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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その悪名伝~  作者: 星見だいふく
その後のこぼれ話
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キシリアへ還る


キシリアの高い山を、ノアは一人歩いていた。当てもなく。

歩いていたというより、さまよっていたというほうが正しいかもしれない。


この山に登る前に立ち寄った村で、山にまつわるちょっとした噂話を聞いて。

目的を見失い、ただフラフラと広大なキシリアをさまよっていたノアは、何気なしにその村に立ち寄っただけなのだが……村の人から、あんたも噂を聞いてやって来たのかい、と心配されてしまって。


噂、と尋ね返してみれば、お喋りな村人は語ってくれた。


「あの山に登ると、死者に会うことができるそうだ。その噂を聞き付けて、亡くなった人間に会おうと山に入る奴もいてな……無事に帰ってきた者は誰もいねえ……」


帰ってきた者がいないのに死者に会えるだなんて、なぜ分かるのか。

……彼女が生きていたら、そう言い返していたところだろう。


ノアはそれを指摘せず、親切な村人に礼をして、山へ向かった。


この山の正体は分かっている。

恐らく……自ら人生の幕を引きたがっている人間が集まる場所。亡くなった人に会える――そんなありもしない妄想話を信じたふりをして、すべてを終わらせた。


いまのノアには、そんな人間たちの気持ちが理解できた。

自分が進むべき道を明るく照らしてくれた太陽を失い……闇の中でも美しく輝き続けた月を追いかけることもできなくなり……何も見えないまま、前に進むこともできないぐらいなら。

恋しい人たちに、自分から会いに行ってもいいのではないか。その選択も、もう許されると思うのだ……。


山は、入ってくる者を導くかのように雪のない部分があり、その道を辿ってノアはただ歩き続けた。険しく長い道のりを、かなり長い時間歩いたはずなのに、不思議と疲れは感じていなかった。


山に入った時から奇妙な霧がノアに付きまとっていたのだが、次第に濃くなっていき、だんだんと、あたりが見えなくなっていく。


一メートル先も見えなくなったが、ノアは構わず歩き続けた。

真っ白な霧の先に何が待っているのか、考えることもせず……。


不意に、馬がいななくような声が聞こえてきて、ノアは足を止めた。

声のするほうをじっと見つめると、まるでノアの視線に反応したかのように霧が晴れていき、白い霧の向こうから、真っ白な馬が姿を現した。


美しいその姿には、見覚えがある。白馬のそばには人影が――彼女の姿は、ノアと初めて会った時の……キシリアで会った時の少女の姿。

会いに来ちゃった、と記憶にある笑顔で……。


「そろそろ行きましょう。ヴィクトール様ったら、待ちきれなくなっちゃったみたいで、ずっとソワソワしているの。これ以上待たせると、へそを曲げてしまうわよ」


ふふ、と悪戯っぽく笑う彼女に、ノアも笑った。


「お待たせして申し訳ありませんでした――参りましょう」


マリアがリーリエに跨り、ノアは彼女の後ろに乗る。

求めたぬくもりをしっかり抱きしめ、愛しい女性と共に、ノアは永遠に姿を消したのだった。




「それでは、ナタリア様。私たちはこれで」

「元気でね。リチャード様のことをよろしく――シオンとシャンタンも、お母様やヤンズを助けてあげてね」


リーシュたち母子に別れを告げ、彼女たちが馬車に乗って去って行くのをナタリアは見送る。


マリアが亡くなって四年……リチャードは十八歳になった。

幼い頃からの恋人でもあったコーデリアと結婚し、レミントン公爵として独り立ちしたリチャードは、王都に自分の屋敷を構え、オルディス邸を出た。


リーシュたちはもともとリチャード個人に仕えてエンジェリクにやって来たから、リチャードが屋敷を出るなら、彼女たちも屋敷を出てレミントン邸に移るのが当然の流れであった。

そして最後の住人であったリチャードが出て行き……オルディス邸は、空っぽになった。


がらんとした室内を、ナタリアは一人見回る。

次男セシリオはキシリアの騎士となり、三男ローレンスは妻ダフネと共にエンジェリクに帰ってきたが、父親の家を継いでブレイクリー邸で暮らすようになった。

婚約者だったウェンディと結婚した四男パーシヴァルも同様に、父親が暮らしていたウォルトン邸へ。


ベナトリア王に寵愛される長女スカーレットはエンジェリクに戻ってくることもないし、次女リリアンはオルディス領での生活が中心となっている。

三女アイリーンは王妃となり、若い王を支えるのに忙しい。彼女の双子の弟も、城とドレイク邸を行き来する毎日。


四女のセレンは……十四歳の誕生日を迎えた途端、ララを探しにチャコ帝国へ行くと言い出して。もちろん兄弟たちは大反対したのだが、あのマリアの娘では、説得したぐらいで諦めるわけもなく。

