束の間の (3)
「式のことは、正直ほとんど覚えていないんです。笑顔を浮かべて座ってるのがやっとで。夫となった男の顔も、ぼんやりとしか」
「当然です!出産したばかりだったのですぞ!それも!双子を!いっそ死ななかったのは奇跡です!一晩寝たぐらいで治るものではありませんぞ!」
絶対安静を言いつけられたマリアはとりあえずベッドに横になっていた。真っ赤になって怒り狂う侍医が自分に近づくのを見て、ビンタの一発ぐらいは覚悟しないといけないかな、と諦めていた。
しかし、侍医はベッドにガバっと顔を伏せ、泣き出してしまった。
「最後ぐらい……!最後ぐらい、医者の言いつけに大人しく従ってください!私にも医者としての矜持がありますし、受け持った患者のこと、真剣に案じてはいるのですよ!」
苦笑し、ごめんなさい、とマリアは言った。
「すまない。僕からも謝罪するよ。今回の無茶は、僕が追い詰めたせいでもある」
ヒューバート王も苦笑いしながら言った。
子を出産したその日に式を挙げ、翌朝。
マリアとオーシャン王子の結婚式は、無事に終わった。
一般的な感覚で言うと、無事では決してなかったのだが。とにかく大事無く終わった。限界などとうに超えていたマリアにとっては、悪くない結果だったのではないだろうか。
式の間、王子からは無視され、初夜まですっぽかされてしまい、ずいぶんと惨めな新婦を演じてしまったが――出産を終えたばかりで瀕死同然だったマリアからすれば、おかげで助かった。
さすがの自分も、あの状態で初夜は死んでいた。王子としてはマリアに恥をかかせようとしての行動だったのだろうが、それがマリアを救ったのだから何とも滑稽な話だ。
「本当だよ!ユベルもお姉様も、しっかり反省して!」
ぷりぷりとオフェリアも怒り、マリアとヒューバート王もしおらしく振舞う。
けれど、ドレイク卿がナタリアと一緒に部屋に入ってきたのを見てマリアはベッドから起き上がった。
「もう、お姉様!お医者様と私にお説教されたばっかりなのに――!」
「ごめんなさい。でも、家に帰りたいのよ。屋敷に戻って、ちゃんと休養を取るわ。できれば子どもたちのそばにいてあげたくて」
子どものことを持ち出されては、オフェリアも反論できなかった。
最後の出産も、結婚も終えて……セイランへ旅立つ日が近づいてきている。子どもたちとの別れも……。
別れと言っても、永遠のものではない。
セイランに行って、レミントンが遺したものを片付けたら、エンジェリクへ帰ってくるのだ。エンジェリクにも、片付けるべきものがあるのだし。
「公爵のやせ我慢には、医者の私もさじを投げるしかありません……」
「先生も、最後までわがままな患者で申し訳ありませんでした。けれど、やせ我慢と強がりで生きてきた人間ですから……お医者様でも、こればかりは直せませんわ」
やせ我慢と強がりばかりで生きてきて、それがいまさら変わるわけもない。振り回される人たちは気の毒だが、変わるつもりがないのだから、こんな自分に付き合ってもらうしかない。
「お待たせしました、ジェラルド様。一緒に参りましょうか。オフェリア、あなたもニコラスたちに会いに来てくれるんでしょう?」
「それは……」
オフェリアはちらりとヒューバート王を見る。王は優しく笑い、行っておいで、と言った。
「うん。一緒に屋敷に帰るわ。双子ちゃんにも会いたいし、私がお姉様のこと、ちゃんと見張っておかなくちゃ!」
マリアと王の期待した通り、オフェリアはあっさりと了承する。王はさりげなくエステル王女を同行させるようにすすめ、二人とも城を離れることになった。
「ジェラルド様も、双子ちゃんとはあんまり一緒に過ごせてないんだよね」
「父に代わり、式に出席していた。父上は孫を連れ、さっさとオルディス公爵の屋敷に」
城の廊下を歩く道すがら、オフェリアがドレイク卿と会話をしているかたわらで、マリアはナサニエル・クロフト侯爵とすれ違った。侯爵はマリアに気軽に声をかけられるような立場にはないし、マリアも彼に声をかける必要はない。ただ静かに頭を下げる彼を横目に、何気ないふりで通り過ぎるだけだった……。
馬車に揺られ、子どもたちの待つ屋敷へ戻る。
エステル王女と共に無邪気にはしゃぐオフェリアに笑顔で答えながらも、自分の不調にドレイク卿はとっくに気付いているだろうな、とマリアは思った。
一晩休んでかなり回復はしたが、それでもまだ大きなダメージが残っている。普段通りに振舞うのも、少しきつい。
それでも、楽しそうな子どもたちの声が聞こえてきたら、辛さもいくらか緩和された。
「セシリオもローレンスもしっかり!」
「お兄ちゃま、がんばって」
はきはきと喋るのは長女のスカーレット。まだ少し舌足らずなのが次女のリリアンだ。
声のするほうを見れば、次男セシリオと三男ローレンスが取っ組み合いをしていた。
喧嘩ではない。すぐそばで妹たちが声援を送っている。スカーレットの膝には、フェルナンドが。四男のパーシーはララに抱っこされていた――パーシーはまだ、自分一人でお座りするのもギリギリな赤ちゃんだ。
ローレンスは体格がよく、一つ年上の兄をすでに追い越していた。だから取っ組み合いをしてもセシリオに劣ることはなく……それどころか、勝負はローレンスが勝ってしまった。
「よっしゃあ!」
「剣なら負けない!剣なら負けなかった!」
