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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その悪名伝~  作者: 星見だいふく
こぼれ話
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永遠なる英雄伝


ジョアキン・ミュレーズ。かつては、フランシーヌ軍の総司令官も務めていた男だった。

ランベール・デュナン、エミール・ロランと共に革命を生き抜いた闘士であり、いまは……己の居場所を見失ってさまよい続ける、憐れな老いぼれであった。


「大局は決まったな」


戦場をどこか他人事のように眺め、ミュレーズは呟く。


「そうだな――ミュレーズ、俺たちで活路を作るぞ。フェルナンド王を逃がす」


そう言ったのは、フェルナンド軍の将軍オリバ。若く未熟なフェルナンド王に代わって軍隊の指揮、統率を行っている。

若い頃は戦場で対峙し合う関係だったのだが、何の因果か、いまは肩を並べてキシリア王のために戦うことに。


自国の王を処刑台に追いやった自分が、外国の王のために戦うことになるとは……実に、皮肉な結末である。


「逃げるつもりはない。この結末は最初から分かっていた。傀儡の王としてまつりあげられ、どこかで見捨てられることも承知の上で引き受けた王冠だ――あなたたちが、私に最後まで付き合う必要はない」


ミュレーズとオリバに逃亡計画を持ち掛けられたフェルナンド王は、落ち着いた様子で答えた。


若きフェルナンド王は、聡明で、どこか自分の運命を悟ったところのある少年だった。時代が異なれば、彼は本物の王として敬意を集められたことだろう。

ただただ……環境が悪かった。


己の利益と欲望のために傀儡の王を求めた大人たちに担ぎ出され、搾取され、その素質を踏みにじられることになってしまった。

利発そうな瞳は暗く陰っており、付き合いの短いミュレーズも、彼の人となりを知るほどにキシリア王の置かれた立場に憐れみを覚えた。

……役立たずで、もう何の価値もなくなった自分は、いまもこうしてのうのうと生き延びているのに……未来ある若者が、先に逝かなくてはならないなんて。




マリー=アンジュ城。かつてフランシーヌ軍が所有していた拠点。

国都に侵攻するエンジェリク軍を撃退するため、ミュレーズは精鋭を集めて城を夜襲することにした。


エンジェリク王や、キシリアの魔女に不満を抱くエンジェリク兵士たちを扇動し、彼らを利用して――姑息なやり方だとは思ったが、フランシーヌとて生き残るために必死だ。

戦うことしか能のない自分には、周囲の提案に乗って兵士を指揮することしかできなかった。


「ここはわしが見張る。お前たちはよそへ行け――年老いても、腕は衰えておらぬ。お前たちがいてはかえって足手まといだ」


マリー=アンジュ城は敷地が広く、西棟と東棟に別れている。

三階の渡り廊下で繋がっており、ミュレーズはここの見張りを買って出た。向こうも、ここが見張られていることは気付いているはず。

ここを通るのは、よほどの阿呆か実力者だけ。だから人手を割いても意味はない――自分一人で充分だ。


ミュレーズはすぐそばに置かれた大きな骨董品の陰に潜み、そこを見張った。

やがて銃声が聞こえてきて……慌ただしい足音が渡り廊下に響く。


「エドガー!エドガー……!」


姿を現したのは、エンジェリク王ヒューバートだった。銃を手に持っている……先ほどの銃声は、彼が撃ったものだったのか。

彼を、すぐ後ろから追いかけてくるのは……。


「陛下……ヒューバート様!エドガー殿下は僕が……!陛下はお戻りください――せめてウォルトン団長と共に――」


追いかけてきたのは、エンジェリクの近衛騎士隊長となったかつてのフランシーヌ軍人。ルナール将軍の息子……ルナール将軍は、立派なフランシーヌ軍人であった……。ミュレーズもデュナンと共に彼に師事してきたから、息子の顔にも見覚えはあった。


マルセルの懇願も、息子を見つけることに必死になっている王の耳には届かない。構わず階段に向かい、王子を探しに行こうとするヒューバート王のもとに、エンジェリク騎士が。


「陛下!我々が護衛を……」

「不要だ」


騎士たちを一瞥することもなく、ヒューバート王は言った。

騎士たちは呆気にとられ、ぽかんと間抜けな顔で王を見つめる。そんな彼らに、王はなおも厳しい態度を貫く。


「僕に護衛など必要ない!自分の身は自分で守れる!」


優男の印象を受けるヒューバート王だが、一喝され、騎士たちはすくみあがった。数多の修羅場を潜り抜けてきたミュレーズですら、エンジェリク王の迫力に目を丸くしてしまったぐらいだ。


