不協和音だらけの結婚葬送曲
花婿は、花嫁の姿を見るなり激しく失望した。
――理性的な王を堕落させるほどの女だと聞いていたが、実物は所詮この程度か……。
式の間中、イザイアはあからさまに顔を背けた。
自分にとっていかにこの結婚が不本意なものであるか――いかにこの女が相応しくないかを示すように。
「イザイア、もう少し愛想よくしろ。この結婚にはエンジェリクと我が国の友好がかかってるんだぞ」
声を落とし、何気ない雑談を装って兄が注意する。イザイアはフンと鼻を鳴らした。
「無理ですよ。なぜ誇り高いオーシャン国の王子である私が、あんな女と結婚せねばならないのか。私より七つも年上だとか……」
十代前半での結婚が一般的な王侯貴族にとって、二十を越えた女など行き遅れの年増である。そんな年齢の女を初婚の妻に迎えるなど――まるで、平民のような真似を王子の自分が……。
「しかも、傾国と呼ばれるのだからどれほどの美女かと思えば。兄上もご覧になったでしょう」
離れたところに座る新妻を顎で指し、イザイアは不満たらたらに言い続ける。
兄ダンテも、それには口を閉ざすしかなかった。
たしかに、その姿を見た時ダンテも密かにがっかりした。理性的で敬虔なルチル教信者であった先代王を堕落させるほどの魔性を持つ愛妾――その噂を聞いていて、ちょっと期待していたのに。
醜女……というほどではない。たぶん、先代王を堕落させた頃には若く美しかったのだろう。その名残はある。だが年と共に老化が進み、いまはもうくたびれ果ててその美貌も色あせてきている……。
「私の母上のほうがずっと年上ですが、ずっと美しいですよ」
愚かな弟の台詞に、ダンテはしらーっとした気持ちになった。
イザイアの母のほうが美しい――そりゃそうだろう。あの女は王妃としての務めはろくに果たさないまま、自分を美しく飾り立てることだけに一日の大半を費やしているのだから。
賢妃と呼ばれたダンテたちの母が亡くなった途端に、善良だったオーシャン国王はおかしくなった。
多くの女を侍らせ、不摂生な生活にどっぷりと浸かり……いまや、享楽に耽る王に代わり王太子が政務を執り仕切っている状況だ。
イザイアの母も国王の愛人の一人だったが、それなりに有力な貴族の娘で、息子を生んだことを機に親族たちがゴリ押しし、まんまと王妃の座におさまった。
あの後妻や後妻の一族はダンテや王太子を敵視し――だからダンテは、年の離れたこの異母弟が好きになれない。
……正直なところ、ざまあみろと思う気持ちもある。
王の堕落を助長し、王家の威信を傷つける女狐の息子が、外国の先代王を堕落させた愛妾と結婚。なんという因果応報。
しかも新妻の美貌はすでに陰り、イザイアはこれから不本意な結婚生活を強いられることになるのだ――。
マリア・オルディス公爵の侍女ナタリアは、怒りに震えていた。
式の様子を見守っていたが、新郎のあまりにも酷い振る舞いに怒り心頭で。
顔をそむけて妻を見ようともしない新郎に対し、それでもマリアは礼節を持って対応していた。それなのに、彼女の声かけに返事すらせず――オーシャン国からの友人と賑やかにおしゃべりして、新郎に置き去りにされたマリアは一人ポツンと取り残され……。
怒りのあまり、ナタリアの目尻には涙まで浮かんできた。
「落ち着きなさい。不本意な結婚はお互い様よ――それにしても、本当に酷い姿だわ。あの王子が嫌そうな顔するのも無理ないわね」
鏡台に映る自分の姿に、マリアは溜息をつく。
髪も肌も身体も、すっかりくたびれ果てて……なによりも、疲れ果てた内面を隠せない顔。式の間は笑顔を取り繕ったつもりだが、鏡で確認してみればぎこちなくて、何とも不安になる笑顔だ。
「……ところで、件の王子はいつ来るつもりなのかしら。私、これ以上は待てないわよ」
式が終われば新郎新婦は初夜を迎える――それはどこの国であろうと同じこと。
王子も祖国の人々と別れを惜しんだり、祝ってもらったりと、初夜の前に楽しい時間を過ごしたいのは分かる。だがそれにしたって、部屋に来るのが遅過ぎじゃないか。
これ以上は待てない。もうマリアは限界なのだ。いますぐにでも眠ってしまいたい。
……というか、さっさと家に帰りたい。
「確認して参りますわ。しばしお待ちを――」
