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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その悪名伝~  作者: 星見だいふく
第七部01 巣立ちと別れ
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ベナトリアで (2)


目が覚めた時、スカーレットは広く美しいベッドに一人で横になっていた。夕刻前には館に着いてこの部屋に連れ込まれたはずなのだが、ずいぶん日が高くなっているような。

もぞりとベッドに起き上がると、隣の部屋からダーリーンがやって来る。


「目が覚めたのね。身体の具合はどう?」

「大丈夫……あの、フリードリヒ様は?」


ベッドは冷たく、フリードリヒ王がいなくなって長い時間が経っていることを示している。

普通……初夜を終えた男と女は、二人で朝を迎える……はず。あくまで一般的な知識だが。なのにスカーレットは一人きり。


「フリードリヒ様は……私のことがお気に召さなかったのかしら。私、上手くできなかった……?」


一人きりで置き去りにされたということは、スカーレットは王にとってその程度の女にしかなれなかったということでは……。


落ち込むスカーレットに、そんなことないわ、とダーリーンは微笑む。


「朝早くに呼び出されて、陛下は渋々部屋を出て行かれたわ。疲れているだろうから起こさなくていいとおっしゃって。勝手に行ってしまったから、部下の方にお説教されてるみたい」


ふふ、と笑うダーリーンに対し、スカーレットもほっと胸を撫で下ろした。

気に入ってもらえたかどうかはさておき、スカーレットのことを気遣ってくれているのなら、とりあえずよかった……と言ってもいいだろうか。


「さあ。身体を清めましょう。陛下が、マリア様の娘ならお風呂に入りたがるだろうとおっしゃって、お湯を準備してくださってるわよ」


お風呂、の一言にスカーレットもパッと目を輝かす。風呂好きな母の影響で、スカーレットももちろん風呂は大好きだ。

入浴の習慣は乏しい地域だから、オルディス家を離れてしまったら風呂とは無縁の生活を送るものと思っていた――母をよく知るフリードリヒ王だから用意してくれたのだろう。


ダーリーンに入浴を手伝ってもらって、スカーレットもいそいそと風呂へ向かった。


温かい湯につかると、自然とため息がこぼれる。身体から力が抜けていくのを感じて、思っていた以上に自分が緊張していたことを実感させられた。


「お母様は大丈夫だって言ってくれたけど、やっぱり経験を積んでからベナトリアへ来るべきだったかしら」


母よりはずっと若いけれど、いまのスカーレットでは比べものにならないほどの色気を母は持っていて――どうやったら身に着くのか聞いてみたら、やっぱり男性を知った影響が大きかったとこっそり教えてくれた。

なら、生娘のままでは絶対に手に入れることができない……。


「いいえ。やっぱりマリア様のおっしゃる通り……陛下は、あなたのことをとても気に入っていると思うわよ」

「本当にそう思う?」


念押しするようにスカーレットが尋ねてみると、スカーレットの身体を洗いながら、ええ、とダーリーンは頷いた。何やら自信がある様子。

スカーレットにはよく分からないが、既婚者の彼女がそう言うのなら信じたほうがいいだろうか。


入浴を終えたあと、王が用意してくれた寛衣を着てスカーレットは遅い朝食を取った。


この寛衣は、スカーレットのためではなくベナトリアへ来るはずだった内親王のために用意したものだろう――肌触りの良い生地に、繊細なレースの可愛らしい衣装。この部屋も、女性好みの可愛らしい内装で揃えられている。母親に似て可愛らしいものが好きなエステルだったら喜びそう……喜ばせようと思って、ちゃんと気を配った。


昨夜のフリードリヒ王も、ベッドへ連れ込まれるまでの流れはかなり強引だったが、スカーレットを抱き寄せる手つきは優しかった。

勝手に押しかけて来ただけのスカーレットに、王が配慮する必要なんてなかったのに。


「ああ、そうだわ。あなたに紹介しておく人が」


朝食の配膳をしていたダーリーンが部屋の奥に引っ込んで、人を連れてくる。

ベナトリア人の少年……聖堂騎士団の制服を着ている。スカーレットにも護衛の騎士がつくのは当然だが、わざわざ紹介するほど?と首を傾げた。


「ロルフと申します。陛下より、スカーレット様にお仕えするよう言いつかって参りました。まだ若輩者の見習い騎士ではございますが、身命を賭して、スカーレット様をお守り致します」

「そう――私たちはベナトリアに不慣れゆえ、あなた頼りになることも多いと思います。よろしくお願いしますね、ロルフ」


スカーレットが笑顔で挨拶をすれば、見習い騎士ロルフも頭を下げる。そして、スカーレットをじっと見つめた。

その視線が何かを訴えているようでもあって、スカーレットは彼を見つめ返した。


「その……個人的な話となりますが、私は貴女様のお母君オルディス公爵に命を助けられたことがあるのです。私は赤ん坊の頃に教会の前に捨てられ……危ういところを、公爵様に救っていただきました」

