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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その悪名伝~  作者: 星見だいふく
第一部外伝 父を巡る思い出
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追いかける背中 (1)


これが最後と宣言した母のお腹に、クリスティアンはぴたっと耳を当てていた。

いくらなんでもまだ無理よ、と母は笑うが、いずれここから弟か妹の声が聞こえてくるようになるのかという不思議な気分に浸っているのが、クリスティアンは結構好きだった。


「母上が子どもを生むのは、これが最後なんですか?」

「絶対にもう生まないと決めてるわけじゃないけれど、やらなくちゃいけないことが多過ぎて、もう子どもを生んでいる余裕がないのは本当よ。セイランに行って……どれぐらいで帰って来られるか」


そう言いながら、母は自分のお腹に耳を当てているクリスティアンを撫でる。クリスティアンも、母のお腹に触れる手にぎゅっと力を入れた。


マリアは、この子を生んだらセイランへ旅に出てしまう。そのことは、兄弟ではクリスティアンだけが知らされていた。

口には出さなかったが、マリアが行ってしまうのは寂しくて堪らない。セイランに行って、帰って来る――それだけでも、一年ぐらいはかかってしまうだろう。

何をしに行くのかは教えてもらえなかったけれど、すぐに終わることでもなさそうだ。そうなれば、マリアの滞在期間はもっと長くなって、クリスティアンたちが母親に会えない時間ももっと長くなって……。


「あなたたちには、寂しい思いをさせてばかり……お母様を許してね」

「許しません。母上は、甘い顔をするとすぐ調子に乗るんですから」

「もう。本当に、あなたは生意気なんだから」


そう言って自分を抱きしめるマリアに、クリスティアンもすり寄った。




最後の出産を前に、クリスティアンたち兄弟は母に連れられてオルディス領に帰って来ていた。それはきっと、密かに迫る別れを惜しんで――母も、我が子と過ごす時間を優先しようと王都から離れたのだろう。

そんな事は知らず、兄弟たちは母にたっぷり構ってもらい、甘やかしてもらって……クリスティアンは、自由な兄弟に振り回されることもあった。


「クリスティアン!父さんの船が近くに停まってるんだ、見に行こうぜ!」


父に連れられクラベル商会へ来ていたクリスティアンを、二番目の弟が呼びに来る。

一応クリスティアンも、遊びで商会へ来ているわけではなくて、勉強しに来ているのだが――そんなことはお構いなしに、ローレンスはクリスティアンの腕をぐいぐい引っ張る。

体格のいいローレンスは、すでにクリスティアンと背丈が変わらない。彼の力で引っ張られると、クリスティアンも抵抗しきれなかった。


「分かった。一緒に行くから引っ張らないでくれ。ノア、ローレンスと一緒に提督の船を見に行ってくる」

「私はこれから伯爵の供をする予定なので、一緒について行けません。ローレンス様、もう少しあとではいけませんか?」


二人だけで出かけることに、ノアは難色を示す。だがローレンスも、いやだと強く拒絶した。


「父さんの船はすぐに出ちゃうんだ。あとで、なんて言ってたら会えなくなるじゃないか!」


ローレンスの頑なな主張も、クリスティアンにはよく理解できた。ローレンスの父親は、一年の大半を海に出ている男だ。気軽に、いつでも会える相手ではない。

クリスティアンはいつでも父親に会えて、こうして職場に一緒に連れて来てもらうこともしょっちゅう……ローレンスが内心では羨ましがっていることに、クリスティアンも気付いていた。


「分かりました。馬車の用意をします。クリスティアン様、ブレイクリー提督の船を見に行くだけですよ。用事が終わったら、すぐに馬車に乗ってお戻りください。念のため、別の護衛をつけておきます――」


こうしてクリスティアンは、ノアが用意してくれた馬車に乗り、数名の護衛と、マサパンをお供に、ブレイクリー海軍提督の船がある町へ向かった。

馬車は直接港に着き、クリスティアンはマサパンと一緒に船へ向かうローレンスについていって――水夫たちとは当然顔見知りだ。クリスティアンたちが勝手に船に乗り込んでも、水夫たちは慣れっこで挨拶してくる。


「ローレンス、父親に会いに来たんじゃなかったのか?」

「当たり前だろ。だから隠れるんじゃないか!」


何がだからなのか分からない。

荷物の中に隠れ込むローレンスにクリスティアンは困惑し、マサパンと顔を見合わせる。マサパンは愛くるしい瞳を向けるばかりで、クリスティアンの困惑に共感してくれることはなかった。


「ここに隠れて、しばらく父さんの仕事ぶりを観察するんだ。それから、ここから突然飛び出して父さんをびっくりさせてやるんだ!」

「提督と話をしなくていいのか?隠れてたら、話をする時間も減るぞ」

「……だって、話をしたらすぐに船を降りなくちゃいけないじゃないか」


拗ねたような口調で話すローレンスに、クリスティアンは苦笑いした。

空箱を開けてその中に入ろうとするローレンスを手伝い、自分も箱の中に入る。子ども二人ぐらいならすっぽり収まってしまうほど大きな箱……でも、大型犬のマサパンまで入るとさすがにせまい。

