパーシーの面倒を見る……本人的には、面倒を見ているつもり……そうすることで、年長者としての自覚が出てきて最近はずいぶんしっかりしてきたように感じる。


でも……もしかしたら。

二歳下のパーシーのほうがしっかりしているから、王女もしっかりしているように見えるだけかもしれない。

女官長アビーはそう思う時もあった。




アビーは若くして結婚し、夫を亡くし、そして二十歳にもならない内に城仕えを始めた女だった。

まだ王妃がパトリシア・レミントンだった頃に城仕えを始めたのだが、翌年にはパトリシア王妃が失脚し、城の事実上の女主人は王子妃――そしてそんな王子妃が絶対の信頼を寄せる姉、となった。


もちろん、当時は女官たちの間でも大騒動であった。

なにせこの姉は王の愛妾。愛人が正妻を追い出して実権を握るなど、恥知らずにもほどがある。

そんな女を主君と仰ぐなんて御免だとばかりに辞めていく者。追い出してやろうと画策し、逆にやり込められて追放された者。城に来て一年、ようやく人の顔と名前が完全に一致するようになったというのに、その顔ぶれのほとんどが入れ替わってしまった。


そんな中で、派閥に入るなんてこともできない……入れてもらうこともできない新人のアビーは、気付いたら女官長の座を引き継ぐことになってしまった。

とんだ幸運と言うか……消去法で言ったらアビーしか残っていなくて、それで。本当にこれって幸運なのかしら、と自分でも首を傾げたくなる時がある。


「おはようございます、オフェリア様。起床の時間でございますよ」


アビーが声をかければ、オフェリアはベッドからもぞもぞと起き上がる。寝ぼけ眼であくびをし、ベッドから降りて着替えを始め……始めようとするのを、不満そうな声を上げて抗議してきた。


「コルセットはいや!今日は孤児院の慰問だけでしょ?ならゆったりしたドレスがいいの。きゅうくつなのやだもん!」


初めて彼女と会話をした時、その幼さに仰天させられたものだ。もうすっかり慣れてしまって、アビーはため息をつき、努めて冷静に話す。


「今日は夜会もございます。その時には、こちらのドレスを……」

「やだ!今日の夜会は仲の良い人しか呼ばないし、私はダーリーンたちと一緒に居たらいいよってユベルも言ってくれたもん。私の好きなドレスがいい!」


王子妃の子どもっぽいわがままを、さすがのベルダも諫めていた。


「だめです。オフェリア様。夜会はオフェリア様がご自分で選んだドレスで勝手に出ちゃダメって、マリア様からも言われてたでしょう?アビー様の助言をちゃんと聞きなさいって。マリア様に怒られますよ」


大好きな姉の名前が出れば、頬を膨らませながらもオフェリアは引き下がった。

ベルダのフォローは助かった……けれど、彼女も結局はオフェリア王子妃が可愛くて仕方ないみたいで、なんだかんだわがままを許す場面が多い。

もっとも、ベルダの可愛がり方はあの二人に比べればずっとましだ。盲愛とも言えるレベルで妃を溺愛しているヒューバート王子と、王子妃の成長に大きな影響を与えた彼女の姉……。


「あらあら。今日も賑やかね」

「お姉様!」


城へやって来た姉に顔を輝かせ、オフェリアは飛びつく。


「ねえねえ、お姉様。今夜の夜会は、コルセットのきゅうくつなドレスを着なくちゃだめ?身体が痛くなっちゃうの。あれやだ」


会うなり姉に甘えるオフェリアを、オルディス公爵は苦笑いしつつも優しく頭を撫でる。

そうね、と、ちょっとだけ考え込み、オルディス公爵が言った。


「アビーが選んだドレスを着なさい。やっぱり夜会には、エンジェリク風の正装じゃないと。その代わり、早めに退出していいわ。今夜の夜会には陛下もお越しだから、殿下が早々に場を離れてしまっても問題ないはず。たまにはお友達とゆっくりおしゃべりを楽しんでいらっしゃい。殿下も早めにお休みになりたいでしょう――親睦会みたいなものだから、それぐらいは大目に見てもらえるわよきっと」


公爵の提案は、アビーにもぎりぎり納得できるものだった。オフェリアもこれなら了承するだろう。コルセットをするのはやっぱり嫌なようだが、わかった、と頷いていた。




午前中は王子妃としての勉強を――作文の授業の前になると、またオフェリアがごね始めた。


「あの先生いや。作文がちゃんとできないと、すごく怒るの。鞭で打つこともあるんだよ。作文のお勉強、嫌い!」

「安心して。あの教師はクビにしたから。今日から新しい先生が来ることになってるわよ」


姉妹のやり取りを聞き、またか、とアビーは心の中で呟く。


オフェリアの世話をする女官や、オフェリアを指導する教師について、マリア・オルディス公爵が勝手に人を雇い、解雇し、交替させてしまうことはままあった。

あの教師はほどなくクビになるだろうな、とアビーも察していた。


完璧主義で厳しいあの男は、オフェリア王子妃と合わない。王子妃は叱られると委縮してしまうタイプで、そうなると、できることもできなくなる――それでまた叱られて。悪循環に陥っているのに、あの教師はそれに気づくことなく自分の教育方法を改めようとしなかった。

