廻る (1)
エンジェリク王ヒューバートの死は、王国に大きな衝撃をもたらした。
エンジェリク国民は優しくも誠実な王の死を悼み、新たな王を歓迎する。
エドガー王の戴冠式は、先王の喪が明けてから。新王の戴冠式までは、エンジェリク国民も喪に服す。
とは言え、彼らの日常に大きな変化はない。
ヒューバート王の死によって大きな影響を受けたのは、城の中――貴族たちである。
「今週は、なんとか三桁にはならずに済んだようですが……そろそろ、首切り役人から休暇の申請が来ていますよ。さすがに働かせ過ぎです」
書類の束を押し付け……もとい、渡しながら、アルフレッド・マクファーレン主席判事はため息まじりに言った。デスクに置かれた書類に、ドレイク宰相はざっと目を通していく――あとで、あれの処理もするのか……。
二人の会話を黙って聞いていたマリアは、心の中でこっそりと溜め息をついた。そろそろ、自分も休暇が欲しい。忙しくしていることを好む自分が、休みを恋しがることになるとは。
「次回の会議では、処刑の効率化について提案することにしよう。我が国でも、ギロチンを導入すべきかもしれん」
「もっと単純な解決方法があります――処刑人数を減らせばいい。いくらなんでも、多すぎです」
「牢はすでに罪人で溢れかえっている。来週までに少しは空きを作っておく必要がある」
「宰相殿」
淡々と話し続けるドレイク宰相の言葉を、マクファーレン判事が遮った。
「あなたにはあなたのお考えがあってのことだとは思う。だが……いくらなんでも殺し過ぎだ」
フランシーヌで、エンジェリク軍は裏切者によって大打撃を受けた。
ヒューバート王、ライオネル・ウォルトン侯爵――エンジェリク内に渦巻く不満は、ここまで大きくなっていたのか……これから、どうなってしまうのか。そう思い悩む貴族たちの猜疑心を、ドレイク宰相は吹き飛ばした。
国を裏切り、王を死に追いやった奸臣を、次々に処刑し始めた。
無論、ドレイク宰相はすべてを見通す万能の神ではない。つまりは、宰相の一存で奸臣と認定された者たちが始末され始めたのだ。
昔は若造として侮られていたドレイク宰相も、いまや宮廷に並ぶ者のいない大貴族の重鎮。司法関係者は宰相の身内で固められており、軍部はかつてのトップの親友に従順だ。
幼い新王は彼を止められない。エドガー王を傀儡に、宰相が政治を動かしても誰も異議を唱えられない。
……辛うじて彼に対抗できる内務大臣は、高齢故に最近は城を留守にしがちで。
いまやドレイク宰相以上の力を持つ高位の貴族は……マリア・オルディス公爵のみ。その女は、宰相と長年の愛人関係にある。
いま、城で権力の頂点にあるのは、間違いなくジェラルド・ドレイク宰相であった。
「……マクファーレン判事。今日、新たに八名が逮捕された。すでに取り調べは始まっており、一通りの調書は取ってある。目を通し、近日中に執行書にサインを」
差し出される書類に、マクファーレン判事は大きくため息をつく。ぞんざいに書類を受け取ると、宰相の顔を見ることもなく部屋を出て行った。
「マリア」
しばらく二人で黙々と書類整理に励んだあと、ドレイク宰相が声をかけてきた。
「マルコム・パターソン男爵の母御にそれとなく接触を――息子の助命を、陛下に嘆願するよう仕向けて欲しい」
「承知いたしました」
苦笑は心の内におさめ、マリアは自分のデスクに積み上げられた書類からパターソン男爵のものを取り出し、別の書類の山の上に置く。
ヒューバート先王を裏切り、敵国フランシーヌと通じた奸臣を一掃する――その名目で、エドガー王やオルディス公爵家の手を煩わせる貴族たちをドレイク宰相は片っ端から逮捕しまくっていた。それはもう、独裁政治の極みと言わんばかりの横暴っぷり。
