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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その悪名伝~  作者: 星見だいふく
第三部01 魔女は懲りない
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東国の男 (1)


もうセイランの国境へ入ったぞ、というホールデン伯爵の言葉に、マリアもクリスティアンも馬車の窓から外を見た。

関所を越えて、土地の雰囲気も変わった……という実感はなかった。緩やかな山岳地帯だから、関所を出ても相変わらず森が続いているだけだし。


「もうセイランですか。思ったよりも近いんですね」

「セイランに着くだけなら、実はさほど遠くはない。セイランの王都へ行くとなると、話は別だがな」


クリスティアンの疑問に、ホールデン伯爵が答える。生徒に教える教師のように……伯爵は、クリスティアンを教え導き、息子の成長を見るのが楽しくて仕方ないらしい。


「セイランの王都は大陸の最東端。ここから王都までの距離は、ここまで進んできた距離と大差ない」

「……つまり、国に入ることはできても、王都に着くのにまだまだかかると」


その距離の遠さに思いを馳せ、クリスティアンは眉を八の字にした。


「セイランも広くなり過ぎた。広大な領土も、いまは持て余し気味だ。こんな西の端にまで目を配ることはできんだろう。地図の上ではセイランだが、セイラン皇帝の支配も威光も届かぬ土地が多い」

「なんかチャコと似てんな」


休憩がてらに取った宿で食事をしながら、伯爵の説明にララが口を挟んだ。

マリアとクリスティアン、伯爵が囲む食卓に、ララも混ざっている。マリアとクリスティアンが二人がかりで説得したので、ノアも一緒だ。


「チャコ帝国もさ。俺のじーさんの代で領土を広げまくったはいいが、親父に代替わりする頃には治めきれなくなってたんだよな。親父が乱心した時に領土を奪られまくったけど、兄貴はそれを取り返すつもりはないみたいだ。取り返したところで、いまのチャコ帝国にはそれを維持するだけの国力もないし」

「チャコ帝国は、先の諍いが大きな痛手だったわね」


もともと衰退は始まっていたのだろうが、やはり先のスルタンの乱心がそれを加速させた。

ララの父親――先のスルタンは、愛妾が仕掛けた罠に陥ってもうろくし、血の繋がった兄弟、息子、国に忠誠を捧げた家臣たちをことごとく始末してしまった。自らの手足を削ぎ落とした状態でキシリアに戦を仕掛け、かろうじて滅亡は避けられたものの、いまだその時の傷から立ち直れていない。


「セイランも似たような状況だ。皇帝の権威は薄れ始め、北方の遊牧民族の侵入に苦しんでいる。国の中心は安定しているが、地方になればなるほど治安もよろしくない」

「セイランの皇帝は即位して間もなく、ヒューバート陛下よりお若いんでしたよね」


セイランも、少し前まで玉座は空白だった――先代、先々代の皇帝はなかなかの名君だったようで、マリアも彼らのことは学んだが、いまの皇帝のことはほとんど知らない。即位したばかりということもあって、情報が少なすぎる。


「即位して五年も経っていない。母親は地方貴族の娘で身分はさほど高くなく、腹違いの兄が五人もいた。おまけに母親を幼くして亡くし、母親の生家は王都に基盤がないため王位継承争いからは脱落したも同然だった」

「なんか、どっかで聞いた話だな」


ララが口を挟む。

マリアも実は同じことを考えていたので、ララの言葉に苦笑いした。


「即位した時期も似たようなものだけれど、生い立ちもヒューバート陛下によく似ているわね。恋女房の妃がいるところまで同じだなんて」


いまの皇帝には、正式な后がいる。

幼馴染で、相思相愛の仲だとか。


「王位継承争いから脱落したいまの皇帝は、皇子時代を王都から遠く離れた地方で過ごした。当人も周囲も、市井の男として生きるものと考えていた。いまの皇后は地方で暮らしていた頃の恋人で、貴族ですらないそうだ。ところが、戦で長男が戦死、流行病で次男と五男が命を落とし、欲を掻いた三男が四男までも抹殺しようとして失敗、処刑された――と思ったら、実はそれが三男を追い落とすための陰謀で、無実の三男を失脚させた罪で四男とその母親と一族郎党が処刑。王位を継げる者がいまの皇帝しかいなくなった」


