血塗られた城 (1)
「良いですか、母上。今回のこのような事態を招いたのも、もとをたどればやたらめったらと男を誑かしてしまう母上の魅力が原因なのです」
馬車の中、隣に並んで座った息子は、久しぶりの再会だというのにさっそくマリアに説教をかましてきて。向かいに座る伯爵も苦笑している。
「母上に惚れる男は熱狂的でしつこく、権力と財力を振りかざして追いかけまわしてくるようなタイプがほとんどなんですから。もっと慎重にならないと」
「その熱狂的でしつこい男には、私も含まれているのかな」
「最筆頭が何を言ってるんですか」
父親にも容赦なく、クリスティアンはぴしゃりと言い捨てた。マリアはくすくす笑い、息子を抱きしめる。
大人びていて、生意気で。相変わらずな愛しい息子。伯爵に会えたことも嬉しいが、我が子が近くにいてくれると、それだけで幸せだ。
「お待たせしました。宿が取れましたよ」
馬車の外から、伯爵の従者ノアが声をかけてくる。
フランシーヌ軍から無事逃げおおせたマリアは、その後シルバーサーカス団から離れてベナトリアの王都へ向かっていた。クラベル商会に紛れて移動し、特に大きな問題が起こることもなく旅は続いている。
そしてこの町で修道士シモンの合流を待つ――ベナトリア城へは、さすがに彼の同行が必要だ。
「マリア様のご要望通り、広い浴室付きの部屋です」
ノアの言葉に、嬉しいわ、とマリアは素直な感想を述べた。
ベナトリアへ来てから、ほとんど風呂に入れていない。毎日入りたいぐらい風呂好きのマリアにとっては、それが一番つらかった……。
「クリスティアン、久しぶりに一緒に入りましょうね」
「僕は一人で入れます」
クリスティアンは眉を八の字にして抗議した。
「……伯爵。クリスティアン様に嫉妬なさらないでください。大人げないにもほどがあります」
「嫉妬などしていない。私をのけ者にして二人でいちゃついてるのが面白くないだけだ」
ノアと伯爵のそんなやり取りも聞こえないふりで、マリアはクリスティアンをぎゅっと抱きしめていた。
夜も更け、眠るクリスティアンのそばでマリアは手紙を読んでいた。手紙を読むのに夢中になっていたマリアは、部屋に入ってきた人にも気づかず……後ろから抱きしめられ、驚きに声が出そうになった。
クリスティアンを起こしてしまわないように声を堪え、もう、と小さく呟く。
「驚かさないでくださいませ」
「君がいつまでたっても戻ってこないものだから気になって見に来てみれば……私のことなどすっかり忘れている君に、ちょっとした仕返しだ」
母親に構ってもらえなくて拗ねる、小さな子どものような言い分――マリアはくすりと笑い、自分を抱きしめる伯爵にもたれかかる。マリアが甘えて見せれば、伯爵も満足そうに頬に口付けてきた。
「申し訳ありませんでした。アルフォンソ様からのお手紙に何気なく目を通していたら、つい……時間を忘れ没頭してしまって」
クリスティアンを寝かしつけたら、伯爵が待つ部屋へ戻るはずだった。しかしキシリア王妃からの手紙をふと読み返したくなって、それを読んでいたら、いつの間にやらかなり時間が経ってしまったようだ。
「ヴィクトール様もありがとうございました。キシリアへ行って……まさか、そのままベナトリアまで追いかけてきてくださるとは思いませんでしたわ。来てくださって、とても心強いです」
「そう言ってもらえると、苦労が報われるな」
伯爵はキシリアへ行き、キシリア王にフランシーヌ軍を引き付けてもらうよう依頼しに行っていたのだ。
まさかベナトリア王がフランシーヌ軍を手引きするとは思ってもいなかったから、結局マリアはフランシーヌ軍と出くわしてしまったが。
しかし、デュナン将軍がマリアを探すことを早々に諦めてくれたのは、やはりキシリア王の配慮のおかげ。キシリア軍がフランシーヌの国境に集結し始めたとの報告を受けていたから、早めに切り上げて国に帰るしかなかったのだ。
