魔女への羨望 (1)
「オルディス公爵がいらっしゃったわ!ああ、今日もなんて美しいのかしら……」
「ちょっと、あなた邪魔よ!そこに立ってたら公爵の麗しい姿が見えないじゃない!」
「ああん、王妃様が羨ましいわぁ……お姉さまからいつでも、あの極上の笑顔を向けて頂けるだなんて……」
「それは無理よ。王妃様の可憐さには誰も敵いっこないもの」
きゃいきゃいと続く少女たちの会話に、マリアはにっこり微笑む。
美しかった父親に似たマリアは、男装をしてもその美貌に陰りはないらしく。年を取って色褪せるどころか、より倒錯的な雰囲気が強まるマリアは、いつの間にやら女性たちの憧れの的となっていた――正直、どうしてこうなったと思うところはある。
「お前のファンクラブ、年々パワーアップしてってないか?」
マリアの従者であるララが、呆れたように呟く。
「……笑顔で応えておきながらこういうこと言うのもどうかと思うけれど……私もこのノリにはついていけないわ」
マリアの男装は、そういう性癖ではなく、単に動きやすいからという理由で始めたものだ。だから、こうやって女の子たちからキャーキャー言われるような立ち位置になってしまったことを、他ならぬマリア自身が一番困惑している。
「ねえ、ねえ、お姉さま。ご覧くださいませ!私、今日のためにこのお洋服を買い求めましたの!」
「クラベル商会の……オフェリアがデザインしたものですね。お買い上げありがとうございます」
マリアがにっこり笑いかければ、服を見せに来た少女は赤面し、周囲からは妬みやっかみの声が上がった。
「きーっ!お姉さまに直接笑いかけてもらえるだなんて、なんて羨ましい!」
「それにあの服!私だって欲しくて必死なのに、全然買えなかったのよ!」
飛び交うブーイングに、マリアも心の内で苦笑する。
若さってすごいわ、なんて。ついそんなことを考えてしまって。もう自分も、年寄りと呼ばれる年齢になってしまったのだろうか。
「服は無理だったけど、王妃様がデザインされた髪飾りは買えましたのよ」
「入荷初日に一時間足らずで売り切れたというあれを……!?」
「王妃様デザインの商品は大人気で。手に入れるのも大変ですわ」
女が集まれば、話題というのは尽きないもので。マリアを置き去りに流行を語る女性たちに、思わずホッとしてしまう。
「王妃様がデザインされるものはどれもこれも素晴らしくて……。でも、何よりも驚かされたのは乗馬の腕ですわ。あんなに可愛らしい見た目なのに、ひょいっと馬に跨って……男顔負けでしたわ」
「キシリアでは、移動の手段として乗馬が一般的ですから。女子供でも、一人で馬に乗れるよう練習させられるんです」
マリアが言った。
マリアとオフェリアはエンジェリクではなく、キシリアという国で生まれ育った。高低差のある広大な土地を持つキシリアでは、女でも馬に乗るのが当たり前だ。
一方、小さな島国で土地も平坦なエンジェリクでは馬車での移動が一般的。そういった職業に就いた人間か一部の趣味人しか、馬に乗る機会がない。
そうなると、オフェリアの乗馬の腕は、そこらへんのエンジェリク紳士では敵うものではないのも当然だ。
「私、先王陛下が主催された競馬で、お姉さまが見事優勝を飾ったお姿をいまでも覚えておりますわ」
一人の少女が言えば、それに同調するように周囲もうっとりとした表情でマリアを見つめる。
「居並ぶ男たちをごぼう抜きにして……あのお姿に憧れて、私も馬に乗るようになりましたの」
「私もです。両親からは反対されましたが、ごり押ししてやりましたわ」
エンジェリクでは、若い女性による乗馬も流行しているようだ。その先駆者であるマリアの影響が大きいと思うのは、きっと自惚れではないはず。
「さあ、さあ、皆さん!お喋りはそれぐらいにして。せっかくオルディス公爵が来てくださったのですから、時間は有意義に使わないと。今日は公爵から、乗馬について直接指導して頂ける貴重な機会でしてよ!」
お喋りを遮り、集まりの主催者である女性――ステファニー・ケンドール侯爵令嬢が言った。
今日は、女性ばかりの乗馬会だ。ケンドール侯爵令嬢が主催者となって――侯爵令嬢と呼ばれているが、彼女はすでに既婚者。婿を取り、ケンドール家の次期女当主。マリアよりも若いが、ホスト役はなかなか様になっている。
「オルディス公爵、本日はありがとうございます。公爵が来てくださったおかげで、今日の集まりは大にぎわい……。皆さん、今日を本当に楽しみにしていらっしゃったんですよ」
宴もたけなわとなった頃、ステファニー本人からマリアは改めて礼を述べられた。
それは良かった、とマリアも笑顔で返す。
「私でお役に立てたのなら幸いですわ。それに、お若い方と接する機会は私にとってもありがたいもので……」
お前いくつだよ、と言いたげな顔をしているララが視界に入ったが、丸っと無視してマリアは微笑む。
実際、今回の集まりの中ではマリアが最年長だ。
明るくはしゃぐ少女たちを見ていると、やはり月日の流れを感じる。自分が最年少の立場で呼ばれていた頃が、なんだか遠い昔のよう……。
