血塗られた城 (2)
城へ行き、対面したベナトリア王は……あの王太子の父親にしては小さいな、という印象だった。色々と。
「マリア・オルディスでございます。エルンスト陛下のおかげで、このようにつつがなくベナトリア王都にまでたどり着きまして。数日のうちにセイランに向けて出発いたしますが、その前に陛下にご挨拶をとうかがいました」
実際には問題だらけの旅であった――しかもその原因を作ったのが、他ならぬベナトリア王。皮肉な思いを胸に、マリアは愛想よく微笑んで王に頭を下げる。
ベナトリア王は尊大に胸を張り、自分の背丈よりも高い玉座の前に立ってマリアの挨拶を受ける。
彼に対して良い印象を抱けないのは、あらかじめ修道士シモンから聞かされた情報による偏見もあっただろうか。だが町で目撃したものを思えば、彼に好意的になれるはずもなかった。
「大儀である。エンジェリクは、共にフランシーヌを敵とする国。卑しい簒奪者を王に戴く国など、なんと忌々しい。あの国を倒すためにも、エンジェリクとはこれからも友好的な関係でありたいものだ」
ニコリともせず、ベナトリア王はそう言った。たかだか女一人のために、王が愛想を売ることすら惜しいらしい。
本当に、息子とは正反対な男だ。
「セイランへの出発については、グスタフと話し合って決めるといい。聖堂騎士団が使い物にならなくなり、公爵には新しい護衛が必要だが、多くをつけるつもりはない。グスタフ、新たな護衛隊については必ず余に確認させるのだぞ」
グスタフ、と王が呼び掛けた男は、恰幅が良く髭を生やした中年だった。大きく腹は出ているが、すべてが脂肪というわけではなさそうだ。重い鎧を着ても、身軽な動きで王に頭を下げていた。
「オルディス公爵、陛下より紹介があったが、わしはベナトリア国王直属軍軍隊長を務めるグスタフ・シュレーダーだ。シモン殿とは久しぶりだな」
「はい。相変わらずお元気そうで。安心いたしました」
軍隊長は聖堂騎士団の修道士シモンとは顔見知りらしい。陽気で朗らかな軍隊長は、自分の半分程度の年齢の小娘にも、丁寧に接してくれている。
修道士シモンに声をかける人物が、もう一人。その恰好から、彼はこの王都の司祭であることはマリアにも分かった。
「ヨーナス様もお久しぶりにございます。すっかりご無沙汰をしておりまして」
「息災そうで安心した。最後に顔を合わせたのは……もう十年も前になるか。私も年を取るはずだ……」
懐かしい人との再会を、マリアは黙って見守っていた。
修道士シモンが紹介してくれるのを待ち……マリアに向かってにこりともしなかった王とは対照的に、軍隊長も司祭も歓迎するような雰囲気だった。
「トマス殿はお元気にしておられますかな?彼とは肩を並べて学問を学んだ仲でしてな。共に老い先短い者同士……己の務めを果たすにふさわしい場所を見つけられたようで、誇らしくもあり羨ましくもあります」
ヨーナス司祭はその見た目通り、落ち着いた口調でマリアに話しかける。
トマス司祭は、マリアが治める領地オルディスの教会にいる司祭だ。修道士嫌いのマリアでも、彼の熱心さや勤勉さ、誠実さは認めていた。最近は年を取って、修道士シモンに後任を譲りたいと考えているようだった。
「もしよろしければ、王都を発つ前にぜひとも私の教会にお立ち寄りください。トマス殿のこと、エンジェリクのこと……めったにお会いできない異国のお方と、ぜひお話してみたいものです」
ぺこりと頭を下げ、ヨーナス司祭は実に謙虚に去って行った。軍隊長も、彼なりにマリアのことを気遣ってくれた。
「さっそくセイランに向けての出発の話を……と言うのも、さすがに野暮というものですな。まずは王都に着き、ホッとしておられるところでしょう。しばらくはゆっくり休んで旅の疲れを癒されると良い。ベナトリアも良い国ですぞ。美味しいものもたくさんありますしな!」
