ひとときの休息
礼拝室で静かに祈りを捧げるマリアに、シモン院長が声をかけてくる。
「お身体は大丈夫なのですか?毒を飲まれたと聞いておりましたが」
「毒には耐性がありますし、一晩も休めばすっかり良くなりました――なのに。みんな、過保護なんだから」
マリアが唇を尖らせて拗ねれば、院長は穏やかに微笑んだ。
「オルディス公爵の美しさは、毒を以ってしても陰ることなく……。毒よりも、美しい公爵の蔑みの視線のほうが、私を骨の髄まで虜に」
「はいはい」
相変わらず、シモン院長の変態っぷりは健在だ。
「今回ばかりは、私もひたすら頭を下げていたところです。罪のない少女の遺体を利用するだなんて――呪われて当然の所業ですわ」
コーデリアを無事保護した後、マリアはノアたちに頼んでコーデリアと年恰好の似た少女の遺体を持ってこさせた。すぐ遺体が手に入る場所――教会に隣接された墓地。シモン院長なら、そのような遺体に心当たりがある。
院長はノアとマオに指示を出した後、自分は遺族のもとへ行って丁寧に説明し、マリアに代わって頭を下げてくれた……。
「快諾……はさすがに無理ですが、ご遺族の方も、亡くなった娘さんと同い年の少女の命を救うためと知って了承してくださいました。蛮行ではありましたが、そのおかげで尊い命が救われたのも事実。神も、きっとお許しになりますよ」
「別に神に許してもらわなくても結構なんですけどね。でも、少女には気の毒なことをしました」
正体を誤魔化すために、顔を潰したり。遺族には、オルディス公爵家からも真摯に謝罪しなければ。
「そう言えば……。彼女の形見の一部をプラントにも分けて欲しいと、コーデリアたちが申し出ておりました。彼女はプラントを救った救世主。プラントの守護聖女として、奉らせてほしいそうですわ」
「それは素晴らしい提案です。ご遺族の方にとっても、いくらか心の慰めになるでしょう」
名もなき少女から、領地を見守る聖女へ。
それで亡くなった人が蘇るわけではないが、彼女の名は、ずっと人々の記憶に刻まれることになる……。
シモン院長と話をしていたマリアは、教会に人が入ってくるのを感じて振り返った。
旅衣装をまとったマルセルだ。
「オルディス公爵がこちらにいらっしゃると聞き、ご挨拶にうかがいました――セドリックの葬儀に出るため、プラントへ向かう予定です。その前に、オフェリア様にも……」
「そう……。立ち寄ってくれてありがとう。あの子も、久しぶりにあなたに会えて喜んでるわ、きっと」
マルセルは静かに頭を下げ、教会に飾られたオフェリアの絵の前に立ち、祈りを捧げる。マリアも彼の隣に並んで目を瞑り、オフェリアのことを想った。
「ヒューバート様……ベルダ……今度はセドリックまで」
ぽつりと、マルセルが呟く。マリアが顔を上げて彼を見ると、マルセルは視線を落としたままだった。
「最近、ふと思うのです。僕に関わった人間は、次々に命を落としてく。もしかしたら、彼らに死を運んでいるのは、自分ではないのか……と。とうの昔に、僕はフランシーヌで命を落としていてもおかしくはなかった。なのに、無事にエンジェリクにたどり着き、今日まで生きてきた――その代償を、周囲の人が……」
「そう思ってしまう気持ちはよく分かるわ。私も、自分は恐ろしいほどの悪運に恵まれて……周囲の人たちはみな去って行くのに、私だけはいまもこうして生きている」
自分の存在が、彼らに死をもたらした――マリアも、時々考えてしまう。だからと言って、いまさら立ち止まり、引き返すこともできないけれど。
「亡くなった人の分まで生きていく、なんて台詞はごめんだわ。ただ……泣き伏せて、自分の為すべきことを放棄するのは私の性に合わないの」
そうですね、と頷き、マルセルはもう一度目を伏せて、オフェリアの前で祈りを捧げた。
次に目を開けた時、マルセルはしっかりと顔を上げた。
「近衛騎士隊のキシリア行きについて、チャールズ殿下を説得してくださりありがとうございました。キシリアで、必ずやミュレーズを討ち取って参ります」
そう言って踵を返し、教会を出て行くマルセルを、マリアは黙って見送る。
