春が近い
セイラン出発を前にベナトリアの王都で過ごしていたマリアは、宿舎でうろうろしているララと出くわした。
たしか、ララはフリードリヒ王にリュートを教えるため、城に通っているはずだが。
「ララ。今日はお城へ行っていないの?」
マリアに言われ、ララが顔をしかめる。
「なあ……城に行くの、マリアも一緒に来てくんねーかな……」
「別にお城に一緒に行くぐらい良いけど。というか、私はいま、お城からクラベル商会に通ってる状態だし」
いまさら何を、という気分でマリアは答え、首を傾げる。
「……フリードリヒ王が、口説いてくるんだよ」
「まあ……。それって……もちろんあなたのことよね」
ララの告白に、マリアは困惑と、ちょっと愉快な気持ちで苦笑いした。
「あいつの好みって、ヘルマンやヒューバートみたいな線の細い美青年だろ?欲求不満か?マリア、おまえ、そんなにあいつのこと袖にしてるのか?」
「失礼ね。誘いに乗ったら文句言うくせに、逃げ回ってても文句を言うだなんて。男って勝手なんだから――でも、あなただって十分美形じゃない。そりゃヒューバート陛下や、ヘルマン様と比べれば体格は良いけど」
「褒められてこんなに嬉しくないのは初めてだぜ……」
げんなりといった様子のララに、マリアはくすくすと笑った。
「あなたがフリードリヒ陛下の気を引いてくれれば、私の貞操は安泰なんだけれど。ヴィクトール様からは感謝されるわよ」
「そんな感謝いらねー……!」
ララに懇願されたので、結局マリアはフリードリヒ王の私室までついていくことになった。
――が、マリアがこっそり予想していた通り、マリアがお供になったことぐらいでフリードリヒ王が止まるはずもなく。マリアがいようとお構いなしにララを口説き、マリアのことも口説いていた。
……さすがに節操がなさ過ぎる。
マリアが敬愛するキシリアの王も情の多い男だが、ベナトリアの王はそれ以上かもしれない――何せ、対象が男女問わずだし。
ララのことは、意外と本気で気に入っているようだ。気持ちは分からなくもない。
異国人の彼は毛色が違って目を引く容姿をしているし、気さくで飾らない性格も魅力的だ。そばに置きたいと考えるフリードリヒ王は、むしろ人を見る目がある。
でも、口説かれた本人は迷惑しているようで。
「ホールデン伯爵は、最近どこへ出かけているのでしょう。ここで顔を合わせることがなくなったように感じるのですが」
ベナトリア支店の開店を目指して、最近のホールデン伯爵は忙しそうだ。
それは仕方ないのだが、マリアがいつ仮設事務所を訪ねても会えないのはなぜだろう。宿舎に行けば会えるから、伯爵にどうしてもの用事があるのならそっちで帰りを待てばいいのだが……会えないことは、やっぱり気になる。
「フリードリヒ王のせいだよ」
眼鏡を直しながら、テッドがため息をつく。
テッドは、マリアがキシリアで働いていた頃の同僚で、クラベル商会――その当時は、ガーランド商会という名前だったこの店の従業員だ。
マリアの直属の上司となったデイビッドや、よくコンビで一緒にいることの多いポールに比べれば若い男性従業員……だった。いまはずいぶん貫禄が出て、エンジェリクに残ったデイビッドやポールに代わり、ホールデン伯爵と共にクラベル商会の一員としてベナトリアまで来ていた。
ベナトリア支店を中心となってまとめているのがテッドだった。
「おまえがわざわざ許可をもらってまで支店を作ろうとしているクラベル商会に、フリードリヒ王が興味を持ってな。それ自体はありがたいんだが……王が城を抜け出して、こっそり商会を覗きに来るんだ。それで、王好みの美形を見つけた」
「陛下好みの美形……?あ、まさか……」
伯爵に会えない、という前提を踏まえると、王が目をつけた美形というのは……。
「おまえの予想した通り、ノアだ。さすがのノアも、王から口説かれるということにどう対応していいのか困ったらしい。それで伯爵に泣きついて、できるだけ外出しようと」
「まあ……本当に節操なしなのですね。ノア様も美形ですけど……」
「まったく。おかげで伯爵が不在がちになって、仕事が滞る場面が出てきたよ。やっぱり伯爵がいないとできない仕事も多いから……」