「教会の前の赤ん坊。お母様から聞いたことがあります」


母が語ってくれたベナトリアの思い出話――教会の前に捨てられた赤ん坊のこと。しばらくの間、母が乳母となってその子を世話したこと。


「ということは……あなたと私は乳姉弟ということになるのかしら?」

「そのような!恐れ多いことです!」


恐縮してひたすら頭を下げるロルフに、スカーレットはくすくす笑った。


つまり、ロルフはオルディス公爵に個人的な恩があり、いざとなったらベナトリアの騎士としてではなく、公爵への義理立てを優先すると暗に言ってくれているのだ。ベナトリア王か、スカーレットかの選択を迫られた時……。


もちろん、彼のその決意は嬉しい。

彼をどこまで信頼してもいいのか――それはこれからの関係次第だが、自分の味方をすると言ってもらえるのは心強いし、否定的な態度を取られるよりはずっといい。


……でも。

彼は、フリードリヒ王の命でスカーレットの護衛になったと説明していた。見習い騎士の彼が自分の意思でその地位に選ばれるはずがない。やはり王の一存が大きいはず。

スカーレットのため……少しでもスカーレットが安心できるように選んでくれたのだとしたら。


「お休み中のところ失礼いたします――スカーレット様。陛下より、スカーレット様への贈り物を届けに参りました」


また部屋に人がやって来て、男と共に部屋に入ってきた侍女がいそいそとスカーレットに包みを差し出してくる。今度の男はエンジェリク人だった。


「あなたは……エンジェリクの方よね?」

「左様。いささか事情を抱えておりまして、いまはベナトリアに――ナサニエルと申します」


ナサニエルは愛想のない男であったが物腰は非常に丁寧で、スカーレットに対する敵意は感じられなかった。


侍女が差し出してきた包みを受け取り、丁寧に中身を開ける。

純潔の対価として贈り物を受け取るだなんて、娼婦みたい。そんな自虐的な考えが頭をよぎって、ちょっとだけ胸の奥が痛んだけれど……中を見て、スカーレットは感嘆の息を漏らした。


「フリードリヒ様……陛下にお礼を伝えてください。とても素晴らしい品です」


贈り物は、絵の具とスケッチブックだった。スカーレットの好みをしっかり考えて選ばれた品。てっきり、女性好みの花や宝石かと思ったのに。

……やっぱり、フリードリヒ王はとても気遣いができて、優しい人だ。そんな人が、どうしてマリアにフラれたぐらいで、あんな恥知らずな要求をしてきたのだろう?


「スカーレット様やエンジェリクの皆様方は、きっとフリードリヒ王が卑劣で恥知らずな男だと思われていることでしょう。それは誤解です」


スカーレットの内心を読み取ったように、ナサニエルが言う。


「陛下は……ちょっと阿呆なだけです」


ナサニエルの言い様に、スカーレットはガクッと転びそうになった。

フォローになってないけれど、もしかしてフリードリヒ王を擁護しているつもりなのかしら……。


「お話します。エステル内親王殿下を要求した後、ベナトリアでどのようなやり取りがあったか」


大きく溜め息をついた後、ナサニエルはベナトリア側の真実を語り始めた――。




「陛下のご威光――魔女に、思い知らせてやりましたぞ!」


エンジェリク王ヒューバートの訃報を受け、ベナトリア王フリードリヒはすぐに使者を向かわせた。


ヒューバート王は良き友人であり、尊敬すべき戦友であった。卑劣なフランシーヌの罠にかかって命を落としたこと、フリードリヒ王も非常に残念に感じている。

新たなエンジェリク王と、新たな友情を結ぶため――そう命じて送り出した使者が、帰って来るなり自信満々でそんなことをほざくものだから、フリードリヒ王は両足を踏ん張り、ぐらりと傾きそうになった身体をなんとか支えた。

……気を抜くと、卒倒してしまいそうだ。


「へ、陛下……?」

「……なんでもない。大儀であった」


使者を下がらせ、自分も執務室に引っ込む。

部屋に誰もいないことを確認すると、フリードリヒ王は激高して叫んだ。


「あの大馬鹿者が!エンジェリク王を脅迫して、内親王を愛妾に差し出せと要求しただと!?ベナトリアのいまの状況が分かっておるのか、あいつは!」


従者として自分に付き従っているナサニエルが、冷たい視線を送って来る。

部屋の片隅で影のように溶け込むことを得意としているこの男は、どちらかと言えば寡黙であった。いまも、怒り狂うフリードリヒ王を静かに見守っている。


「北のイヴァンカは資源を求めてしょっちゅう南下してくる――昨年よりはましな状況かもしれんが、この冬とて油断はできん!東からはセイラン民族の生き残りの不法入国が絶えん……おまけに、調子に乗ったハオ人共が領土拡大を目論んで、戦続き――西のフランシーヌは不安定な情勢が続き、ベナトリアもとばっちりだらけ。そして南のヴァイセンブルグ――」


