焼け落ちる
プラントの町の教会に戻り、ほどなくしてアーサーは目を覚ました。
「姉様……?ここは……」
「町の教会よ。無事で……本当に良かった……」
大粒の涙を瞳いっぱいに溜め、コーデリアは弟を抱きしめる。姉の腕の中で、アーサーも徐々に状況を理解していき、ごめんなさい、とか細い声で泣きじゃくった。
「父様……僕のせいで……」
「あなたは何も悪くないわ。私のほうこそ、ごめんなさい。大変な時に、一人だけのんきに過ごして」
互いに謝罪する姉弟を、教会長が穏やかになだめる。
「お二人とも、ご自分を責めなさるな。コーデリア様がオルディスにいたからこそ、最悪の事態は免れたのです。アーサー様、ご無事で本当に良かった」
ジョアンナの話によると、アーサーを人質に取られ、セドリックは逆らうことができなかった。だから、あれほど勇猛な男なのにあっさりと命を落としてしまって。
コーデリアが一緒にいたところで、人質になる人間が増えただけ。そして、セドリックが始末されたのち姉弟たちも殺されていたことだろう。コーデリアを誘き寄せる役割があったからこそ、アーサーは生かされ、助け出すチャンスが残されたのだ。
「でも……僕が逃げ出したことを知ったら……あいつら、何してくるか……。町の人たちが酷い目に遭うかも……」
アーサーが言い、教会長やコーデリアも気まずそうに口をつぐむ。
それを恐れて、誰も表立って反抗できないでいた。
アーサーを助け出しても、あの居座っているプラント一族を追い出せなければ意味がない。いままでは、父親の後ろ盾もあってそう簡単には引きずり下ろせない女が本家当主の座についていたから大人しくしていたが……。
「そのことなら心配しないで。あいつらを片付ける算段はついてるから」
黒い衣装に着替え終え、マリアは言った。
ノアとマオに振り返れば、彼らもマリアに同意するように頷いた。
「コーデリア。あなたはアーサーと一緒に、ここでもう少し休んでなさい。一晩中走り続けて疲れたでしょう。アーサーも、いまはあなたがそばにいてほしいはず――リチャード、二人をお願いね」
三人を教会の休憩室に残し、マリアたちは部屋を出た。
そのまま教会の外へ出ると、チャールズが町の娘ジョアンナを連れて戻ってくるのとちょうど鉢合わせとなった。
「オルディス公爵様、言われたとおり、町の人たちに声をかけてきました」
「ご苦労様――あなた、働き者ね。度胸もあるし、すぐに町の人たちを集められるぐらいには顔も広いし」
うちに来ないかとスカウトしたくなるような有能さだ。クラベル商会の誰かさんだったら、熱心に勧誘しただろうか。
「チャールズ様、ジョアンナと一緒に町の人たちを連れて、あとから屋敷へ。私は、ノア様、マオと一緒に先に行きます」
自分の説明を聞きながら、町の教会長が浮かない表情をしているのをマリアは見た。
マリアの計画を知って、聖職者として思い悩んでいるのだろう。真っ当な感覚だ。
「院長様。無理をして、私たちに付き合う必要はないのですよ。アーサーやコーデリアを匿ってくださるだけで十分ですのに」
「……いえ。セドリックを見殺しに、キャロライン様の御子たちもろくに守れなかった私です。せめて、これぐらいは……。そうでなければ、あの世でお二人に合わせる顔がない」
重苦しい溜息をついていたが、教会長も固く決意したようだ。
「セドリックは……残虐で傲慢な父親のもとに生まれ、苦しい幼少期を送った。民のために立ち上がり、キャロライン様と結ばれてようやく幸せをつかんだのに……あのような酷い最期に……。神は、なんと無慈悲なことを……一人の男が背負うには、あまりにも重すぎる試練であった……」
鼻先で笑いそうになったのを、マリアは内心で堪える。