「気持ちの上では若いつもりでも、身体はついていかなくなっていくものですわね。ステファニー様、私、少し休憩を取らせて頂きたいのですが」
「お部屋を用意して御座いますわ。無理もないことで……皆さん、公爵を引っ張り回して。どうぞゆっくり過ごしてくださいませ。人は近づけぬようにしておきますから」
侯爵令嬢は笑顔でマリアを見送る――含みのある彼女の笑顔に、マリアは何気ないふりをして応じる。
――本日のメインイベントだ。
用意された部屋で、マリアは着替えを済ませて待った――この部屋の、本来の主が訪ねてくるのを。
「誰の許しを得てこの部屋に――ああ、ステファニーか。まったく。我が娘ながら妙な趣味に目覚めて……困ったものだ」
戻ってきた主は、マリアの姿を見て顔をしかめる。やれやれと首を振り、ケンドール侯爵は長椅子に腰かけた。
「ご機嫌よう、モーリス様。今日はお嬢さんのステファニー様に呼ばれて参りましたの。ステファニー様のお友達に乗馬を教えるのと……モーリス様にお会いするために」
羽織っていた上着を脱ぎ、マリアはケンドール侯爵に密着するように隣に腰かける。
わざわざ男装からこの薄手のドレスに着替えた甲斐はあったようだ。平静を装っているが、長椅子の肘かけに置かれた侯爵の手がそわそわと動いている。大きく開いたマリアの胸元に、時折視線もやっていて――そうこなくては困る。
マリアはほくそ笑んだ。
「モーリス様が憎まれ役を買って出てくださるおかげで、貴族たちの不平不満も緩和されているのです。王妃オフェリアの自由が許されるのは、モーリス様が陰ながら支えてくださるから……姉として、その御恩に報いる方法を考えておりましたの」
「……ひとつ、はっきりさせておきたいことがある。私はエンジェリクに忠誠を誓っているのであり、王妃個人をかばい立てするつもりはない。あなたたちの味方だとは考えぬことだ」
そう言いながらも、マリアが膝の上に圧し掛かってくるのを拒絶する様子はない。それどころか、マリアの口付けを受け入れ、侯爵の手がマリアの身体をなぞっている。
スカートの裾から足が出るのもためらわず、マリアは自らの身体を侯爵に押し付けた。
「キシリアの魔女め……!」
ケンドール候が唸り、体勢が入れ替わってマリアは長椅子に押し倒される。衣服を引く裂く音に混じり、自分に覆いかぶさるケンドール候がごくりと嚥下するのをマリアは聞き逃さなかった。
ドレスはケンドール候に破られてしまったので、マリアはもう一度男物の服に着替えることになった。ドレスよりは着やすいし、動きやすくなるから男装は苦ではないのだが……やはり、滑稽な気分だ。
「まあ、オルディス公爵。もうお帰りに?お父様ったら、お見送りもしないだなんて……」
帰ろうとするマリアを、ケンドール候の娘が呼び止める。女性への扱いがなっていない父親にぷりぷりと怒るステファニーを、マリアのほうがなだめた。
「モーリス様ならお休みですわ。思いの外、情熱的な御方で。私も、つい……。ですからモーリス様を責められぬよう」
ケンドール侯爵を誑かすのはいいのだが、娘に父親の女性関係を把握されるのはいかがなものか。しかし、当のステファニーは何やら嬉しそうにしている。
「ふふ……父は、オルディス公爵が我が家に来ると聞いてからずっと、そわそわしていましたのよ。朝から服を並べて……鏡を見つけては、何度も身だしなみを確認して」
「ステファニー様のご協力には感謝しかありませんわ。でも……よろしかったのですか?私、ろくでもない女ですよ」
モーリス・ケンドール侯爵を誑しこむ――王への不満を臆することなく口にする彼は、マリアにとって重要な人材だ。
若い王は王妃に甘い。王の寵愛をいいことに自由に振る舞う王妃への反発。
ケンドール候が厳しくたしなめているから、他の貴族たちが口出しできないという側面もある。
味方につけようというわけではない。ただ……いざという時、マリアとの『話し合い』に応じてくれるよう友好的な関係を築きたいだけだ。
しかしステファニーから見れば、父親に近付いて欲しくない女のはずだが……。
少なくとも、目を輝かせてマリアを見つめてくるのはおかしい。
「オルディス公爵に誘惑していただけるだなんて、素晴らしいことですわ!父は公爵に目をつけられるほどの男になった……そういうことですもの。周りから羨ましがられますわ!」
「そういうものなのでしょうか……」
……歓迎してもらえるのなら、まあ……好しとしよう。ステファニー嬢と対立するのは本望ではないし。
「……それに。お父様もお母様を亡くして独り身が長く……。後妻におさまろうとする女たちが鬱陶しくて堪らないのです。公爵がライバルになってくだされば、少しは静かになりますわ――あら。私ったら、公爵様をまるで虫除けのように」
「お気になさらず。むしろ私の存在が役立つのであれば、いかようにでも利用してくださいませ」
マリアはにっこり笑って言った。
モーリス・ケンドール侯爵を狙う女。それはマリアにとっても邪魔者だ。ライバル扱いで間違いではない。