キシリアへは、王国騎士団ではなく近衛騎士隊が。近衛騎士隊は王のための組織なのだから、本来は王から離れて外国の戦争に赴くなどあってはならないこと。
だが、マルセルの復讐心は止められない――復讐しか、もう彼には残っていない。復讐を思い止まらせるのは無駄だとマリアは察し、せめて本懐を遂げられるようチャールズに頼んだ。
主君ヒューバートのために戦い、そして、終わりたがっている。もう、マルセルの結末は見えているのだから……。
教会を出て屋敷に帰る道中、姉スカーレットと共にうろうろと歩き回っているリリアンを見つけた。
向こうもマリアを見つけ――目を吊り上げ、すごい勢いで母親に駆け寄ってきた。
「もう、お母様ったら!まだ安静にしてなさいって言われてるのに!」
「落ち着きなさい、リリアン。あなただって、安静にしていないといけない時期なのよ。妊婦がそんなにカッカして」
「誰のせいよ!」
ぷんすかと怒るリリアンを、まあまあ、とスカーレットがなだめる。マリアも、ごめんなさい、とリリアンをなだめた。
「教会へ行っていたのよ。さすがに懺悔だけは疎かにできないわ」
「それは……そうだけど。見逃すのは今回だけよ。もう屋敷に帰って。大人しくしてね、お母様」
「分かってる」
日が傾き始めた道を、娘たちと並んで帰っていく。
次女のリリアンは、妊娠していた。もともと夫婦同然にメルヴィンと暮らしていたし、すでに結婚して、適齢期も迎えている。でも、自分がおばあちゃんと呼ばれる年になった自覚がまったくなかったものだから、フランシーヌから帰ってきた時、妊娠の知らせを聞かされて仰天してしまった。
「私がもう、おばあちゃんかぁ……」
ぽつりと、マリアが呟いた。リリアンはマリアを見、少し不安そうな顔をした。
「お母様がクリスティアンお兄様を生んだのは、十七歳の時だったのよね。いまの私と一緒……だから、私もきっと大丈夫よね」
不安そうなリリアンに、もちろんよ、とマリアは笑顔で頷く。
リリアンの不安はもっともだ。
叔母も親友の母も、妊娠や出産の影響でその命を縮めている。もしかしたら自分も、という恐怖は拭えないのだろう。
時代が変わっても、出産が女性の死亡原因の高い割合を占めていることは変わらない。マリアも、不安がないと言えば嘘になる。
「絶対大丈夫。母親の私は、ぽんぽん生み続けたけどいまもこの通り。だから、あなただって」
励ますようにマリアは笑いかけるが、リリアンはまだ不安げな様子だ。
「……お母様。この子が生まれるまでは、お母様は私たちのそばにいてくれるわよね?」
「当たり前じゃない。おばあちゃんって呼ばれてみたいわ」
言いながら、ずっとそばにいることは不可能だろう、とマリアは考えていた。
夏が終わればキシリアへ行ってしまうから……いくらなんでも、子どもが生まれるのはまだ先。でも、初孫は必ずこの腕で抱きたい。子どもが生まれる頃に、一度エンジェリクに戻ることになるかも……。
「あら。お母様、屋敷の前に馬車が」
屋敷が見えると、スカーレットが言った。
スカーレットの言う通り、屋敷の前には馬車が。いったい誰が訪ねてきたのだろう、と思いつつも、馬車には見覚えがあるような。
「やっぱり。ジェラルド様、いらしてましたの」
夫が所有する馬車に似ていると思ったのだが、屋敷を訪ねてきたのはジェラルドだった。
プラントで起こした事件を隠ぺいするため、彼に協力をあおいでいたが、まさか直接訪ねてきてくれるとは。
「プラント領の一件については手回し済みだ。すでに、事故の方向でまとまり始めている」
「ありがとうございます。ジェラルド様のおかげで、長年オルディスを悩ませていた問題も、今度こそ片付きました」
ふふ、とマリアは笑う。
「オルディスにとって、ジェラルド様は守護聖人も同然の御方です。ジェラルド様の像をオルディスの教会に建てるべきかもしれませんね」
「それは勘弁していただきたい。そのようなものになるのは……私の趣味ではないもので」
謙遜ではなく本気で嫌がっている夫に、マリアはさらにくすくす笑った……が、これでは誤魔化しきれないかな、という苦い内心も。
