追いかける背中 (2)
マリアの父親は、キシリアの先代国王に仕えた宰相だった。父親同士の縁からマリアもキシリア王ロランドと個人的に仲が良く、マリアの息子であるクリスティアンもロランド王から気に入られていた。
……特に、マリアに生き写しで、クリスティアンと名付けられた男児。ロランド王には、寵愛する理由しかない。
クリスティアンの名前の由来は、マリアの父――キシリアの先の宰相その人の名前から。宰相クリスティアンは、ロランド王にとって父親も同然の存在であった。
キシリアの王都へやって来たクリスティアンは、ホールデン伯爵、セシリオと一緒に城へ向かった。
「わざわざ城まで呼び出してすまぬな」
謁見の間でロランド王と改めて向きあい、王はクリスティアンを見て笑う。
「ずいぶん大きくなった。最後に会った時から半年も経っていないはずだが……子の成長と言うのは早いものだ。本当に」
それは、クリスティアンだけでなくイサベル王女――それに、王の他の子どもたちも含めて感じた言葉だろう。ロランド王には娘が三人、息子が一人……それから庶子が数名。
オルディス家ほどではないが、この城にも数多くの子どもがいる。
王の長女イサベルは、年も近いせいか何かとクリスティアンを構いたがっていて。
……イサベル王女のことは嫌いではないが、弟とすぐ火花を散らし合うのはやめてほしい。
「今回呼び出したのは、そなたたちに渡したいものがあったからだ。エンジェリクへ持ち帰り、ぜひマリアに渡してやってくれ」
母の名に、クリスティアンは視線を王に戻した――イサベル王女が自分に向かって手を振って来るものだから、そっちに視線を取られていた。
シルビオに手綱を引かれ、美しい白馬が中庭に入って来る。謁見の間から中庭を見たクリスティアンも、馬の美しさに素直に感心した。
「あれはリーリエの娘だ。まだ発展途上ゆえスピードにおいてはリーリエに劣るものの、素質はある。愛馬と別れ、マリアが寂しそうにしていると聞いてな」
マリアには、リーリエという愛馬がいた。それは美しく、純白の駿馬だった。
しかしリーリエは年を取り、人を乗せて走ることには向かなくなった。リーリエは走ることを好む馬だったから、走れないことに落ち込む様子もあり……マリアは、彼女を故郷へ帰す選択をした。
キシリアで生まれ育ったリーリエは長年の相棒と別れ、故郷へ帰っていった。故郷でゆったりとした日々を過ごし、リーリエが仔馬を生んだ。それはマリアも、クリスティアンも聞いていた。
「名はリリオス。見た目はおっとりしているのだが、意外とお転婆なところもある。マリアにそっくりだろう」
ホールデン伯爵もクリスティアンも、王の言葉に苦笑するしかなかった。本当に、マリアそっくりだ……。
「連れて帰って、ぜひともマリアに推薦してやってくれ。新しい彼女のパートナーに――」
王との謁見が終わると、クリスティアンはホールデン伯爵と一緒に中庭に行き、白馬リリオスに挨拶した。
リーリエはいささか気難しいところがあったが、リリオスは初めて会うクリスティアンたちにも友好的に振る舞ってくれている。クリスティアンが手を伸ばせば、長い鼻をすり寄せて親愛の情を示した。
「リーリエの子なら、きっと母上も気に入りますね」
「そうだな。キシリアの王から頂いたものだ。マリアもさぞ喜ぶことだろう……」
伯爵も馬を撫で――けれど、その目はどこか遠くを見ている。優しさと愛情に満ちた眼差しに、何を見ているのかなんて問いかける必要もなかった。
父は、やっぱりマリアのことが大好きなのだ。
「父上は、母上のどこに惹かれたのですか?」
何気ない質問だったが、これが思いの外、父を悩ませた。眉を寄せ、珍しく難しい表情で、どこだろうな、と伯爵は答える。
「愛らしい女だとは思うが、自分勝手で浮気者で……周りの人間を振り回して悪びれることもなく……なのに私は、彼女に恋焦がれて止まず……なぜなのだ」
そんなこと言われても。
クリスティアンも返事に困り、眉を八の字にしておろおろと父親を見つめ返した。
「プライドの高い彼女が、私には甘え、幼子のように振る舞う……それは悪くない。全幅の信頼を寄せられて、隠すことのない愛情がこめられた瞳で見つめられると、彼女の我儘も浮気も、全部許したくなる」
「結局惚気ですか……」
そう言いつつも、クリスティアンはホッと胸を撫で下ろした。
「そうだな、結局は彼女にどうしようもなく惚れているらしい。そしてそんな女性が私のために生んでくれた子どもは、かけがえのない宝だ。何よりも大切で……」
手を伸ばし、伯爵の手がクリスティアンの頬に触れる。父の手は、クリスティアンの顔もおさまってしまいそうなほど大きく。
――そういう話がしたかったわけじゃないのに。
そんな憎まれ口を叩きながらも、自分を抱きしめる伯爵の腕の中で、クリスティアンもぎゅっと父親を抱きしめ返した。
急に寒くなったような気がして、クリスティアンはぶるりと身震いした。
途端、自分の顔に何かが当たる。ふさふさとした毛――これは尻尾?