王は思わず言葉を切った。

ベナトリアの南に広がるヴァイセンブルグ帝国――いずこの国も、隣接する国同士の争いが絶えないもの。エンジェリクがフランシーヌと対立し続けているように、ベナトリアもまた、ヴァイセンブルグ帝国とは長い因縁を抱えていた。

あの国への敵意と憎悪は、フリードリヒ王ですら頭を抱えたくなるほどだ。


「我がベナトリアは四方を敵に囲まれているのだぞ!それを――エンジェリクまで敵に回すつもりか!?」

「陛下が悪いのです」


激怒し、一人吠え続けるフリードリヒ王に、ナサニエルが静かに口を挟む。王が睨むが、ナサニエルは怯まない――他の者なら、その視線を受けただけで泡を吹いて倒れそうなほどの迫力だが、ナサニエルは恐怖心というものをまともに感じない人種であった。


「陛下のオルディス公爵へのご執心ぶりは臣下一同も知るところ……嫌味のひとつぐらい言ってやるか、などと余計な発言をするから、真に受けた者も現れてしまったのです」


ぎり、と王が歯を食いしばる。

……ぐうの音も出ない。ナサニエルの言うことが、一理どころか真理過ぎて。


たしかに……再三に渡るプロポーズをあっさり袖にされたこと。フリードリヒ王も腹立だしく感じてはいた。

無理だとは分かっていた。互いに立場があり、望むものがある。自分は彼女のためにそれを捨てることはしないし、彼女もまた、自分のためにそれを捨てるような女ではなかった。

そんな女だからこそ惚れた――叶うことのない想いであることは分かっていたが……面白くない、とも感じてしまって。


そんな王の悔しさを、本人よりも臣下のほうが真剣に受け止めていたらしい。

王のため……王の名誉のため、エンジェリクに思い知らせた――臣下の王に対する忠誠心も理解している。だから先ほどの場で怒鳴らず、一人になってから怒り狂っているのではないか……。


「……マリアは、妹のオフェリア王妃を何よりも可愛がっていたと聞く」

「有名なお話ですね。一族のほとんどを喪っておりますから、たった一人の肉親であった妹君をとても可愛がり……王妃様亡き後は、遺された御子を大切に慈しまれていた」


ナサニエルが頷く。フリードリヒ王は頭を抱えた。


愛する妹の形見を、正妻のいる男のもとに嫁がせなければならない。しかも、子を望めない正妻に代わって、子を生むために。


「エステル内親王には婚約者がいるそうです。婚約を定めたのは父王ヒューバート陛下でしたが、互いに想い合う仲だったとか」


ナサニエルは情報収集に非常に長けている。それに加え、冷静な分析力に歯に衣着せぬ物言いを気に入って自らの臣下に加えたが……いまは、彼の正論がフリードリヒ王を撃沈させる。


「……控えめに申し上げまして、公爵様の中で陛下の評価はクソ野郎にまで落ちたかと」

「現実を突きつけるな!俺は十分落ち込んでいるのだぞ!」


マリアは、フリードリヒ王にとって大切な恩人だ。その恩人に……フラれた腹いせに逆切れして姪を要求するなど……ナサニエルの言う通り、どう考えたってクソである。

好色家な自覚はある。いまさら清廉潔白を気取るつもりはないが、フリードリヒ王だってクソにはなりたくない。


なにより、フリードリヒ王はマリアに惚れているのである。惚れた女に嫌われたくはない。

何が悲しくて、嫌われ役にまで落ちぶれなくてはならないのだ……!


「エステル様の中でも、陛下の評価はゴミクズでしょうな。せめてこれ以上嫌われぬよう、内親王殿下にベナトリアでの生活を気に入って頂けるよう努めるべきかと――もはや何をしてもマイナス評価にしかならないような気はしますが」

「だからいちいち現実を思い知らせるな!少しは良いことを言え!」

「私に楽観的な予言をしろとおっしゃられても」


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― 新着の感想 ―
[一言] フリードリヒ王…哀れwww こんばんは! ついつい爆笑してしまいましたwww ナサニエルのツッコミが素晴らしすぎる(笑) フリードリヒ王も私の中ではかわいらしく、憎めないキャラです♪ スカ…
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