伯爵が説明を続ける。


本当に、どこかで聞いたような話だ。


ヒューバート王も母親を亡くし、後ろ盾を持たない不利さから早々に王位継承争から落脱したはずの王子だった。でもオフェリアと出会って、彼女と恋に落ちたことで王に……。

思いもかけぬことで喪った兄王子。転がり込んできた玉座。愛する后。共通点が多い――下手に親近感がわくと、いらぬ感情まで生み出しそうで複雑だ。


「それでいまの皇帝の叔父が、地方にいた彼を王都に連れ戻した。先の皇帝は床に伏したまま、ついに五年前、二度と目覚めることはなくなった――永い眠りの間に息子たちが次々と命を落としたことも知らないまま。宮中が混乱したのは、そのせいもある。先の皇帝が次期継承者を明確にしないままだったから、誰を皇帝にすべきか揉めて。いや、ある程度方針は出していたのだろうが、まさか五人の候補者全員がいなくなってしまうとは予想していなかったのだろうな」


望まずして手に入れてしまった王冠。けれど、それを認めない者もいる。

……でも結局、誰もが認める王になるのは無理なのだけれど。どれほど正統な王であっても、誰かが異議を唱えて来るものだから。


「いま、セイランでは皇帝よりも皇帝の叔父、叔母が強い力を持ってるんでしたよね」


母と一緒に受けた講義を思い出しながら、クリスティアンが言った。


「えーっと、叔父のほうが皇帝の後見人役である太師で、叔母の夫が丞相……でしたっけ。いわゆる宰相職ですよね」

「そうだ。叔母の夫は細君に頭が上がらない――丞相の意向は、妻によって動いていると言っても過言ではない」

「要するに、皇帝が若くて無知なのをいいことに、叔父と叔母がでしゃばりまくってるってことだな」


ララが言った。

そういうことだな、と伯爵も相槌を打つ。


「叔父はその役職からシオン太師と呼ばれている。既婚者の叔母はフーディエ夫人だ」




国境を越えて数日旅をすると、風景もすっかり変わった。


国境近くの村や町は旅人と様々な文化が入り混じってまとまりがなく、セイラン特有の空気というものを感じられなかったが、国境を越えて数日。それなりに大きな町に着き、ついにセイランへやって来た、という実感がわき始めた。


セイラン式の建物。店に並ぶ品も、セイラン文化を象徴するようなものばかり。行きかう人々もみなセイラン風の服を着て、エンジェリクやベナトリアとは異なる風貌をしている。

セイランの商品は、ホールデン伯爵の商人魂をおおいに刺激したらしい。たびたび足を止めては店を覗き、品物を観察していた――特に女性用の服や装飾品は、観察だけでは飽き足らずに買い漁って……着せ替え人形をさせられたマリアは、かなりおかんむりだった。


「ヴィクトール様、いい加減になさってください。無駄遣いのし過ぎですよ」


一着、二着は好意と思って素直に感謝していたマリアも、一か月毎日着替えても着終わらないのではないかと思うほどの量になり、眉を吊り上げて伯爵を叱る。

しかし、伯爵は悪びれる様子はない。


「セイランの衣装というものは実に素晴らしい。どれを着せても君に似合うので、選定に悩まされてしまうな」

「そんなお世辞には騙されません」


マリアは頬を膨らませ、拗ねて見せる。世辞ではないのに、と伯爵はわざとらしくため息をついた。


「分かった。君を振り回してしまった詫びをしよう――何か、欲しいものはないか?」


この期に及んで、まだマリアに買い与えるつもりらしい。全然反省してない。

ならば、とマリアはため息をつき、にっこり笑って伯爵を自分の行きたい店に連れ込む。


「ここは……男性服の店か」

「ヴィクトール様のおっしゃる通り、セイランの服というのは実に素晴らしいものですわ。私も気に入りました。クリスティアンやララ、ノア様にも着せてみたいと思っておりましたの。ヴィクトール様が何でもとおっしゃってくださるのでしたら、遠慮なく」


