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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その悪名伝~  作者: 星見だいふく
第七部03 愛憎の果てに
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最後の男 (2)


マリアが目を覚ましたのは、その日の夕刻のことであった。

ベッドに横たわる自分を、ナタリアが心配そうに見つめていて。


「目を覚まされて、本当に安心いたしました。頭を強打したそうです……まだしばらくは、療養しないといけませんよ」

「セシリオやローレンスは……?ノア様も、姿が見えないけれど……」

「セシリオ様はご無事です。ノア様とローレンス様は負傷しておりますので、今回は彼らも療養中です――大したことないとお二人も強がっていらっしゃいましたが、クリスティアン様が容赦なく休ませていました」


その時の様子を思い出し、ナタリアは笑いながら話す。

マリアは起き上がり、自分の容態を確認した。


爆発の影響で身体をあちこち強打したが、動かすのに異常はなさそうだ。見た目にも、大きな負傷はない……。


「お背中には跡がいくつか……その内、青あざになってしまうかと。頭も切っておりますので、しばらくは絶対安静ですよ」


頭に巻かれた包帯を邪魔そうにするマリアを見て、ナタリアは慌てて付け加えた。


「フェルナンドは?」

「……まだ、女王のお返事を待っているところです。すぐに報告に向かわせましたから、明日には処刑の決定が下されるだろうと……」


そう、とマリアは頷く。

それからナタリアに頼んで、湯の準備をしてもらう。頭を切っているので、髪は洗えませんよと言われてしまって、マリアもちょっとしょんぼりしてしまった。




夜、マリアはこの時期には肌寒い薄手の寝衣を身に纏い、ガウンを羽織って、相手を待った。

頭の包帯のせいで見栄えはいまいちだが、外そうとしたら眉を吊り上げたナタリアとクリスティアンに叱られてしまったので、仕方なく諦めることにした。


やがて部屋に、人が入ってくる。両腕を拘束されたフェルナンドが、ノアに見張られながらゆっくりと。


武器は全て取り上げられ、身軽な服装のフェルナンドは、ベッドに腰かけたままのマリアに近付く。

ノアがフェルナンドの拘束を外し、部屋を出て行った――途端、フェルナンドは素早く行動に出た。


ベッドに座ったままのマリアに手を伸ばし、両腕で首をつかんでベッドに押し倒し、容赦なく力を込める――。


「武器がなければ、お前を殺せないとでも思ったのか!どこまで僕を馬鹿にして……!」


フェルナンドが叫んだ。


ギリ、と音が聞こえそうなほど首を締め上げられ、息が詰まる。苦しくて顔を歪めていたマリアは、目を開けてフェルナンドを見上げた。

憎み続けた魔女を目の前にして、フェルナンドは目の色を変えている。だがマリアと目が合うと、ほんの一瞬、その瞳に光が宿った。


「フェルナンド……」


息も絶え絶えに、マリアが名を呼ぶ。ほとんど声は出なかったが、フェルナンドははっきりとその声を聞き取り、完全に怯んだ。

マリアの首にかかる手の力が緩み、マリアは微笑んで彼を見上げる。


驚愕に目を見開き、フェルナンドはパッと手を放した。信じられないものを見たような目でマリアを凝視し、放心していた。


「嘘だ……そんな……おまえが……」


マリアは身体を起こし、フェルナンドを見つめる。無防備な彼の頬に、そっと手を伸ばす――フェルナンドはびくりと身体を震わせたが、マリアの手を振り払わなかった。

そんな彼を、両手でしっかり抱きしめる。




魔女に抱きしめられ、フェルナンドはなぜかその手を振り払うことができなかった。それどころか、自らも手を回して、彼女の細い身体を抱きしめる。


名前を呼ばれ、抱きしめられ……気付いてしまった。

優しい声と、やわらかいぬくもり。自分は、これを知っている――覚えている。


――痛いよ……母様……!


