セイラン事情 (1)
王都までの道中、シオン太師はクラベル商会の護衛を引き受けてくれていた。太師の護衛は非常にありがたかった。
伯爵が前に説明した通り、地方の治安はよろしくなく、裕福な外国人の商人などは盗賊やならず者たちの格好の標的であった。
移動をしていれば必ず出くわして。
勇猛な太師は護衛としてはこの上なく頼りになったし、時には、シオン太師の存在に気付いた瞬間に逃げ出す連中もいた。護衛としての腕前も人柄も疑う余地のないシオン太師は、商会の人たちからも歓迎された。
治安も、国の中心に近づけば良くなってくる……はずなのだが、今回はずいぶんと厄介な集団に狙われてしまったようだった。
「母上。僕やマサパンから離れてはいけませんよ」
伯爵たちに匿われた馬車の中、一人前の男ぶってクリスティアンはそんなことを言う。
可愛らしくも頼もしい息子を抱きしめ、マリアは緊張と警戒を解かなかった。
クラベル商会の一団は、今日もまたならず者の集団に襲われたのだが……今回の相手は、いままでの連中と格が違う。戦は素人のマリアでもはっきりと分かるほど、装備品もレベル違い、しっかり統率され、手練れの者が多いクラベル商会に苦戦を強いている。
伯爵やノアは、シオン太師と共に特に狙われている場所――商品の荷物がある馬車の防衛に回っていた。賊のリーダーもそっちにいるらしい。
最初の狙いはそっちだったのだが、マリアやクリスティアンが商会にとって特別な人間であることに勘付かれてしまい、マリアのいる馬車も襲撃の対象となってしまった。
高い身代金が期待できそうな要人は、彼らにとって重要な宝だ。目立たぬような馬車にしてあったが、やはり護衛の様子などから気付かれてしまって。伯爵や太師に知らせて彼らがここに来てくれるまで、ララと太師の従者ヤンズが中心となって抵抗していた。
ララはあれで腕が立つし、年の割には実戦経験も多い。だから彼のことは心配していなかったのだが……ヤンズのほうは危ないかもしれない。姉のリーシュが、馬車から身を乗り出す勢いで弟を見守っている。
ハラハラとした面持ちで。プロに徹する彼女が、マリアを守る使命を忘れかけて。
「うっ……!」
マリアの不安は的中した。賊の攻撃を受けそこね、ヤンズは腕を斬られていた。
やっぱり、ヤンズの武術の腕は大したことがない。
相手も悪い。今回の賊は、たぶん戦闘訓練を受けている。もしかしたら、どこか正規の軍隊に所属していた人間なのかも……。
「ヤンズ!」
悲鳴にも近い声でリーシュは叫び、馬車を飛び出して負傷した弟に駆け寄る。乱入してきた無防備な女を斬る――賊は躊躇なく剣を振り下ろそうとした。
「マサパン!」
マリアの声に反応し、大型犬のマサパンはリーシュを斬ろうとしていた男に飛び掛かる。ただのならず者が相手だったのなら、マサパンはその腕に噛みつき、相手を引きずり倒してやったことだろう。
だが、賊はマサパンを避け、隙を見せることなく警戒している。
リーシュとヤンズへの関心は逸れたが、代わりに、マリアが敵の注意を引くことになってしまった。ヤンズが戦線を下がったことでララも敵を防ぎきれなくなり、賊の一人がマリアに――。
「ぐふっ!」
マリアに迫っていた男が、奇妙なうめき声をあげて足を止める。その隙を突いて、ララが男を倒した。倒れた男の背中には一本の矢が――ララが仕留める前に、この男はすでに致命傷を負っていた……けれど、何か違和感が……。
マリアが違和感の正体を突き止めるよりも先にあたりがいっそう騒がしくなり、思考はそこで中断された。
襲撃を聞き付けて、シオン太師が来てくれた。太師の登場によって、賊は一目散に逃げ始める。こちらもそこそこ追い詰められていたのに、あっさりと。引き際の良さからも、彼らがただのならず者ではないことがうかがい知れた。