アビーもさりげなく指摘したのだが、若輩の女の言うことなんか聞き入れてもらえるはずもなく。

いやな感じの男だとは思っていたから、クビになってちょっとホッとしたところはあった。権威ある教師らしいから、おおっぴらには言えなかったが。


新しい教師は、温和で小柄な、優しい雰囲気のある老人だった。


「ふむふむふむ……お妃さまの書かれる文章は、なかなか味があってよろしい。いかがですかな……ここをこのように変えてみると、また違った印象になりますが」

「わあ……!すごく良いと思うの!おもしろいねぇ」


新しい教師の教育方法は王子妃とも相性が良かったようで、いままで作文の時間が近づくと愚図るようになっていたオフェリアも、積極的に自習に励むようになっていった。

オルディス公爵の独裁ぶりはあれだが、それなりに理に適ってる部分もあるから、頭ごなしに非難できないのが厄介だ。




「いつもご苦労様。オフェリアのお世話は大変でしょう」


休憩の時間もとっくに過ぎた頃、女官用の控室に戻ったアビーは予想外の人物に出くわしてひっくり返りそうになった。

オルディス公爵――お茶の用意をして、アビーが来るのを待っていた。


「い、いえ……そのような――もったいないお言葉です」

「あなたが女官長になってくれて、オフェリアをよく支えてくれて……私もヒューバート殿下もとても感謝しているのよ。本当に。オフェリアも、あなたのことが大好きで」

「そう、なのでしょうか……」


反論するつもりはなかったのに、オルディス公爵の言葉に思わず言い返してしまった。

だって、好かれるようなことをした心覚えがないし……。


「口うるさいですし、オフェリア様の行動を制限するようなことばかり言って……オフェリア様も、私に何か言われるたびにふくれっ面になられて……」

「ふふ。そうね。いくらあなたのことが好きだと言っても、ちょっとわがままが過ぎるかしら。一度、厳しくしないとだめかしらね」


オルディス公爵はそう言って、悪戯っぽく笑う。

その笑顔に首を傾げつつも、公爵からお茶をすすめられてアビーは話題を打ち切った。公爵が用意してくれたお茶を遠慮するわけには――。




気が付いた時、アビーはベッドの上にいた。いつの間にか寝衣に着替えていて……自分の部屋に……。

目を瞬かせ、自分をのぞき込むオフェリア王子妃をじっと見つめ返す。王子妃は目にいっぱい涙を浮かべ……大きな声で泣き始めた。


「アビー!よかったよぉ、目が覚めて……!うわあぁん……わがままばっかり言ってごめんなさい……!」


訳が分からないまま王子妃に抱きつかれて、アビーはきょろきょろと周囲を見回した。部屋には王子妃の侍女であるベルダと、オルディス公爵も。


「アビー様、丸一日眠っていらっしゃったんです。お医者様のお話だと、過労で疲れているのだろうと」


ベルダが説明すれば、ごめんなさい、とオフェリアが再び謝罪した。


「私がわがまま言って困らせたから、アビーは疲れちゃって……本当にごめんなさい」


大粒の涙をぽろぽろと零す王子妃に、アビーも思わず頭を撫でてしまった。あとから思い返すと枕に顔をうずめてじたばたしたくなるほど恐れ多いことだったのだが、とにかくオフェリアに泣き止んで欲しくて。


オフェリア王子妃のわがままに振り回されていたが、別に彼女のことは嫌いではなかった。

素直で、天真爛漫で、可愛らしくて――少女らしい姿は、若くして結婚することなったアビーには眩しくて、少しだけ切ない感情を与えるものだった。


パトリシア王妃や、その娘ジュリエット王女に仕えている頃は本当に大変だった。二人のわがままも厄介なのだが、それ以上に二人を取り巻く女たちが面倒で。

女官同士の足の引っ張り合い、睨み合い、蹴落とし合い……壮絶過ぎて、自分は一年ともたずに辞めることになるだろうなぁ、なんて思ってたのに。


ようやく王子妃の涙も落ち着くと、ゆっくり休んでね、という労いの言葉と共にオフェリアは部屋を出て行った。

オフェリアなりに気遣って、アビーを休ませようとしたのだろうが――アビーは、部屋に残ったオルディス公爵を黙って見つめた。


「気分はどう?」

「……おかげさまで。ぐっすり熟睡できました」


嫌味も込めてそう答えれば、公爵はニコニコと笑う。


「顔色も良さそうで安心したわ。半日で目が覚めるって聞いてたのに、なかなか目を覚まさないから心配したの。量を間違えたのかしらって」

「それは……公爵様のせいではないかもしれません。最近、あまり眠れていなかったので」


もうすぐ、あの人たちの命日だから。

嬉しい報告を伝えようと待っていたのに、帰ってこなかったあの人――そのショックで自分のもとから去ってしまったあの子――ちょうどその一年前には、両親を喪ったばかりだったのに……。


「王子妃様にすっかりご心配をおかけしてしまって」

「気にしないで。私が大袈裟に言ったのもあるのよ。妹には、人を思いやれる優しい子でいてほしいから。いくら大好きだからって、なんでもわがままを言ってもいいわけじゃないのよって」


王子妃が、自分のことを……それを疑うのはいまさらな気もするが、まだ信じきれなくて。つい、そんな心情が顔に出てしまった。

アビーの心情を察して、本当よ、と公爵が言葉を続ける。


「あの子にとって嫌いな人っていうのは、怖い人のことだもの。怖い人には、口答えもしないわ。あなたなら許してくれると思って、甘えてあんなことを――でも今回はちょっと度が過ぎてたから。少し反省させておいたわ」


ありがとうございます、と言いつつも、だからってこっちに一服盛るとか、という複雑な思いもあって、アビーは苦笑いしてしまった。


やっぱり、オルディス公爵は妹を甘やかしすぎだと思う。


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