神が与えたもうた試練、などという言葉は嫌いだ。なぜ自分の人生を、神などというわけの分からん連中のために左右されなくてはならないのか……。
オルディス公爵が訪ねてきた、という知らせを召使いから受け、プラント邸はにわかに騒がしくなった。
マリア・オルディスと言えば、生前のプラント領主キャロラインと親しかった女。キャロラインが嫌っていたプラント一族に良い印象を抱いていないだろうし、一族のほうでも、オルディス公爵領には色々と後ろ暗い感情がある。
……すでに故人ではあるが前当主の甥はオルディスでの大火災に関与していたし、大火災と当主の死で混乱していたオルディス領で、自分たちも好き放題略奪した覚えがある。
キャロラインの子どもたちを殺すつもりでいる自分たちのもとに、そんな女が……娘コーデリアは、オルディスにいる……いったい、何の用なのだ。
明るい結果は予想できない。
とりあえず、一族を代表してエセルバートが彼女に応対した――エセルバートは、前当主のいとこの夫。
プラント一族に血の繋がりはないが、美しい容姿を利用して一族の女のもとに婿入りし、前当主からは大いに気に入られていた。一族とは、非常に気が合ったのだ。
さすがに年老いたいまとなってはその容姿も色褪せているが……好色なオルディス公爵なら、もしかしたら。
動揺は胸の内におさめ、気取った態度で公爵の待つ部屋へ向かう。
部屋に入ったとき、彼女がまとう黒い衣装には目を丸くしてしまった。
「コーデリアが亡くなりました」
エセルバートの顔を見るなり、彼女はそう言った。
思いもかけぬことに、ぽかん、と口を開けて目を瞬かせる。
そんな、まさか――うまい話が。
「アーサーが寝込んでいるとの手紙を受け取り、急ぎ馬車を呼んでプラントへ引き返す途中……馬車が事故を起こして」
なんと都合の良い話だろう。
絶対に片付けなくては、と計画を考えていた相手が、事故であっさり片付いた。
快哉を叫けんでしまいそうになるのを懸命に堪える。出来るだけ唇を噛み締め、そうですか、と重々しい口調で頷くのが精いっぱい――少しでも口元を緩めると、口角が上がりそうだ。
「遺体は、私たちのほうで回収しました。こちらに……酷い事故だったみたいで、着ている衣服からしか判別できませんでしたが……でも、馬車も服も、最後に彼女を見た時のものですわ……」
公爵は、そう言って連れの男に視線をやる。
男のそばには、女性サイズの棺。男が棺の蓋を開けると、死人特有の嫌な臭いがたちまち部屋を満たした。
最近は暑くなってきたから、死体はすぐ臭くなる……。
「もう結構。もう十分です」
鼻をつまみ、顔を背けながら、エセルバートが言った。
棺の中に、少女の遺体が入っている。顔はぐちゃぐちゃ――エセルバート自身、コーデリアとはあまり面識がないので、普通の死体であったとしても見分けられたか疑問はあるが……少なくとも、遺体は本物だ。本物の、少女の死体。
「キャロライン様が亡くなったばかりだというのに、娘のコーデリアまで……」
公爵は、悲しげな声で呟く。
黒い衣装に、黒いヴェールがついた黒い帽子。公爵の顔はよく見えないが、白い胸元が大きく開かれた衣装はなかなか悪くない。
若さはないが……若いだけでは得られない色気が、彼女にはある。エセルバートはひそかに舌なめずりをした。
「オルディス公爵……どうぞお気を確かに」
彼女を慰めるふりをして、さりげなく肩を抱き寄せる。公爵は抵抗する様子もなく、むしろエセルバートの胸にしなだれかかり、ヴェール越しに男を見上げた。
「キャロライン様は、私の友人でしたわ。でも、彼女の葬儀に出ることができず……せめて、コーデリアにはお別れを……」