「マリア、無事か!?」
追撃はせず、太師はマリアに駆け寄る。
「ご覧の通り無事です。助けに来てくださってありがとうございました。私よりも、ヤンズが怪我をしてしまいまして……手当てを……」
「マリア、クリスティアン!」
ノアを連れ、伯爵も戻ってきた。
「無事か。気付くのが遅くなってすまない。こちらも襲われたと」
「私もクリスティアンも無事です。シオン太師様が来た途端、蜘蛛の子を散らすように逃げていきましたわ」
怪我の有無を確認しようと忙しなく自分とクリスティアンを見つめる伯爵に向かって、マリアは安心させるように微笑みかけた。クリスティアンも、馬車から飛び出して父親に抱きつく。
「あの、伯爵。雇っている護衛の中に、射手はいましたか?」
マリアの問いかけに対し、息子をしっかり抱きしめながら伯爵が首を振った。
「いや。弓持ちというのは、護衛には必要のない役割だ。そういった武器は、狩る側が使うものだろう」
「そうですよね……」
伯爵の説明は至極真っ当だった。
というか、マリア自身、そうだろうなと思っていて。最初から伯爵の返答も分かっていた。
背中に矢を受けて倒れた男の遺体に、もう一度視線をやる。
――きっと考え過ぎよね。
あの男のことばかり考えているから、ちょっとしたことも彼に繋げてしまっているだけ。あの弓だって、乱戦の中で同士討ちになっただけかもしれないし。
きっとそうだ。
彼がたまたまここに居合わせたなんて、そちらのほうが有り得ない話だ。
夕刻には町に着き、マリアたちは数日そこで滞在することになった。
今日の襲撃で護衛たちもかなり疲労したようで、回復に専念する日をもうけたのだ。
宿を取って、夜。クリスティアンを寝かしつけたマリアのもとに、シオン太師が訪ねて来る。
「なんだ。もう寝たのか。怖い思いをしたのではないかと心配しておったというのに」
すやすやと寝息を立てて眠るクリスティアンを見下ろし、シオン太師は少し呆れたように笑った。
「この子も、父親に連れられて色々な場所を旅していますから。意外と肝は据わっているんです」
太師は真摯にクリスティアンを心配して様子を見に来てくれたようだ。クリスティアンが眠っているのを確認すると、すぐに寝所から離れた。
「お酒でもご用意いたしましょうか?」
「いや、いい。わしは護衛だからな――実を言うと、おまえを護衛すると言って王都を離れているのだ。そのついでにおまえのことを見定めようと思って――まあ、それはいい。とにかく、いまは一応職務中ということになる。無事に着くまで酒断ちだ。王都に着いたら、風呂にでも入りながらゆっくり楽しみたいものだ」
「お風呂でお酒ですか。面白そうな趣向ですね」
セイランには、まだまだマリアの知らない入浴の楽しみ方がありそうだ。
「では、マッサージなどいかがでしょう。チャコ式ですからシオン様のお気に召すかどうかはさておき、それなりに自信はありますよ」
「按摩か。それはそそられる提案だな」
長椅子の上にうつ伏せで横たわるシオン太師の背を、力を込めて揉み解す。固い背筋で覆われた背中は、マリアの指圧程度ではびくともしないが……太師はまんざらでもないような声をあげていた。
「リーシュが謝っておった。自分の身勝手な行動のせいで、おまえたちを危険にさらしたと」
「ヤンズが怪我したのを見て、飛び出して行ったことですか?私も、彼女から直接謝罪を受けました」
そして、謝罪は必要ない、とマリアも返事をしている。
「家族の身に危険が迫れば、思わず身体が動いてしまうのが人間というもの。彼女が人間らしい振る舞いをしたぐらいで、怒ったりしませんわ」