マサパンの毛皮にもたれかかりながら、クリスティアンはローレンスに向かって言った。


「船が出る時間までには、ネタばらしをして出て行くんだぞ」

「分かってる」


蓋を少しだけ開け、隙間からローレンスは外を眺める。クリスティアンも、箱の中に座りこんだまま外の様子をうかがった。

やがて聞き覚えのある声が聞こえて来て――ブレイクリー提督が近付いて来た。


「仕事してる父さんはかっこいいよな」

「そうだな。船の上の提督は、やっぱりエンジェリク最強の男だよ」


ローレンスの父親は、明るく豪胆で気さくな男だ。時々、双子の副官にからかわれているような場面も見るけれど。

船の上の海軍提督は、勇ましく雄々しく……でも、自分の父親のほうがかっこいいと思うんだ。本当は。

口には出さないけれど、クリスティアンは密かにずっとそう思っていた。


「あっ。あっち行っちゃった」


指揮を執る提督はやはり忙しいようで、クリスティアンたちが隠れている荷物に近寄ることもなく別の場所へ行ってしまった。

諦めて自分たちも出て行くべきなのだが、滅多に会えない父親に構って欲しい弟の気持ちもよく分かる……もうちょっとだけ待とう、と懇願され、却下することはできなかった。


「クリスティアンは、父さんの船に乗ってキシリアへ行ったことがあるんだよな」


箱の中に座り直しながら、ローレンスが尋ねる。クリスティアンとローレンスに挟まれ、マサパンもぎゅうぎゅう状態だ。顔にあたってくすぐったいから、尻尾を振るのはやめてほしい。


「提督の船で行ったのは二回ぐらいかな……基本は僕の父上が持っている、クラベル商会の船で渡ってるんだ。提督は、もう少し大きくなったらローレンスもキシリアへ連れて行きたいと言ってたよ」


クリスティアンは、父に連れられてキシリアへ渡ることがたびたびあった。最近は、すぐ下の弟のセシリオも一緒だ。セシリオの父親はキシリアにいるから、ホールデン伯爵が商会の仕事で渡るついでに、一緒に連れて行ってもいいと言って。


母の生まれ故郷キシリアは、とても良い国だ。

あの国での思い出を、母が幸せそうに語っている姿を見てきた。クリスティアンも、あの国と、あの国に生きる人たちが大好きだ……。




父に連れられ、クリスティアンはキシリアへ渡った。母にも一緒に行かないかと誘っていたが、オフェリアを置いて帰ることはできないと母は拒否した。首を振る母はとても寂しそうで。そんな母を見つめる父の目には、隠すことのない愛情にあふれていて。

なんだかおかしな関係だけど、やっぱり父は母のことが大好きなんだな、とクリスティアンは強く感じた。


――私の分まで、キシリアをしっかり見て来てね。

別れ際、笑顔で母はそう告げた。

最初の渡航から二年。まだ数えるほどしか来ていない国だけど、エンジェリクにも劣らぬほどの愛着がキシリアにもあった。


「クリスティアン!」


船から降りた途端、可愛らしい少女から熱烈な歓迎を受ける。一目散に駆け寄って来て自分に抱きつく少女をなんとか抱きとめ――クリスティアンは背中を地面に打ち付けるところだった。素早く動いたノアが支えてくれなかったら、したたかに後頭部をぶつけていたな、うん。


「イサベル様!いきなり抱きつくのはやめてください!クリスティアンが困っているでしょう!」


キシリア王女を容赦なく叱りつけるのは、クリスティアンの弟セシリオ。

王女イサベルとセシリオ――どうもこの二人は、クリスティアンを挟んで火花を散らし合うことが多く。

いまもまた、二人で睨み合っている。


「セシリオ、私は王女なのよ。王女にそんな口を聞いていいと思っているの?」

「王女だと言うのなら、王女らしく節度ある態度を守ってください。とにかく、俺の兄の上から退いてください!」


ノアに引っ張られながら、クリスティアンはようやく起き上がった。その間も、王女と弟は睨み合っていて――おまえもなかなか罪作りだな、と父は笑うが、間に挟まれる自分にとっては笑い話じゃない。


「よく参られた。ホールデン伯爵、クラベル商会の皆の者、それにクリスティアンとセシリオも」


軽装で港町を訪ねて来ていたキシリア王が、ホールデン伯爵とその一行を歓迎する。

王の護衛として、シルビオも一緒だ。父親の登場に、ようやく王女と睨み合うことをやめてセシリオは彼に飛びついた。


「しばらくの間、ご厄介になります」


商会の代表者としてホールデン伯爵が丁寧にあいさつし、キシリア王は上機嫌で頷く。


「遠い国から来てくれた友を、余は歓迎するぞ。イサベルもシルビオも、そなたたちに会えて嬉しそうだ。それに伯爵、今回の手土産も期待しているぞ」


最後の言葉はよく聞こえなかったが、王の意味ありげな顔を見て、たぶんマリアが聞いたら激怒するようなことなのだろうなぁ、とクリスティアンは思った。


キシリアの王は、なかなかの女好き。

エンジェリクの金髪美女は、王を非常に満足させるだろう――マリアはそんな浮気者の王を、よく監視していたそうだ。


――母上には内密にな。

大人の事情を知ったクリスティアンは、ホールデン伯爵からもキシリア王からもそんな口止めをされることがしばしば。

……もっとも、マリアにすべて暴露してしまえ、とあとからこっそりシルビオにも言われるので、いつも母に全部話してしまっているのだが。


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