幼い頃、その手を求めて自分は何度も泣きじゃくった。フェルナンド、と呼ばれて、声のするほうへ駆け寄る。


「よしよし……痛かったのね。大丈夫よ、フェルナンド」


優しく抱きしめてくれる母の胸に顔を埋め、痛みも悲しみも消えていく。

ずっと……フェルナンドが求め続けてきたもの。いつかまた、母が与えてくれる――そう信じて、フェルナンドは今日まで生きてきた。


どれほどの痛みを背負うことになっても……悲しみも見て見ぬふりで、彼女の望みに添うように。

……なのに、まさかそれが……自分が母だと思って追い続けてきた相手が、憎むべき魔女だった……そんな、残酷な真実……。


「フェルナンド」


目の前の女は、たったいまも自分に殺されそうになったというのに、フェルナンドを労わり、慈しむ。


この女を殺さなくては――そうして、母の望みを叶えなくては……でも、自分が求めた母は……。


「よく頑張ったわね。私は、あなたを誇りに思っているわ」


欲しくて堪らなかった言葉。

愛してくれとは言わない。ただ、自分の存在を認めてほしかった。


嫌悪の感情すら向けられることなく、母は自分の存在を見ようとしなかった。母に振り向いてほしくて、フェルナンドはいばらの道を歩み続けた。

傷だらけでボロボロになっても……実の父と兄を手にかけることになっても。でもあの人の目が、自分に向けられることはなくて。


……どうして、憎むべき敵から与えらるのか。

理由はとても単純だ。フェルナンドの母は、マリアだから……。


「母様……」


昔、母をそう呼んで、ひどく折檻を受けたことがあった。

フェルナンドのすることに興味を示さない――失敗にもほとんど反応しない母が、唯一反応を見せた出来事だった。

以来、禁句となってフェルナンドも二度とそう呼ばなくなっていたのだが……この呼び方は、彼女を指すものだったから――長い歳月を経て、ついに答えにたどり着いた。


すがりつくようにマリアを抱きしめ、フェルナンドは、長年渇望し続けてきたものを求める。マリアはフェルナンドの頬に手を伸ばし、愛情のこもった瞳で見上げてくる。

彼女の顔が近づいて来るのを、フェルナンドも目を瞑って受け入れた。




寝台に横たわる男の髪を、そっと撫でる。

兄に比べると父親に似ていないと思ったが、寝顔はやはりシルビオによく似ていた。髪の質も、父親似だ……。


フェルナンドを眺めていると、部屋にまた人がやって来る。再び、ノアが人を連れて部屋に入ってきた。

天蓋カーテンの付いたベッドのそばまで彼女を案内すると、ノアは扉の前に離れる――マリアはガウンだけを羽織り、その下が裸であることを隠しもせずに彼女と向き合った。


彼女の姿を見るのはこれが初めて。いつも頭からすっぽりヴェールを被っていて、シルビオやマクシミリアンですら、彼女の顔は覚えていないと話していた。


いまも――捕えた時に、幼少から彼女に仕える老女もいたし、彼女の顔を知っている人間もいたから、シルビオの妻……フェルナンドの生母で間違いないと、確認を取ってはいるのだが。


