不思議な絆 (1)
オルディス領に建てられた教会――その礼拝室で、マリアは祈りを捧げていた。
妹の命日、誕生日……折に触れては、こまめにここに通っている。
今回は、夫の遺品を持ってやってきた。エンジェリク王の遺体は王家代々の墓地に埋葬する決まりだが、一部はオフェリアと一緒に……。
自分のもとへやってきたヒューバート王のことを、オフェリアはどう思っているだろう。再会を、喜んでいるだろうか……嘆いているだろうか。
「オルディス公爵のことを、皆様、見守ってくださっていることでしょう。公爵は多くの人に愛され……みな、貴女のために命を賭けることを惜しまなかった」
祈りを終えたマリアに、教会の長であるシモンが声をかけてくる。
シモン院長には、きっとそんな意図はなかっただろう。でも、マリアは顔を強張らせて彼を見た。
「……遠回しに、私のせいだと嫌味を言っているのかしら。私が受けるはずだった罰を、あの人たちが代わりに受けて……。だから、みんな……私よりも先に命を落としたのだと」
つい、口調が険しくなってしまう。
八つ当たりなのは分かっている――自分でも、そう思ってしまう時があったから。図星をさされて、とっさにシモン院長に反論してしまった。
自分のエゴを貫き通し、マリアは多くの罪を重ねた。命を落としていてもおかしくない状況を、何度も生き延びて。
恐ろしいほどの悪運に恵まれ、マリアはいまもこうして生き延びている。周りの人間は、次々と命を落としているというのに。
周りの人間の命を吸い取って、魔女は美しさを保っている。
そんな世間の噂話も、あながち嘘ではないのかもしれない。認めたくもないことだけれど――自分が受けるべき代償を、周囲の人たちが受けてしまった……。
「そういう言い方もできるかもしれませんね。貴女のために、代わりに罰を受けた……何もかもを背負い込んで、一人地獄へ落ちようとしている貴女を助けたかった。貴女のせいなのかもしれない。けれど、誰が止められましょう。愛する人を守りたい気持ちを――オルディス公爵が、そうして大切な人を守ろうとしたように」
院長の言葉に、マリアは押し黙る。
犠牲なんかじゃなかった。すべては自分のため……後悔はない。
彼女たちも同じ気持ちだったというのなら、マリアが思い悩むのはあの子たちの選択を否定することになる。
……でも、生きていて欲しかった。地獄に落ちたって構わなかったのに。
それで、あの子の笑顔が守れたのなら。
マリアが屋敷に戻ると、そこにはチャールズがいた。オルディスへ来ることは知っていたから特に驚きはしなかったけれど。
「あら。リチャード、近衛騎士の制服を着たのね」
新品の制服に着替えてチャールズに見せていたらしいリチャードを見つけ、マリアは笑顔で言った。
ちょっと誇らしげに、リチャードは胸を張る。
「へへ。似合う?」
「似合ってるぞ」
チャールズも笑顔で同意する。
屋敷にはリーシュやコーデリアもいて、リチャードの姿を褒めていた。
次に城に行くときは、この制服を着ていくんだ――リチャードは、コーデリアに楽しそうに話しかけている。リチャードの関心が逸れているのを確認し、チャールズがそっとマリアに声をかけてきた。
「リチャードを、正式に俺の……レミントン家の養子に迎えようと考えてるんだが」
その話がしたくて、わざわざオルディス領まで自分に会いに来たわけか。マリアはクスクスと笑う。
「私はとても良い提案だと思いますわ。レミントン家の嫡子となれば、あの子の道も広がりますもの」
「そうか、おまえは賛成してくれるか!」
マリアの返答にチャールズはパッと顔を輝かせる……が、すぐに小さくなり、おどおどとマリアの顔色をうかがうように聞いてきた。
「リチャードは……承諾してくれるだろうか?」
チャールズにとっては、リチャードを我が子として迎えられるなんてとても幸せなこと。でも、リチャードはどう思うか。それが怖くて堪らないのだろう。
だから、マリアに先に相談した。いざとなったら、マリアからリチャードに話してもらおうと。
「きっと承諾しますわ。レミントン家の養子にしたいのは、あの子をエドガー王の騎士にするためでしょう?」
「あ、ああ。もちろん、それもある。近衛騎士隊に入るなら、エドガーの支えになってやってほしい。アイリーンが妃になってくれて、エドガーもずいぶん立ち直った。でも……幼いあいつが一人で必死になってるのを見てると……。リチャードも、エドガーの力になりたがってたし」
「なら、あの子が拒否する理由がありません。ご自分で話してみてはいかがです?リチャードも、あなたの口から直接聞きたいと思いますわよ」
チャールズは困ったように眉を寄せたが、それでもマリアに励まされ、納得したようだった。
リチャードは、チャールズと自分の本当の関係にもう気付いている。
昔、チャールズ自身が話したように、他人と言うには二人は似すぎているし。はっきりとは言わないが、兄妹たちも、チャールズがリチャードの実の父親だと分かっていることだろう。
公然の秘密となっていたが、そろそろ、はっきり向き合う頃なのかも――どう切り出すか、チャールズは常々悩んでいた。