ブツブツ文句を言いながら仕事をするテッドに、マリアは苦笑し、彼の仕事を手伝うことにした――やらかしたのは王なのに、マリアがその尻拭いをしなくてはならないのは、ちょっと理不尽だと思う。
しかしそれを口にするとテッドをますます不機嫌にさせてしまうので、マリアは黙っておくことにした。
黙々と仕事をこなしていたマリアは、扉につけられた鈴が鳴る音に顔をあげた。
「すみません、いまは休憩時間で、従業員が出払ってるんです」
立ち上がって、カウンターの向こう側にいる女性に声をかける。近付いてみれば、カウンターの陰に男の子がいた。幼い彼は、カウンターにすっぽり隠れてしまっていたようだ。
「あ……クリス、いいんだ。その人はお客じゃなくて、取引相手だから」
「はあ……」
テッドが言い、マリアに代わって女性に対応する。
なんだか、テッドが慌てていたような……。
店に来た女性はマリアよりも若く、控え目な笑顔が可愛らしく、一緒にいてホッとするような雰囲気がある。彼女と話すテッドの笑顔は、従業員としてのただの愛想笑いではなく……。
「なあなあ。あんたって、女?男?」
声をかけられ、マリアはそちらに視線をやった。
カウンターと同じ背丈の少年が、マリアをじっと見つめている。
「女よ。時々ここに手伝いに来ているの。あなたは……あの女性の弟さん?」
「うん。とーちゃん忙しいから、俺と姉ちゃんが代わりに来ることが多くて」
この少年と、テッドと女性のやり取りから察するに、この姉弟の父親はベナトリア王都のギルド長らしい。
クラベル商会がベナトリア王都に店を出すのなら、ベナトリア王都の商人ギルドとは仲良くしておく必要がある。だからギルド長の代理で来てくれた姉弟を丁重にもてなすのは当然なのだが……。
姉のほうは、父親の代わりだから、だけではないのかも。対応するテッドのほうも……。
「なあなあ、ねーちゃんって、テッドの彼女?」
少年の台詞に、テッドと話していた姉が顔を赤くして、こら、と叱りつける。
「カイったら。そんなプライベートなこと、詮索しちゃだめでしょう」
「でも姉ちゃんだって気になるだろ?家でもずっと、テッドにーちゃんなら、エンジェリクに待ってる人いるのかなって悩んで――」
口の軽い弟を、姉が慌てて止める。
やっぱりね、とマリアは笑った。
「私は既婚者よ。テッドさんは仕事人間だから彼女を作る暇もないし、ちょっと抜けたところもあってなかなか上手くいかないの。クラベル商会がベナトリアに支店を出すなら、お店はテッドさんに任される可能性が高いわ。一人残していくのは不安だから、しっかり者のお嫁さんをもらってくれると安心なんだけど」
わざとらしくマリアがため息をついて言えば、少年が喜んだ。
「よかったな、ねーちゃん。テッドはエンジェリクに帰らないって!もうこれで、別れを心配して悲しむ必要もないぜ!」
「もう!あなたはちょっと黙ってて!お願いだから!」
耳まで真っ赤になり、姉は半分涙目で弟を叱り飛ばした。
この状況で、肝心のテッドはおろおろとマリアと姉弟に視線をやる――彼もまた、顔は真っ赤だ。
「……テッドさん。気の多いフリードリヒ王を批判してましたけど、少しぐらいは陛下を見習ったほうがいいかもしれませんよ。あそこまで口説き魔になれとは言いませんが、ちゃんと自分の言葉で想いを伝えたらどうですか」
呆れたようにマリアが言う。
それでも煮え切れないテッドを、カイと一緒にデートへ送り出した。仕事を片付けるために事務所にマリアは残り、カイはちょっと心配そうに町へ出ていく姉とテッドを見送っている――。
「姉ちゃん、大丈夫かなー。いつもはしっかりしてて組合の男相手に平然と言い返すぐらい根性太いのに、テッドのことになるとポンコツなんだよー」
「テッドさんも、そっち方面はポンコツだから心配だわ」
そんなところは上司に似なくていいのに、と。ここにはいない誰かさんを思い浮かべ、マリアは言った。
フリードリヒ王がクラベル商会を訪れる機会があったら、テッドに女性の口説き方を教えてくれるよう頼んでおこう。
冬も終わりが見え始め、季節は春へと変わろうとしている。
クラベル商会ベナトリア支店計画は、意外と順調なようだ――。