「アルフォンソ様からのお手紙を読んでいると、キシリアがとても恋しくなります」
王妃からの手紙には、キシリアや自分たちの近況が細やかに書かれている。王も子どもたちも、道中の無事を祈っていると……また会える日を、楽しみにしていると。
……本当に。いつか、また。キシリア王たちに会えたら……。
黙り込んだ自分を優しく抱きしめてくれる伯爵に甘えていたマリアの耳に、扉をノックする音が聞こえてきた。扉の向こうに誰がいるのか、伯爵はすぐに分かったらしい。そんな伯爵の様子から、マリアも察した。
予想通り、ノアが入って来る。失礼します、と頭を下げ、伯爵に報告する。
「シモン様が戻られました」
マリアはすぐに、修道士シモンのいる部屋に向かった。
修道士シモンは少し疲れた様子だが、それでもマリアを見て微笑む。
「デュナン将軍率いるフランシーヌ軍が、ベナトリアの国境より立ち去ったのを確認して参りました。オルディス公爵には、謝罪のしようもありません。護衛を任されておきながら、公爵が本隊を追い出されたことにも気づかず……」
「シモン様が責任を感じる必要はありませんわ。あの状況では、私の護衛どころではありませんもの。シモン様にかかる負担が多すぎました――それにしてもまさか、卑しくも王が、自国の軍隊を害そうなど」
マリアが言えば、修道士シモンが苦悶に眉を寄せた。
「信じがたいことです。しかし、有り得るかもしれない、と考える自分がおります」
「ベナトリアの王と王太子殿下は、それほどまでに深い確執があるのですか?」
「確執というよりも、王の殿下に対する感情が、一方的に悪化しているのです。このようなことを口にしたくはありませんが、年を取り、王ももうろくしました。被害妄想に取りつかれ、卑屈で見苦しい男に……」
それ以上は言わなかった、修道士シモンですらベナトリア王を軽蔑しているのは明らかだ。
快活で勇猛なフリードリヒ王太子を知っているからこそ、その父親が卑屈でもうろくした男、というのはイメージしにくい。
「ベナトリアの王エルンスト陛下と言えば、兵隊王との異名を得るほど軍事の強化に努めた有能な君主と聞き及んでいたが。寄る年波には勝てないということか。歳月というのは残酷だな」
話を聞いていた伯爵が口を挟み、ベナトリアの現状にため息をつく。修道士シモンは、ベナトリア王を擁護しなかった。
「エルンスト陛下は、実戦に出たことはほとんどありません。その……大変吝嗇なお方でして。その吝嗇さで財政の強化と軍隊の強化に努めたのです。結局は国の強化に成功したわけですから、名君ではあるかもしれませんね」
これから王都に向かい、その吝嗇家な王に会いに行くわけだが……なんだか不安にしかならないことばかり聞かされて、マリアは気が重たかった。
でも、素通りするわけにもいかない。礼節を欠くのは危険だ。
ベナトリア王は、聖堂騎士団を潰そうとした。マリアがいるにも関わらず。ということは、ベナトリア王にとってマリアの命などいつ吹き飛んでも構わない小さな存在なのだ。マリアの無礼を理由に、敵視してくるかも――その矛先が、エンジェリクに向かないとは限らない。
それに何より、フリードリヒ王太子が心配だった。王都へ行ったまま、何の沙汰もない王太子。王太子の供をして行ってしまった騎士たち。彼らはいったい、どうしているのか……。
修道士シモンと合流し、マリアはついに王都に着いた。
ベナトリアの王都は、まさに騎士の国にふさわしい都――城塞のようだった。高い壁に囲まれた町は、なんだか息苦しささえある。それは町の作りのせいなのか、この町の支配者のせいなのか。
「シモン様の助言通り、なるべく質素なドレスを選んだのですが。いかがでしょう?」
