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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その悪名伝~  作者: 星見だいふく
第七部02 英雄の詩 最終楽章
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語られない物語 (1)


聖マヌエル修道院は山を切り開いた場所に建てられており、ミライから人身売買の話を聞かされたマリアは、連れてきた人を逃がさないようにするにはなかなか良い立地だな、と感じていた。


来訪者を威圧するような門の扉を叩き、しばらくすると重々しい音を立てて扉が開いた。そーっと、怪訝そうな顔をした若い修道士が顔を出す。

マリアは、用意しておいた書類を差し出した。修道士は、マリアの顔と丸められた書類を何度か見比べていた。


「かつてのキシリアの宰相クリスティアン・デ・セレーナの娘、マリアと申します。ロランド様がこちらに眠っていらっしゃると聞き、やって参りました。どうか、敬愛する主人のために祈らせてください」


書類はマリアの身元を証明するためのものであり、エンジェリクを出る前にオルディスの教会のシモン院長からもらってきたものだ。

聖マヌエル修道院へ赴くにあたって、念のために用意しておいたものだが……用意しておいてよかった、と切実に思った。


証明書を見た修道士は、マリアが断れぬ客であることを察した。


「少々お待ちを――院長様を呼んでまいります」


扉が閉まり、ほどなくして再び開き、聖マヌエルの院長が顔を出す。聖マヌエルの院長はかなり高齢な男で……その視線は、油断なくマリアたちをとらえていた。


「いささか、時間が遅いのではありませんかな。修道士たちは、間もなく晩課の時間です。明日、出直して頂きたい」

「非常識な時間であることは理解しております。キシリアはいまも内戦が続いており、それを避けて旅をしてきたものですから、どうしてもこの時間に」


修道院を訪ねるには遅い時間となったのは、狙ってのことである。ここで引き下がるわけにはいかない。

マリアも愛想の良い笑顔を浮かべながら、自分の主張を譲らなかった。


「チャールズ・レミントン公爵から、この修道院には訪問者のための宿泊施設もあるので、時間によっては泊めてもらえばよいと勧められました。厚かましい頼みではございますが、どうか一夜の宿を恵んではいただけませんか」


チャールズの名に、わずかに院長が目を逸らしたのをマリアは見逃さなかった。

少し前にここを訪ねてきたばかりのエンジェリク人――自分たちが毒を盛った相手。彼の紹介だと知れば、対応を変えるはず。

マリアの読みは当たりだ。


院長は後ろに下がり、マリアたちを招き入れるような仕草を見せた。


「ご婦人は我が修道院には不都合ゆえ、離れに泊まって頂くことになる。食事もそちらで――修道士たちに運ばせよう。修道士たちとの接触は、最低限にお願いしたい」

「是非もございません。皆様のお勤めの邪魔にならぬよう、私も心掛けますわ」


マリアの殊勝な態度に院長は頷き、院内を案内するように歩き出す。ララとノアを連れ、マリアは黙って院長についていった。


広い外観に対して、人は少ない。年齢もいささか極端だ。マリアよりずっと年上か、マリアよりずっと年下の若い修道士しかいない。

全体的に人数は少ないが、高齢の修道士のほうが少ない気はする。若い修道士は、マリアたちの姿を見つけると、遠慮なくじっとこちらを見てきて――女のマリアを見ているのか、チャコ人の……異教徒のララが注目を集めているのか……。