なんで尻尾が。クリスティアンはぱちりと目を開けると、自分を覗き込むブレイクリー提督とばっちり目があった。
ぱちぱちと目を瞬かせ、状況を思い出す。
父親だと思って抱きついていたものは、マサパンだった。マサパンは相変わらず愛くるしい瞳でクリスティアンを見つめ、ご機嫌で尻尾を振っている。
……そうだった。
ローレンスと一緒に空箱の中に隠れて……マサパンも一緒に……提督が箱に近づいて来るのを待っている内にうとうとして……。
ローレンスの姿を探してみれば、マサパンにもたれかかってすやすやと眠っていた。
弟の身体を揺すって、クリスティアンはローレンスを起こす。
「んー……?あれ、あっ、父さん!」
目を開けたローレンスは、父親を見つけてパッと顔を輝かせる。
「おまえら、なにしとるんや?犬の鳴き声がするから見てみたら……」
「へへー、サプライズ!びっくりしただろー!」
満面の笑顔でローレンスが言えば、その頭に提督の拳骨がゴツンと落とされた――クリスティアンの頭にも。
「なにがサプライズや!」
「いってー!そんなに怒ることないだろー!」
「十分怒ることや!」
ローレンスと提督のやり取りを見ていたクリスティアンは外に視線をやり、あ、と声を上げた。ローレンス、と弟の名前を呼んで外を指差す。
ローレンスも外を眺め――見渡す限りの大海原に、ようやく察した。
「もしかして……海に出てる?」
「……せや」
呆れたように提督は頷き、溜息を吐く。ローレンスはしゅんとなり、小さくなって父親を上目遣いに見つめた。
「ごめんなさい……港を出るまでにはちゃんとネタばらしして、船を降りるつもりだったんだ……」
素直に謝るローレンスに、双子の副官が口を挟んだ。
「まあまあ、提督。坊ちゃんもこうして素直に謝ってるんですし、拳骨一発で許してあげましょうよ」
「そうっスよ!もとはといえば、提督が父親業を疎かにして坊ちゃんを寂しがらせてるから、坊ちゃんもこんな悪戯したんスよ!」
父親が寂しがらせるから、ローレンスもこんな悪戯を――そう言われては、提督も反論できない。しばらく黙りこんだ後、しゃーないな、と呟く。
「今回の演習は夜間訓練。明るくなったら港に戻る。せやから今夜一晩おまえらを乗せたままにするぐらいかまわへんが……この船に乗っとること、マリアはちゃんと知っとるんか?」
クリスティアンとローレンスは、揃って首を振った。
「提督に会いに行ったことは、ノアが知っています。でも、船にまで乗っていることまでは知らないはず」
クリスティアンが説明すれば、そうか、と提督が言った。
「ほんならマリアはごっつい心配しとるやろうな。港に帰ったら、ちゃんと母さんにも謝るんやで」
ポンと、ローレンスの頭に手を置く。うん、と元気よく返事をしたローレンスは、笑顔に戻っていた。
提督は、双子の副官に視線をやった。
「おまえら、こいつらの子守り頼むわ。ローレンス、クリスティアン、明るい間は自由にしててもええけど、水夫たちの仕事の邪魔せんようにな。それから、日が沈んだら船室に戻って、出てきたらあかんで」
「なあ、父さんの仕事見ててもいいか?」
「見ててもええが、かまってやられへんぞ。ワシも一応仕事中やからな」
「いいよ、それでも!」
宣言通り、ブレイクリー提督は仕事に取り掛かってしまって、クリスティアンやローレンスは提督に近づくこともできなかった。代わりに副官のジョンとベンが二人の面倒を見てくれて。二人に付き添われながら、クリスティアンとローレンスは提督の仕事ぶりを少し離れたところから眺めていた。
提督にかまってもらえなくても、父親の働く姿を見ることができてローレンスは満足そうだった……。
日が沈むと、約束を守ってクリスティアンとローレンスは船室に入った。荷物の中で昼寝をしたから、クリスティアンはまだ眠くない。でもローレンスはぐーぐー寝入っていた。
よく寝れるなぁ、と苦笑いしていたら、船室にやってきたブレイクリー提督も、もう寝とんか、と苦笑した。
「悪かったな。どうせ、ローレンスがワシに会いたい言うて無理やり引っ張ってったんやろ。ワシとマリアの子や。一度言い出したら聞かん――強情なのは分かりきっとる」
「気にしてませんよ。僕は兄ですから、弟を甘やかすのは僕の仕事です」
提督は笑い、クリスティアンの頭をぐしゃぐしゃと撫でる。提督の笑い声にも、ローレンスは目を覚ますことなく寝息を立てていた。
「血の繋がった親子やないけど、一緒におる時はあんたのことも実の子同然やと思てるで。惚れた女の子ども……それも、その女にそっくりとなったら、可愛くてしゃーないもんや。ほんまの父親のところまで、ワシがちゃんと帰すからな」
そう話す提督を、クリスティアンはじっと見つめる。
「ブレイクリー提督も、母上にベタ惚れなんですね」
「そらそうや。あんだけ可愛くて、身分が高いのに鼻にかけることのない気立てのええ女、誰だって惚れるで」
「……若干、惚れた欲目があるような」
母が素晴らしい女性なのは否定しない――結構な問題児だけど。
 