そう言ってナタリアが出ていくと、マリアはベッドに横になる。もう身体を起こしているのも辛くて、ちょっと休憩……のつもりだった。
あ、これはやっちゃダメだったわ――マリアは自分のミスに気付いたが、身体はマリアの言うことを聞いてくれなかった。
パチリと目が開いた時、部屋はすっかり明るくなっていた。もぞもぞと起き上がり、思い切り伸びをする。
伸びをした途端に、身体からバキバキという音が聞こえてきたことには苦笑した。
……やっぱり私も年なのかしらね。
大きく深呼吸し、ゆっくりと息を吐き出す。すっきりとした爽快な気分……やっぱり、昨日の自分はかなり危険な状態だったと思う。よく死ななかったな、と我ながら感心した。
しかし……。
ベッドを出て、窓に近づく。日はずいぶんと高く……完全に、これは寝坊した。初夜で花嫁がうっかり寝落ちし、昼頃まで寝入ってしまうとは。笑うしかない。
「おはよう、ナタリア。私ったら完全に寝過ごしたみたいだけど……イライラ王子はどうしてる?」
「イライラ……どちらかというと、こちらのほうが苛々させられるあの王子のことですか。マリア様が気にする必要など何もありませんわ」
隣の部屋でマリアの起床を待っていたナタリアに新郎のことを聞いてみれば、なぜか返事を濁された。
ナタリアは彼の様子を確認しに行ったはずだが……この反応から察するに、かなり嫌な感じのことが起きたのだろうな――とりあえず、マリアは遅い朝食を取ることを優先した。昨日は忙しいし疲れ過ぎていたしで、まともな食事ができていない。
寝衣のままマリアは食事をし、侍女のナタリアがそんなマリアの身なりを整え始める。
部屋の外から呼びかけられ、マリアは立ち上がり彼を招き入れた。
「おはようございます、ヒューバート陛下。このような姿で申し訳ございません」
「ああ、おはよう……と言っても、もうすぐアフタヌーンが始まる時間だが」
エンジェリクの若き王は苦笑する。
一国の王と対面するにはあまりにも無礼な姿なのだが、王もマリア互いに気に留めることなくテーブルに着く。
……正直に言えば、いまのマリアにとって優先すべきことは食事で、ヒューバート王のことは放ったらかしでいいと思っていたりする。
「昨日はお疲れ様。大変だったね」
「いやですわ、陛下ったら。大変だったねなんてそんな」
にっこりと。
マリアは微笑む。
「そんなかわいらしい労いで済む程度の苦労だったとお思いですの」
「……すまなかった」
ますます王は困ったように笑う。
白金の髪を持つこの美しい王には、愛する妃がいる。人生のすべてを差し出しても構わないほど愛しい妃。
マリアは、そんな妃のたった一人の肉親だ。
オフェリア王妃はマリアの可愛い妹であり、姉妹の間には強い絆があった。ヒューバート王にも割って入れぬほどの強い信頼関係――だから王は、マリアに頭が上がらない。オフェリア王妃の姉だから、というだけではなく、彼自身マリアには恩義があって……。
「僕に断られた腹いせとはいえ、あんな王子を君の結婚相手に寄越してくるとは思わなかったよ。とても愉快な結婚式だった」
笑顔ではあるが、これがヒューバート王の皮肉であることはマリアにも分かった。
マリアは涼しい表情で、王が淹れてくれた茶を飲む――花をこよなく愛するヒューバート王は、花の香りをつけた茶葉作りが趣味であり、身近な人間によく振る舞っている。花茶には様々な効能があるらしい。
……マリアには、普通のお茶より甘いなということしか分からないが。
「君に犠牲を強いたのは本当に申し訳なく思っている。だが……また頼みたいことが」
「何でしょうか」
「君の夫を、すぐにでも城から連れ出して欲しい。女官たちからクレームが来てる」
カップに口をつけたまま、マリアはヒューバート王を見た。
「クレーム……」
「オーシャン国からの友人たちを部屋に招いて楽しむのはいいんだが、賑やかさが過ぎる。それに城の女官たちへの態度が酷くて。僕のもとへ寄せられるクレームが後を絶たないんだ」
ちらりと見てみれば、ナタリアが苦虫を噛み潰したような顔をしている。
……クレーム内容について、彼女も心当たりがあるに違いない。
「具体的にどういった内容なのかしら。ナタリア、あなた、なんとなく分かってるんじゃないの?」
「……マリア様のお耳に入れるのも腹立だしいことですわ」
つまり、口にしたくもないと。