「おまえたちはウォルトン団長にカイル副団長――いずれかに合流し、彼らの指示に従え」


マルセルもそう言い、二人はさっさと立ち去ろうとしていた。

そんな二人の背後で、エンジェリク騎士たちが剣を抜く――彼らは裏切者だったらしい。裏切り者のエンジェリク騎士は仲間として認識するつもりはなかったので、誰が裏切者なのか、ミュレーズも知らなかった。


「くそっ!」


ほとんどやけくそになって騎士たちは王に襲い掛かるが、ヒューバート王は難なく彼らの攻撃を防ぎ、剣を奪って容赦のない反撃を……。

……手にしている銃もフランシーヌ軍のものだったし、エンジェリク王は……どうやら丸腰のようだ。


着ている夜着に付いた返り血を見るに、ここに来るまでに何度も敵には出くわしているはずだろう。

丸腰でここまでたどり着いたのか……。


「待て。エンジェリク王よ」


マルセルと共にあっさりと裏切者たちを始末して立ち去ろうとするヒューバート王を、ミュレーズは呼び止めた。

マルセルはミュレーズを見て顔色を変えたが、ヒューバート王はちらりと見ただけですぐに背を向けた。

――息子エドガー王子のことで、頭がいっぱいなのだ。


「我が名はジョアキン・ミュレーズ。フランシーヌ軍の総司令を務めている――エドガー王子も貴様も、かつてのフランシーヌ王妃によく似ておる」


王子の名に、王はぴたりと足を止めた。ミュレーズは不敵に笑う。


「あの女の美しい髪色は、貴様たち親子にも引き継がれたらしい。最後は血で染まるところまで同じとは、なんとも皮肉なものよ」

「……エドガーに何をした」


裏切者から取り上げた剣を握り直し、ヒューバート王はミュレーズと向き合う。

もちろん、ミュレーズはエンジェリクの王子と会えていない。だが、まるで自分が王子を仕留めたように装えば、王は反応するのではないか――その読みは当たった。


「あの世で、先に待つ息子に聞けばいい」


ミュレーズが言えば、エンジェリク王の目の色が変わる。

一瞬、彼を見失った。長年の経験と勘で咄嗟に剣を振っていなければ、自分は真っ二つに斬り割かれていたことだろう。エンジェリク王の一撃をしのぎ……斬撃の重さに、ミュレーズの手がわずかに震えた。


息子の仇を目の前にして、エンジェリク王は激高していた。

恐ろしいのは、怒りで隙だらけになるどころか、反撃する隙も与えられぬほどに王の攻撃が激しくなり、自分はそれを防ぐのに精いっぱいになっていること。


年齢のせいもある。

……自分ももう、見苦しいぐらいに年老いた。引き際を見失った老兵ほど、憐れなものはない。


体力の限界で、先に膝をついたのはミュレーズのほうだった。

身体を支えきれず、片手までついて。ぜえぜえと、肩で息をする。


そんな老人を前に、エンジェリク王は剣を引いた。自分を見下ろす顔には冷静さが戻っており、ミュレーズの真意を見抜いているようだった。

しばらくミュレーズをじっと見つめ……再び背を向け、立ち去ろうとする。


「待て……待ってくれ……!とどめを……とどめを刺して行ってくれ……!」


懇願するミュレーズに、エンジェリク王は憐れむような目を向けた。


恥じる思いもあったが、それ以上に。もう、終わりにしたいのだ。

かつての友はとうに去り、闘いの中で希望に満ちた未来を信じて散っていた者たちが羨ましいとすら思うようになっていた。

革命は失敗だった……見て見ぬふりをしてもどうしようもないほど、ミュレーズの心を占める敗北感と虚無感。戦うことしか能のない自分は、どうすれば終わらせられるのかもわからず、ただ最後の場所を求めてさまようばかり。