「ただいまー!あっ、お母様だ!お母様、もうオルディスに来てたのね!」
屋敷が賑やかになり、女の子だけで遊びに出かけていたヴィクトリアが、マリアを見つけ抱きついて来る。
スカーレットやリリアンも一緒に帰ってきて――セレンは、マリアを見て表情をこわばらせていた。
「あら……。リチャード、近衛騎士の制服を着ているの?」
マリアとセレンの間に流れる微妙な空気を誤魔化すように、スカーレットがさっさと話題を変える。
娘たちはリチャードの騎士姿を評価したり、コーデリアに町で買ってきた装飾品をプレゼントしたり……。
コーデリア・プラントは、療養を理由にオルディス領に滞在していた。
母キャロラインが亡くなって。その悲しみを癒すため。
マリアたちがフランシーヌへ渡っている間に、聡明な女領主は永い眠りについた。
もともと、出産や死産を繰り返したことで、彼女はずいぶん体調を損ねていた。長く生きられないだろうと医者から言われ、数年前から、何度も危うい時があった。
だから、覚悟はしていた――コーデリアのほうは。
コーデリアの弟アーサーは、母の死を受け入れるにはまだ幼かった。
「キャロラインが命を落としたのは、自分のせいだって思って、アーサーが荒れてるんだ。コーデリアが小さい頃、赤ん坊のアーサーに否定的な態度を取ってた話を、どこかで聞いたらしくって」
コーデリアがオルディスに滞在していることをマリアに話した時、リチャードはそう説明していた。
非常に認めにくいことであるが、アーサーの出産がキャロラインの不調の原因のひとつであったのは間違いない。
すべてがアーサーのせいというわけではないし、何より、そう選択したのはキャロラインで、アーサーが責任を感じる必要なんかまったくないのだが。
でも、だから気にしなくていいとはならないだろう。当人にとっては。
まだ十三歳の少年だ。母を喪った悲しみ……自分が母の命を奪った罪悪感……それらを、姉のコーデリアにぶつけてしまっているらしい。
――姉様だって、母様じゃなく、僕が死んでいればよかったのにって、そう思ってるんだろう……!
そんなはずがないと、リリアンもリチャードも、二人の父セドリックも説得した。
アーサーが生まれたばかりの頃は複雑な感情を抱いていたコーデリアも、すっかり良い姉となり、弟を心から可愛がっていた。アーサーだって、姉に愛されていることは分かっているはず――でも、いまは冷静でいられない。
だからコーデリアはオルディスへ来た。混乱する弟のため、自分は彼の前からしばらく姿を消したほうがいいと思って。
その話を聞いた時、たぶん、アーサーは姉に対するコンプレックスを爆発させてしまったのだろうな、とマリアは思った。
コーデリアは、非常に優秀であった。嫡男は生まれたが、このままコーデリアがプラント侯爵家を継いでもよいのではないかという声が上がるほどに。
弟アーサーにとっては、それがプレッシャーだった。
すでに優秀な姉がいるのに、男というだけで自分は姉の立場を奪った……母の命を削ってまで。
……要するに、家族同士、想い合っているからこそ互いに苦しんで、互いの首を絞めてしまっているのだろう。
冷静になるための時間と距離は必要だ。
マリアとセレンのように。
「あの……お母様」
リチャードやコーデリアを囲んで楽しそうにおしゃべりに花を咲かせている娘たちから離れて自室に戻ったマリアを、セレンが訪ねてきた。
おずおずと部屋に入って来る娘を、マリアは笑顔で招き入れる。
「町に行って、お母様にもプレゼントを買ってきたの。再婚のお祝いに……」
差し出された小さな包みを、ありがとう、と受け取った。中身は……シンプルだが、品の良い髪飾り。
「素敵ね。でも、こんなに短い髪じゃ、せっかくの髪飾りも映えないかしら」
「そんなことないわ。ショートヘアだって可愛いもん。私も、髪切ろうかな。ララは反対するの。お父様は、きっと似合うって賛成してくれたのに」
不意に父親の話題が出て、セレンが唇を噛む。何かを堪えるようなセレンを、マリアは優しく見つめた。
「お母様――」
意を決したように母を見上げるセレンを、マリアは抱きしめた。娘の言葉を遮るように。
「いいのよ。謝らなくていいの。私に謝ることなんて、あなたは何もしていないわ。あなたはアレクのことが大好きだった。ただそれだけ……」
セレンの肩が震える。母親に強く抱きついて、マリアの腕の中でぽろぽろと涙をこぼし始めた。
「お母様……私、お母様のことも大好き」
「私もセレンのことが大好きよ」
しばらく泣きじゃくる娘を抱きしめ、セレンの涙が落ち着くのを待った。
やがて泣き声も小さくなり、マリアに抱きついたままセレンが呟く。
「お母様。昔のお父様のお話、もっと聞きたい。ララのことも、一緒に教えてね」
「もちろんいいわ。お夕食の時間まで、二人でいっぱいおしゃべりしましょう」
セレンの髪を撫でながら、マリアが頷く。
さらさらとした艶のある黒い髪。でも最近……光の加減によっては、赤みがかって見えるような気がする。
セレンの出生にも、マリアとアレク……ララしか知らない秘密がある。いつか、この子に打ち明けなくてはならない日が来るだろうか。




