不思議な絆 (3)
父の死を、コーデリアが悲しんでいる時間はなかった。母親を亡くしたばかりの少女にあまりにも酷な仕打ちだが……。
「ノア様。いくつか頼みたいことが――マオ、あなたはノア様を手伝って。スピード勝負だから、あなたの手伝いが必要だわ」
マリアの言葉に、マオは素直に頷く。自分の力が必要になるだろうと、マオもすでに察していたに違いない。
マリアは、地面に転がっている死体を冷たく見下ろした。
「ノア様、まずはこいつらの始末を。いずれコーデリアをさらうのに失敗したことは気付かれるでしょうけど、少しでも時間を稼がないと。コーデリア、私たちはプラントへ行きましょう。アーサーを助け出すのよ」
涙を堪え、崩れ落ちそうになるのをリチャードに支えられながら、コーデリアはすがるようにマリアを見た。
「あの子は……まだ無事でしょうか?」
「きっと無事よ。プラントの連中が乗っ取りに来たということは、あなたとアーサーを、まとめて、確実に殺さないといけないもの。あなたをプラントへ誘き出すのが成功するまでは、大事な人質よ」
……正直に言えば。
無事かどうかはかなり怪しい。とりあえず生きていればいいのだから、丁重に扱う必要はない。どんな目に遭っているのか――なるべく、その事実はマリアは考えないようにした。
「シモン様。あなたはノア様たちと一緒に、いったんオルディスへ。頼みたいことがあるんです」
マリアの頼みを聞いたシモン院長は、浮かない表情だった。愉快な気分になれないのは当然だ。マリアですら、さすがにこれは気が進まない。
「罰当たりなのは分かっています。こればかりは、私もあとで神に謝り倒しておきますわ」
「いえ……生きている人が優先です。オルディスに戻ったら、二人で謹慎ですね」
ノアとマオ、シモン院長がオルディスへ戻っていくのを見送った後、チャールズ、リチャードを連れてマリアは改めてプラント領へ向かうことにした。馬に乗れないコーデリアは、リチャードと一緒だ。
「今朝、シモン院長はプラントの教会を訪ねたそうです。そこで、町の異変を知りました。プラント一族が屋敷に乗り込んできて、我が物顔で振る舞っていると。アーサーを捕え、セドリックを手にかけ……その情報をコーデリアに気付かれないよう、町を閉鎖していると。聖職者のシモン様の立ち入りは、さすがに拒めなかったみたいで」
町は自由に出入りできぬよう封鎖され、町の空気はどんよりと重い。シモン院長が愛想よく声をかけてみても、そっけない挨拶を返すだけでそそくさと足早に去って行って。
プラントの教会長も、何か奥歯に物が挟まったような物言い。
でも、プラント邸で異常が起きていることだけは分かった。
何も気づかなかったふりでオルディスに帰る前にゆっくりと町の中を見回り……屋敷を囲う塀に、遺体が晒されているのを見つけた。
「あの者たちは、屋敷からの迎えだと……。もう夜も遅いので、手配してあった宿に今夜は泊まって、朝になったらすぐに帰ろうと……そう話しておりました」
リチャードにしがみついたまま、コーデリアが言った。
どう考えても、宿に入ったところでコーデリアを始末するつもりだったのだろう。駆け付けるのが、あと少し遅かったら……。
夜通し馬を走らせ、東の空が明るくなる頃には町に着いた。町の門は閉ざされており、屈強そうな男たちが二人、見張っている。
近くの木陰にコーデリアたちは隠し、マリアは一人で見張りに近付いた。
じろりと、見張りがマリアを睨む。
「何の用だ。いまは、町への出入りは制限してる最中だ」
「あら、残念。最近稼ぎがよくないから、ここで商売できないかと思ってきたのに」
商売、という言葉に見張りの一人が反応した。これなら上手くいく、とマリアは内心ほくそ笑んだ。
マントの胸元をわざとらしくはだけ、男に見せつける。夜明けの薄暗い時間、マリアの白い肌は明けの闇によく映えた。
一人は眉をひそめるだけだったが、一人は好色そうな目つきでマリアの肌を凝視し、舌なめずりする。
「町へ入れてくださるのなら、お代はサービスするわよ」
マリアが媚びるように笑いかければ、好色な見張りはマリアの肩を抱き、町の門の片方だけ開けた。
「おい」
「いいじゃねえか。女一人ぐらい、問題ねえだろ」
真面目な見張りが咎めても、相方の好色な振る舞いは止められない。毎度あり、とマリアも甘えるように男の腕にしなだれかかって、好色の見張りと共に町に入った。
どこか空き家にでも入るのかと思えば、路地裏に連れ込んで男は事に及ぼうとした。本格的に誑し込んで利用するのもありだが……いまは急いでいる。
もう女の肌しか目に入らない男は、涎を垂らしてマリアの服を引き裂くことに夢中だ。
懐に忍ばせていた特製の香水を一吹き。久しぶりの護身具だ。
刺激物にのたうち回る男を、背後からチャールズが仕留める――マリアを助け、自分の上着を羽織らせたチャールズは、相変わらず危ないことをしたがる女だ、と言いたげな表情だった。
「マリア様、大丈夫ですか?」
衣服を引き裂かれたマリアを見て、コーデリアはますます青ざめていた。大丈夫よ、とマリアは笑顔で答える。
若い女性には、さぞ恐ろしい光景だったことだろう。こんなやり方にすっかり慣れている自分がどうかしている……というか、この年でもまだ色仕掛けが通じるとは思わなかった。
「もう一人の見張りは?」
「母上が一人連れて行った後、ジンランと僕とですぐに片付けたよ。一対二だもん。僕だって負けない」
