侯爵 (3)
最後の子作りの前に、マリアはいままでで一番長い休養を取っていた。
ドレイク卿もゆっくり回復に専念すればいいと言ってくれたし、出産後の子どもたちの別れを思うと……先延ばしにしたいという衝動に抗うのも大変だ。
子どもは増えて賑やかになったが、成長した子が下の子の世話をしてくれるようにもなってくるもので。
末っ子気質の甘えん坊で、兄セシリオにいらんちょっかいをかけては反撃されていたあのローレンスが、お兄さんぶってあれこれ世話を焼こうとしている姿にはマリアも感動してしまった。
いまも、赤ん坊用のおもちゃを手に、揺りかごで横になっているパーシーをあやしている。
「ローレンスは、優しいおにいちゃまね」
「自分より弱いやつには、優しくするんが男や!って、とーさんが言ってた」
少年時代をキシリアで過ごしたブレイクリー提督は、エンジェリク語が完ぺきではない。しかしキシリア語も、いささか独特の訛りがあり……息子ローレンスも、喋れるようになってなんだか父親の口調に似て来たような……。
「お姉様!」
屋敷が賑やかになったと思ったら、慌ただしくオフェリアがマリアのところへ駆け込んできた。ローレンスが、しーっ!と注意する――自分だって、セシリオと騒いで弟をびっくりさせてしまうことがあるくせに。
「お帰りなさい、オフェリア。でも早かったのね。今日はそのまま、ダーリーン様のところに滞在してくるかと思ったのに」
ダーリーン・ハモンドとは、ハモンド法務長官の妻。オフェリアの、王子妃時代からの女友だちで……先日、彼女の夫が亡くなった。ダーリーンとその夫アーネストはかなり年の差がある夫婦で。だから、とても残念なことではあるが、アーネスト氏とのお別れは仕方のないことではあった。
もちろん、オフェリアは夫君の訃報を知って、すぐにダーリーンのもとへ向かった。葬儀のため、悲しみに沈む友人を慰めるため。
本当はマリアも赴くべきだったのだが、末っ子のパーシーの具合が悪くて。乳母の乳も嫌がるので、マリアが付きっきりで世話をするしかなく、葬儀に出向くことはできなかった。
「そのダーリーンのことなの。お願い、お姉様、ダーリーンを助けて!」
オフェリアは、ゾーイ・ラドフォードと共にハモンド邸を訪ねた。ゾーイもダーリーンの友人で、王子妃時代から続く友情の相手。
ダーリーンが最愛の夫を亡くしたこと、とても心配していた。
「来てくださって、ありがとうございます。お二人だって忙しいのに、夫と私のために……」
葬儀は、身内だけのひっそりとしたものだった。
と言っても、ダーリーンは自身の生家と疎遠になっており、夫アーネストは親兄弟に先立れている。そうなると、弔問客もほとんどおらず、アーネスト・ハモンドを見送るのは妻ダーリーンと、四人の子どもたちだけ……。
「ダーリーン……」
オフェリアはそっと手を伸ばし、ダーリーンの手に触れる。黒いヴェールの下で、ダーリーンは微笑んだ。
もともと華やかな容姿の美女だったが、黒の喪服をまとう彼女はいっそう美しく……。
「大丈夫です。最初から、普通の夫婦よりずっと早くお別れが来ることは分かっていましたから。後悔しないよう、毎日たくさん愛情を伝えてきました。あの人は照れ屋だから、なかなか言葉にはしてくれなかったけど……でも、たくさん抱きしめてもらって、毎日おはようのキスも、おやすみなさいのキスも……」
話しながら、ダーリーンの目に大粒の涙が溜まっていく。次第に言葉に詰まり、ダーリーンは堪え切れず泣き出した。
「後悔はないです……でも、やっぱりすごく寂しい……!あの人に抱き締めてもらうことも、キスしてもらうことも、もう二度とないなんて……!」
オフェリアとゾーイは、ダーリーンをしっかり抱きしめた。三人で抱き合い、しばらく誰も何も言わずに、ただ涙を流し、寄り添っていた。
「……ごめんなさい。恥ずかしいところを見せちゃって」
