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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その悪名伝~  作者: 星見だいふく
第二部01 前触れ
32/234

芽吹く (1)


港町で船の到着を待っているセシリオは、そわそわとして明らかに落ち着きがなかった。

そんな息子を微笑ましく見つめながら、マリアは船から降りてきた男を出迎える。セシリオは一目散に駆けていって父親に飛び付いた。


「いらっしゃい、シルビオ」

「出迎えが来てるとは珍しいな」

「だって、あなたいつも突然来るんだもの。今日みたいにあらかじめ教えてくれてれば、出迎えぐらいちゃんとしてあげるのに」


今回、シルビオはヒューバート王との謁見のためにエンジェリクへ来ていた。

公式なものだからマリアもその予定を知ることができて、こうしてセシリオを連れて出迎えることができたわけで。


「俺にそんな律義さを求めても無駄だ」

「言い切らないでよ、もう……」


セシリオを肩に乗せ、シルビオはマリアの頬に口付ける。挨拶代わりのキスを返し……後ろから降りてきたものに、マリアは目を丸くした。


「……シルビオ、あれは……?」


困ったように問いかければ、シルビオは眉間に皺を寄せて目を逸らす。

自分が蒔いた種なら、そんな反応をするのは筋違いだ――そう非難したくなるのを堪え、従者マクシミリアンに連れられて船から降りてくる子を見つめた。


「あなたの子……よね。母親は……私が知ってる人なのかしら?」

「嫡子のフェルナンドだ。おまえの娘のリリアンと同い年……のはず。たぶん」


シルビオの説明に、マリアはため息をつく。色々と言いたいことが多すぎて、何から聞いたものか……。

とにかく。嫡子ということはあの子の母親は……。


「奥方とは、それなりにうまくいってるのね。安心した……と私の立場から言うことはできないけれど。あなたのためにはそれで良かったのよ」


恨みがましくならないよう、言葉を選んだつもりだったが、シルビオは複雑そうな表情をする。

……やっぱり訳有りか。それも、かなり良くない感じで。


「詳細はマクシミリアンに聞け。悪いが、俺が城へ行っている間あいつを頼む。子守りをしていた乳母が体調を崩してな。一人残していくわけにもいかず……有り体に言えば、おまえに面倒見てもらおうと思って連れてきた」

「何それ。もう……子どもを見るのはいいけど、正妻の子を私がって、それはまずいんじゃ……」


マリアはシルビオの息子を見た。

リリアンと同じ年なら、もう一歳は超えているはず。でも、シルビオの息子は従者に抱っこされたままじっとしていて、実の父親にも無関心だ。ちゅっちゅっと指を吸い、初めて来る場所だろうに周りを見ることもせず……。


「行くぞ、セシリオ。おまえたちの泊まってる宿に今夜は泊まって、明日は王都へ行く。今回は仕事だから、オルディスに行けるのはしばらく先だ」


セシリオを肩車したまま、シルビオはさっさと行ってしまった。

マリアはため息をつき、マクシミリアンに近づいた。


「いくらなんでも、我が子に対して冷たすぎるわ。まさか、私たちに気を遣ってるわけじゃないわよね?」


それで嫡子を冷遇しているのだとしたら――愛人が生んだ子を可愛がり、嫡子を冷遇する――非常に嫌な図だ。


「冷たくしているというより、どう対応したらいいのか分からないんだと思います。セシリオ様のように自分から飛びついてきてくれればいいのですが……ご覧の通り、フェルナンド様はお父君に慣れていなくて」


マクシミリアンが言った。


「どういうことなのか、説明してちょうだい」

「はい。初夜を放ってシルビオ様はマリア様のもとへ行き、そしてキシリアに帰りました。舅殿はカンカンに怒って……奥方が拒絶していると知り、改めて初夜を迎えるよう懇願しました。シルビオ様はそれを拒むわけにもいかず、奥方も渋々……。翌朝には奥方は屋敷を出ていき、それっきりです」

「それっきり。それっきり……ということはつまり、初夜の一度きりでできた子どもだと……?」

「はい……マリア様が何をおっしゃりたいか分かります。私も同じことを考えましたから……」




正妻が妊娠したらしい――それを聞いたとき、シルビオは目を丸くした。

報告の場に居合わせたマクシミリアンも大きく目を見開き、思わず口にしてしまいそうになった――そんな、バカな。


「そう、か。祝いぐらいは持っていくか」


一瞬だけ驚いてあっさりと納得するシルビオに、マクシミリアンのほうが驚いてしまった。

たった一晩だけの関係で妊娠したなんて、そんな都合のいい話……。


そう思ったのは、やはりマクシミリアンだけではなかったらしい。別邸に住む奥方を訪ねてみれば、妻の父親――舅が先に訪ねてきていた。玄関からでも聞こえるほど怒鳴り散らしている。


「……シルビオの子を身ごもっただと?そんな都合のいい話、信じられるわけがなかろう!どうせあの男の子だろう――この恥さらしめ!」


娘を訪ねてきた舅は、顔を真っ赤にして激怒し、娘を罵倒していた。娘は相変わらず深くヴェールを被ったままで表情は見えないが……荒れた部屋や慌てる侍女たちの様子から、彼女が父親にぶたれたのは明白だった。


舅も、マクシミリアンと同じことを考えていたのだろう。

たった一度きりの行為で妊娠したなんて、そんなこと信じられるわけがない。結婚前に付き合っていたという男――彼はまだ生きているらしい。いまも秘かに通じていて、彼の子を妊娠したのではないか。そんな疑惑が生まれるのも当然だ。