あられもない姿をしたマリアから視線を逸らすように、女は顔を背け、じっと黙り込んでいる。

マリアは無遠慮に彼女に近づき、さっと顔のヴェールを取った。


「あら……思った以上に、大したことのない女だったのね」


彼女の顔を見て、マリアは嘲笑う。ヴェールを奪い取られた女は一瞬だけマリアを睨んだが、すぐに顔を背けた。


「醜女とは言わないけれど、十人並といったところかしら。中身もつまらない女なら、見た目はもっとつまらないのね。私から、シルビオを奪い取れないはずだわ」


正妻はマリアの言葉など聞かないふりをしているが、無視しきれないことをマリアは見抜いていた。

やはりそうだ。この女は……。


「可哀想な人。愛した男は永遠に他の女のもので。その心に、ほんの少しの居場所もない」

「――私は、あんな男のことなど……!」


その誤解だけは黙っていられないと思ったのか、女が口を開いた。感情を押し殺そうと努める彼女には珍しい、人間らしい……普通の女らしい反応だ。

マリアは残酷な笑みを浮かべ、自分に振り返った女を見つめ返す。


「愛していたわ。安っぽいラブロマンスに出てくるような情熱的なものではなかったでしょうけど……絆されるぐらいには彼に情があったのよ、あなたにも」

「私は……私が愛しているのは……」

「まさか、結婚前の恋人なんて言い出すつもりじゃないでしょうね。男が思っているより、女は冷めやすいものよ。自分とお腹の子を見捨てて逃げ出す男にいつまでも未練を残す女なんて、存在するわけないじゃない」


女が再び口を閉ざす。

図星を突かれた――あるいは、自分自身見ないふり……気付かないふりをしてきた想いと向き合わされて、反論もできないのかもしれない。


夫を愛してなどいなかった――それが、彼女の心を支えていた。

すべてをシルビオのせいにして、彼を憎むことで、自身の不幸に耐えようとした。彼も、横暴で、女に人格などないものとして扱う父と同じ男だと思い込もうとした――思い込みたかった。


でも……誰にも信じてもらえなかった我が子の父親のことを、シルビオだけは信じてくれた。妻を守り、真っ向から父にも意見してくれた。

たったそれだけのことで、自分も彼に絆されてしまって――そんな浅はかで愚かな女だと認めたくなくて、ますますシルビオに対する態度は頑なになってしまった。

気が付けば、我が子にまで歪んだ感情を押し付けて、フェルナンドの人生は取り返しのつかないものに……。


マリアはベッドに近付き、そっとベッドのカーテンを引く。

ベッドに誰かがいることは女も気付いていた。マリアの悪名は知っていたから、悪趣味だとは思いつつも特に気に留めていなかったが。


床に脱ぎ捨てられた衣服。無防備にベッドで眠るフェルナンド。

部屋の内装からして、この部屋の持ち主は女性――マリアの部屋だ。そんな部屋に、自分の息子が。


「あなたの夫も、息子も、私が寝取ってやったわ」


マリアが冷たく言い捨てる。

相変わらず魔女は笑顔を浮かべていたが、女を見る瞳には、激しい憎悪と敵意の炎が燃え盛っていた。


「ざまあみろ」


蛇に睨まれた蛙のように、シルビオの正妻はマリアを見つめ、息をすることも忘れたように凍り付いていた。


先に動いたのは、ベッドで眠っていたフェルナンドだった。


「ん……母上……?」


目を開け、部屋に母親が来ていることに気付いたフェルナンドは、身体を起こそうとした。そんなフェルナンドにするりと近寄って、彼の唇をふさぐ。


マリアに口付けられると、フェルナンドはあっさりと母のことを忘れ、マリアを抱き寄せた。マリアを押し倒し、自らマリアの唇を貪って……。

情欲の虜となった息子を前に、目を逸らすこともできず女は立ち尽くしていた。


そんな女にノアが静かに近づき、彼女を部屋から連れ出す。

自分に覆いかぶさるフェルナンドの首に腕を回しながら、マリアは彼女の後ろ姿を見送った。


正妻に嫉妬する愛人演じるつもりはなかった。

でも……どうしようもなく、彼女を打ちのめしてやりたかった。


彼女がシルビオへの想いを拗らせ、息子を歪めてしまったばかりに、起きた悲劇。

すべての原因が彼女にあるわけではないが、一切の責任を感じることもなく他人事のような顔をする彼女が、憎くて堪らなかった。


彼女たちが引き起こした悲劇のせいで、マリアもまた、多くのものを失った。


復讐しないでいられるほど、マリアもできた人間ではないのだ。

自分も……所詮は、どこにでもいる、ありふれた女なのだから。


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