「恥ずかしいだなんて、そのようなこと」
涙を拭うダーリーンに、ゾーイ・ラドフォードが首を振る。
「ダーリーン様とアーネスト様が、それほど深く結ばれ、愛し合った証です。恥じることなど何もありませんわ」
「ありがとう――お二人が来てくださって、本当に良かった。後悔はありませんし、いずれ夫を見送ること、覚悟はしていました。でも、すごく不安なこともあって――」
ダーリーンが表情を曇らせる。喪服を着ていても、葬儀の場であっても、明るく努めようとしていた彼女が、初めて不安げな様子を見せた。
「子どもたちのこと。私じゃ、守りきれないかもって」
ゾーイが一瞬目を泳がせるのを、アレクは見た――アレクは、オフェリア王妃の護衛としてハモンド邸を一緒に訪ねていた。少し離れたところで控えて、三人のやり取りには口を出さないようにしていたが……もしかしたら、自分が出て行く場面があるかもしれない。
「一番上の子は、最近城仕えを始めたばかりで……就職の世話は夫が。しっかりした子ですけど、いざという時に頼るはずだった父親をいきなり失うことになってしまったし……長女は――末の子は、まだ縁談も決まっていなかった状態で。私に、あの子の縁談を世話してあげられるかどうか」
ダーリーンは、貴族の妻としてはいささか資質に欠ける女性だった。オフェリア並みに貴族には向かない性格で、夫アーネストは彼女のそんなところを愛していた。
だからダーリーンには貴族の妻としての役目は期待せず、全て自分が取り仕切っていた。愛する妻を変えさせたくはなくて……深い愛情ゆえの思いやりだったが、それがいまは裏目に出てしまった。夫に先立たれた彼女は、本来残された妻が担うべき役割を果たせずにいる。
……もっとも、そういったことを心配しなかったわけではないだろう。アーネスト氏も、残される妻や子どもたちが困らないよう、人脈作りをしていたわけで。
「ダーリーン様のご長男は、司法部へご就職が決まったのでしたね。そうなると、司法関係者にお力添えを頂くのが良いかと……。娘さんの縁談相手も、できればそういった家柄から探して、関係を深めておいたほうが……」
ゾーイがちらりとオフェリアを見る。
ゾーイ・ラドフォードの夫は近衛騎士隊の騎士。軍部にならば、彼女も伝手がきく。だが司法部は管轄外。そちらに人脈があるのは、ゾーイよりもむしろ……。
オフェリアが口を開きかけ、アレクがその口を塞ぐ。むぐ、と手で押さえられ、オフェリアはパチパチと目を瞬かせてアレクを見つめた。
「すみません――オフェリア、ちょっとこっちに」
部屋の外まで、アレクはオフェリアを引っ張る。
「オフェリア。念のため言っておくけど、私に任せて、とかそんなこと言っちゃだめだからね」
「えーっ、なんで?」
やっぱり自分が引き受けようとしていたのか、とアレクは溜息をついた。
「自分で引き受けて、ドレイク警視総監に頼むつもりだったんでしょ。それは君がやっちゃだめ。オフェリア、君は王妃なんだから。王妃との個人的な関係を利用して人事に口出しさせた、なんて。他の貴族が知ったらダーリーン・ハモンドへの印象が悪くなるだろう。それに、王妃のそんな出しゃばりを許したとなったら、ヒューバート王も非難される。つまり、君が動くとかえってお友達や陛下を困らせることになるんだよ」
アレクの指摘に、オフェリアはグッと言葉を詰まらせる。へにょりと眉を下げて、捨てられた子犬のように、すがるようにアレクを見つめる。
「……でも、私もダーリーンのこと助けたい。なんとか力になってあげたい」
「助けるなとは言ってない。やり方を考えろと言ってるんだ。友達を助けたいのなら、王妃の君が直接動いちゃだめ――こういう時こそ、マリアに頼むんだよ。君から話を聞いて、マリアが勝手に動く分には問題ないだろう?」
それで、オフェリアは戻って来るなりマリアに飛びついて来て、ダーリーンの悩みを相談しに来たわけか。