「落ち着け。妊婦に乱暴な真似は控えろ」

「シルビオ……!」


仲裁に入るシルビオに、舅はやおら跪いた。


「申し訳ない!たしかにわしはおまえを侮り、厄介者の娘を片付けるのにちょうどいい口実を探していた。だが、ここまで恥知らずな娘だったとは……まこと、申し訳ない!」


親子ほども年の離れたシルビオ相手に、舅は地面に額をこすりつけんばかりの勢いで謝罪する。


「娘は堕胎させ、どこぞ遠くの尼僧院に追いやる。二度と姿を現さぬよう、きっちり見張って――」

「ファビオ殿。娘御は、腹の子の父親は俺だと言っているのだろう」


シルビオが口を挟んだ。舅は顔を上げ、黙り込んでいた。


「俺は貴殿の娘御にひどく嫌われている。そんな彼女が、俺の子だと言うのだ。間違いはなかろう――嫌いな俺の子を身ごもったなど……そんな嘘をつくぐらいなら、愛する男の子を身ごもったとはっきり言ってのけるのではないか。彼女なら」


娘は何も言わない。ヴェールを被ったまま顔を背け、沈黙に徹している。


「彼女の腹にいるのは、俺の子だ。我が妻、そして我が跡継ぎに危害を加えるのであれば、舅であっても容赦はせん」

「シルビオ……おまえは……!」


舅ファビオは感激し、すまぬ、と再び謝罪した。

しかし娘に対する怒りと侮蔑は改まることなく、険しい目つきで睨みつけた。


「……シルビオの取り成しに感謝し、以後は心を入れ替えて彼に尽くすのだぞ。わしはシルビオの顔を立てて引き下がったのであって、おまえの言い分を受け入れたわけではないのだからな!」


ファビオという男は、たしかにある面では筋の通った好人物なのかもしれない。

だが、娘に対する横暴さは……。


ずっと、こうやって、父親から頭ごなしに支配されてきたのかもしれない。だから彼女が男に対して頑ななのも、シルビオに打ち解けられないのも、仕方がないことなのかもしれない。

……と、この時はマクシミリアンも正妻に同情した。


でもそれも短い間だった。

それ以降も正妻は態度を変えることなくシルビオを拒絶し続け、シルビオは生まれた我が子と対面することもできなかった。

結局シルビオが我が子と会ったのは子どもが生まれて数か月後、突然シルビオの屋敷に置き去りにされて、それでようやく――。




「ちょっと待って。屋敷に置き去りにされてって……」


話を聞いていたマリアは、たまらず口を開いた。


「シルビオ様がオレゴンとの戦に赴いている時のことでした。奥方の侍女が突然やってきて、気難しい子で面倒を見切れない、と言い出し……父親のシルビオ様に責任を取れとおっしゃって、そのままフェルナンド様を置き去りに。戦場からお戻りになられたシルビオ様は、フェルナンド様が屋敷にいるのを見て仰天されていました」

「それはそうでしょうね」


まだ乳飲み子のフェルナンドのため、慌てて乳母を手配し……子どもを育てるには向かない屋敷で、幼い嫡子は過ごすことになった。乳母もなかなか定着せず、ころころと人が替わるものだからフェルナンドも懐く相手がいなくて……。

仕事で不在がちなシルビオに懐くはずもなく、この有様――自分の腕の中で身を小さくしているフェルナンドを見つめ、マリアは複雑な思いに駆られた。


フェルナンドは見知らぬマリアに抱かれても抵抗しないが、寛ぐ様子もない。ただ自分の指を吸い、身体を固くしている。その姿は、幼いこの子の孤独を現していた。


「フェルナンドという名前は?」

「……奥方がつけたものです。たぶん。シルビオ様は徹頭徹尾拒絶されていて、妊娠の様子も、いつ子が生まれたのかすら教えられなかったんです。舅殿が奥方に問いただしてようやくこちらも知ることができて、という状況だったもので」


マリアはため息をついた。

それでシルビオも、フェルナンドの年齢についてはっきりと言えなかったのか。


もともとシルビオは、家庭には向かない男だ。

セシリオのことも可愛がってはいるが、世話のほとんどをマリア任せ、気まぐれにエンジェリクにやって来て、自分に都合のいい時だけ父親をやっているような男。マリアがそれで文句を言わないから良好な関係が保てているだけで、夫や父親としては問題大ありだ。

それで非協力的な妻に、突然現れた息子……愛着を持てるはずもない。


……よりにもよって、息子の名前にフェルナンド、だなんて。

奥方も、なかなかいい性格をしている。


「……いいわ。シルビオが城へ行っている間、フェルナンドはオルディスへ連れて行って、私が面倒を見ておく。子どもに罪はないものね。でも、私がこの子の面倒を見てたことは絶対に奥方には内緒にしておくのよ。絶対に。いいわね?」

「は、はい。でも、向こうも気になさらないのでは?シルビオ様憎しのあまり、フェルナンド様を捨てたのですから……」

「やっぱりあなたも男ね」


マリアは苦笑し、マクシミリアンは首をかしげる。

シルビオを憎み、拒絶する正妻。マリアが彼女の子を見ていることが、正妻の耳に届いたら……。


本当は、マリアもこの子を拒絶すべきなのだ。それが正解――この子のためでもある。

だけど……。


腕に抱いた幼子を、そっと胸に抱きよせる。幼子は顔を上げ、少しだけマリアを見た。じっとマリアを見つめ、それからマリアのされるがままに胸元にもたれかかる。


母親は違えどセシリオの弟。シルビオの面影を持つ幼子を拒絶するほど、マリアも冷酷にはなれない。

この選択が、のちに大きな遺恨を残すものになる予感はあったが、それでも。

この日を何度やり直すことになったとしても、マリアはきっと同じ選択をしてしまうことだろう……。


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