ついに根負けしたクリスティアンが、商人の伝手を駆使して彼女をチャコへ連れて行った。


末娘のヴィクトリアはクラベル商会を手伝うようになり、長男のクリスティアンと共にあちこちを旅している。


長男クリスティアンは……。

時折ここに帰ってきてはいるが、母や、幸せだった頃の思い出が詰まった屋敷に長居するのは辛いのだろう――商会の仕事と言って、すぐに旅立ってしまう。

他の兄弟たちも、時々は集まって懐かしい人たちを偲んでいるが……まだみんな、思い出を笑顔で語れるほど、心の整理はついていないのだ……。


そうして最後の住人だったリチャードが屋敷を出て行き、ここは再び、誰もいない空っぽの建物になってしまった。


屋敷の中を歩き回りながら、マリア、オフェリア、ベルダと四人で、初めてここへ来た日のことを思い出す。

文字通り、本当に何もない空っぽで静かな屋敷だった……だんだんにぎやかになっていって。屋敷中に笑い声が響き渡り、ナタリアも奔走させられていた頃が遠い昔のよう。


ナタリアも、夫たちと共に別の家へ移った。

……あの人がいなくなってしまったこの屋敷で暮らすのは、やっぱり辛い。


ヴィクトール・ホールデン伯爵の死後、マリア個人の従者となっていたノアは、キシリアでマリアの埋葬を済ませた後、いつの間にか姿を消していた。

クリスティアンが人を使って捜索させたが彼は見つからず。ノアがどうなったか、ナタリアはなんとなく察しがついた。


自分も……あのままキシリアで、マリアのために祈りを捧げていたかった。サンタロッサ尼僧院に入って、自分も尼僧に――本気でそれも考えた。

でも娘や、マリアの子どもたちを見捨てることができなくて。


一人……エンジェリクに帰ってきた。




屋敷内の確認を終えたあと、外に出て、鍵を取り出す。

クリスティアンが帰ってくるまで、この屋敷は鍵を掛けて封印だ。


いつか、マリアの子どもたちが子を生んで。その子どもの中から、新たにこの屋敷の主人となる人間が現れる――そう信じて、それまでの間……。


鍵をかけようとしたナタリアは、屋敷の中に人の気配を感じ、はっと顔を上げた。

誰もいないことはさっき確認した……はず。主人を失ってしまっても、ここは大事な屋敷だ。泥棒や不法侵入者は見過ごせない。

ナタリアはもう一度屋敷に入った。




屋敷は裏口も窓もしっかり鍵が閉まり、誰も入って来れるはずがなかった。誰かが侵入したような形跡もない。

でもなぜか、誰かいる、とナタリアはそう思えてならなかった。


どこへ行っても、誰の姿も見えないのに……。


「あっ、ナタリア様!やっぱり、ナタリア様もここに探しに来たんですね!」


明るい声に、ナタリアはドアを開けようと手を伸ばした体勢のまま、パッと振り返った。


いつも明るくて元気いっぱいだったベルダが、初めて会ったばかりの頃と変わらない姿で、そこに立っていた。

ずんずんとナタリアに近づいてきて、ニッと笑う。


「そりゃそうですよね。オフェリア様ったら、いっつも同じ場所に隠れるんですもん!」


そう言って、ベルダは静かに扉を開け、そーっと部屋の中に入った。

ナタリアも、なぜか当たり前のようにそれについて行って……マリアの部屋へ。


マリアの部屋はあの日のまま――いつも、ナタリアがきちんと整えている。ベッドシーツにはシワもなく。

……でも、部屋のカーテンは、不自然にこんもりとしていて。


「見ーつけた!」


膨らんだカーテンを、ベルダがガバっと抱きしめる。小さな悲鳴のあと、カーテンがもぞもぞと動き、オフェリアがひょっこり顔を現した。


「えへへ。見つかっちゃった」


可愛らしく笑うオフェリアも、あの時の……エンジェリクに来て間もない頃の、あどけない姿。


そうだ……よくオフェリアの遊びに付き合って、一緒にかくれんぼをした。


オフェリアが隠れるのは、いつも決まってマリアの部屋。

大好きなお姉様の部屋にすぐ隠れに行くから、ナタリアもベルダも、ちょっとだけ分からないふりをしたあと、ここへ来てオフェリアを見つけて……。


「さて。次はマリア様ですね。あの人、本当に見つけられないからなぁ。また今日も降参する羽目になるのかしら」


ぶつぶつ言いながら、ベルダはマリアを探しに行く。

オフェリアが、ナタリアの手をぎゅっと握ってきた。


「行こう、ナタリア。お姉様を探しに行かなくっちゃ。お姉様はかくれんぼの名人だから……みんなで探しに行いこう!」


ナタリアは息を呑み……微笑んで頷く。


「そうですね……探しに行きましょうか」


オフェリアの手を握り、ナタリアも、マリアを探して部屋を出て行く。

きっとあの人は、自分たちが探しに行ってあげないと、いつまでも見つけられないままだから……。あの人を、いつまでも一人にしておけない。




――その日。

予定の時間になっても帰ってこない妻を心配して、デイビッドはオルディス邸にナタリアを探しに行った。


そして、かつての彼女の主人の部屋で……主人が使っていたベッドにもたれかかった状態で、息を引き取っているナタリアを見つけた。


マリア、オフェリアと共に、キシリアからエンジェリクに渡ってきた最後の女性。

彼女もまた、キシリアへと帰っていったのだった。


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