「おお、もちろんですとも。簡易なものになりますが、急ぎ葬儀の準備をしましょう。どうぞ、ぜひ公爵も参列を」
美しくも、ずっと目障りだったオルディス公爵が、のこのこと自分たちの前にやってきた――本当に、なんという幸運だろう。
葬儀の準備をするため、と言って公爵は部屋に残し、エセルバートは他の者たちに伝えに行った。
魔女と呼ばれていても、所詮は女。
故人を弔う宴は酒がつきもの――酒に酔わせて、前後不覚になったところを追い詰める。女なんて、ちょっと脅せばすぐ言いなりになるものだ……キャロライン・プラントは、夫のセドリックが決してそばを離れなかったから、その機会に恵まれなかったが。
すぐに始められた葬儀は、あっという間に楽しい宴会へと変わっていた。
実際、彼らにとっては祝宴だろう。これですべての憂いが消えて、自分たちがプラントの実権を握ることになったのだから。
自分の盃に注がれる酒を飲み干しながら、マリアはただ、笑顔を貼り付けていた。ヴェールに覆われ、マリアの表情は見えにくい。
もっとも、勝利の酒に酔っている彼らでは、マリアの真意など読み取れないだろう。
「おお、杯がもう空に……公爵、もう一杯……」
「いやはや、なんとお強い!ささ、もう一杯」
酒はあまり好きではない。それに、こんなやつらから注がれた酒が美味いはずもない。
けれどマリアは笑顔で杯を掲げ、ぐっと煽る。マリアが飲めば、相手も飲まないわけにもいかない。マリアに釣られ、男たちも酒を煽った。
屋敷に乗り込んできた一族は、大半が男。女性は少々。美しく着飾っているが、男たちにも劣らぬ強欲さと醜さ――愚かさが顔に出ている。
男たちが次々とマリアの盃に酒を注ぐのを、クスクス笑いながら見ていた。この酒の目的を、彼女たちも知っているのだろう。
いつの間にやら飲み比べ勝負へと発展していき、屋敷の召使いたちがどんどん酒を運んでくる。
飲んで騒いで……盛り上がった雰囲気に乗せられて酒を煽る。気が付けば、マリアに飲ませるよりも先に自分たちで酒を飲み干していた。
「おい、酒がないぞ!」
足をふらつかせ、ろれつの回らない口で男が叫ぶ。だが、声に反応する者はおらず、男はふらふらと部屋の出入り口へ向かった。
最初にマリアに対応した男……エセルバートと言ったか。
エセルバートは扉を開け、部屋の外を見て首を傾げた。
屋敷の中が、異常に静かだ。召使いの姿もない。どこか、ガランとした様子で……。
「ううっ……」
「ぐ……っああ……!」
奇妙な呻き声に、エセルバートは振り返った。
楽しく酒を飲んでいた者たちが次々に呻き、苦しげに息をし……口や喉を押さえ、うずくまって、やがて倒れていく。
一人……また一人。
エセルバートは、棒立ちになってそれを見ていることしかできなかった。部屋の中に立っている人間が一人だけになった時、ようやく事態を理解したようだった。
「あら。あなたは当たりを飲まなかったのね。運が良いこと」
最後の一人――マリア・オルディス公爵はにっこりと笑って言い、手に持っていた杯を煽って酒を飲み干す。飲み終えた彼女は乱暴に口元を拭い、杯を床に投げ捨てた。
「なかなか良いお酒だったでしょう。私のおごりよ――香典替わりに」
いつの間にか、マリアは帽子もヴェールも脱いでいた。彼女の微笑みを初めてまともに見たエセルバートはすくみ上がり、たまらず逃げ出そうとした。
逃げるために振り返った途端、静かに自分の背後に忍び寄っていた男に斬り捨てられていたが。
足元に転がる男の遺体に一瞥することもなく、ノアはマリアに近寄った。有無を言わさず自分を抱き上げるノアに、大丈夫よ、とマリアは抗議する。
「大人しくしていなさい。毒に耐性があることは知っています。それでも……あなただって」