でも……すべての人間を容赦なく始末しているわけではない。
このパターソン男爵のように、家同士の付き合いやしがらみで、面倒な派閥から抜け出せなかっただけの人間もいる。
そういった人間は、できるだけ処刑を回避させようと図らっていた。それも、なるべくエドガー王が宰相を諫めて救済したかたちで。
ドレイク宰相は、幼く脆い王の敵を片付け、悪名を一人で被ろうとしているのだ……。
宰相の秘書を務めるマリアの主な仕事は、書類整理と時間の管理。
放っておくといつまでも仕事をしているドレイク宰相にこまめな休憩を取らせ、残業もほどほどに切り上げるよう声をかけるのも、マリアの重要な役目。
でも最近は、マリアの声かけも効果がなくなってきた。
休憩しましょう、と言っても生返事ばかり。仕方なしに、用意した茶菓子をワゴンに載せ、宰相のデスクの片隅にお茶を置く。
香る甘い花の香りに、ドレイク宰相も顔を上げた。
「……ヒューバート様が、生前好んでいらっしゃったお茶です。私も、よくこれを振る舞われたものですわ……」
ヒューバート王の崩御の後、彼の遺品を整理していて見つかったものだ。まさか捨てるわけにもいかないし、使ってしまわないと茶葉はダメになってしまう。息子エドガーは、まだ父の死と向き合うことができなくて。
マリアが受け取り、残ったものを使うことにした。
そうか、とドレイク宰相は静かに相槌を打ち、ティーカップを取った。
「この食器も、見覚えがある。王妃のものだ」
「よく覚えていらっしゃること。おっしゃる通り、オフェリアの愛用していたものです。エンジェリクに来て初めての誕生日……レオン様が贈ってくださったものです」
エンジェリクで迎えた初めての誕生日。会ったばかりのオフェリアに、ウォルトン団長は女の子が好みそうな可愛らしい食器を贈ってくれた。
オフェリアの宝物のひとつ――時々、ドレイク宰相やウォルトン団長を招いてそれでお茶会をしたり……。
「陛下、何をご覧になっていらっしゃるんですか?」
クッキーを頬張りながら、オフェリアのスケッチブックを食い入るように見つめているヒューバート王に向かって、ウォルトン団長が尋ねる。
これ、と王は困ったように眉を寄せ、団長にページを見せた。
「……なんですかな、それは」
「たぶん、ジェラルド……」
「ジェラルド!?このアホっぽい笑顔を浮かべた人間が!?」
爽やかな笑顔を浮かべた男の肖像画の正体を聞き、ウォルトン団長は仰天する。
オフェリアの絵は独特だ。マリアですら、何を描いたのか首を傾げてしまうことがしばしば。ヒューバート王だけは、いつも正解を見抜いていた。
「ジェラルド、お前と言うやつは!純真なオフェリアをすっかり誑かしやがって!」
「無礼にもほどがある」
ドレイク宰相はそう言い捨て、ヒューバート王が淹れてくれた花茶を飲む。
オフェリアは不思議そうな顔で男たちを見た。
「オフェリア、騙されてはいかんぞ。君は、マリアに劣らず人が好いからな。やつは、そういう女性の優しさにつけ入るのが得意なんだ」
「ジェラルド様は本当に優しい人だもん。初めて会った時から、優しくて、親切で……私、ジェラルド様とお友達になれてすごく嬉しいわ」
「恐れ入ります。私のことをそう評してくださるのは、王妃様とオルディス公爵だけです」
ドレイク宰相はオフェリアに頭を下げる。オフェリアはにこにこと笑っていた。
ヒューバート王は、相変わらず顔をしかめていて。
「僕は……笑いかけてもらうどころか、嘲笑を含め、まともに笑う姿を見たことすらない……」
「お気になさいますな、陛下。こやつは女にばかり外面が良いのです。オフェリアやマリアには激甘なのに、私のことはまるで虫のように邪険に扱う――」