ローレンスは勝利にはしゃぎ、セシリオは悔しそうに叫ぶ。妹たちはそんな兄を見て笑い、フェルナンドがマリアに気付いて声を上げた。
「あっ、お母様!お帰りなさい!」
スカーレットもマリアに気付き、立ち上がって笑顔で駆け寄ってくる。
「ねえ、お母様。結婚相手ってどんな人だったの?オーシャンの王子なのよね。それなりにカッコいいって聞いたけれど、お母様のお眼鏡にはかなった?このお屋敷に来るの?私たち、その人をお父様って呼んだほうがいいの?」
怒涛の質問攻めに、マリアは苦笑した。女の子の口撃っぷりは、やはり男の子の比ではない。遅れて母に駆け寄ってきたリリアンは、あのね、を繰り返しつつも、怒涛のようにまくしたてる姉に遮られて話しかけられずにいた。フェルナンドは抱っこを要求するばかり。
「母さん!母さんも見ててくれたか?俺、セシリオに勝ったぜ!」
「今日は調子が悪かったんだ!勝ったって言っても、今日の一回だけだろう。ずっと俺が勝ち続けてたのに!」
セシリオとローレンスのやかましさもなかなかだ。マリアに似たのか負けず嫌いで、互いに自分のほうが強いと言って譲らない。本当の取っ組み合いになりかけて、ララが割って入った。二人とも身体が大きくなってきたから、ララでも止めるのは大変になってきた。
ララからパーシーを受け取ったオフェリアは、甥っ子をじっと見つめ、こんにちは、と笑顔で挨拶する。
「こうやって見ると、パーシーも結構お姉様似だよね。もうちょっとレオン様要素あってもいいと思うんだけどなぁ」
「……このまま順調にオルディス公爵に似ていったほうが、この子のためかと」
……ドレイク卿のこの言葉を聞いたら、失敬な奴だ、とウォルトン団長は憤慨したことだろう。
「お前たち、いい加減にしないか。母上は大きな仕事を終え、お疲れなんだ。休ませてあげないとダメだろう」
それほど音量は大きくないのに、その声はよく通る。騒がしかった子どもたちもピタリと黙り込み、ごく自然と、クリスティアンに従った。
「お帰りなさい、母上。お疲れ様でした。ニコラスとアイリーンは部屋にいますよ。フォレスター宰相が見てくださってます」
「そう。それじゃあ……スカーレット、結婚のお話はあとでね。お母様からも、あなたたちに話さなくちゃいけないことがあって……。でもその前に、ニコラスとアイリーンに会いたいわ。まだ抱っこもできていないの」
マリアが言えば、子どもたちは聞き分けよく、はい、と返事をした。
ドレイク卿と共に、生まれたばかりの末っ子たちのいる部屋へ向かう。母親なのに、まだ抱っこもできていない我が子たち。ドレイク卿やフォレスター宰相のほうが子どもたちと過ごした時間が長いことに、ちょっと恨みもあった。
「私もあまり時間を共に過ごせてはいない。父が孫と過ごしたがって仕事を押し付けてくるものだから……父上は、私たちなどよりずっと、二人と一緒にいたはず」
「あら。ニコラス様ったら。親馬鹿ならぬ爺馬鹿に目覚めたということでしょうか」
マリアが思っていた以上に、宰相は爺馬鹿と化していたらしい。
双子のいる部屋についてみたら、中からはいままで聞いたこともないようなデレデレ声の宰相の声が。ドレイク卿がそっとドアを開け――そっと閉めていた。
私にも見せてください、とマリアが訴えたが、ドレイク卿は眉間にしわを寄せて悩みこむばかり。
やがて、扉が開いた。
「目撃したのなら何か言え。私が馬鹿みたいだろう」
いつもの威厳ある口調に戻った宰相が、いつも通りのポーカーフェイスで部屋から出てきた。宰相は動揺した様子もなく、ドレイク卿のほうがいささか冷や汗をかいている。
「申し訳ありません。あまりのことにどう反応していいのか分からず……いっそ見なかったふりを決め込もうかと」
私も見たかったのに、と口を挟みかけ、赤子の声に気を取られた。宰相の愉快な姿を見てみたかったが、そんなことより生まれた我が子だ。
双子――息子のほうはニコラス、娘のほうはアイリーンという名が付いた。二人とも目が開き、ぼんやりと視線をさまよわせている。
ニコラスは銀髪だが、目はマリアと同じ。アイリーンのほうは、髪も目も父親と同じ……なるほど。宰相がメロメロになるはずだ。
ニコラスを抱き上げようとして、ふらっと立ち眩みに襲われた。異変を察してドレイク卿が急いで駆け寄り、マリアを支える。
「無茶をし過ぎた。今日はもう、休んだほうがいい」
「子どもたちを抱きたかったのです……すぐ私から取り上げられてしまって……」
反論しながらも、身体に力が入らない。
やっぱり、とっくに限界だった。やせ我慢と強がりで気付かないふりをしていたが、もう意思で乗り越えられる状態ではなくなった。
「まだしばらくは、屋敷で過ごすのだろう。完全に回復するまで――今度こそベッドに縛り付けておくと、侍医殿が息まいていた」
「ふふ……私を大人しくさせるのは、どんな治療よりも困難でしてよ」
笑いながらも、マリアは視界が暗くなるのを感じた。自分を抱きかかえるドレイク卿の腕の中が居心地良くて。このまま目をつむってしまえと、身体が命令してくる……。
「休んでる暇などないというのに。私、やるべきことがたくさん残っていますわ……」
それでも。
やっぱりもう、自分の身体は限界らしい。休んでる場合じゃないのに、と気力を奮い立たせても、瞼は重たくて。気絶同然に、マリアは眠りに落ちてしまった。




