カーテンコールは鳴り止まぬ
「お父様。クリスティアン様が訪ねてきてくださいましたよ」
娘のカタリナに呼ばれ、デイビッドは顔を上げた。
ベッドの上……専用のテーブルには紙の山。カタリナに案内されて部屋に入ってきたクリスティアンは、相変わらずな部屋の様子を見て苦笑いする。
「相変わらず熱心だな」
「もともと、物を書くのは好きなんです――だから書類仕事も苦じゃなかったんですが。早く書き上げてしまいたくて……」
自分が書いた物語に目を通し、デイビッドが言った。クリスティアンもふっと微笑み、ベッドのそばに椅子を引いて話しかける。
「イサベル様に、おまえが書いた最終章を渡してきた。彼女も、物語の出来に非常に満足していたぞ。アルフォンソ王女に読ませるのは、彼女がもう少し大きくなってからにするそうだ」
「キシリアの女王に喜んでいただけるなんて、この上ない名誉です――キシリアはいかがでしたか?それに、今回はベナトリアへも行ったんでしたっけ。スカーレットさんや、ヤンズくんたちは……?」
「相変わらず、フリードリヒ王はスカーレットを溺愛している。僕が訪ねて行ったら、スカーレットは三人目を妊娠していた。ヤンズたちは、元気にベナトリア二号店を繁盛させている。シオンとシャンタンがしっかりヤンズを支えているから、三人でなかなか上手くやっているようだ。リーシュたちも、この報告を聞いて安心していた」
ベナトリア王のスカーレットに対する寵愛を良いことに、クラベル商会はベナトリアに二店舗目の支店を出していた。
セイラン……いまのハオ帝国に近い、東側に。その支店の店長はヤンズが務め、ベナトリアで働きながら、故郷の情報を集めているようだ。
「キシリアでは、セレンにも会ってきた。驚くなよ、いつの間にか、ミゲラの町長になっていたんだ。チャコに行った時も、後宮にまで乗り込んでララの情報を探りに行った時も、夫を連れて帰ってきた時も……全部驚かされてきたが、まだ驚くことがあるのかと溜め息をついたぞ」
デイビッドは笑い、自分からもエンジェリクでの出来事を話し始めた。
「ダフネ様は、五人目の子を身ごもられたそうです。ローレンスくんは元気ですねぇ」
クリスティアンも笑った。
ローレンスのところには、すでに子どもが四人。
長男オーウェンを始め、長女ブランカ、その下に双子のジョンとベン。一年のほとんどを海に出ているくせに、そういうところはしっかりしているらしい。
「パーシーくんのところにも、ついにご長男が」
「ああ。リリアンとリチャードも夫婦仲良くやっているようだ。ニコラスは相変わらず独り身だが、ドレイク卿が母上に一目惚れしたのは三十の時だったし、まだ焦るような年でもないかな」
「そうですね。こればかりは縁ですから……一番重要な話は、もうお聞きに?」
「エンジェリクに戻ってきて、真っ先に耳に入って来たよ」
王妃アイリーンが、王子を生んだ。
それはもう、エンジェリク中が大喜びしている。わざわざクリスティアンが聞き込みをしなくても、浮かれた町の人たちが大騒ぎで。
「王子誕生で世間が浮ついている内に、クラベル商会も一儲けするぞ」
「あはは。そういうところはお父様似ですね」
クリスティアンが帰った後、デイビッドはベッドの上で、また書き物を続けていた。
そろそろお休みの時間ですよ、と娘のカタリナが声をかけてくる。
「……おや。もうこんな時間ですか。おまえも今日は、もう休みなさい。私はもうちょっと……これを書き上げてから休みます」
「ちゃんと休まないとダメですよ。朝食は、きちんと食べてもらいますからね」
「たまには私の食事のことなど気にせず、アレンくんとゆっくりすればいいのに」
娘のカタリナは、アレン・マスターズと結婚した。
きっとそうなるだろうとは思ってたから、それはいいのだが……一人暮らししようとするデイビッドを、娘夫婦は面倒を見ると言って聞かず。
……ちゃんと生活できますよ、と訴えたが、誰からも賛同してもらえなかった。
妻に先立たれた後、デイビッドは何も手が付かなくなり、しばらくの間、抜け殻のように過ごしていた。暇さえあればやっていた仕事も、まったくやらなくなり。
気晴らしに、マリアを主人公にした話を書いてみてはどうかとクリスティアンに勧められ、デイビッドは彼女の物語を書き始めた。
そしてキシリアの魔女と呼ばれた女性の生涯を追った大長編が完成し、いまはその後日談を付け加えているところ……もうすぐ、自分の仕事も終わりだ。
開けっ放しになっていた窓から風が吹き込む。
うとうととしていたデイビッドは紙が飛び去る音を聞き、部屋に振り返った。
まとめておいた紙が、床に散乱している。
いけない、とデイビッドはベッドから立ち上がり、紙を拾い集めた。
床の紙を追って行くと、部屋の中に誰かが立っていて……。
「……ああ……ようやく来てくださったんですか。みなさん、ひどいですよ……私を一人残して……」
ぽろぽろと涙をこぼしながら言えば、最愛の妻は静かに微笑む。
手を伸ばし、デイビッドはナタリアを抱きしめた。
物語の書き手もこの世を去り――こうして、マリアの物語は完全に終わった。
ここまで「紫色のクラベル」を読んでいただき、ありがとうございます。
一年半に渡る連載の末に、ついに続編も完結いたしました。
書きたいことはたくさんあるのですが、実を申し上げますと
長女スカーレットのその後の物語でもう少し書きたいものがございまして、
後書きはその時に、また改めて書くことになるかもしれません。
いまはマリアの最期を書き終えたばかりで
書き手としても、ついに終わった……!という想いに浸って
若干放心しております。
また新たに書きたい物語はあるのですが、
しばらくは二年近く書き続けた大長編を私も読み返してみようかなと。
ここまで書き続けることができたのも、
読んでくださった皆様の支えと励ましのおかげです。
次のお話でお会いできることを祈って。
本当に、ありがとうございました!