城へ赴く前に、マリアは謁見にふさわしい服に着替えた――マリアも派手さは好まないのだが、そんな自分から見ても地味なドレス。もったいない、と伯爵は不満を漏らしている。
「エルンスト陛下は華美を好まないのです。いえ、体裁や見栄を気にする御方ではあるのですが、女性の容貌や服装と言ったものには無頓着で。華美にして、余計なものの関心を引き付けてしまうのは避けたほうがよいかもしれません。クリスティアン様にも叱られたばかりですし」
修道士シモンはにっこりと笑ってそう言った。
アドバイスしてくれるのは有難いが、最後の一言は余計だ。
「なんか性格に難ありそうな王様っぽいけど、俺みたいな明らかな異国人が城に行っても大丈夫なのか?」
マリアに同行することになったララは、少し心配そうに尋ねた。
「それは大丈夫ですよ。外国人や異教徒には寛大ですし、屈強な男は王の好むところ――そう、あからさまにいやそうな顔をせずとも。おかしな意味ではありません。兵士の収集には余念のない御方なので、そういった意味で強い男に関心があるだけです」
修道士シモンはフォローしたが、ララが露骨に不安な顔をするのももっともだ。だって彼の息子は、自分の好みであれば男女お構いなのだから。
「むしろ、フリードリヒ王太子とはどこまでも真逆かもしれません。ヘルマン殿は、いわゆる兵士としては魅力を感じない容貌でしたから。王は彼を見下しておりました。殿下のお気に入りとなってからは特に……」
伯爵やクラベル商会は城へは入れないので、マリアはララと修道士シモンだけを供に城へ向かう。
すれ違う人たちは、時間に急かされるように忙しなく働いている。急がなくてはいけない何かがあるのだろうか、とマリアは首をかしげたのだが、王が理由です、とシモンが答えた。
「暇そうにする、ということを嫌う御方なのです。抜き打ちで町に降りては民の様子を確認することもあり……無駄話をしていた商人が、王に見つかってぶたれたこともあるとか」
「ほとんど病気だな、その王様」
ララが呆れたように言った。
王の監視を恐れる町の人々は、脇目も振らずひたすら働く。彼らには、あたりを見回す、なんて余裕もないのかもしれない。
町の真ん中、見晴らしの良い場所には罪人の首をさらす獄門台が設置されているというのに、誰もそれに動じる様子がない。見えていないのか、見ている暇もないのか、見ないようにしているのか……。
「……すみません。少し、お待ちいただけますか」
獄門台に気付いた修道士シモンが、マリアを止める。
罪人たちのために祈りでも捧げたいのだろうか――獄門台に近づく彼の背を追っていたマリアは、息を呑んだ。
シモンがまっすぐ近づいていった首……斬り落とされてから、かなりの時間が経ったのだろう。無残な状態になっていたが、それでも。その首が誰か、マリアにも分かった。
「ヘルマン様……」
手で口を押さえながらも、思わず声に出てしまった。ララが驚愕に目を見開き、嘘だろ、と呟く。修道士シモンも、獄門台を前に嘆きの声を漏らしていた。
「ええ……間違いありません。これはヘルマン殿……ああ、そんな……」
ヘルマンだけではない。王太子と共に王都へ向かったはずの聖堂騎士団の隊長たち――オットー、クンツ、スヴェン。彼らの首も並んでいる。
「フリードリヒ殿下の首は、ないみたいですね……」
並ぶ首を見比べながら、マリアが言った。
不愉快な、酷い臭い。
昨日、今日、処刑されたのではない。もしかしたら、彼らが王都へ来て間もない内に、この姿に……。
「シモン様、嘆いている暇はありませんわ。私たちも城へ急がないと」
たしかに、彼の首はない。でもこの状況で、だからフリードリヒ王太子は無事だ、なんて。そんな楽観的なこと、期待できるはずもなかった。




