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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その悪名伝~  作者: 星見だいふく
第七部02 英雄の詩 最終楽章
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疑惑 (2)


聖マヌエル修道院を直接訪ねる前に、マリアたちは近くの村により、修道院の評判を探ってみることにした。


人の好い中年夫婦がこぢんまりとした宿を経営しており、マリアとララはそこでノアの帰りを待つこととなった。

戻ってきたノアは、村の人からの聞き込みの結果を報告する。


「聖マヌエルは閉鎖的な修道院のようです。近隣住民との交流はほとんどなく、村の人たちも、時々姿を見かけるだけでどのような修道士がいるのかも知らないそうです」

「そう……。あまり好ましくない傾向ね。修道院へ行っても、情報を聞き出すのに苦労しそう」


修道院も様々である。

礼拝堂を開放し、積極的に地域との交流をはかるところもあれば、聖マヌエルのように俗世との関係を一切断っているようなところも。それ自体は特に不思議なことでもないのだが、疑惑を調べたいマリアにとっては有難くない方針だ。


「例のチャコ人のことは、何か分かったか?」


主人自慢のスープを食べながら、ララが尋ねる。


「三十代半ばの男性で……キシリア暮らしの長い商人だそうです。私たちと同じように、聖マヌエルを訪ねてきたとか」

「ん?てことは、チャコ人だけどそいつはルチル教徒ってことか?」

「いえ。エルゾ教徒のはずです。村の人たちも同じ質問をして、ルチル教徒ではないと答えたとか」


チャコと言えば、海の向こうの大陸に君臨する大帝国――いまはずいぶん衰退したが。チャコ帝国はエルゾ教を国教としている。

だから、エルゾ教徒のはずのチャコ人がルチル教の教会を訪ねるというのは非常に珍しいケースだ。ノアの説明を聞いて改宗しているのかとララは首を傾げたが、そうでもないらしい。


「南部なら分かるけれど、この北部でチャコ人だなんて珍しいわね」


キシリアの南にある海を越えればチャコ帝国。南部の町は貿易が盛んだし、その地域をチャコ人がうろうろしているのはよくあること。

広いキシリア――北部では珍しいことだ。キシリアとて、異教徒を嫌う保守派は存在する。


「それが……聖マヌエルの先代の院長は、エルゾ教徒のチャコ人とも交流があったそうなんです。実を言えば、昔はチャコ人の商人が聖マヌエルを訪ねてくることも珍しくなかったと」

「なんだそりゃ。ますます意味が分からねえ」


木のスプーンを口にくわえたままの行儀の悪い態度でララが言った。


小さく静かなこの村には、二組の客が滞在していた。

一組はマリアたち。もう一組は、話題のチャコ人。


村を訪れた時、ララを見た宿屋の女将が、またチャコ人のお客さんね、とニコニコしていた。

こんな場所にチャコ人が、とマリアはララと顔を見合わせ、聖マヌエル修道院と共にそのチャコ人のことも調べに行ってもらったのだった。


「チャコ人はあくまでおまけだからいいけど。でも、ちょっと気にはなるわよね。彼の目的も聖マヌエルだなんて」


疑惑の修道院に、謎の多い珍客。マリアでなくても興味をそそられる組み合わせだ。

聖マヌエルに行ってみれば、その謎も解き明かされるだろうか……。


マリアが改めて修道院行きの計画を考えていると、部屋の扉をノックする音が聞こえてきた。


「お客さん、あなたを訪ねてきてる人がいますよ」


続けて聞こえたきたのは宿の女将の声。

ノアが立ち上がり、扉を開けた。


「ほら、さっき話題にしたチャコ人の男の人ですよ……彼もあなたたちに興味があるみたいで」


宿屋の女将は人の好さそうな女性で……おしゃべりが大好きであった。マリアたちに乗せられるままぺらぺらと話したように、例のチャコ人にも色々喋ったに違いない。


「ああ、やっぱり。クラベル商会の会長が母親と共に帰ってきているという噂があったので、特徴を聞いてもしやと思ったのですが」


入ってきたチャコ人は、典型的なチャコ衣装を身に纏い、背の高い男性であった。チャコ人らしい黒髪に、愛想の良い笑顔。

チャコ人の知り合いは多くないはずなのだが、なぜか彼には見覚えがあるような気がしてマリアは男の顔をじっと見つめる。


「私が誰だか分からないという表情ですね。それも無理はありません。一応、お二人とは面識があるのですが」


二人、と言われてマリアはノアとララに視線をやり、チャコ人を知っているのはララではなくノアのほうであることを男の反応から察した。でもノアも、彼のことが分からなくて内心困惑しているようだった――はた目には変化のないポーカーフェイスのまま。


「同じチャコ人の俺じゃなくて、マリアとノアなのか」

「もちろん、あなた様のことも存じ上げておりますよ。キシリアでの生活が長くなりましたが、チャコは私の祖国ですし。本来ならば雲の上の御方……こうしてお目にかかることができて光栄です」


