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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その悪名伝~  作者: 星見だいふく
第一部外伝 父を巡る思い出
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かすかに残る (2)


父ホールデン伯爵が会長を務めるクラベル商会は、エンジェリクだけでなくキシリアにも支店がある。ちょっと親馬鹿な父はクリスティアンをよく職場へ連れて来ていた――いつかクリスティアンが商会を引き継ぐための勉強も兼ねていたのだろう、やっぱり親馬鹿だ。


でもクラベル商会は好きだし、父が誇りとしている仕事……自分が継げたら、とクリスティアンも思っている。だから商会のことを勉強するのは苦ではない。

――仕事中の父は、とてもかっこいいし。


渡航する商会についてキシリアへ来たクリスティアンは、今日も当然のごとくクラベル商会キシリア支店にいた。キシリア語の読み書きもかなりできるようになったから、最近はキシリア語で書かれた書類を読むことも増えた。

父と母は、十カ国語以上マスターしているらしい。自分もまだまだ勉強していかないと。


「クリスティアンは勉強好きね」


父が書いた書類を読むことに集中していたクリスティアンは、最初その声に気付かなかった。

だって、まさかそんな人が声をかけてくるなんて思いもしないし。気のせいで無視しかけた自分は悪くない。


「イサベル、様……どうしてここに……というか、まさかお一人で!?」


たしかにここは、キシリアの王都。キシリア王城には歩いて行ける距離だ。でも、キシリアの王女が一人で、気楽に来ていい場所じゃないはず。


「ドラートはお父様のお庭だもの。供なんていらないわよ」


得意げに王女は言ったが、外を見てクリスティアンは納得した。建物の陰に、さりげなく見える黒い男。

――シルビオも大変だなぁ。


「ねえ。クリスティアンも休憩にして、一緒にドラートを見て回りましょう!いつもお店とお城ばかりで、この町の良いところ、ほとんど知らないでしょう?」

「それは……」


母や周りの人たちから、キシリアのこと、王都ドラートのことは何度も聞かされている。とても素晴らしい国で、良い町であることは知っている――知っているけれど、王女の言うとおり自分の目でそれを確かめたことはない。


「だから一緒に行くの。本当に良いところなんだから。絶対、クリスティアンもここで暮らしたくなるわ」


王女に腕を引っ張られ、クリスティアンは父とノアに振り返った。

夕飯までには帰って来るように、と父は笑顔で手を振り、ノアは相変わらずのポーカーフェイス――たぶん、ノアがクリスティアンの護衛としてこっそりついて来るだろう。


結局、王女に引っ張られるままクリスティアンは町へ出かけることになった。


一人で勝手に城を抜け出して町へ来ているということは、一応イサベル王女はお忍びの身のはずなのだが……町の人から親しげに、イサベル様、と呼びかけられている。

王女が一人で町へ来るのはこれが初めてではないらしく、町の人たちも慣れっこというわけか……本当に大変だなぁ、シルビオも……。


マサパンもついて来てくれているし、シルビオとノアも自分たちを追いかけてくれているし、最悪の事態になることはないかな。

そう思いながら、クリスティアンは自分を案内する王女と一緒に町を歩いていた。


やっぱり良い町だとは思う。賑やかで、活気にあふれていて。

エンジェリクは小さな島国だから、王都といえどさほど広くはない。エンジェリクの王都も賑やかだけれど、やっぱり狭さと雑多さは否めない。そこが魅力でもあるけれど……。


王女と一緒に歩いていたクリスティアンは、ほどなくして異変に気付いた。クリスティアンが気付く程度のことだから、マサパンも気付いているようだ。ちらちらと振り返って後ろを気にしている。

ノアやシルビオではない。彼らが、クリスティアンに気付かれるようなヘボい尾行をするはずがないのだから。


誰が、何のために自分たちを――なんて、考える必要もないか。

ノアたちが動きやすいように、人混みから離れるべきかな。そんなことをクリスティアンが考えていると、派手な物音が聞こえてきた。


「うわぁ、すみません!」


コントのような物音に、謝罪する少年の声。

振り返る口実ができた、とクリスティアンがそちらを確認してみれば、自分とさほど年齢の変わらなさそうな男の子が、複数の男たちに向かってぺこぺこと謝っている。


持っていた荷物を派手にぶちまけ、男たちにそれをぶつけてしまったようだ。

少年はキシリア人ではない。旅行者だろうか。ぶちまけた荷物も、旅の土産?香水でも買い込んだのだろうか、あたりにはかなりきつい臭いが。


「本当にごめんなさい!大人がこんなにたくさん集まって、誰も避けてくれないなんて思ってなかったんです!一人ぐらい、危ないから避けようぜ、とか言って避けてくれると思ったのに」