「そうか。そう言ってくれると助かる」
シオン太師は、リーシュとヤンズの姉弟に思い入れがあるらしい。マリアのマッサージにうとうとしながら、姉弟との思い出を語り始めた。
「あの子たちは幼い頃に母親を亡くして、リーシュは母親代わりとなって弟の面倒を見てきた。父親は武官で、わしの同僚でもあった。十年前に戦で亡くなって――残された姉弟がどうしているのかと思って訪ねていってみれば、姉弟の未熟さに付け込んだ親族があの子たちから財産をむしり取り、住んでいた家まで追い出していた。わしがようやく見つけた時には、ヤンズは衰弱し、リーシュは弟を助けるため娼館に身売りすることを決意するほど追い詰められていて」
「それでシオン様が、リーシュたちを引き取ったと」
「そういうことだな。あの子らはわしに恩義を感じているが、実を言うと大したことはしていない。独り身のわしは家のことをリーシュに任せきりにして、面倒な事務仕事はヤンズに押し付けてきた。なんだかんだ、わしもていよくあの子たちをこき使い、利用してきたところもある。だから恩返しになどこだわらず、自分たちのやりたいことをやればいいと言ってあるのだが……」
マリアはピンときた。
特にヤンズのことを指して、太師は言っているのだろう。彼は武術の才能がなさそうなのに、必死で剣を振っていた。あれはきっと、武官だった父と、同じく武官で、恩人のシオン太師の跡を継ごうとして、ヤンズは鍛錬を……向いていないのに。
「おまえも気づいたか。そうなのだ。ヤンズに武術は向いていない。元来身体の弱いやつで、争いごとも好まない。他に才能もあるのだから、別にこだわる必要もないとわしは思ってるのだがな。リーシュに心配もかけてしまうし、文官で良いと……そちらの才能は、わしも目を見張るものが……」
睡魔に抗いがたくなったのか、太師の口調もぼんやりとし始めた。
マッサージをしていたマリアはくすくすと笑い、寝台へ行きましょうか、と声をかけた。
「……今日の襲撃は、半分ぐらいわしのせいだ。あやつらは北方の遊牧民族……セイランにも、何度か侵攻してきた。そのたびにわしが撃退してきたから、わしはちょっとした人気者で……」
あくびをしながら説明する太師に、マリアも相槌を打つ。
やけに統率が取れた、腕の立つ集団だと感じるはずだ。本当に、正規の軍隊だったのだ。遊牧民族と称されているが、北方のそこは、もはやひとつの国と言えるほどの集団になっている。
その国に、セイランもずいぶん圧され始めた……。
「ここまで迫って来るとは正直思わなんだ。都まで一週間もかからぬ距離だ……王宮に戻ったら、皇帝に戦の許可をもらって追い払いにいかねば……」
「王都まで、一週間……?」
そんな馬鹿な、という思いでマリアは声をあげた。
一週間どころか、一か月ぐらいかかる距離のはずなのに。
「そうか。外国人のおまえは知らなかったのだな。セイランは半年ほど前、都を移した。西に目を配るため――という名目で。実際は、北方の遊牧民族に圧されて移さざるを得なかったのだ。その件で、姉や生粋の王都暮らしの貴族たちからわしや皇帝はひどく恨まれておる。地方出のわしらには、生まれ育った都を捨てさせられた者の気持ちなど分からぬと……」
それきり、太師は目をつむり、口を閉ざしてしまった。
眠ってしまった。
……ということにして、マリアも太師の隣に横になる。寝ぼけたふりで、シオン太師がマリアをすぐに抱き寄せてきた。
セイランも、身内同士で厄介な事情を抱えていそうだ。太師の腕の中で、マリアは考え込んでいた。
やがてシオン太師から本物の寝息が聞こえ始め、マリアも目をつむり、これからのことに思いをはせながら闇へと沈んでいった。