そんなマリアの内心を、かつては優秀な警視総監であったドレイク卿ならば見抜けないはずもなくて。
「せっかくお越しくださったのですから、もてなしもかねて今日はささやかな宴を用意しますわ。お時間まで、どうぞごゆっくりなさって――」
「いや、結構。療養に努めるべき貴女の負担を増やすつもりはない」
気遣うような台詞だが、どこかその声は冷たくて、マリアはびくっと身を竦ませた。
自分を見下ろす夫の視線は、怒りに満ちている。
「……毒を飲んだそうだな。相手にも酒を飲ませるためではあったが……他にも方法はあったのに、危険なほうを選んだとか」
探るような夫の視線から、マリアは思わず目を逸らしてしまう。彼の尋問は、生半可な対応でかわせないことは嫌と言うほど思い知っている。
「今日も、大人しく休んでいてくださいと言いつけたにもかかわらず、ひとり屋敷を抜け出してフラフラと……。おかげさまで、身重のリリアン様にまで捜索を手伝って頂く羽目に」
淡々と、ノアが説明する。
というか、いたのか。
存在感を消して、マリアが逃げ出さないようにしていたのだろう。ノアがいるのを見つけたら、マリアはすぐにでも自室に飛び込んで、病人のふりをして逃げてしまうから。
「あ、私、ちょっと具合が悪くなってきましたわ……ジェラルド様、また明日、ゆっくりお話しましょう」
わざとらしくふらついて、マリアはそそくさとその場を離れようとする。それは一大事、と夫は素早くマリアを抱き上げた。
「部屋でゆっくり休むといい。まだ本調子ではないのだから、無理をしてはいけない」
「ええ、本当に――ジェラルド様。私、重いですし、どうぞお気遣いなく」
いまはできるだけ離れていたい、という本心は表に出さないよう努めながら、マリアが言った。でも、ジェラルドはマリアを降ろすことなく、すたすたと部屋へ向かう。
なんだかちょっと嫌な予感がして、無駄な抵抗でもやってみたほうがいいかしら、なんて考えが脳裏をよぎった。
「私が貴女を咎めても、ホールデン伯爵ほどの効果はないだろう。それでも、夫として諫める義務があると思う」
「そのような義務は放棄してくださって結構ですわ。前夫と比較するなんて、そんなデリカシーの欠けること」
何とか話題を変えられないかと話の論点をずらしてみるが、ジェラルドは構わず続ける。
「いまの貴女は療養の身。無理強いをするつもりはない――王都に戻ってくる日を心待ちにしておこう」
……王都には寄らず、このままキシリアへ行こうかしら。
なんてことを、マリアがちらっと思い浮かべるのも仕方ないことだ。だって、王都に……夫のもとに戻ったら、どんな目に遭うか分かりきってるし。
「従者殿。あなたにこれを」
ノアに向かって、ジェラルドは小さな小瓶を差し出す。
……ついて来ていたのか。気配を消してるから、マリアでは全然気づけなかった。
「中身は眠り薬だ。毒に耐性のあるマリアでも、これならば効くだろう」
頭を下げて小瓶を受け取るノアに、マリアは目を吊り上げた。
「ノア様!いまのあなたの主人は私でしょう!?主人に一服盛ろうだなんて!」
「マリア様のためを思うからこそ、これを受け取るのです。ニコラス様やアイリーン様、パーシー様にお会いもせずエンジェリクを去ろうなど……そのような真似を、主人にさせたくはありません。陛下だって、伯母と挨拶もできずに別れるなどということになれば、さぞ悲しまれることでしょう」
うっ、とマリアは言葉に詰まる。
子どもたちや可愛い甥を利用するだなんて、卑怯だ!とマリアが訴えてみても、ノアはいつものポーカーフェイスで、面倒くさそうにはいはいと返事をするばかり。
マリアが拗ねみせても、彼はあなたの拗ねた顔が意外と嫌いじゃないと思う、などという訳の分からないことをジェラルドに言われてしまった。
キャロラインは、当初の設定ではチャールズを真っ当に慕ってて
チャールズが前作ラストで命を落とす設定でだったことから、
彼のためにマリアに復讐しようとして返り討ちに遭うという結構悲惨な結末を考えてたんですが、
チャールズの結末が大きく変わったことで彼女の設定もかなり変わりました
彼女も、いわゆる悪役令嬢のポジションですね