「お願い、お姉様。ジェラルド様に、お姉様から掛け合って欲しいの!」
「ダーリーン様を助けることに不服はないけれど、ジェラルド様に頼むのは無理だわ」
ドレイク警視総監は、父親に代わって宰相代理も努めている状況。とても、司法部に入って来た新人の世話などやっていられない。マリアが言えば、そんなぁ、とオフェリアが悲しげに眉を寄せる。
「そもそも、ジェラルド様にお願いするのが間違っているわ。縁談なんて、ジェラルド様ではどうしようもない分野だもの――もう、そんな顔しないの。ダーリーン様のことはちゃんと助けるわ」
亡くなっても、ハモンド法務長官の人脈が消えてなくなるわけではない。フォレスター宰相の後輩で、マリアにとっても非常に有意義な人材だった。そんな男との繋がりを、みすみす手放すはずがない。
――それに、オフェリアの大切な友人を、マリアが見捨てられるはずもない。
パーシーの体調も回復した頃、マリアはメレディスを連れて人を訪ねて行った。
別にメレディスが不在でも歓迎してもらえるのだが、やっぱりメレディス抜きで会いに行くのは誠意に欠けるような気がして。
「メレディス叔父さん!」
メレディスの姿を見つけ、彼の甥っ子たちがワッと群がって来る。長男のほうは……こうして見比べてみると、母親似だ。表情や仕草はメレディスによく似ているが、顔のつくりは次男のほうが父親と同じ……。
「ご機嫌よう、アルフレッド様。本日はとても私的な用で主席判事殿をお訪ねさせて頂きましたの」
メレディスの兄アルフレッドは、主席判事。父親も優秀な判事で、その後を継いでいた。
「御子息のジョージ様に、縁談話を持って参りました」
「ジョージの」
「はい。先日亡くなられたアーネスト・ハモンド様のご長女を、ぜひにと」
マクファーレン伯爵は特に驚いた様子もなく、少しだけ考えるような素振りを見せた。
「ご令嬢アンジェリカ様ですか。実を言えば、私も息子の縁談相手にと考えておりました。アンジェリカ様はジョージと年も近いですし、法務長官殿のお人柄は私もよく知っておりましたから、機会があればお声をかけさせて頂こうかと……その矢先に、訃報を」
……本当は。
マクファーレン伯も待ち構えていたんじゃないかな、とマリアは内心思った。
夫がなくなれば、ダーリーン・ハモンドは自分の親しい人に娘の縁談を相談する。ダーリーンは、貴族社会に友人が少ない。となれば、その相談相手はだいたい予想がつき……マリアが、誰を勧めるかも……。
「ジョージとアンジェリカ様の婚約について、前向きに検討させて頂きます。その代わりと言ってはなんですが、私のほうからもひとつオルディス公爵に提案が」
はい、と相槌を打ってマリアはマクファーレン伯を見つめる。
「我が家の次男メルヴィンを、オルディス公爵の次女リリアン様のもとへ婿入りさせていただけませんか」
「リリアンに、ですか……?」
マクファーレン伯が窓の外に視線をやった。窓の外では、メレディスと遊ぶ男の子たち――ちょっとマイペースで、おっとりしたほうが次男メルヴィンだ。
「長男がマクファーレン家の後を継ぐとなれば、次男は婿入り先や奉公先を探すのが常。オルディス公爵家の次期当主に婿入りできるのなら、これ以上の御縁はないかと」
もしかしたら、まんまとしてやられたのは自分のほうかも。
けれど、リリアンに婿が必要なのは事実だ。できれば、物分かりのいい家と性格であってほしい。マクファーレン主席判事の息子なら、マリアにとっても悪くない相手だ。
「私に異論はありません。でも本当によろしいのですか?だって、リリアンの母親はこの私ですよ」
「不安がないと言えば嘘になりますが――メルヴィンは私と違い、ちゃっかりしたところのある子なので、存外大丈夫かと。誰に似たのやら……」
苦笑するマクファーレン伯爵に、マリアも素知らぬ顔で笑い返した。




