女の務め (2)
長女の出産から三日と経たず、マリアは城へ来ていた。
四度目の出産ともなれば祝いや労いも若干適当になり、マリアもまた、生まれた子は可愛いけど城のことも放っておけない、とナタリアたちの反対も無視して城へ来てしまった。
――城で問題が起きることが分かっているのだから、休んでなんかいられない。
「陛下、王女殿下のご誕生おめでとうございます。本来ならば王国の後継ぎが生まれたことを祝うめでたい場で、このような発言をすることをお許し頂きたい」
早速来た、とマリアは思った。ヒューバート王も、内心では同じことを思ったに違いない。
謁見の間ではなく、大臣たちや高位の貴族が居並ぶ円卓の間にて。上座に王が座り、その左隣にマリアが、右隣にジェラルド・ドレイク卿が並ぶ――王の右隣の席は宰相の場所なのだが、高齢となった彼は城を不在にすることもあり、息子のドレイク卿がその代理を務めることも増えてきていた。
「王国には男児の後継者が必要です。しかし、こたびの出産は大変な難産となり、一時は王妃様のお命も危うい状態だったと聞き及んでおります」
そわそわと、居心地の悪そうな顔をする貴族たちを無視し、内務大臣ケンドールは続ける。
「陛下、王妃様の御身を思うのであれば、オフェリア様と離縁なさり、愛妾としてその責務から解放なさることを進言いたします。エンジェリク王妃には、別の女性を――」
「その提案はありがたく拒否させてもらおう、ケンドール候」
内務大臣の発言を遮り、ヒューバート王は即座に彼の意見を却下させた。
「私の妃は生涯オフェリアただ一人。この先何が起きようとも、他の女を妻にする気はない」
「……ほう」
内務大臣は挑戦的な表情で王を見据える。
「それでは我々は、今後も王妃様に期待してもよろしいと。次こそは、必ずや男児をお生みくださるものと」
意地の悪い質問ではあるが、ヒューバート王の立場を考えれば仕方がないものでもある。
エンジェリク王家の人間は、いまやヒューバート王しかいない。王の子が望まれるのは当然だ。
女王の前例はあるが、やはり男児が望ましいのも事実。しかも先々代の国王は、男児後継者を得るために改宗までして離婚と再婚を繰り返してきた。
そのような歴史があっては、ヒューバート王もそれに倣うよう提案されるのも致し方のないことで……こればかりは、マリアも口出しできないことだ。
どれほど妹が可愛くても、王妃オフェリアに王子を生む義務があるのは認めるしかない。王子のいない……他に後ろ楯のないオフェリアは、王の強い寵愛にすがるしかない……。
「……陛下も王妃様もまだお若い。決め付けるのは、時期尚早かと思われるが」
ドレイク卿が静かに言えば、内務大臣は宰相代理を見る――二人の間にバチッと火花が散ったように見えたのは、きっとマリアの気のせいではないはず。
内務大臣と宰相――国政に携わる者同士ではあるが、立場が大きく異なっている。
国王の補佐役である宰相。貴族たちのまとめ役である内務大臣。協力し合うこともあれば、対立し合うこともある。
ケンドール内務大臣はフォレスター宰相よりは若輩だが、ドレイク卿よりは年齢もキャリアもずっと上。父親の威光で宰相代理を務めるようになった若者に、友好的に振る舞うつもりはないようだ。
……三十後半に差し掛かろうと言うのに、ドレイク卿ほどの男がまだ若者扱いされるのも、なんとも滑稽な話ではあるが。
「リチャード王も、結婚当初はそのように考え、静観に徹していた。しかし十年経てども王妃との間に子を授かることはなく……最後には何人もの女が処刑されることになりましたがな」
ヒューバート王の祖父リチャード王は、最初の王妃との間に子を授かることがなかった。そうして月日が経ち、ついには最初の王妃と離縁――その後、身籠った女と再婚を繰り返すも男児後継者を得ることができず。王子を得るまでに何人もの王妃が処刑され、そして王子の誕生によって不要となった王女たちも抹消され……。
まったく、リチャード王も余計な真似をしてくれたものだ。
男児が生めなかった王妃とは離婚してしまえばいい。そんな前例を作ってくれたものだから、男児を生めなかったオフェリアは危うい立場に追いやられてしまって。王妃の地位は不動のものではなくなってしまった。
「まあまあ。ケンドール候も、そんな意地の悪い言い方は止めておかないか。まったく、偽悪的な奴だ!」
緊迫した空気に、いっそ場違いなほど陽気な声が割り込む。外務大臣リッチーの仲裁に、冷や汗を流しながら見守っていた貴族たちは安堵した。
「陛下もどうか気を悪くなさらないでくださいな。ケンドール候は真面目故こんな言い方しかできないだけで、オフェリア様を軽んじているわけではないのですよ。オフェリア様が陛下にとって何よりも重要な御方だからこそ、王妃の義務から解放すべきだと思っているのです。世継ぎを生むためにオフェリア様の命を危険に晒すべきではないと!素直にそう言えばいいのに、ケンドール候ときたら、離縁しろなどと回りくどい言い方をしおって」
外務大臣リッチーは大きなお腹を揺すって豪快に笑い飛ばす。
この外務大臣は政治的手腕は言わずもがな、何よりも口のうまさが一級品だ。女好きでその手のトラブルが絶えないのがたまに傷だが……そういった隙があるからこそ、実はかなり強引な野心的である本性も覆い隠され、貴族たちから愛されているのかもしれない。