やれやれ、と伯爵は首を振り、苦笑いする。


他の男のために服を買う――それでも、伯爵はマリアの望むものをすべて買ってくれて。甘やかすにもほどがあると思う。

あれやこれやと悩みながら服を選ぶマリアに、まだ探すのか、と最後は伯爵も呆れ気味だった。さっきまで自分に同じことをしていたのだから、これでおあいこだ。


「当たり前です。一番肝心なものが買えていませんもの。ヴィクトール様、あなたの服がまだですわ」


虚を突かれたように伯爵は目を瞬かせ、やがてわざとらしく咳払いする――照れくさい心情を誤魔化すかのように。マリアは気付かなかったふりで微笑んでいた。


貢ぎたがる伯爵はさておき、セイランの文化、セイランの風習は悪くない。気に入った、というのは単なる詭弁ではなかった。特にマリアが気に入ったのは……言わずもがな、風呂であった。


「お風呂に関しては、セイランは最高だわ。これだけはエンジェリク人も見習ってほしいものね」


どこの宿に泊まっても、結構気軽に風呂に入れる。それはマリアを大いに喜ばせた。マリアの生まれ故郷キシリアは、異教徒の文化の影響を受けて入浴の習慣が割と一般的だった。だからマリアは風呂好きで。

しかし、それは意外と珍しい習慣なのだ。近隣諸国では風呂など入浴日をもうけて月に一度入るかどうか程度。

エンジェリクでは、親しい人たちからはマリアは風呂の入り過ぎだと苦笑いされてしまうほどだった。


だから、当たり前のように風呂に入るセイランの風習は、素晴らしいものだと思っている。


「一緒に入りましょうね、クリスティアン」

「母上。僕はもう一人で入れます」


マリアが誘えば、クリスティアンはいやそうに眉を八の字にする。


「たまには父上と一緒に入ってください。母上が僕ばかり構うので、ヤキモチを焼いた父上が僕をいじめるんです」

「まあ。なんて悪いお父様なのかしら。可愛い我が子をいじめるだなんて」

「いじめていない。あれは愛情表現だ」


うそぶく伯爵に、いじめっ子はそう言うんです、とマリアは唇を尖らせて反論した。


「……いや、あれはやっぱり伯爵なりの愛情表現だと思うぞ。本当のいじめってのは、俺やノアが受けてるみたいなことを言うんじゃねーか……?」


ララの言葉に、眉間に深いしわを刻みつけてノアがわずかに頷く。


ララやノアは、マリアの入浴を手伝うために共に風呂に入ることがある。

別にやましいことはしていないが……男に身体を洗わせるなんて、伯爵が面白くないと感じるのも当然か。マリアも、伯爵が見目麗しい女性に身体を洗わせてたらやっぱり嫌だし。


「ヴィクトール様。ララやノア様は立場上断れないのですから、寛大になってさしあげて。クリスティアンのすすめに従い、今日はヴィクトール様と一緒に入ることにします。ヴィクトール様のお身体を、心を込めて洗ってあげますわ」


こんなことで機嫌が直ってしまうのだから、ヴィクトール・ホールデン伯爵という男は案外ちょろいのかもしれない。




西の都では、数日滞在する予定だった。

無事に国境を越えたことだし、旅の疲れをここで癒すこととなり。この都は温泉が有名だから、マリアの希望でもあって――けれど、ちょっと休んだらすぐ王都に向けて出発するつもりだった。


「マリア様、伯爵、失礼します。マリア様を訪ねて人が来ております」


宿でくつろいでいたマリアのもとに、ノアがやって来て、そう告げた。


「町の南側にある館――マリア様に、そこへ来るようにと」

「私に来い、と。私に命令するだなんて、いい度胸ね。呼び出しの主は?」


マリアの問いに、ノアが一拍間を置く。どうやら、口に出すのをためらったようだ。


「シオン太師です。先の親王にして、現皇帝陛下の叔父君の」


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