マリアとヒューバート王は揃って苦笑し、王が代わりに説明した。
「イザイア王子の友人の中には女性もいた――複数の男女が入り混じり、非常に楽しく過ごしたようだ」
「まあ……」
……ということは、あの王子は他の女を自分のベッドに呼び寄せ、マリアとの初夜はすっぽかしたということか。
道理で――勝手に眠り込んで寝坊までしたというのに、何も気にする必要はないと言われるはずだ。
それでナタリアは激怒しているのだ。
初夜に新妻の寝室を訪れることもなく、他の女と。マリアに対する明らかな侮辱行為であり、敵対行為。外面を取り繕うつもりすらなく、仲良くする気はないとあの王子は最初からマリアを拒絶した……。
「オーシャン国の……第三王子でしたか。第三王子というのはどこの国でも外れ枠なのでしょうか」
どこか他人事のようにマリアが呟けば、ヒューバート王は複雑そうな顔をした。それには気付かないふりをして、改めて茶を飲む。
自分に代わって腹を立ててくれるのは有難いが、マリアのほうも、あの王子と親しくするつもりはなかった。仲良くやっていけそうならそれもありかなと思ってはいたが、上手くいかないならそれも仕方がない。
……それでもマリアの夫になるのだから、もうちょっとましな人間を期待したが。
「オーシャンから是非にと乞われた縁談だったことを、あのイライラ王子は都合よく忘れていらっしゃるのかしら。本来望んだものは陛下にオーシャン王女を宛てがうことだったとは言え、それでも国同士の友好を結ぶ政略結婚であることに変わりはないのに」
マリアへの侮辱でもあるが、それと同時にエンジェリクに対する侮辱でもある。
イザイア王子の立場をものすごーく悪くしていることなのだが……その自覚があってやっているのか、考えなしなのか――後者だろう。
「でも王子が底抜けに愚かだったおかげで、私としてはとても助かりました。昨夜のあの状態で初夜を迎えていたら、私、死んでいましたもの」
誇張表現や比喩などではなく、本当に。
マリアは生娘ではない。世間知らずのボンボン王子ぐらい、ベッドの上で軽くひねってやる自信はある……平時なら。昨夜は絶対に無理だった。
「王子はオルディス公爵領に下がらせますわ。彼のために住居を用意してありますから。一応、彼好みの屋敷になっているはずです」
「オルディス領に……ということは、一緒には暮らさないのか」
「当たり前です」
王の言葉に、マリアが不愉快極まりないという態度で返事をする。
マリアの本来の住居は、領地オルディスではなく王都にあった。王都にあるオルディス邸――あんな不愉快な王子を、我が家に招き入れたりするものか。
「非難したわけじゃない。安心したんだ。君と一緒に暮らすとなると、オフェリアとの接触が避けられなくなる。女官を娼婦扱いして不埒な遊びに誘いこもうとする男を、王妃に近付けたくない」
「大いに同感です。妹にも、子どもたちにも、一切近付けさせませんわ」
夫の振る舞いに、マリアは腹を立ててはいない。それは事実だ。だって、結婚させられるという時点ですでに怒り狂っていたから。
先代エンジェリク王の求婚すらはね退けた自分が、意に添わぬ婚姻を受け入れるしかなかった……王子に生まれたというだけの男と肩を並べ、あまつさえ夫と呼ばなくてはならないなんて……!
それも全部、オフェリア王妃のため……可愛い妹のため。
国王からの寵愛と姉の権力しか支えるものを持っていない王妃――その足元は決して盤石なものではない。
マリアがオーシャン国の要求を呑んで結婚する羽目になったのも、不安定な王妃の地位を守るため。
「……あの男を夫と仰ぐのはいまだけです。こんな結婚、必ず終わらせてやります」
離婚か、婚姻無効か――或いは。
だがいまは、回復に専念するしかない。
なにせ……マリアは昨日出産したばかり。実を言えば、こうして起き上がって何気なくおしゃべりをするのも精いっぱいの状態だった。
作中に登場する国モデル
エンジェリク:イギリス
オーシャン:イタリア
※地理関係のモデルであり、文化や時代設定などは作者独自のものです
真面目考察非推奨
マリア・オルディス
エンジェリクの女公爵。
エンジェリク前国王(ヒューバート王の父親)の愛妾だった経歴も持つ。
前作『貴種流離譚編』のその後の物語となります。
前作読まなくても何となく読める程度にはなる……はず。




