有難くない再会 (2)
マリアもララ同様フードを被っていたが、よりいっそうそれを深く頭からかぶり、デュナン将軍の注意を引かないように気を付けた。
デュナン将軍と直接会話をしたことはない。エンジェリクの城で顔を合わせただけ……将軍がマリアのことなどとっくに忘れていることを、期待するしかない……。
「異常はないか」
デュナン将軍が、見張りの兵士たちに声をかける――自分で作った死体が運ばれていくのは、彼にとって異常ではないらしい。
「町へ入ったのは七名――全員、この町の住民です。出かけていたのを、帰ってきたようで……出た者は、えっと、その二人で三十三名になります」
兵士の報告に、デュナン将軍がマリアに振り返った。じっと自分を見つめる将軍に、内心の動揺を堪えて小さく会釈する。
さっと手を伸ばし、デュナン将軍はマリアのフードを払いのけた。明らかに、マリアの顔を見て反応している。マリアの顔は知らなくても、先のキシリア宰相の顔は知っているかもしれない――マリアは、キシリア宰相だった父親にそっくりなのだ。
「巡礼者だそうです。エンジェリク人ではありますが、巡礼許可書に不審な点はありません」
見張りの青年は報告を続け、巡礼許可書を将軍に渡す。許可書を見つめる将軍の横顔に、マリアはため息をつきたかった。
……たぶん、気づかれた。
「……たしかに。許可書に不審な点はない。だが」
将軍は許可書をマリアに突き出し、警戒するような目を向ける。
「オルディス公爵ともなれば、たいそうな行列を成して巡礼に出るものではないのか。それとも、エンジェリク王は妃の姉に援助する余裕もないのか。先王の愛妾でもあったというのに。ずいぶんと質素な旅だな」
マリアの正体が暴露され、フランシーヌの兵士たちは目を白黒させていた。マリアは苦笑し、将軍の問いかけに対して肯定も否定もしなかった。
デュナン将軍がララに視線をやり、捕えろ、と短く命令するのを受け、初めて口を開いた。
「その者は護衛で雇っただけの従者です。どうか手荒な真似はなさらないで」
マリアの懇願にデュナン将軍も答えず、腕をつかんで引っ張る。生粋の軍人だけあって、白髪だらけの老齢であってもマリアでは逆らうこともできないほどの力だ。
「その男はどこか適当な牢に放り込んでおけ。この女は俺が尋問する」
自分を引っ張るデュナン将軍に、転びそうになりながらついていった――大股で歩かれると、身長差もあるし、マリアでは早足でないと追いつけない。
自分がどこへ連れていかれるのかより、ララがどうなるかということのほうがマリアは心配だった。見張りの兵士たちに大人しく捕まっていたようだが……たぶん、マリアが捕まっているから下手に動けないというのはあっただろう。マリアもララが心配で、勝手には動けない――互いが互いの人質状態だ。
デュナン将軍がマリアを連れて行った場所は、マリアたちが泊まっていたところとは違う宿屋だった。
軍隊の将、仮にも国の頂点に立っている男が寝泊まりするには、あまりにも質素な部屋で。一般の兵士たちと差のなさそうな部屋……着ているものも、何度も着用してずいぶんとくたびれたもののようだし、デュナン将軍は華美なものを好まないのかもしれない。
マリアも物欲のないほうではあるが、彼もなかなかの倹約家だ。
部屋に連れ込まれ、簡素なベッドに放り投げられた。身体を起こして振り返ると、デュナン将軍がマリアをじっと見ている……が、近づいてくる様子はなかった。
探るような目つき……マリアが座り込んでいるのはデュナン将軍のベッドなのだろうが、彼はそのことについてはどうでもいいようだった。
「何を企んでいる?」
将軍の問いかけに、マリアは黙り込み、考え込む。
――ララが捕まっている。下手にごまかせば、ララのほうが問い詰められることになるかもしれない。尋問が拷問に代わるまで、どれぐらいの猶予があるのか……。
「……それは、私がお聞きしたいことです。あなた方がベナトリアへ来たせいで、私の予定はめちゃくちゃです」
デュナン将軍をまっすぐに見据え、マリアは微笑んで言った。
少しばかり嫌味な口調になってしまったが、昔ながらの友人に話しかけるように。怯えや動揺を表に出すことなく。
デュナン将軍と討論するのなら、追い詰められたようなそぶりを見せてはいけないような気がして。
「私はエンジェリク王より特命を受け、セイランへ赴く途中でした。ベナトリア王からも許可をいただき、さっさとベナトリアを通過してしまうはずだったのに……。フランシーヌ軍が侵攻してきたことで、思うように進めなくなってしまいました。予定では、とうに王都に着いてセイラン側の国境を目指しているはずでしたわ。それなのに、私はまだ王都にもたどり着いておりません」
将軍はまだマリアを探るように見ていたが、彼もまた、考え込んでいるようだった。
マリアの言い分を完全に信用したわけではないが、完全に否定する材料もない――そう判断したように見える。
「……セイランへ何をしに行く」
「それはお話しできません。秘密にしておきたいというより、あまりにもプライベートなことですので。そちらにとっても、聞いたところで何の得にもならないかと。双方にとって利のないことであるなら、吹聴したくはありませんわ」
答えることを拒否するマリアにデュナン将軍は気を悪くする様子もなく、むしろあっさり興味を失ったようだった。
うろうろと部屋の中を歩き回り、また何かを考え込んでいる。