……謝罪をしているのか、相手を責めてるのか。腰の低い態度だが、抜け抜けと言ってのける少年に、クリスティアンは感心してしまった。

当然、男たちもカンカンだ。


「もう、止めてあげなさいよみっともない。この子が悪いのは明白だけど、大人がそんなに大勢で固まってたら通行の邪魔よ。そんなところで障害物になってるあなたたちにも落ち度はわるわ」


見かねたイサベル王女が仲裁に入った……のだが、どう見ても火に油を注いでいるようにしか見えない。

男たちは腹を立て、殴りかかって来そうな雰囲気だったが、やがて大人しく立ち去って行った。


やっぱり、あいつらだ。自分たちをずっと追いかけて来ていた……イサベル王女が目的だったのだろう。ターゲットに気付かれてしまって。しかも、公衆の面前で。

予想外のアクシデントに、立ち去ることにしたようだ。ホッとしたけど、不安も残る……。


「あなた、大丈夫?ちゃんと気を付けなくちゃだめよ」


男たちが立ち去ると、ぶちまけた荷物を適当に片付けている少年に向かって王女が言った。

クリスティアンも荷物を拾う手伝いをする――荷物の中身は香水じゃなくて酒だ。


「ずいぶんと重たそうな荷物ですが、一人で運ぶんですか?」


子ども一人で運ぶには、なかなか厳しい重量。少年はけろっとした顔で、一人じゃ無理かなぁ、と言った。


「やっぱり従者に頼むことにするよ。あー、重かった」


建物の片隅に荷物をまとめ、少年は背伸びをする。

……置いていくのか。


「いやー、助けてくれてありがと。面倒なおっさんに絡まれて困ったことになったと思ったけど、美人に助けてもらえてかえってラッキーだったよ!」


クリスティアンたちと年齢は変わらなさそうなのに、なんだか軽い子だ。

でも、ちょっと変わった雰囲気がある。


「あなた、旅行者よね。キシリア人?」


イサベル王女も、少年の特殊な雰囲気には気付いたようだ。オレゴン人だよ、と少年は気楽そうに答えた。


「最近はキシリアとオレゴンの関係も少しましになったし、キシリアを見に来たんだ。俺の父さんどころか、じいさんのじいさんの、そのまたじいさんの代からずーっと喧嘩してるだろう、キシリアとオレゴンって。こんな機会でもないと見に来れないからさー」


キシリアの隣国オレゴン。

エンジェリクとフランシーヌが特に理由なくずーっと対立してきたように、キシリアとオレゴンも何かと争い続けている国だ。海を挟んでいるエンジェリク・フランシーヌと違い、キシリアとオレゴンは土地続きの隣接だから、直接戦争になることも頻繁で。


でも、戦争したり休戦したりの繰り返しで、民間レベルではオレゴン人でもキシリア人でも気楽に国を行き来してたりする。


「キシリアは良いところよ。王城は見た?おと……王様が要塞仕様だったのを、エルゾ文化も取り入れて美しく建て直したんだから」

「ロランド王と、その父王はエルゾ教徒に寛大なんだっけ。オレゴンの王はそこのところ、頭が固いから。ちょっとは見習ったほうがいいかも」


素直にキシリア王を褒める少年に、イサベル王女は気を良くした。気が付けば、自分たちと一緒に少年も歩いていると言うのに、王女はお構いなし――マサパンが警戒する様子もないから大丈夫だとは思うけど。