「しかし、外務大臣のわしとしてはキシリアに強い人脈を持つオフェリア様との離縁はおすすめできません。となると……やはり……こういった下卑た提案をするのが、わしの役目なのでしょうな」
気取った表情でクラバットを整え、リッチー伯は咳払いする。
「陛下。オフェリア様と離縁なさるより、むしろ彼女の立場を脅かすことのない愛妾を迎えることを提案いたします。王妃様の代わりに彼女に子を生ませ、その子を王妃様の子としてお育てになればいい。王妃様に強い忠誠心を抱き、王妃様もまた絶対の信頼を寄せるご婦人には心当たりがあります」
そう言って、リッチー伯は意味ありげな笑顔をマリアに向ける。とぼけたふりで、マリアもにっこり微笑み返した。
「ワガママばかり言っていないで、多少は私も君たちの提案を受け入れるべきなのは分かっている。だが、そればかりは不可能だ」
ヒューバート王は苦笑する。
「不可能?そりゃまた、面白い理由で」
リッチー伯は愛想のよい笑顔だが……なかなか、ケンドール候にも劣らぬ意地の悪さだと思う。結局、この外務大臣と内務大臣は、根本的な部分がよく似ているのだ。
「オフェリア様とオルディス公爵は、実によく似ていらっしゃる。陛下の好みばっちりだと思うのですが」
「だからだ。マリアを見ていたら、オフェリアを思い出すのは避けられない。君たちは、妻に隠れて浮気をするのにわざわざ妻を思い出させる女性を選ぶか?」
ヒューバート王の問いかけに、何人かの貴族たちは目を泳がせた。
「……そういうことだ。子どもを作ろうにも、私がぽんこつと化してしまうから不可能なのだ」
冗談めかしたように話す王に、貴族たちは笑う。
――王がかばってくれたからこの提案は流されたが、マリアたちにとっては笑い話ではない。
外務大臣の提案はもっともだ。王妃オフェリアの地位を守りたいのなら、マリアがヒューバート王の男児を生むべき……そして、その子をオフェリアに差し出して、後継者問題を解消すべきなのだ。
しかし、それだけはできない。
ヒューバート王とだけは、そういう関係になれない。王と通じることは、オフェリアへの裏切りだ。マリアと王が寄ってたかって説得すれば、一応納得してみせるかもしれない。だが、それでもオフェリアが傷つくことに変わりはない。
ヒューバート王を通してオフェリアを思い出してしまうのはマリアも同じ。おぞましさに、耐えられる自信がない。
オフェリアを守るためなら何でもすると決意したけれど、そのためにオフェリアを傷つけてしまっては意味がない――。
屋敷へ帰る前に、マリアはオフェリアの暮らす離宮へ向かった。
オフェリアが初めての出産を終えてすぐにマリアも子を生んでいたので、妹を祝ってあげることも、姪を見ることもできていない。心配する周囲を押し切って城へ来たマリアと違い、オフェリアはまだ休んでいるはずだが……。
「あっ、見てみて!エステルが笑った!可愛いなぁ……」
寝衣のままのオフェリアは、ベッドの上で娘を抱っこしてあやしていた。侍女のベルダと共に、可愛い娘に夢中になっているようだ。
部屋に入って来たマリアがベッドに近付いて来ても、しばらく姉の存在にも気付かないでいた。
「お姉様だ!」
マリアに気付き、オフェリアがパッと顔を輝かせる。だけど、まだ少し顔色は悪い。隣に腰掛けて妹を抱きしめてみれば、いつもより体温も低いように感じた。
「もう少し休んでないとだめよ。あなた、まだ本調子じゃないんだから」
「分かってるもん。ちゃんとユベルに言われた通りにお休みしてるよ。でも私、エステルのことほとんど抱っこできなくて。私がママなのに!」
ぷうっと頬を膨らませて拗ねる妹に苦笑しながら、優しく頭を撫でる。
年齢よりもずっと幼い言動の多いオフェリア――姉のマリアが率先して甘やかしているのだから、それも仕方のないことではあるのだが。
「お姉様も赤ちゃん生まれたんだよね。女の子なんでしょ?私もスカーレットに会いたい。お城に連れて来て!」
「そうね。あの子がもう少し大きくなったら……」
オフェリアの腕に抱かれた姪を見ながら、マリアは頷く。
同じ日に生まれたいとこ同士、仲良くなってくれれば嬉しい。エンジェリク王国の唯一の後継ぎ……彼女もまた、多くのものを背負うことになって……。
「……元気になったら、今度こそ男の子を生まなくちゃ」
ぽつりと呟くオフェリアは、不安そうな表情をしていた。
オフェリアは苦しい出産を終えたばかり。もう一度あの苦しい経験をしなければならないと思うと、どうしても尻込みしてしまうのだろう。
……もっとも、オフェリアが望んでもマリアとヒューバート王が反対するだけだが。
「そんなに焦ることないわ。子どもが生まれたばかりだというのに、もう次の子のことを考えるなんて……エステルが可哀想じゃない。女の自分は生まれてきちゃいけなかったのかって、すごく悲しい気持ちになるわよ」
「うん……うん。そうだね」
姉の説得に、オフェリアはぎこちなく笑う。
「ごめんね、エステル。ママはエステルに会えてとっても幸せだよ。パパもママも、あなたのことが大好き!」
娘を抱きしめるオフェリアを見つめ、マリアも微笑んだ。
妹に、姪に――守るべきものが増えた。それはとても、幸せなことだと思う。
ヒューバート王
エンジェリクの若き王。
王子時代にマリアたちに出会い、オフェリアと恋に落ちる。
母親がフランシーヌという国の王女で、オフェリアからは
「ヒューバート」のフランシーヌ語読みである「ユベル」と呼ばれている。