二人を見送り、自分の周囲にララと修道士シモン以外誰もいなくなったのを確認すると、マリアは口を開いた。
「フリードリヒ殿下のことをお尋ねするのなら、やはりさっきの軍隊長殿か、司祭様がいいかしら」
城へ入る前。マリアは修道士シモンに確認を取っておいた。
王太子フリードリヒの安否。それを探るのなら、誰を頼るべきかと。
「陛下と話せればそれが一番だけれど……かけらも私に興味を持たなかったわね。あの様子では、色仕掛けも無理かしら」
「無理です。公爵、謁見の間で並んでいた人間の内、玉座に向かって右に立っていた女性を覚えておいでですか?」
女性――というだけで、すぐに該当者を思い出すことができた。あの場で、女はマリア以外に一人しかいなかった。
恰好からして、たぶん女官。立ち位置も立ち振る舞いも、さほど高貴さは感じられなかった。ただ、王が立ち去った後、すぐに彼女も謁見の間を出て行って……なんだかマリアを憐れむような、見下すような、ぶっちゃけすごく不愉快な表情が、印象に残っている……。
「あれはエルンスト陛下の愛妾です」
修道士の説明に、趣味悪、とララが間髪入れずに言った。
「彼女をご覧になればわかるように、陛下はブス専なのです」
「ぶ」
さすがのララも、その単語をはっきりと口に出すことはできないでいる。マリアも苦笑した。
……美的感覚は人それぞれだ。マリアも、国が違えば文化も違い、とんでもないブスに属してしまうかもしれないし……。
「冗談です。半分は。エルンスト陛下は自分より背が低い女性が好みなんです」
「ああ、そちらなら納得です」
マリアは相槌を打った。
マリアは背が高いほうではないが、そんな自分と比べても、ベナトリア王は小柄だった。謁見の間で会った時、王のほうがわずかに高かった――いや。ベナトリア王は、かなりヒールのある靴を履いていた。あれでマリアよりちょっと高い程度なら、本来の身長は……。
「身長が条件となると、もはやお手上げですね。ではやはり、軍隊長グスタフ様か、司祭のヨーナス様に絞りましょう。その前に確認ですが、ベナトリアの宰相殿は、絶対に無駄なんですね?」
本来、宰相と言うのは王に次ぐ力の持ち主のはず。王太子不在のいまなら特に。ベナトリアにもいるはずなのだが、頼る相手の候補に挙げた時、修道士から真っ先に却下されてしまった。
「前任者は有能な方だったのですが、老齢で亡くなりまして。後任の者は宰相となって日も浅く、いまは王の腰巾着として相槌を打つ仕事しかできておりません」
「分かりました。しかし、軍隊長と司祭様……私としては、聖職者は避けたいところなのですが」
信仰について、マリアはかなり不真面目な人間だ。だからと言って、真面目に信仰している人間を妨害していいとは思っていない。あえて聖職者を堕落させる娼婦を演じたいとは思わないのだが――修道士シモンは、あいまいに笑う。
「軍隊長グスタフ殿は、ベナトリア一のおしどり夫婦としても有名です。恋女房との間に子供が十五人」
「妻帯者は基本、対象外だもんな。お前の場合」
からかうようにララが言った。
妻帯者は対象外というか、必ず厄介なことになるから、遠慮したい。正妻のいる男と男女の関係になれば、リスクやデメリットが大きいから。男はたくさんいるのだから、何も最初から面倒なことになると分かっている相手を選びたくない――と言っても、ほかに選択がなければ強行したが。
それにしたって、妻と仲の良い男性の家庭をめちゃくちゃにしたいとは思わない。
「消去法でいくしかないわよね。そんな理由で選ばれる方はたまったもんじゃないでしょうけど」
「ヨーナス司祭様ですか」
修道士シモンの表情は浮かない。聖職者を誘惑すると言われたらそれが普通の反応か。
シモンが難色を示すということは、ヨーナス司祭はまともな聖職者……と信じてよいのだろうか。