「――陛下!」


マルセルが叫んだ。


何が起きたのかミュレーズが把握するよりも先にマルセルがエンジェリク王に飛び掛かり、続いて聞こえてくる銃声。

何十発もの弾がエンジェリク王の立っていた場所に撃ち込まれ……火薬の臭いと煙が立ち込める。


マルセルは、地面に倒れ込んだままのエンジェリク王を引きずって身を隠す。自身も這うように、暗闇の中へと姿を消した。引きずった地面には、おびただしい血の跡が……。


ミュレーズはそれを、呆然と見送ることしかできなかった。


「閣下!」


マルセルたちの姿もとうに見えなくなった頃、銃を持った部下たちがミュレーズのもとへ駆け寄ってくる。銃は一発撃った後、次の弾を装填したり、手入れや確認をしたりする必要がある――当然、その間は無防備になりやすい。

その作業を終えてからミュレーズのところへやって来たのだろう。判断としては間違っていない。


だが、ミュレーズは怒りに震えていた。


「馬鹿者が……!」

「も、申し訳ありません……閣下に当たる危険性は十分承知しておりましたが……」

「違う!なぜ、わしを撃たなかった!」


激怒する上司に、若い兵士たちは戸惑う。


助けに入るのが遅かった。エンジェリク王もろとも殺されるところだった。

それで腹を立てているのかと思ったのに、ミュレーズはなぜか、自分を撃たずにエンジェリク王を撃ったことを怒っていて。

――説明することも馬鹿馬鹿しく、ミュレーズは悔しさに歯を食いしばり、地面に膝をついた無様な姿のまま、うなだれた。


撃たれるべきは、正々堂々とした一騎打ちで勝利したエンジェリク王ではなかった。

夜襲でしか敵を倒すこともできず、その敵に情けをかけてもらわねば生き延びることもできず……その相手を、部下の手で闇討ちさせることしかできない、無力で無能な……。




マリー=アンジュ城での夜が明けた後、フランシーヌ軍はエンジェリク軍との戦いを強行した。


本来の目的――国都に迫る彼らをけん制する、ただそれだけしかできない状態であったことを忘れ、エンジェリク軍に勝てるかも、と錯覚を起こした彼らを説得することができずに戦い……ミュレーズが予想した通り、フランシーヌ軍は完敗。

フランシーヌの命運を賭けた戦いに敗れ、ミュレーズはキシリアへ亡命した。


この期に及んで逃げ延びろと言うのか、と亡命を勧める部下に反論したが、少しでもエンジェリク軍に痛手を負わせてほしい、フランシーヌの強さを思い知らせてほしいとすがられ、生き恥を晒す決意をした。


旧敵オリバの取り成しもあってキシリア王フェルナンドの部下となり、生まれてこの方一切縁のなかったキシリアで、ミュレーズは再びエンジェリク軍を迎撃することに。


「やはり、お前のほうが陽動であったか――どちらであっても、お前の隊に向かう以外に僕に選択肢などないのだが」


フェルナンド王を逃がすため、手勢の減った軍を二つに分けた。一方をオリバが、もう一方をミュレーズが。

将軍オリバがフェルナンド王の護衛し、ミュレーズは彼らが逃げるための囮役。


「……貴様は必ずわしのほうに向かって来ると、分かりきっていたからな。いまこそ……我が命運をかけて戦う時」


キシリアに派遣されたエンジェリク軍の中に近衛騎士隊長マルセルがいると聞いた時から、やがてこうなることはミュレーズも予想していた。

……きっとこれが、自分に相応しい最期だ。


「祖国の裏切者め。我が花道の最後を、貴様の死で飾ってやろう」

「裏切者か……」


互いに剣を抜き、真っ直ぐに向き合う。

その様子に、互いの部下たちも武器を構え、狭い戦場は殺意と敵意に満ちた。


「ヴァイセンブルグの狗に裏切者呼ばわりされるほど、僕は落ちぶれてはいない!」

「何を――!」


怒りで、堪らずミュレーズはマルセルに飛び掛かった。

図星を突かれ、それを認められない自分は、逆上するしかなかった。


フランシーヌ革命――平等、自由、博愛の精神をもとに行われ、栄光に満ちて……祖国に素晴らしい未来をもたらすはずであった。だが実態は。

権力者たちの駒となり、守るべき祖国は食い物にされ。


道は途切れ、自分の立ち位置すら見えなくなっているミュレーズと、忠誠を捧げた主君のため、迷うことなく我が道を突き進むマルセル。

なぜ、こうも明暗が分かたれてしまったのか。その答えを見つけることもできないまま、最後の闘士が地上から消え去り、フランシーヌ革命は終わった。


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