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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その悪名伝~  作者: 星見だいふく
第二部01 前触れ
33/234

芽吹く (2)


ヒューバート王に会うために王都へ行ったシルビオがオルディス領へやってきたのは、それから二週間以上経ってからだった。

セシリオが屋敷へ来た父親を出迎えに行ったとき、そのすぐ後ろからよたよたと歩いている子どもに、シルビオも、シルビオの供をしている従者マクシミリアンも目を丸くしていた。


「お帰りなさい、父上!」

「とーしゃ!」


抱き着くセシリオを受け止めつつ、目を輝かせて自分を見上げるフェルナンドをシルビオは凝視している。その様子を少し離れたところで眺めながら、マリアはくすくす笑った。


「ヒューバート陛下とのお話し合いは、良い方向にまとまったみたいね」

「まあな。話し合いと言っても大したことじゃない。友好関係の確認と時節の挨拶みたいなもので――おい、そんなことより。こいつは俺の知っているフェルナンドなのか?」

「そうよ。なかなかの成長っぷりでしょう?」


従者マクシミリアンはまだ呆気にとられたまま、歩いて喋ってる、と呟いていた。


「歩くほうは、いままでがのんびりしてたぐらいよ。うちで預かって次の日にはつかまり立ちができるようになって、その日の夜には歩き出す気配があった状態で。おしゃべりに関しては私も驚いてるの。男の子のおしゃべりは遅いって聞いてたし、クリスティアンでもはっきり単語が出るようになったのは、もうちょっと遅かったから」


飛びつきはしないが、フェルナンドははっきりシルビオを見つめている。二週間前まで、実の父親に関心を向けることすらしなかったのに。


「メレディスがあなたの絵を描いて、毎日熱心に見せてたのよ。この人が君のお父さんだよーって。洗脳の甲斐はあったわね」

「せんのう……」


シルビオは苦笑いしつつ、フェルナンドに手を伸ばす。

父親に抱き上げられ、フェルナンドは少しおどおどした様子でマリアに視線をやる。マリアが微笑んでフェルナンドの頭を撫でれば、フェルナンドは戸惑いながらも父親に抱きついた。




「フェルナンド様が懐く様子を見せた途端、父親のように振舞うだなんて。まったく勝手な男ですわ。王都に行っている間、フェルナンド様を気遣う手紙の一つも寄越さなかったというのに」


呆れたように話すナタリアに、マリアは笑う。その身勝手さにはマリアもため息をつきたくなるが、セシリオ相手にもそんな調子だった男だ。いまさら――気まぐれさは、マリアと良い勝負だと思うし。


「いいじゃないの、それでも。お父様に構ってもらって嬉しそうにしているフェルナンドを見れたらそれで満足よ。シルビオが、我が子を冷遇している姿は見たくないわ」


フェルナンドは、シルビオと一緒に庭に出ていた。小さな木の枝を手に、剣術の稽古の真似事をしている。二歳にもなっていないフェルナンドでは真似事にすらなっていないが……ブンブンと木の枝を振り回しご機嫌だ。


「フェルナンド様は、賢くて物覚えの良い子ですね。優秀さなら、セシリオ様にも劣りませんわ」


笑い声を上げて父親と遊んでいるフェルナンドを見つめ、ナタリアも笑顔で言った。


「……お名前には、やはり引っかかってしまいますが」

「無理もないわ。私たちにとって、歓迎できる名ではないもの」


フェルナンドという名前は、特別珍しい名前ではない。キシリアでは一般的な名前だし、歴史を遡ってもフェルナンドという名の偉人は大勢いる。

だがどうしても、彼を連想してしまう……。


「シルビオの父親のことは有名だから、やっぱり彼が名前の由来よね。奥方が付けた……さすがにこればかりは、好意的に解釈できないわ」


シルビオの父フェルナンド・デ・ベラルダは、現キシリアの王の伯父――先のキシリア王の腹違いの兄だった。


王と愛妾の間に生まれた兄、王と王妃の間に生まれた弟。王は政略結婚で迎えた王妃よりも、愛妾と愛妾が生んだ庶子を寵愛した。

しかし、庶子では王座を継ぐことはできない。だから王の崩御に伴い、トリスタン――ロランド王の父親が、次のキシリア王位を継いだ。当然、フェルナンドがそれに納得するはずもなく。

血を分けた兄弟が、一つの王冠を巡って争った。国と民を巻き込み……大勢の犠牲を出して……。


マリアの父親はトリスタン王の幼馴染でもあり、彼に仕える宰相だった。トリスタン王と共に、フェルナンド・デ・ベラルダと戦った父は、最後はフェルナンドに敗北し、命を落とした。

あれが、マリアの物語の始まりだった――父に守られていただけの少女は、自分たちを守ってくれる相手を失ってさまよい……。


「ご正妻殿のシルビオ様に対する感情は、変わることはないのでしょうか……」


腹違いの弟に王位を奪われた経験を持つフェルナンド・デ・ベラルダは、二人の息子のうち弟のほうを――シルビオを冷遇した。シルビオはその才能も実力も父親に顧みられることはなく。