この少年はただ者じゃないだろう、ということは自分の心の内に留め、クリスティアンは何気なく振る舞うことにした。


「ところで、僕たちまだ名乗り合ってもいないんだが。名前を聞いてもいいだろうか」

「俺はカルロス。君はクリスティアンだろう、彼女が何度もそう呼んでた」


カルロス少年は、じっとクリスティアンを見つめる。


「名前より、性別のほうが気になってたんだ。君は……男の子?」

「そう。少年服を着てるだろう。別に男装趣味があるわけじゃない」


もっとも、自分そっくりのクリスティアンの母はよく男装しているけれど。


「そっかー、男の子だったのかー」


カルロスがちょっと残念そうにしているのも気付かないふりでやり過ごす。

マサパンはカルロスの周りをうろうろして、熱心ににおいをかいでいた。酒のにおいが気になるのだろうか。


「私はイサベルよ」

「キシリアの王女様と同じ名前だな」


少年の指摘に王女はぎくりとなったが、少年は何かに気付く様子もなく自分の周りをうろつく犬をからかっていた。


「二人はどこへ向かってるんだ?」

「さあ。案内したいところがあるんだって、彼女が」


他愛のないお喋りは続き、三人は町の外れまで来た。思ったよりも遠い場所で、そこに到着した時には日が沈み始めていた。

町を一望できる小高い丘で、王女は満面の笑顔で言った。


「着いたわ。私、これが見せたかったの!ほら、見て。時間もぴったりだわ……!」


誇らしげに語る彼女の想いが、クリスティアンにはよく分かった。

赤く染まる王都。王城に向かって沈んでいく夕陽。楽しげに行きかう国の人たちが遠くに見えて……ここから見える景色は、キシリアの栄光と美しさそのものだ。


「母が、この風景を描いた絵を持ってますよ。メレディスが描いたんですよね」

「そう。絵の複製を私も見せてもらって。本当に美しい絵だったから、どこでいつ描いたのか、しつこく問い詰めてようやく見つけたのよ!」


うっとりとした表情で町を見つめ、イサベル王女は話す。いささか軽薄な少年カルロスも、食い入るようにじっと町を見ていた。


「……本当に綺麗だ。これだけでも、キシリアという国がどれほど素晴らしいのかよく分かる」


でしょ、と王女は嬉しそうに相槌を打つ。クリスティアンも町を見つめ――ただこの光景に没頭できたら、どれほど幸せだっただろう。

近付いて来る物音に、振り返らないわけにはいかなかった。


「なに?どうしたの、クリスティアン――」


クリスティアンにつられて王女も振り返り――そして気付いた。

町でカルロス少年と衝突していた男たちが、自分たちを取り囲むように姿を現したことに。彼らが誰で、何が目的なのか、王女は尋ねることすらせず、不安な顔でクリスティアンの背に隠れた。


「あんたらもしつこいねえ。そんだけ臭かったら、気付かないわけないじゃん。諦めなよ」


カルロスが言った。

うるせえ、と男たちが乱暴に叫び、マサパンが牙を剥いて唸り始める。


「その小娘を寄越しな。そうすりゃ、お前たちは見逃してやってもいいぜ」


物騒な剣を抜き、男の一人が進み出て言った。

お断りします、と間髪入れずにクリスティアンが答えれば、男は嘲笑する。


「おいおい、状況を見て言いな。おまえら、自分たちがヤバいってことが分かっていないのか?」

「その台詞、そっくりそのままお返ししますよ」


剣を抜いた男は不快そうに顔をしかめたが、すぐに目を見開き、そのまま固まって前のめりにどさりと倒れた。

――その男で最後だ。


クリスティアンたちをのんきに脅している間に、シルビオとノアが不埒な輩をさっさと片付けてしまった。見知らぬ人間をもう一人連れて。


「ノアにシルビオ……あなたたち、いつから?」


クリスティアンの腕にしがみついたまま、王女が言った。お転婆もほどほどにしろ、とシルビオは苦笑いで答える。

ノアはクリスティアンたちに近寄り、怪我の有無を確認した。


「皆さんご無事ですか」

「僕たちは大丈夫。でも、彼は……?」


増えた護衛について尋ねかけて、すぐにピンときた。

見知らぬ男は、カルロスを見ている。


クリスティアンは溜息をつき……にっこり笑って、改めてカルロスに振り返る。


「助けてくださってありがとうございました。カルロス殿下」

「いやー、はは。やっぱりバレるよな」


クリスティアンが核心を突いても動じることなく、カルロスも笑う。

え、とイサベル王女は目を瞬かせた。


「イサベル様。オレゴンのカルロスと言えば、イサベル様もよくご存知でしょう」

「え……ええっ?じゃあこの人、カルロス王子なの?オレゴンの?なんで王子様が、供もつけずに町をフラフラしてるのよ!」


それはイサベル王女が言えたことではない。

――その時、その場にいる誰もがそう思ったに違いない。


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