「まるでもなにも、羽虫のごとくうっとうしいというのに、構わず私の耳元を飛び交っているのはそちらだろう」
ドレイク宰相が冷たく言えば、ウォルトン団長も眉間に皺を寄せた。
「親友の僕に向かって、なんだその言い草は!友達失くすぞ!」
やり取りを見ていたマリアは、堪え切れず吹き出した。宰相と団長が、マリアに振り返る。
本当に、仲が良いのですから――マリアが笑って言えば、そうだろう、と団長は得意げに返し、ドレイク宰相は迷惑そうに顔をしかめていた。
ヒューバート王とオフェリアも、二人の仲の良さに笑って……。
「……取り残されるのが、私になるとはな」
いまはもう、遠くなってしまった昔のことを思い返していたマリアは、宰相の言葉に顔を上げた。
ドレイク宰相を見てみれば、彼もティーカップの中の少なくなった茶をじっと見つめている。
マリアに話しかけたわけではなく、一人呟いたその言葉――口に出したこと、宰相本人も気付いていないようだ。きっと、マリアと同じように、二度と帰ってくることのない遠い日に思いを馳せていたのだろう。
なんと声を掛ければいいのか分からなくて、マリアもティーカップの中の茶に視線を落とし、黙ってそれを飲んだ。
内務大臣ケンドールと言えば、いまとなっては数少なくなった、ドレイク宰相に対等以上の身分の男である。
キャリアも年齢も宰相より上。
……その分だけ、残された時間も短い。
「お久しぶりです、モーリス様。このお部屋の片付きようを見るに……引退するとの噂は、事実なのですね」
高齢の内務大臣は、城に来る頻度もめっきり減り、そろそろ引退するのではないか、と噂されていた。
今日、久しぶりに登城していると聞いて挨拶がてら内務大臣の執務室を訪ねてみれば、部屋はすっかり片付けられていて。
「直近の部下たちにはすでに知らせてある。後任も、ダフィード子爵を指名した――いまや伯爵か。ドレイク候が次々と家を取り潰す故、ダフィードも伯爵家に格上げだ。大臣職に就くには有難い幸運だな」
ちょっと嫌味っぽい声色で内務大臣は言い、ほとんど物のないデスクに腰かける。
「引き継ぎのために、まだ二、三日は城へ来る――が、それで私の役目も終わりだ」
「寂しくなりますわね」
マリアは控えめに微笑む。内務大臣はマリアをじっと見つめ、ふっと、穏やかに笑い返した。
「生憎と、私はさほど未練を感じない。為すべきことは十分為した。権力の座も、十分に堪能した。思いもかけぬことではあったが、男としての楽しみも十分に味わったつもりだ。年寄りは、そろそろ若い者に席を譲るべきだろう。いつまでも居座ると、後進が育たぬ。我々は不老不死ではない――いつまでも出しゃばって、若い者たちの可能性を奪うべきではない」
「なんだか耳が痛いです」
言いながら、自分も年寄り側になったのだな、とマリアは思った。がむしゃらに突っ走って、格上とどう対峙するか、そう考えていた頃が懐かしい。
「……もう少しばかり、ニコラスのせがれと共に新しい王を支えるべきかもしれぬとは考えたのだが……おそらく、奴にはやつの考えがあるのだろう。私はやつほど、王のために己の身を切ることはできん。娘婿を一人前にするほうが優先だ」
「それは当然ですわ。モーリス様には、娘婿のアイザック様を影から支える役目がおありなのですから」
ケンドール候に、ジェラルド・ドレイク宰相の面倒まで見る義理はない。
ドレイク宰相のほうでも、いつまでも誰かの威光にすがったり、手助けしてもらったりするのは御免被ると首を振ることだろう。
でも、一人ですべてを背負い込もうとするドレイク卿を、マリアも放っておけない。彼は、エンジェリクに来てからずっと、マリアの大事な共犯者なのだから。