ロランド王に仕え、そして血の分けた兄と父親を……。


「名前ぐらいでシルビオが動じたりはしないでしょうけど……敵意をこじらせて我が子すら利用するのでは、さすがに心配ね」


ご満悦で木の枝を振り回していたフェルナンドは、勢い余って自分の頭をポコンと叩いてしまった。驚いたような表情――目には涙がたまり、顔が歪んでいく。


「それぐらいで泣くな。騎士になる男が情けないぞ」


シルビオは呆れながら、厳しい言葉をぶつける。フェルナンドは必死で泣くのを我慢しているが、振り返ってマリアの姿を見つけると、涙腺は決壊した。


「うわぁあん、かーしゃぁ!」


マリアに向かって駆け寄りながら大泣きするフェルナンドを抱きしめ、よしよしとあやす。

甘やかすな、とシルビオは相変わらず厳しい態度だが、マリアも呆れながら反論した。


「甘えたい盛りの子をつかまえて何言ってるの」




子どもたちが眠り、屋敷が静かになった頃。最後の子どもを寝かしつけたマリアは、フェルナンドの部屋へ向かう――今夜は、シルビオにフェルナンドの寝かしつけを任せていた。


「ちゃんと寝かせられたみたいね」

「お喋りなやつだ。誰に似たのか」

「意外とあなたかもよ」


フェルナンドが眠るベッドにシルビオは腰かけている。マリアもベッドに近づき、眠るフェルナンドの顔をそっと撫でた。


「寝顔はあなたに似てるわ」

「そうか……?俺は、こんな緊張感のない顔はしていないぞ」


マリアは笑う――今度、メレディスにシルビオの寝顔を描いてもらっておこう。


「相変わらず、男を誑し込むのが得意な女だ。俺の息子までたぶらかしやがって」


失礼ね、と呟き、マリアは黙った。フェルナンドがむにゃむにゃと寝言を呟くのを見つめ、ねえ、とシルビオに声をかける。


「懐いてくれるのはとても嬉しいのだけれど、やっぱりこの状況はまずいんじゃないかしら。あなたも聞いたでしょ?この子、私のことを――」

「フェルナンドは、しばらくおまえのところに預けていく」


マリアの言葉を遮り、シルビオが言った。


「せっかくお前に懐き始めて、ここでの生活にも慣れてきたんだ。城に行ってほとんど不在の俺のところで過ごすより、兄弟やお前のいる場所で過ごしたほうがいい」

「その言い分は一理あるとは思うけど……。でも、よりにもよって私に懐くのは――」

「甘えたい盛りの子どもから、甘えられる相手を奪うのは気の毒だろう」


もう、とマリアはため息をつく。


「私も、この子を生んだらセイランへ行ってしまうのよ。それはちゃんと分かっておいてよね」

「ああ。お前がセイランに行く頃にはこいつを迎えに来る。結婚するんだろ?連れ子は承知の上での結婚でも、お前と血の繋がりすらない子どもが加わるのは話が別だろうからな。それぐらいは配慮する」


よく知ってるわね、とマリアは相槌を打った。隠していたわけではないし、色々な人が知っていることだから、シルビオが知っていても特に不思議はないのだが。


「お前がまさか結婚するとは。俺以上に、お前の結婚生活は想像できん」

「私も同意」


いま妊娠している子を生み終えたら、セイランに行く――その前に、オーシャンの王子と結婚だ。

自分が誰かの妻になっている姿なんて、マリアにすら思い描くこともできない……。




こうしてフェルナンドはマリアのもとに預けられ、屋敷はいっそう賑やかになった。

とは言えクリスティアンは兄弟の面倒をよく見てくれているし、セシリオ、ローレンス、それにスカーレットも成長して、かなりしっかりしてきた。リリアンはおっとりして物静かな子だし、フェルナンドが増えてもさほど負担は増えなかった。

……ただ、無邪気に懐いてくる姿には、どうしてもマリアも悩んでしまう。


「セシリオは、フェルナンドをよく可愛がってるみたいだね。兄弟が仲良くしてるのはいいことだと思うけど」


屋敷を訪ねてきたメレディスは、お兄さんぶってフェルナンドの世話をするセシリオを、微笑ましく見ていた。

メレディスも腹違いの兄を持ち、兄弟仲良く育ってきた。だから、母親は違っても仲の良い兄弟の姿には親しみを感じているらしい。


「嫡子と庶子の確執なんてろくなものじゃないし、二人が仲良くしてるのはいいことだわ。問題は、私との関係よ」

「君と、フェルナンド?フェルナンドは、マリアにずいぶん懐いてるみたいだけど……舌足らずだから分かりにくいけど……君のこと、お母さんって呼んでるよね」

「それよ。それが大問題なの」


マリアは長い溜め息をついた。


どうやらフェルナンドは、マリアのことを母親だと認識し始めているようなのだ。無理もない。周りの子どもたちはみんなマリアのことを母と呼んで慕っていて、そんな中で過ごしていれば、フェルナンドも同じように考え始めるに決まっている。

誰が教えたわけでもないけれど、自然とフェルナンドもマリアを母と呼ぶようになってきて……。


「正妻の息子が、愛妾を母と呼んでるなんて……そんなことが奥方の耳に入ったら、関係はさらに悪化するわ。それがフェルナンドに向かいそうで、すごく不安なの」


結婚したばかりの頃は愛妾の自分と、庶子のセシリオに敵意を向けられることを恐れていた。

けれどシルビオと妻との間に息子が生まれ、その息子はすでに母親の敵意に振り回されていて。こうなってくると、マリアやセシリオよりも、正妻に近い位置にいるフェルナンドのほうがずっと危うい。


「あまり好ましいことではないよね。シルビオの奥さんが、このままフェルナンドのことも放っておいてくれることを祈るしかないよ」

「ええ。セシリオのためにも、フェルナンドのためにも。このまま何事もなく、兄弟仲良くいてほしい」


――でも。

そうはならないだろうという不吉な予感が、マリアの胸を占めていた。

嫌なことに、この手の予感はよく当たってしまうのだ……。


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