「ロペ」


長い廊下は、途中で中庭に面していた。中庭で草花の手入れをしていた、高齢の修道士に院長が声をかける。

修道士ロペは振り返り、作業の手を止めて院長のもとへやって来た。


「今夜、このご婦人方は離れに泊まっていかれる。離れに案内する前に、ロランド王の墓標へお連れせよ」


院長の指示に修道士ロペは頭を下げ、改めて、マリアに対しても頭を下げた。


「皆様方の案内を務めます、ロペと申します。どうぞ、こちらへ」


修道士ロペは、人の好さそうな中年の男性であった。高齢の修道士たちの中では若いほうではないだろうか。

敵意はなさそうだが……彼が緊張していることは分かった。

……彼も、何か知っている男なのかもしれない。


修道士を誑かすのはできるだけ最終手段にしたいが、場合によっては。


修道士ロペと共に廊下を戻り、何度か角を曲がって外へ出た。今度は広い庭だった。修道士が歩く先には簡易の柵があり、柵で囲まれた場所は墓地のようだった。

いくつかの墓を通り過ぎて、やがて、簡単に作られただけの小さな墓標の前で修道士が立ち止まる。


「こちらが、ロランド様の墓標となります。いずれ然るべき場所へ移されることと思い、簡単に建てたものではございますが……」

「これが……ロランド様の……」


王が亡くなって、もう五年も経っている。いまさら……自分は、とっくに彼の死を受け入れていると思っていたのに。ロランド王の名が刻まれた墓標を前にして、自分でも驚くほど動揺してしまって。


ぐらりと、足元が傾いたような気がした。慌てて踏みとどまり、王の墓標に近づく。

そっと跪いて、彼が埋められた場所に手を伸ばした。地面を撫でる手が、知らず震えている……。


「こんな……こんな、小さい……」


マリアよりずっと背が高く、大きな王だったのに。偉大なキシリアの王が、こんな小さな場所に納まってしまっているだなんて。


「遺体を焼いておりますので、その骸は骨だけに……。骨壺めでお納めし、本来の墓よりはずっと小規模なものになってしまいました……」


修道士ロペが、申し訳なさそうにうなだれながら説明した。

ルチル教の埋葬と言えば、棺に遺体を納めるのが一般的だ。火葬は、罪人など……特殊な人間にしか行われない。


だから、生前の大きさにあわせて棺も大きくなり、墓標も立派になるのが普通である。キシリアの王ならば、それは見事な墓を建てるものなのに……こんなにも小さく、寂しい場所で、一人ひっそりと……。


「早くキシリアに戻り、ロランド様をご家族のもとへお連れするべきでした……」

「王妃アルフォンソ様……王子イサーク様、王女ブランカ様のことでございますね。私どもも、キシリアの王が一日も早く、ご家族と共に安らかに眠れるよう、お祈りしております」


修道士ロペの話を聞き、マリアは頷いた。

手を組んで王のために静かに祈る――ロランド様……あなたのお墓の前で、あなたの冥福を祈ることをしない私をお許しください……。


ショックは大きいが、嘆いている場合ではない。

演技をせずとも自然と悲しむことができたから、修道士ロペはマリアに対してかなり緊張感を解いている。やはり彼は、根は善良な男なのだ。

……善良というのは、好からぬ人間にとっては恰好の隙だ。


しばらく全員でロランド王の冥福を祈った後、修道士はマリアたちを離れへと案内した。

広い庭を、墓地とは別方向に進んでいく。この庭にも花壇があり、中庭の比ではない広さであった。


「たくさんのお花を植えておりますのね。このお花は、皆さんでお世話を?」


歩きながらマリアが何気なく尋ねれば、修道士は愛想の良い笑顔で答える。


「ほとんどは私です。草花の研究が、修道士になる前からの趣味でして。院長様のご厚意に甘えてこの花壇を利用させてもらっているのです」

「草花の研究ですか。私の亡くなった友人も、同様の趣味がございました。彼がこの花壇を見たら、目を輝かせて解説してくれたことでしょうね」

「おお、是非お会いしてみたかったものです。研究者というものは、知識を披露し、語り合う仲間を欲してしまうもので……」


草花の研究が趣味というのは、どうやら本当のことのようだ。

修道士ロペのお喋りが止まらない――マリアへの緊張を解いたこともあって、ついペラペラと語ってしまう……。


「あれは……ホオズキですね」


花のひとつに視線をやりながら、マリアが言った。

あの花を選んだのは偶然だったのだが、自分が大当たりを引いてしまったことをマリアは察した。それまでご機嫌で研究の楽しさを語っていた修道士が、一瞬で黙り込んでいた。


「ホオズキは女の私にとって、とても危険な植物なので、絶対に口にしないようにと友人からきつく言われました」


修道士の異変には気づかぬふりで、マリアは話し続ける。修道士も、ぎこちなさを隠そうと必死に話を続けた。


「……ホオズキは堕胎薬として有名ですから。でも使い方次第では薬にもなりますし、実の部分はほとんど無害ですよ。ここでも、実を砂糖漬けにして菓子として食すこともあります」