「十五歳で僧籍に入り、学問を収め、誠実で心優しい人柄から、人望の厚い御方です。彼の醜聞を聞いたことがありません。なので、いくらオルディス公爵でも彼を誘惑するのは難しいかもしれない、と思うと同時に、私もお慕いしていますから、そんな御方の堕落する姿は見たくないという複雑な思いもありまして」
「シモン様がいやがるお気持ちはもっともですが、押し通らせていただくしかないでしょうね」
誠実で優しいのなら、色仕掛けせずともなんとかなるのでは――穏便に済ませられるのなら、それに越したことはない。
露出の多いドレスは避け、落ち着いた色の簡素なドレスでマリアは司祭ヨーナスのいる教会を訪ねた。
町を見て回るついでに立ち寄ったと話せば、司祭は笑顔でマリアを招き入れ、司祭特製の薬湯を振舞いながら町やベナトリアの歴史を親切に語ってくれる――年寄りと言うのは、女性以上に長話が好きな気がする。
「ヨーナス様は大変物知りですね」
話が途切れたタイミングでマリアは口を挟み、微笑んだ。
「この教会に来て、もう長くなりましたから。軍隊長のグスタフ殿ももとは地方の出ですから……この町で一番長く暮らしているのは、王を除けば私かもしれません」
自分の長話を嫌な顔一つせず聞いてもらえるのが嬉しいのか、ヨーナス司祭はにこにこしながら話し続ける。
「では、司祭様はフリードリヒ殿下のこともよくご存じで?」
「おお。殿下のことなら、幼い頃からよく。なかなか好奇心旺盛でやんちゃな少年でした。教会に忍び込んでは、こっそり楽器を弾いて……」
楽しい思い出話を口にして、初めて司祭が口を閉ざした。まずいことを話してしまった――司祭は、心の内がよく顔に出るタイプのようだ。
「私も、殿下が演奏されるリュートを聴きました。とても素晴らしかったですわ。ヘルマン様も、殿下の演奏が好きだとお話しされていました」
ヘルマンの名に、司祭は苦悶の表情を浮かべた。
「そうですか……そうですね。ヘルマンはフリードリヒ殿下の幼馴染みで、殿下が教会に忍び込む時には、お供として一緒について来ておりました……。ヘルマンはもとは騎士の家の次男だったのですが、戦で父親と、跡を継ぐはずだった兄を立て続けに亡くし、あの子が家を継ぐことに……。騎士らしくない体格なので、周囲からよく侮られて……王太子の従者にふさわしい男になろうと、必死で努力する姿も見てきました……それが、あんな……」
ヨーナス司祭は、王太子のこともヘルマンのことも、個人的によく知っているようだ。それも幼い頃から……。
子どもの頃からよく知っている相手の、あの変わり果てた姿――司祭は動揺している。
彼に目を付けたのは、悪くなかった。
「フリードリヒ殿下が楽器をたしなむこと……あまり快く思われていなかったのですね。あれほど素晴らしい腕がありながら、こそこそと隠さねばならないなんてお気の毒に」
「ええ。エルンスト陛下は……なんと申しますか、その、芸術には関心がないので。勇ましい王となるべき王太子が楽器など……と、幼少より厳しく接しておりました」
芸術を軟弱なものとして嫌う男は少なくない。マリアの身近にも、父親と深い溝のある芸術家がいた。
「私の知り合いにも、同じような境遇の絵描きがおります。才能もあって、絵描きだけでなく、他にも優れた面はたくさん持っておりますのに、彼の父親は、自分の意向に従わないというだけで彼をすべて否定しましたわ……」
「なまじ優秀だからこそ、我が子に期待をして、意に添わぬことに腹が立つのやもしれません。人にはそれぞれ定められた道があるもの――しかし、それにしても陛下のやりようはあんまりだ……」
何気ない雑談を続けるふりをしながら、マリアはヨーナス司祭を注意深く観察した。
――どうやって彼を味方に引き入れるか。
司祭はどちらかと言えば王太子寄り……それでも、王に自分が逆らうとなれば話は別。なにか、司祭に決心させるきっかけがあれば……。
 