マリアはますます考え込んだ。

マリアが面識のあるチャコ人と言えば、ララと……彼がキシリアに遊びに来ていた頃に連れてきていた召使いぐらい。でも彼は宮廷暮らしのララと話もしたことがなくて……。


マリアが改めてチャコ人の男を見ると、男はにっこりと笑う。


「お久しぶりです、クリス様」


その呼び名に、一気に記憶が引き戻された。

マリアがキシリアでクリスと呼ばれていたのは、ガーランド商会にいた頃の話。たしかにあの頃、チャコ人と知り合っている。


「あなた……もしかして、ムスタファのところにいた……?」


以前に顔を合わせた時、彼はまだ少年だった。すっかり声も変わり、背が伸びて男らしい顔つきになったものだから、まったく分からなかった。


男は頷き、ミライと申します、と名乗る。


「ムスタファ様亡き後、彼の財産の一部を掠め取り……もとい、譲り受け、いまはキシリアで商人をやっております。フェルナンド王は異教徒を嫌っていますので、エルゾ教徒に寛大であったロランド王の子イサベル様のご帰還を心より渇望しておりました。イサベル様のご帰還は喜ばしいのですが……クラベル商会が再びキシリアで活動するのはあまり喜ばしくないこと」


ムスタファは、マリアがガーランド商会にいた頃、商談相手として知り合った男だった。

チャコ人の富豪で、美しい少年を囲って寵愛していた。ミライは、そんなムスタファのお気に入りの一人であった。

ムスタファは祖国チャコを離れてキシリアで暮らすこととなり――恐らくは老衰だろう――亡くなって、彼の豊かな財産の一部はミライのものに。


「……あなたの正体は分かったけれど、どうしてここに?まさか、私を追いかけてきたわけじゃないでしょう?」


彼の話しぶりからするに、マリアがキシリアへ来たことは噂で聞いていた程度。何か他の目的があってここへ来ているはず。それも、聖マヌエル修道院関連で。


「女将さんの話から、あなたがたも聖マヌエルに用があると知りましてね。あの修道院には……ちょっとした疑惑が」


周囲をうかがうように、ミライは声をひそめる。


「人身売買です。あの修道院は身寄りのない子を集め、チャコに売り飛ばしていたそうです」


マリアは目を瞬かせ、ララとノアを見た。二人も、思いもかけぬ疑惑を聞かされて反応に困っているようだった。


「……人身売買。修道院の特殊さを考えれば、有り得ない話ではないですが」


教会は、頼るべき大人を失った子供の避難所としてはうってつけだ。修道士がそういった子に積極的に声を掛けていても誰も怪しまないし、そうして集められた子がある日姿を消していても不思議ではない――然るべき奉公先を見つけて出て行ったのだと説明されれば、あっさりと納得するだろう。


こんな僻地で?と思う一方で、こんな僻地だから、まさかそんなことと疑われない理由にはなる。

聖職者嫌いのマリアでも、その疑惑をすぐに信じることはできないが……。


「ご存知のように、私のかつての主人は美しい少年を好み、少年を得るための怪しい伝手をたくさん抱えておりました。それらを利用して、私も商人としての地位を確立したのですが――伝手をたどっていくと、そのうちのひとつがこの聖マヌエルに」

「村の人たちが、昔はチャコの商人が聖マヌエルに出入りしていたと話しておりました。そういう事情ならば、たしかに辻褄は合います」


ノアが考えながら言った。


「なんでチャールズに毒を盛ったのか動機がさっぱりだったが、ここに来て一気にきな臭くなったな」


ララは溜め息をつき、苦笑いする。


「チャールズ様……もしかして、見てはいけないものを見てしまったのかしら。そんな話を聞かされると、ロランド様のことも疑わしくなってくるわ」


マリアも重苦しい溜息をつく。


人身売買の疑惑――そんな後ろ暗いものを抱えた修道院に、無防備に立ち寄ってしまったことが原因だったのかもしれない。そして、キシリア王の死も一気に疑わしくなってくる。


黒死病を理由に遺体を燃やし、石灰をまいて埋葬した。もしかしたらそれも、何かを後ろ暗いものを隠そうとしたのでは――そんな考えが、マリアの脳裏にこびりついて離れない。


「ただ、その疑惑は先代の院長の時代のもののようなのです。いまの院長になってから聖マヌエルは閉鎖的な修道院となり、チャコ人はもちろん、新たに人が出入りすることもほとんどないらしくて」


ミライが説明を付け加える。ノアが頷いた。


「村の人たちも同様のことを話していましたね。先代の院長は気さくで、教会を地域のために開放し、近隣住民とも積極的に交流を図っていた好人物だったと。いまの院長になってから、急に俗世との交流を絶った」

「じゃあ、あくまで過去の疑惑なのね。いまの院長になったのは――?」

「二十年ぐらい前でしょうか……。そう言えば、院長の代替わりについても話があやふやでした。気が付いたら代替わりしており、前の院長は病で亡くなったと唐突に知らされたと、村の人たちが」

「なんか……怪し過ぎて疑う余地もなくなってきたな」


ノアの情報を改めて聞き、ララが言った。


まったく手がかりなしの分からないことづくしだったのに、ミライからもたらされた情報によって急激に話が変わってしまった。


もはや疑惑を確証に変えるためだけの調査……ロランド王がそこに眠っている以上、放置はできない。

偉大なるキシリアの王の最期が、どのように関わってくることになるか。

良い展開は、期待できそうにない。


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