リチャードはちょっと誇らしげだ。
見張りを始末してしまったことで、コーデリアの誘拐失敗もすぐに気付かれるはず。早くアーサーを助け出さないと、ますますあの子の身に危険が……。
「まずはこの町の教会長さんに会いに行きましょう。シモン様のお話だと、院長はコーデリアの味方だから……」
町のことは、当たり前だがコーデリアのほうが詳しい。彼女に道案内を任せ、マリアたちは静かに、急いで教会へ向かう。教会の裏口から院長を訪ね、コーデリアを見つけた院長は驚愕した。
「コーデリア様!戻ってきてしまわれたのか……」
「シモン院長からすべて聞きました。アーサーを放ってはおけません。あの子がどこに捕らわれているか、心当たりはありませんか?」
「少々お待ちを。ちょうどジョアンナが訪ねてきていて――」
院長は他の修道士に指示をして、少女を一人連れてこさせた。少女は町の人間のようだ。アーサーの友達で、幼い頃からよく一緒に遊んでいた、とコーデリアが説明した。
ジョアンナと呼ばれる少女は、コーデリアを見てホッとしたように笑う。
「よかった!コーデリア様、戻られたんですね!アーサー様を助け出せないか、司祭様たちにお願いしに来たところだったんです。あいつらの目を盗んで、なんとか食事や薬を差し入れてきましたけど……もう、アーサー様は限界だわ……」
涙目になりながら、ジョアンナは話す。
彼女の説明によると、アーサーはプラント邸の地下室に幽閉されているらしい。
……そう言えば、キャロラインの前夫は嗜虐性が強く、何人もの妻を拷問で責め殺している。屋敷の中に、気色の悪い監禁部屋のひとつぐらいあっても不思議ではない。
「すぐに行きましょう。向こうが何かに気付くよりも先に」
マリアが言い、即座にコーデリアたちは屋敷へ向かうことになった。
お前もたいがいだよな、と道すがらチャールズが感心したような、呆れたような口調で呟く。
マリアも、ごちゃごちゃ考えるよりさっさと行動したいタイプだ。チャールズと同様に。
屋敷のこともコーデリアは詳しく、ジョアンナと二人でマリアたちを案内した。
屋敷に乗り込んできたプラント一族は夜遅くまで酒を飲んで大騒ぎしていたから、ほとんど眠っているそうだ。起きている人間もいるが、まだ夜明け――召使いが朝の支度をするだけで、見つかる可能性は低いとジョアンナは説明する。
だから、いまのうちにアーサーを助け出したかった。でも、助け出した後どうするのか……それが問題だ。
一族の報復が恐ろしくて、誰も救出に動けなかった。
アーサーは、地下牢にいた。屋敷に牢屋を作っているとは。キャロラインの前夫は、つくづく趣味の良い男だったらしい。
「アーサー!」
冷たい牢の中、地面にぐったりと倒れ込む少年を見つけ、コーデリアは堪らず叫んだ。
捕えられたアーサー以外誰もいないと思ったが、他にも人はいたらしい。コーデリアの声に反応して、牢番が飛び出してくる。チャールズがすぐに片付けていた。
「ジョアンナ、ここの鍵は?」
「えっ。その男、持ってないんですか?」
床に放り出された牢番に視線をやりながら、ジョアンナがさっと青ざめる。鍵が見つからないことは、完全に予想外だったようだ。
「大丈夫。この錠前なら、僕が外せる!」
腰に提げた袋をごそごそと漁って、リチャードは針金のようなものを取り出した。鍵穴に突っ込んで、ガチャガチャと。
何をしているのかマリアにはさっぱりだったが、鍵が外れたような音はした。
「……お前、鍵開けができるのか?」
「うん。マオが教えてくれた」
……なんでチャールズがそのことにショックを受けているのか、追究しないほうがいい気がした。
「アーサー!アーサー……!」
鍵が開くと、コーデリアは一目散にアーサーに駆け寄る。ぐったりとしたままの弟の身体をコーデリアが抱き上げると、ぴくりと反応した。まだ息はある。
「ひとまず教会へ連れて戻りましょう。ここではろくな手当てもできないし、休ませられないわ」
マリアが言い、チャールズも頷いて自分がアーサーを抱きかかえようとした。
細身の少年とはいえ、この中でアーサーを抱えて移動できるのはチャールズだけだ。
牢を出ようとした瞬間、ジョアンナが悲鳴を上げた。いつの間にか、男が数人、地下牢に降りてきていて。その内の一人がジョアンナを捕まえ、羽交い絞めにしていた。
「この小娘の命が惜しかったら、コーデリアをこっちに――」
でも、地下牢に降りてきたのは一族が雇った見張りだけではなかった。
威勢のいい男の台詞は途中で遮られ、ジョアンナの拘束はあっさりと解けた。彼らの後ろには、ノアとマオが。
「遅くなりました。準備はすべて整っております――マリア様。新しい衣装も持ってきましたので、すぐに着替えてください」
見た目には変化のないポーカーフェイスだが、マリアをジトっと見たノアの視線が語っている――その恰好はどういうことですか。
また危ないことをして、というお説教オーラは無視をして、ナイスタイミング、とマリアはノアを褒めた。
アーサーを助け出せたのなら、もう何の気がかりもない。
マリアはもうすぐ、キシリアへ帰る。その前に、エンジェリクで片付けるべきこと――オルディスのためにできることを、すべてやり終えていかなくては。
エンジェリクへ来た頃はただの少女だったマリアも、いまは魔女と恐れられ、エンジェリク最高権力を握る男の妻だ。