「ベナトリアの王と王太子――両者の間には深い確執があると聞く」
「存じております。余所者の私ですら、その話が耳に入るほど有名なようですね」
「しかし……ありえるのか?息子憎しのあまりに、一国の王が。自国を危うくしてまでも、我が子を追い詰めるなど」
将軍のつぶやきは、マリアにとって最大の情報だった。
王が、王太子を潰すために自ら国の危機を招いた。つまり、聖堂騎士団で起きたごたごたも、フランシーヌ軍が冬に山越えという危険を冒してまで侵攻してきたのも……。
「……ありえることだと思います。王冠を戴く者にとって血の繋がりとは、時に何よりも忌まわしい呪縛となるものですから。キシリアでも、エンジェリクでも、血の繋がった者同士で争う姿を見て参りました」
むしろ、血が繋がっているからこその生まれる確執。
エンジェリク、キシリア……どちらの国でも起きたこと。ベナトリアで同様のことが起きても、何の不思議もない。
デュナン将軍は天涯孤独と聞いているし、王族とは全く無縁の身分で簒奪した成り上がり者。だから王族にとっての血の繋がり、というものにピンと来ないのだろう。自分は無縁の話だったから。
そういうものか、と将軍は言い、また黙り込んで部屋の中をうろうろと歩き回っていた。
それを横目に、マリアも再び考え込む。
ベナトリアにフランシーヌ軍を招き入れたのは、ベナトリア王だった。聖堂騎士団を……フリードリヒ王太子を貶めるために。デュナン将軍と完全に繋がっているわけではない……ベナトリア王の行いに、将軍も戸惑っている。
――何を企んでいる。
だから、真っ先にこの質問が出たというわけか。
王が敵国に有利な情報を流し、自国の大事な軍隊を襲わせる。わけがわからないし、そこにエンジェリク王に近い人間が現れれば、やはり何か企みがあったのかと疑いたくなるのも当然……。
視線を感じ、マリアは顔を上げた。
デュナン将軍がマリアをじっと見ていて――さっきまでと、視線の種類が違うような気がする。この手の視線にはものすごく敏感だ。何度も向けられてきたものだし。
「……それはお止めになったほうがよろしいかと」
マリアが笑って言えば、ほう、とデュナン将軍は挑戦的に相槌を打つ。
「俺が何を考えているのか、お前には分かると?」
「私も女を武器にしてきましたから。男性からそのような目で見られることには慣れておりますもの」
「なるほど、非常に説得力がある。その上で止めたほうがいい、と。まるで俺を気遣うような口ぶりだな」
「気遣っておりますの。だってデュナン様は、女性の扱いに自信があるわけではないのでしょう?」
我ながら、なかなか不敵な発言だ。実際、デュナン将軍はたいそう気分を害した様子……でも事実だから、マリアは悪びれない。眉間にしわを寄せ、険悪な空気をまとう彼に、ニコニコと笑顔で返す。
「エンジェリクの先王を誑かした女ですよ。生半可なお気持ちで手を出すのはお止めになるべきです。返り討ちにされましてよ」
大股でベッドに近づき、デュナン将軍はマリアをベッドに引きずり倒す。自分にのしかかってくる男の胸を軽く押し返しつつも、強引に服を脱がしにかかる手を止めはしなかった。
「自ら私の得意領域に踏み込んでくださるのは有難いのですが、本当によろしいのですか?私、手加減いたしませんよ。エンジェリクの王を虜にした手管を、存分に味わわせて差し上げますわ」
「……やれるものならやってみろ」
こういう時、いつも思う。
こういった状況で必ず女の側が屈服すると考えているのなら、それは安っぽいロマンス小説の読み過ぎだと。
……なんで男のほうが陥落させられる可能性を考えないのか。
ちょろい男め、と思いつつも、彼の腕からは逃げ出せなくてマリアはもがいていた。
男と女で力の差があるのは理不尽だ。もっとも、軍人と民間人という差もあって、同じ男でも彼に勝てる気はしないが。
彼の腕から這い出てきても、その力であっという間に引き戻される。職務中じゃないんですか、とマリアが嫌味ったらしく言っても、俺がいては兵士たちが緊張するだけだ、という言葉が返ってきて。
扉をノックする音に、ほら、とマリアが声をかける。
「呼ばれてますよ。やっぱり仕事に行くべきです」
デュナン将軍は、ノックに対して返事もしない。
が、ノックをした相手も返事を期待していなかったらしい。扉が開き、見覚えのあるフランシーヌ人が部屋に入ってきた。
「ランベール……ほ、本当に女を連れ込んでいるのか」
真面目な顔をして部屋にやって来たフランシーヌ人は、ベッドにいるランベール・デュナン、その男に捕らわれているマリアを見て、困惑していた。
「君にしては珍しい……そういった素振りを見せないから、女性に興味はないものかと」
「野次馬をしに来たのか」
「いや、一応報告に……。君が調べさせてたことだろう」
エミール・ロラン――ランベール・デュナンの腹心の部下は苦笑する。お久しぶりです、とマリアに丁寧に挨拶し、マリアも挨拶を返した。
「えーっと。外で話さないか。彼女に聞かれるのは都合が悪い」
「構わん。すでにペラペラと喋らされたところだ」
起き上がり、デュナン将軍は悪びれることなく言った。なにやってるんだ、とロランのほうが頭を抱えている。
マリアの予想通り、デュナン将軍は女慣れしていなかった。マリアにいいように利用されて、こちらが望むままに口を開いた――あまりのちょろさに、二度と女をベッドに連れ込まないほうがいいと、マリアが警告してしまうほどに。