「毒消しまで飲んでたのよ。大したことないわ――これでようやく終わるんだもの。ずっとオルディスを悩ませていたことに……ようやく」
隣接する領同士、プラントとは浅からぬ因縁があった。それも、これで終わりだ……。
「コーデリア……教会で待ってなさいって、言ってたのに」
ノアに抱きかかえられたまま屋敷を出ると、そこにはコーデリアが立っていた――その手に、松明を持ち。
「私がやるべきことだと思ったのです。私たちが……終わらせるべきだと」
静かに微笑むコーデリアを、町の人たちが神妙な面持ちで見つめる。町の人々も、その手に松明を。
マオに視線をやれば、準備は全て終わっている、と言わんばかりの表情で頷いた。
「……本当にいいのね?」
大切なものは、マオと屋敷の者たちですでに運び出してある。それでも、この屋敷には両親との思い出が詰まっているだろうに。
それを……自らの手で、すべて灰にしてしまうと……。
「はい。お父様やお母様も、きっと、私の決意を肯定してくださいます。たしかにここには幸せな思い出も詰まっておりますが……それ以上に、一族のせいで染みついた血が多すぎます。一度、すべて消し去ってしまうべきなのです……」
面倒なプラント一族を一掃し、屋敷を焼き払って、その真相を炎の中に葬り去る。それが、マリアの計画であった。
火を点ける役目は、教会長が申し出てくれていたのだが……計画を知って、コーデリアは自らその役目を引き受けた。
屋敷を見つめるコーデリアの目には悲しみが浮かんでいたが、誰にもその決意が変えられないことはマリアにも分かった。
「そう……。私も、悪くない選択だと思うわ」
マリアは微笑んだ。コーデリアも微笑み、町の人たちと共に屋敷に近づいて、敷き詰められた藁にそっと炎を近づける。
コーデリアに続いて、町の人たちも次々に火を点けていく。炎が、あっという間に屋敷を覆った。
さすがマオだ。手早く用意し、炎が燃え広がりやすいよう、実にうまく配置してくれる。
「……アーサー。私たち、出直しよ。お父様とお母様が繋いでくださったものを受け継いで、新しくやり直していきましょう」
「はい」
アーサーは、車椅子に乗ったまま頷いた。まだまだ彼も療養が必要だ。でも、表情は悪くない。姉を真っ直ぐに見つめ、穏やかな顔をしていた。
「姉様……僕、プラントの建て直しが終わったら……修道士になります。教会に入って、父様たちのために祈り続けます。だから、領主は姉様が」
「何言ってるの。私はリチャードと結婚するのよ。いつまでもプラントを見るつもりはないわよ」
悲壮な決意で打ち明ける弟を、コーデリアはばっさりと切り捨てる。
え、と目を丸くし、アーサーは姉を見つめて目を瞬かせる。
「リチャードもレミントン公爵家の養子になるからこれから大変なの。頼りない子だし、私が妻になって支えてあげなくちゃ。だから、私が手伝ってあげられる間に、あなたはしっかり勉強して、立派な領主になりなさい。泣き言なんて言ってる場合じゃないわよ。あなたが無理だと思っても、私、結婚は止めないからね」
さりげなくバカにされたような気がして、リチャードは眉を寄せ、チャールズを見上げた。チャールズは苦笑しながら、俺たちはそういう男にしかなれないんだ、とフォローになっていないフォローをしていた。
「……大丈夫よ。たぶん。私ほどじゃないけど、あなただって優秀だし――でも、ジョアンナにはプロポーズするのよ。彼女ほど頼りになる女性はいないわ」
名指しされ、ジョアンナは顔を真っ赤にする。うつむいてしまった少女を、町の人たちは微笑ましく見ていた。
アーサーが捕えられた後も、献身的にアーサーを助け続け、懸命に動いていた。身の危険も顧みず。それはやっぱり、恋の力が為せるわざ……ということだろう。
 