離れに着き、案内を終えた修道士ロペはそそくさと修道院内へと戻っていく。

それを見送り、部屋の扉を閉めて……ララとノアが外の様子をうかがうのを、マリアはベッドに腰かけて眺めていた。


離れは、それなりに豪華な宿泊施設であった。

昔は商人が出入りしていたという話だし、しっかり金をかけて建てられているのだろう。ちょっと古くさいが……ロランド王やチャールズたちも、きっとここに泊まったに違いない。


「外に人がいますね。二、三人程度ですが……私たちの様子をうかがっているのでしょう」


ノアは意味ありげに壁に視線をやっている。たぶん、壁の向こう――外でうろついている気配を睨んでいるのだ。


「凄腕の用心棒が潜んでるのかしら」

「いえ、恐らくは素人……ここの修道士でしょう。訓練を受けた人間にしては、気配がだだ漏れです」

「そう……マオみたいなのが潜んでるのも困るけど、ごくごく普通の修道士しかいないというのなら、ちょっと不思議ね」


マリアが言った。


ロランド王が、どうして命を落としたのか――チャールズが盛られたように、彼も毒殺された可能性はある。でも、ロランド王も毒見は欠かさないし、チャールズたちのように修道士に遠慮するような性格でもない。

しかし、ここで暮らしているのがただの修道士だけなら……屈強で勇敢な王を、他に殺す方法もない。下手に攻撃すれば、すぐ返り討ちにされてしまう……。


「すっげー見られてたな。女のお前もだけど、俺に対する視線もすごかったぜ」


部屋の中央にある椅子に、ララもどかっと腰かける。


「ルチル教の修道院で異教徒の俺が注目されるのは当然なんだが……それだけじゃねーって思うのは、俺がうがち過ぎなのかね」

「大丈夫よ、私も同じ気持ちだから」


聖マヌエルへ行く前、ミライとも話した。チャコ人が訪ねてくれば、過去を思い出すことになって、修道士たちは動揺し、何かぼろを出すのではないか――それを確かめるためにミライは訪ねてきたのだが、伝手のない彼は、あっさりと門前払いを食らってしまったそうだ。


「連中に邪推してもらうためにわざわざララにまでついてきてもらったけれど……もしかしたら、そんなことする必要もないぐらい、私が核心を突いちゃったかも」

「ホオズキの話か。分かりやすいぐらい動揺してたな、あの修道士」


ララが言った。ノアも首を傾げ、考え込む様子を見せた。


「ホオズキ……この地域では珍しい花ではありますが、修道士を動揺させるような特徴は持っていなかったはず」

「そうね……。というか、ホオズキ以外にも問題のある花ばかりで、ホオズキぐらいで動揺するのが理解できないわ」


マリアの言葉に、ノアとララが注目する。暗かったし、彼らは周囲を警戒していたから気付かなかったのかもしれない。

あの花壇に植えられた花はホオズキの他にも、スズランにベラドンナ、リコリス……。それに、花壇の大半を占めていたあの紫色の花は……


自分を見ていたノアたちが扉に視線をやるのを見て、マリアも口を閉ざした。間を置いて、扉をノックする音が聞こえてくる。

夕食です、と若い修道士の声が聞こえてきた。


三人分の食事が運ばれ、マリアたちはテーブルに着く。配膳を終えると、修道士はすぐに部屋を出て行った。


「……明らかに、行動に出ましたね」


食事を見て、ノアが言った。


メニューは、小さなパンと豆の入ったスープ――マリアのトレーにだけ小皿が追加されている。小皿には、蜂蜜漬けのホオズキが。


「あの野郎、さっそくマリアを片付けに来たか」

「どうかしら」


木のスプーンでホオズキを突つきながら、マリアは頬杖をついて言った。


「女性の私は食べないように言われたって、そう話したばっかりなのよ。それで私にだけこれを用意するなんて……」


マリアを殺すにしては、あまりにも分かりやす過ぎるような。

人の好さそうな修道士ロペの姿を思い出す。ある意味、彼は片付けたがっているのかもしれない。


……マリアに気付いてほしかったのではないだろうか。

このホオズキは、彼からの合図。マリアにはそう思えてならなかった。


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